原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

朝日新聞 パズル「推理」 2016.5.7編

2016年05月08日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2016年5月7日付パズル「推理」に原左都子が解答したもの。 夜間に撮影したため、画像が暗く見辛い点をお詫びします。)


 本日夜になって「原左都子エッセイ集」の編集画面を覗いたところ、何年か前に解答して公開した朝日新聞「推理」解答エッセイに少なからずの閲覧が寄せられている現象を発見した。


 本日昼過ぎに、たまたま昨日(5月7日)付朝日新聞「推理」に解答した記憶が新鮮だったため、その我が解答を探したところ新聞処理袋から見つかった。


 私が朝日新聞パズルの中で一番に愛好しているのは「絵むすび」だが、確かに「推理」も面白い。


 「推理」の解答とは、設問の読解力勝負と心得る。

 5名の登場人物の発言の裏まで推理(推理と言うよりも、正しくは言葉の裏を論理的に読み取り簡単な数値計算をする)力があれば、後は図表に○×を正確に入れて行きさえすれば解答可能であろう。


 せっかく、(おそらく朝日新聞ファンの)皆様より「推理」にアクセスを頂戴しているため、夜遅い時間帯になったがその解答を公開しておこう。 
  


 

初夏の我が家の風物詩

2016年05月07日 | 人間関係
 (写真は、本日午前中に長野県伊那市の大規模農場よりクール宅配便にて届けられた 採れたてのウドとアスパラガス。)


 長野県伊那市にて大規模農場を経営されているK氏より、5月の連休中の今時分に毎年採れたてのウドやワラビ、アスパラガスをお届け頂ける事になって、今年で既に9年目を迎える。

 私とK氏との出会いとは、何と!当該「原左都子エッセイ集」がきっかけである。
 9年程前にネット上にgooブログにて「原左都子エッセイ集」を開設した半年後頃、ネット上の某ブログコミュニティ(現在既に廃業)に我がエッセイ集を登録した。  その直後から、有り難い事には我がエッセイ集に読者登録が殺到する現象が起きた。

 未だ世間知らず(あくまでもネット世界の話であり現世では海千山千の私だが)の私は、その現象に素直に感激したものだ。
 その感激を頂けた読者の一人がK氏だった。 K氏とは実に優しい人物で、私がエッセイを公開する毎に必ずや肯定的コメントをお寄せ下さり我がブログを力強く支えて下さった。

 ところが、ネット世界とは私が考えていた程には甘くはなかった。 辛口論評を主柱とする我がエッセイ集が時間の経過と共にマイナスのアクセス(バッシング、誹謗中傷等々)に痛めつけられる運命にあったのは、後に考察すれば必然の現象だった。
 その後コメント欄を閉鎖し、読者登録にも慎重を期しつつ現在に至っている。

 そんな紆余曲折の中にあって、「原左都子エッセイ集」開設当初より9年の長きに渡り、ずっと我がエッセイ集を影で支え見守って下さっている読者の方々が、少数ながらも未だに存在する事実に感無量の私だ。
 

 以下に、2010.5.8バックナンバー「初夏の味覚の宅配便」を紹介する事により、私とK氏とのその後の交友を紹介しよう。

 日本の中央アルプスや南アルプスが展望できる信州の実り豊かな大地に大規模農場を営んでいらっしゃる “とある方” (ここでは K氏 と呼ばせていただくことにしよう)から、年に何度か採れ立ての農作物を宅配便にて我が家に直送いただくようになって、今年の春で3年目を迎える。
 K氏の大農場に於ける主生産農作物はブロッコリー(K氏名付けて “ブロッ娘” 『ブロッコ』 とよみます。 K氏が可愛い娘のごとく愛を込めて育成され毎年春秋に市場に届けていらっしゃいます。) であられる。 春秋の“ブロッ娘”を中心に、早春のフキノトウ、そして今頃の季節はワラビやウドといったごとく、都会で暮らす原左都子が普段滅多に目にすることがない“土”がついたままの旬の農作物を何ともありがたいことに我が家まで直送いただけるのである。
 ここで大規模農場主のK氏と私が知り合った経緯を述べさせていただくと、実はそのきっかけは この 「原左都子エッセイ集」だ。   K氏はご自身の農場経営でご多忙な中、当時まだ開設後数ヶ月しか経過していなかった「原左都子エッセイ集」をご訪問いただき、ネットという世界に未熟かつブログのあり方さえも心得ない私が綴る拙ブログの一記事一記事にコメントを書き入れて下さる等の手段で、心温まる応援を下さった方である。
 その後、K氏の農場経営における“ブロッ娘”の生産拡大によるさらなるご多忙等と相俟り、現在のK氏はネット上から遠ざかっていらっしゃるようだ。 それでも今尚、過去においてブログ上で知り合った私に採れ立て農作物を直送して下さるという恩恵に授かり続けている私だ。
 それにしても、K氏よりのお便りによると、自然と共存してこそ成り立つ農業世界とは“日々気まぐれに移り行く天候とのバトル”であることが今更ながら身に滲みる私である。
 分子遺伝子生物学の発展が農業における品種改良にもたらす恩恵や、工業分野での技術革新の農業分野への進出による発展は凄まじいものがあることであろう。
 とは言えども、農業とは“生き物”を扱う世界であるからこそ自然との共存がその主眼であり、天候や気温による打撃を直に受ける産業であることを実感させられる思いだ。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 その後もK氏は、我が家にクール宅配便を届けて下さる事と並行して、ご多忙中にもかかわらず、必ずやその年々の農作物の出来具合や季節背景気象詳細情報等を私宛にEメールにて送信して下さるのだ。

 本日朝届いたK氏よりのEメール内容の一部を(ご本人には無断ながら)以下に紹介しよう。(既に9年の付き合い故、きっと許して下さると思います…。)

 さて、今年の「うど」は・・・ まあまあ太くなりました。 今年は温暖化のためか早くに葉が出始めました。 そろそろ掘り起こさねば・・・と思う気持ちをあざ笑うかの如く、天候が《いたずら》してくるんですよ。
 5月3日でしたか、低気圧の影響での大風雨!凄かった!!
 被覆材は土止めしてあるのが、見事にハガレ。 定植後のマルチのハガレ。 定植前のマルチのハガレ。
 従業員さんと(一人は風邪で休み)二人がかりで2日掛かって直し。 一部の圃場は今春三回目の直し。
 んも~、嫌になるくらいでした。 一番大変なのは《定植後のマルチはハガレ》 強風の止まない中、先ず剥がれたマルチを元に戻し、土を押さえとし盛る。 次にマルチの下になってしまった《苗》を指で探り当て引き出す。 その都度「いやいや、熊本の被災地のことを考えるとまだましよ!」と、言い聞かせながら・・・
 昨日は、雨が降るとぬかるんでしまい定植機械が動けなくなるからと、急遽《定植》を敢行。 天気予報では15時~《雨》 ところが12時頃から降り始めてしまうし、それでも、15時には終了し植え直しは今日13時から3人総出でやることにしました。
 (以上、我が友であるKさんよりのメール内容の一部を紹介したもの。)


 いやはや大規模農場主のご負担とは、自然環境に大きく左右される故に日々格闘の毎日であられる事であろう。
 にもかかわらず年に4、5度程、必ずや定期的に我が家に採れ立て野菜類をクール便でお届け下さり、更にはその都度Eメール連絡も欠かさないK氏の律義ぶりに感動させられる。

 本日午前中、K氏宛に 「現役で働く男は魅力的です!」 なる表題のEメール返答をした私だ。

 まさに、年金生活に入りうだうだと趣味に興じ過ぎ行く日々を何とかごまかし心の整合性を持たせつつ過ごす男どもや、天下り組織にて安穏と高給の恩恵に浸る奴らよりも…  
 高齢域に達し未だ現役にて自らの能動的生産力により世を動かしている男達とは、実に魅力的だ!

皆さん、藪蚊にはくれぐれもご用心!

2016年05月05日 | 医学・医療・介護
 (冒頭より、見苦しい映像を披露して恐縮です。 現在の我が両足首を後方から撮影したもの。 本日つい先ほど撮影した写真だが、ご覧のように右足首が左足首の3倍程の太さに腫れ上がっている。



 還暦過ぎた今尚、足首の細さが自慢の一つの私が、何故このようなみっともない姿にならざるを得なかったのかについて説明しよう。

 来る5月21日開催“皇居ランニング大会”へエントリーしその出場を2週間後に控えている私は、現在ランニング練習最後の仕上げ期間に入っている。
 普段は主にジム併設の室内走路に於いてランニング練習を実施しているが、ランニング大会に臨むためには野外にての走り込みが欠かせない。 そこで4月初旬頃より自宅近くの陸上競技場併設大規模公園にて練習に励んでいる。

 5月に入り気温が上昇する中、5月2日(月)にも当該大規模公園へランニング練習に出かけた。
 巷では既に公園に藪蚊が発生しているとのニュース報道も見聞していた。 メディア報道に於いては、昨年流行した「デング熱」やこの冬南米で流行した「ジカ熱」予防撃退手段として、都内大規模公園内で藪蚊発生状況に関して調査中との様子だ。

 実は私は昨年も自宅近くの大規模公園内でのランニング練習中に、2度藪蚊にさされる被害に遭っている。 おそらく6月頃の事だったが、その時も蚊に刺された足の部位が腫れたものだ。 ただ、上記写真程までには腫れ上がらず、執拗なまでの痒みに日々耐えていると自然治癒した記憶がある。
 それにしても昨年あの“執拗な痒み”に日夜耐え抜いた記憶が鮮明な私は、今年こそ藪蚊ごときにやられてはなるまい!なる決意と共に、公園にてランニング練習を重ねていた。

 4月からのランニング練習にてタイムが短縮される日々に自己満足しつつも、観察力旺盛な私は木陰に「藪蚊」が発生しているのを見逃していない。


 一旦原左都子の注釈だが、「藪蚊」と「家蚊」とでは見た目が全く異なる。
 その事実に関しては、数年に渡り野外にてランニング練習を積んでいる私は経験的に十分理解している。 確かに自然環境に近い大規模公園程、藪蚊が発生し易い事だろう。

 ここで、「藪蚊」に関する説明文を“広辞苑”情報より引用しよう。
 「藪蚊」とはヤブカ族の蚊の総称。 大きい黒色の蚊で体と足に白斑がある。 藪の中などにすみ、昼間吸血し、さされると痛い。 俗に、藪や木立の中にすむ大形で黒色の蚊の総称。

 さて、我が5月2日のランニング練習に話を戻そう。
 確かに我が目(還暦過ぎた現在尚不思議と十分な視力に恵まれ未だ老眼鏡不要なのだが)で、木立の中に“大きい黒色で体と足に白斑がある蚊”を発見した! これにやられたら昨年のごとく我が足に“執拗なまでの痒み”がもたらされる。 とっとと帰宅せねば! …… 
 ところが残念な事に、我が体内は既に藪蚊に攻撃されていたのだ…

 右足首に激しい痒みが襲い、腫れ始めたのは2日後の5月3日夜中からの事である。 (冒頭写真の解説をするなら、藪蚊に刺された部位は右足首左下の赤い点の箇所だ。 この一ヵ所を刺されたのみなのに、何故か腫れは足首上下周囲にまで広がってしまい、赤く腫れたすべての部分に激しい痒み感がある。)
 昨日5月4日には個室美容院の予約があり、行かねばならない。 (こんなみっともない足で…)と思いつつ予約を実行するためにミニスカ姿で私は出かけた。 意外や意外、誰も私の足首の腫れに気付かない事に安堵した。
 それに安堵したとしても、昨夜など前夜に増して“激しい痒み”に苛まれ、一晩中眠れやしない。 
 そうこうして先ほど撮影したのが、我が3倍に腫れ上がったみすぼらしい右足の醜態だ…


 ところで私がこの右足首の腫れにもかかわらず落ち着いていられるのは、元医学関係者故であるため皆様ご安心下さいますように。

 以下に、ネット情報より「蚊に刺されて激しい痒みに襲われると同時に患部が腫れあがっている」との訴えに応える情報を紹介しよう。 
 蚊に刺されて腫れるのは、何度か蚊にさされ蚊の唾液に対するアレルギーができた(抗原に感作された)からです。 おもしろい?ことに生まれたての赤ちゃんは、まだ感作されていないので蚊にさされても赤くなったりしません。
  逆に高齢になって免疫力が低下すると、蚊にさされても反応が出なくなってきます。
  ということで、質問者さんは、今とても免疫力が強くてそういうのに反応しやすい元気な時期なのかも。年を取って来るとそういうのもおさまる可能性があります。
  基本的には、蚊に刺されないように蚊よけのスプレーなんかをうまく利用することでしょうね。それと、市販薬でも虫さされのアレルギーに対するプレドニゾロン(ステロイド)が少量ですが入ったクリームが売ってますので、そういうのを早めに塗っておくのもいいかもしれません。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)

 元々医学経験者として「免疫学」基礎研究実績を積んでいる私としては、上記の回答内容の一部に疑問符を提示したい気もする。
 例えば私の場合、高齢に至るにつれアレルギー反応が過剰になっていく自覚があるのだ。
 上記回答者が言わんとするところの、「蚊に刺されても反応が出なくなる高齢者」年代とはずっと先のことかもしれない。

 
 もしかしたら一生に渡り田舎に暮らす人達にとっては、(免疫学的意味合いで)藪蚊ともずっと仲良く共存しつつ暮らしておられるのであろう事が考察出来るような気もする。
 ところが都会暮らしが長くなっている人間が突如として「藪蚊」と遭遇すると、その打撃を真正面から受けざるを得ず、アレルギー過剰反応に苦慮するのかとも分析する。

 何はともあれ我が右足首の腫れが治ってくれないことには、連休明けに「女優オーディション」にも行けない有様だ。 (えっ? 還暦過ぎて、まだそれに行く気だったの?!? との読者の皆様の蔑んだ声が我が耳に響き渡るが…

ミュオン透視ピラミッド内部研究の地道さ、緻密さに感動!

2016年05月03日 | 学問・研究
 (写真は、2007年8月に家族旅行にてエジプトを訪れた際に原左都子が撮影したクフ王のピラミッド)


 今から遡る事9年程前に、私はエジプトを訪れピラミッド観光をしている。
 あいにく灼熱地獄猛暑時期のエジプト及びギリシャ訪問と相成り、私と娘は現地の食事にも慣れず、激しい下痢症状(娘は高熱も発症)に苛まれた。

 そんな旅程の最終章に、ギザ地区のピラミッド群及びスフィンクス観光の日程が組まれていた。
 出来れば日陰で休みたい思いが山々なれど、せっかく遥々訪れたエジプトに於いてピラミッド観光をせずしては帰国出来ない。 
 しかも、今回は入場人数が限定されているピラミッド内部まで内覧出来るとのツアーの触れ込みだ。 ただし、内覧に関しては急激な階段や狭い場所を通過する体力を要するため、高齢者や体調のすぐれない観光客の入場は避けるようにとの指導だ。
 直前まで入場を諦めようかと迷ったのだが、身内の勧めもあり思い切ってクフ王ピラミッドの内部に娘も引き連れて入場することとした。

 上記写真のピラミッド右下辺りに入場口があるのをお分かりいただけるであろうか? この入場口まで辿り着く事さえ困難だった記憶があるが、内部に入場して「やはり止めておけば良かった…」との後悔に苛まれる…
 急な階段どころか、直立に近い(階段と言うより)“はしご”を登り切らねばならない場面すらある! まるでアスレチック競技に出場して闘っているような感覚だ。  しかももっと不運な事には、限定入場者は団体行動を強いられるため行動に遅れを取ることが許されないのだ。 
 結局、命がけでピラミッド内で激しい運動をさせられたのみで、ガイド氏の話を聞く余裕など一切無く、やっとピラミッドから外に出られた時には命が助かっている事に感激すらしたものだ。

 と言う訳で、我がクフ王ピラミッド内覧とは体力・精神力勝負を課せられ“死にそうだった”記憶しかなく、一体何を見てきたのやら訳が分からないとの恥ずかしい事態だ。
 ただ、これぞエジプト5000年の歴史に触れた最高の思い出として、我が脳裏に明瞭に刻まれている事も確かだ。 


 そんな経験がある私は、一昨日5月1日にNHKにて放映された“NHKスペシャル”「エジプト大ピラミッド古代史最大の謎に挑む」なる番組放映を心待ちにしていた。

 以下に、NHKがネット上に公開している当該番組に関する事前解説を引用して紹介しよう。

 エジプト大ピラミッドの「永遠の謎」は解けるのか?考古学最大の謎に、日本発の「透視技術」が挑む!
 今からおよそ4500年前に誕生したエジプトの大ピラミッド。「人力でどうやって建設したのか」「未知の『黄金の間』が隠されているのでは」・・・今なお数多くの謎に包まれており話題が尽きない。
  今回、こうした謎に日本で開発された最新のミュオン透視で挑戦することが許可された。 ミュオン透視とは、宇宙線として空から降り注ぐ素粒子ミュオンを使い、レントゲンのように巨大構造物を透視する新技術。 NHKは名古屋大学や高エネルギー加速器研究機構と考古学調査に使えるミュオン透視を開発する共同研究を立ち上げ、研究者らは昨年秋からエジプトのピラミッドでの透視実験を繰り返している。
  番組では、ピラミッドに秘められた壮大なロマンを紹介しながら考古学最大の謎に挑む日本の研究者たちの奮闘を描き、透視調査の最新状況を伝える。


 ここで一旦、ミュオン(ミュー粒子、ミューオンとも呼称されるが現在は“ミューオン”が一般的な表記のようだが)に関するウィキペディア情報の一部を要約して、以下に紹介させていただこう。

 ミュー粒子は、電気素量に等しい負の電荷と1/2のスピンを持つ。
 1936年にカール・アンダーソンとセス・ネッダーマイヤーによって宇宙線の中に観測された。 粒子が霧箱の中で描く曲飛跡から、電子と同じ電荷だが電子より重い新粒子であると推定された。 1937年には、理化学研究所の仁科芳雄のグループおよびストリート(J.C. Street)とスティヴンソン(E.C. Stevenson)らが独立に、ウィルソン霧箱実験によって新粒子の飛跡を捉えた。
 発見当初はその質量が湯川秀樹によって提唱された核力を媒介する粒子である中間子と非常に近かったため、ミュー中間子と呼ばれていた。 しかし、ミュー粒子は核力を媒介しないことが分かり、中間子の性質を持たないことが判明した。 1947年、セシル・パウエルらによりパイ中間子が発見されたことで湯川の中間子説および二中間子説が正しいことが証明され(実際には、反パイ中間子がミュー粒子に崩壊する)、ミュー粒子は電子と類似した性質を持つレプトンの一種として分類された。 
 ミューオンは、イオンビーム(粒子線)として世界に数カ所ある中間子工場(Meson Factory)と呼ばれる陽子加速器施設で利用に供されており、素粒子・原子核物理学からミュオンスピン回転(μSR)による物性物理学、物理化学の研究に至るまで幅広く利用されている。 また、ミューオンを用いたミューオン触媒核融合、μ-捕獲X線による非破壊元素分析など、学際的な応用研究も行われている。ミューオンを使った放射線治療も研究されている。
 近年では、東京大学地震研究所により、宇宙線由来のミューオンを用いて火山の内部構造を画像化するミュオグラフィの研究が進められている。 同様の手法で福島第一原子力発電所の炉心の現状を調査するためにも使用された。
 1978年に東京大学理学部附属中間子科学実験施設(現・高エネルギー加速器研究機構・ミュオン科学研究施設)が発足し、1980年に当時の高エネルギー物理学研究所ブースター利用施設の一角に設けられた実験施設で世界初のパルス状ミューオンビームを発生させることに成功した。 これ以降、同施設は国内のミューオン利用研究の中心となるとともに世界的にもパルス状ミューオン利用の先導役も果たしていたが、2001年から日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構との協力の下で始まった大強度陽子加速器計画(J-PARC、茨城県東海村)による次世代施設の建設が本格化するのに従い、2006年3月をもってその運転を終了している。
 (以上、ミュオンに関するウィキペディア情報のごく一部を要約引用。)

 
 引き続き、原左都子の私見を語ることとしよう。

 上記のごとく、“ミューオン”応用技術に関しては今に至っては科学分野に於いて特段騒ぐべき事象ではなく、1930年代に発見され、ずっとその応用研究に用いられて来た科学技術であろう。

 今回のNHKスペシャルが放映した、エジプトピラミッド内部分析に当該ミュオンを使用したとのNHK報道に何故私が感激したのかに関しては、私なりの理由がある。

 とにかく、NHKが取り上げた名古屋大学研究者グループの面々が皆若いのだ!  その若き科学者達がエジプトまで参上して、ピラミッド内部の構造を解明せんとするその地道な姿勢にこそ、私は心打たれた。
 5月1日放映NHKスペシャルに於いては、未知の世界であるエジプトのギザではない他の箇所にひっそりそびえる小規模ピラミッドにターゲットを絞り込んだようだ。 果敢にもその内部へ名古屋大学科学者達が重き実験器具を持参する風景映像が写し出された。
 内部にはコウモリが繁殖していてウィルス感染の危険性もあるとの事で、研究者面々は灼熱の中、防御服を着用して内部に入る。 
 そしてミュオンを感知するためにピラミッド内部に反射板を貼り付けるのだが、ミュオンの反射を正確に捉えるためにはわずかな傾きも許されないとの事だ。 特殊な撮影技術を駆使しつつ、高温の中その緻密な作業に集中する若き科学者達の映像を、私はテレビの前で見守り続けた。


 最後に、原左都子の結論に入ろう。

 元より科学技術の発展とは、このような“地道かつ緻密”な作業なくして成り立たない性質のものだ。
 
 一時「STAP細胞事件」で世を騒がせた“似非科学者達”にこそ、この映像を見て欲しい思いだ。
 “世界で一番”の発見・発明を急ぎ「ノーベル賞」を目指す事より、既に存在する科学技術を活かし、仮説検証との地道な努力を繰り返し“応用技術”を発展させつつ世紀の謎に迫って欲しいものだ。

 その意味で、一昨日“NHKスペシャル”で見た名古屋大学研究グループのご活躍の程を、今後も応援申し上げたい。

It's possible for you to speak English fluently?

2016年05月01日 | 自己実現
 世は5月の連休真っ最中の様子だ。 (聞くところによれば、今年のゴールデンウイークは10連休をゲット可能な企業人が多いとのことだが…)

 それに合わせる訳ではないが、本日の我がエッセイも“軽ノリ”で済まさせていただく事としよう。


 今年1月末から2月初旬にかけ、娘を引き連れてイタリアへ完全個人旅行を実行した私だ。
 その帰国後より(あくまでも水面下で虎視眈々と)英会話力の極度の衰えを何とかせねば!との使命感に燃えている。
 イタリア旅行自体は楽しく十分な達成感があったものの、帰国後に冷静に分析した場合、一つだけ我が大きな課題として残されたのが上記の「英会話力」の情けない程の“極度の衰え”だったのだ。


 冒頭から私事になるが、我が英語遍歴を振り返らせていただこう。

 義務教育課程より一応真面目な生徒として通っていた私が、中高を通して一番高得点を挙げられる科目とは「英語」だった。 (「数学」も嗜好していたが、「英語」の方がその理論性に於いてより簡単・安易だった印象がある。)
 皆様もご存知の通り、1960年代から70年代にかけての学校教育に於ける「英語」の授業とは、“読み書きのみ”だった。 要するに“聞く話す”の授業など一切なかった時代背景である。

 これがまさに理論派の私にとって、功を奏したとも言えよう。 
 当時の英語の授業の主たる課題である「文法学習」が面白いように頭に入って来た。 我が脳内がスポンジのごとく英語文法を難なく吸収するのだ。 その結果として、特に中学校では幾度の定期試験に於いても95点を下回る事は一度とてなかった。
 高校に進学した後は、膨大な英単語の記憶に多少の労力を費やした。 それでも、中学時点でほぼ完全にマスターしていた我が英語文法力が主柱となり、やはり高得点を挙げられた。

 私は学生時代の19歳時に、1ヶ月間のみではあるが米国カリフォルニア大学バークレー本校の University Extension に参加する形で英語短期留学を経験している。 
 その際現地にて英語能力別クラス分けを実施するために課されたのが、何故か“筆記試験”のみだった。 これに高得点を取ってしまった私は、その後上位クラスで難儀するはめとなる。 何分“聞く・話す”の能力に一切欠けている私だ。
 ところが意外や意外、学外では私の拙い英語を聞いてくれる人物に出会えたりして、結構楽しい米国留学生活を全う出来たのだ。  その秘訣を言うならば、私の場合はあくまでも“読み書き力”に頼る英語しか話せないものの、個人的に出会うネイティブとは、私が“読み書き力にて喋る英語”を熱心に聞いてくれたとの事に過ぎなかったのだろうが…。
 

 その後も何度か海外旅行を経験した私だが、30歳代後半期に至って、英会話を学べる究極の出会いが私に訪れた。

 以下に、「原左都子エッセイ集」2008.6.21バックナンバー 「彼の名はジョニー」 の一部を紹介しよう。
 米国人男性ジョニー(仮名)との出逢いは、米国西海岸に住む姉の家の玄関だった。
 独身の頃、私は米国在住の姉のところへ単身で何度か訪れている。 その訪問の一番のお楽しみは、華やかで交際範囲の広い姉のネイティブの友人に会い、片言の英語で楽しいひと時を過ごす事だった。
 日本でも翻訳されてベストセラーとなった「カッコウはコンピュータに…」の著者であるC・S氏とも姉が交友があったお陰でお目にかかった事がある。 C・S氏は作家であると同時に天文学者でもあり当時大学教授をされていたと記憶しているが、ふわふわのカーリーヘアが可愛らしく、とても控えめで優しくごく普通の庶民的な方だった思い出がある。
 ジョニーもそんな姉の広い交友関係の中の友人のひとりだった。  
 その日、ジョニーが日本から遥々訪れた私のために西海岸めぐりのドライブに連れて行ってくれるということで、愛車のポルシェで姉の家まで迎えに来てくれた。
 姉の家の玄関でジョニーと初めてご対面した時、ジョニーの私を見るその眼差しから私は直感で一目惚れされたことを感知した。 何分、あちらの方は表現が直接的だ。 それからというもの、ジョニーは私から視線を外さず穴が開くほどずっと見ているのだ。
 私は英会話が片言のため、姉の通訳付きでジョニーと話した。 おそらく自己紹介風の話を中心に、姉が通訳係に徹してジョニーと私の二人が対話をしながらのドライブだった。
 その日の3人でのドライブが終了する時、ジョニーが私に言う。 私が米国滞在中に是非今度は二人で会いたいと。 姉もジョニーの私への気持ちを既に察していて私にそうすることを勧めてくれる。 私もまんざらではないのだが、何分英会話力の問題がある。(経験がおありの方は理解していただけると思うが、英会話力がなくてネイティブと話す場合、英語をしゃべるという行為自体にエネルギーを使い果たし、肝心のコミュニケーションがとれているのかどうか後で考えるとよくわからないのだ…。)
 その後、我が米国滞在中にジョニーに3度会った。
 2度目の再開の時には、さすがにジョニーの英語に対しては耳が慣れてきていた。 そしてジョニーが私に好意を持ってくれているお陰で、私の下手な英語を真剣に聞いてくれる。 そのお陰で意外や意外、ジョニーとの二者関係においては会話が会話として成り立ちコミュニケーションがとれるのだ。 ただし相手が変わると若干勝手も変わる程度の私の英会話力であることには変わりない。
 (以下略するが、以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 上記我がエッセイ集バックナンバー記載に限らず、「英会話力を向上させるためには国際恋愛をするのが一番効果的!」なる記述にネット上でよく出くわす。

 まさに我が現在の結論もそうなのだが、それを言っていたとて、過去に失ったものは手に入らない現実を見つめねばならないだろう。

 その後、如何なる形式で我が英会話力を磨き直そうかと模索していた。
 現存する英会話教室に通う案も考えたが、どうも期待薄だ…。 と言うのも、英会話教室とはトラブルの温床との印象がある。 しかも、何故か授業料が破格に高い!

 そこで原左都子がとりあえず考え付いたのは、「ネット販売CD」に頼るとの結論だ。
 早速そのCDを取り寄せた私として、その内容は“ショボい”と考察しているものの、これ、昔英語の文法を完全マスターしている原左都子にしては、実に心地よく頭に入ってくるのだ!

 実際問題海外旅行した時にその地で国際恋愛を志す場合は、恋愛相手の優しさや温情に頼りつつ双方の関係を紡げばよいだろう。

 そうでない単なる海外旅行レベルでは大した英語力無くとて、文法中心の中学英語で今後も渡って行けるのではないかと再認識し、自分なりに今一度切磋琢磨せんとしている私だ。
 
 Why don't you go abroad ?   It will be a miracle world , I hope !