原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

就活内定結果に劣等感?? 何でそんな企業受けたの?

2015年12月21日 | 仕事・就職
 現在大学4年生の我が娘が10月初旬に就活内定を勝ち取ってから、早くも2ヶ月半が過ぎ去った。

 その間、12月初旬に開催された大学主催の「一般公開卒論最終発表会」を無難に通過し、現在は卒論提出の最終まとめ作業に入っている。 これを1月に提出し審査に合格すれば、娘もいよいよ晴れて大学卒業だ。

 今の時代は何処の企業も同様であろうが、内定を出し4月に入社予定の学生に対し、入社に先立ちあらかじめ課題を課す事業所が多いようだ。(?)
 特に我が娘の入社予定企業の場合、新卒入社者が少ないせいか、その課題指導が随分と懇切丁寧な様子である。 新卒指導担当社員氏より娘宛に随時パソコン課題が送付され、娘が提出した課題解答に対し、メールや携帯電話にてその内容や結果に関するやり取りを頻繁に行っている様子である。

 娘は内定ゲット以降の2ヶ月半の間、卒論への取り組みと内定企業から課せられた課題を精力的にこなし、充実した日々を送っているようだ。

 そんな折、この年末になって、内定企業の代表取締役社長が直々に新入社予定の学生達の面談をしてくれると言う。  どこの馬の骨とも分からぬ、しかも、どれ程の働きが期待出来るのかも未知数の“未熟学生”に社長自ら直接会って、一体何を伝授してくれるのか不明である。 が、よくぞまあ、そこまで新卒学生達を大事にしてくれる企業姿勢に親としては喜ばない訳もない。
 いや、それは単に“親の欲目”故の勘違いに過ぎず、その実は、社長から「貴方の課題の出来が悪い!4月までにもっと精進せよ」との説諭があるのかと少し怖い気もするが…。
 いずれにせよ娘は明日、内定企業へ社長面談に出かける予定となっている。 4月入社に向けて、それが娘にとって更なる励みとなればよいのだが。


 そんな折、朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”にて、21歳女性による「内定結果に劣等感いっぱいで」なる題名の相談を見つけた。
 まったく我が娘と同じ年齢しかも同じ環境下にある相談者が、如何に内定結果に悩んでいるのかと興味深々で相談内容を読んでみると… 

 以下に、その相談内容を要約して紹介しよう。
 21歳の女性だが、第一希望の企業に最終面接で落ちた。 最終まで残ったのは奇跡といえるくらいの倍率だった。 その後内定した先は、社員が50人ほどの規模の小さい会社だ。 良い点は土日が休みの事くらいで、社長がワンマンであるなど他に良いことがないようだ。 介護職か事務職かで迷ったが、やりがいの面では介護職と思っていた。 事務職は何年も勤めるとマンネリ化し、仕事以外にしか楽しみが見出せないと思ったからだ。 ただ福祉施設で職場体験をした時、排泄介助を生理的に受け入れられず、認知症の人との意思疎通の難しさから、自分には無理と感じた。 夜勤も含め、体力面でも介護は諦め、嫌だと思っていた事務職に決めた。  
 世の中、大半は妥協をしつつ就職するかと思うが、納得いくまで就活を続けるつもりだ。 だが、納得できる企業から内定をもらえる保証はない。 プライドの高い私は、小さい企業の事務職への就職が受け入れられない。 劣等感を抱いたまま、来春を迎えたくない。 前向きに考えられるアドバイスが欲しい。 (以上、“悩みのるつぼ”相談より要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入ろう。

 この相談者である21歳の娘さんは、おそらく“大卒”にて就活をしたのではなさそうだ。
 決して別段それに問題がある訳ではないのだが、どうも、今までの21年間の人生の経験値が極端に少ないように私は感じてしまう。
 自身の専門の程が相談内容から把握し難いのも事実だが、21歳との年齢に照らして考えると「介護」分野の専門学校を来春卒業するのであろうか?  そうだとして、それには自身が感情移入不能。 だから、やむなく事務職の内定を取ったが、それも気に食わない。 どうしてかと言うと、自分はプライドが高いのにそのプライドに内定先が見合っていない。…… 

 相談に応じる側の立場として、困惑させられる一方、一番論破し易い相談内容と分析可能であろう。

 おそらく、介護分野の専門学校を2~3年程通った女性と推測する。
 私の場合高校教員経験があるが、“商業高校”に教員として勤めていた身として思い出すのは、17、8歳にして既に物凄い専門力を身に付けて卒業する生徒が存在したことだ。 例えば、簿記1級検定に合格するなど序の口、もっと凄い他校の事例は、高校生にして超難関の“公認会計士”試験に合格する生徒も存在したと見聞している。
 それくらいの専門力を身に付けるべく、必死で物事に取り組まない事には自分の未来はないのではなかろうか? それ程の努力をして後に、自身のプライドを高くしても何も遅くはないだろう。

 それから相談女性にもう一つ助言しておきたいのは、たとえ企業の最終選考まで残ったと言えども、結局不採用にされた事実とは、結果として「敗北」でしかないとの事だ。 
 そんな事にいつまでも自分のプライドの置き場を求めるから、貴方は劣等感を払拭出来ないと私は結論付ける。 敗北は敗北と認めよう。
 そして、そんな貴女を事務職員として採用してくれた小規模企業にて精一杯の努力を続ければ、少しづつ明るい未来が見えてくるのではなかろうか。 


 あ~~~。 それにしても話題を我が家の娘に戻すと、明日の内定後の面談で、一体全体、内定先企業の社長氏より何を指摘されるのだろうか?!?

 まったくもって、他人事じゃないなあ… 

高齢実母が “企んだ” 策略の魂胆が悲しい…

2015年12月19日 | 人間関係
 先週前半、現在高齢者介護施設に住む義母を引き連れて介護旅行に出かけ、束の間だが義母と寝食を共にした。

 日頃介護施設スタッフの皆さんに義母の日常生活すべてを全面的にお世話になっている訳だが、保証人の立場として介護現場が置かれている厳しい実態に関し、あくまで「理屈」としては理解出来ているつもりでいた。

 ところが、理屈と実践との間には大きな隔たりがあるものだ。
 遅ればせながら、我が身を犠牲にして義母介護旅行に出るとの貴重な実体験により、予想以上の義母の認知症進み具合に愕然とさせられるはめと相成った。 それにより、認知症高齢者介護実態の厳しさを我が身をもって思い知らされた話題は、先だっての我がエッセイ集にて綴り公開している。

 旅行から帰宅後しばらくはこちらの頭が混乱し放心状態に陥る程の疲労困憊感に苛まれ、私らしく主体的な思考を取り戻せるまでに幾日かの日数を要した。

 何とか自分らしいステージに戻ろうと思える精神状態がやっと再開可能と思ったら…


 今度は我が郷里にて一人暮らしの実母より毎年依頼されている、「年賀状作成」パソコン作業が待ち構えている。
 これに関して、郷里の実母に私から毎年指導し続けている事がある。
 「お年寄り、特に過疎地にて一人暮らしの高齢者である貴方にとって毎年新年に届けられる“年賀状”が一つの心の支えになっている事実は私も多少は理解可能だ。 ただその作成を全面的に娘の私に頼り、パソコンにて機械的に印刷された年賀状を貴方が一切見ずして東京から投函したものを毎年相手に届け、それで貴方の気が済むのか??  もしも少し余裕があるならば、本当に年賀状を出したい相手を貴方自身が吟味厳選して、“手書き”にて届けるのが最善だと思うよ。」

 どうも、この私のアドバイスが実母は以前より気に入らない様子だ。 それは数年前より感じていた。
 善意に解釈すれば、それ程までに“筆記力”における能力低下を母自身が水面下で自覚しているのであろう。 ならば尚更、その実態を自分で受け入れる事が今後の“ボケ防止”として肝心とアドバイスしつつ、「自分で書ける範囲で年賀状を書く作業こそが、今後の認知症防止に向けて有効だよ」との実娘からのアドバイスを、どうしても受け入れない実母だったのだが…。

 先だっての義母の旅行前に、私は実母に告げた。
 「12月初旬より義母の介護旅行に出かけるから、貴方の年賀状作成はその帰宅後になる。 毎年指導している通り、その年齢になって自分の年賀状をどうしても娘のパソコン作成に一存するなら、本気で枚数を減らすべきだと思う。 それはともかく例年通り、今年の貴方の必要枚数70枚の年賀葉書を送付するように。」 (参考だが、実母はいつも私のパソコン年賀状作成への一応の“謝礼”として自分が必要な枚数のみ我が家に送り付けてくる習慣となっている。)  十年程前までは、自分が必要な年賀状枚数に加え、私への謝礼金も送って来ていたのだが、その習慣は実母が80歳を過ぎた頃より、どういう訳かなくなっている…。 
 私の推測だが、パソコン扱いの実態を露知らない実母は、パソコンを使用しさえすれば年賀状などいとも簡単に無料で作成可能と信じているようだ。 これに関して、決してそうではなく特にパソコンやプリンターを買い替えた暁には一から学習し直しだし、インク代金も馬鹿にならないと説明している。 しかも、今時のコスト観点とは実際にかかる経費よりも“人件費”こそが高額だと何度も言い含めているにもかかわらず、それを母に告げる娘の私こそが“業突く張り女”だと頭から疑ってかかっている様子だ。
 実際問題、私にとって何の利益にもなりゃしない実母の年賀状作成作業を、もうそろそろ勘弁して欲しいのが正直な気持ちなのだが…。 


 さてさて義母の介護旅行を何とか通り過ぎ、やっとこさ次なる実母の年賀状作成を実行する気になってみると…。
 あれ、枚数が足りないぞ。
 実母からは70枚の年賀状作成依頼だったのに、何故か60枚しか届いていない。
 これ、一体どうしたんだろう??? と疑問符を浮かべつつも、足りないものはこちらが購入してくるしかない。 仕方なくそれを購入して来て実母の年賀状作成を滞りなく終え投函した。

 義母の介護旅行に出かけたばかりで想像以上の義母の認知力低下ぶりに愕然とした私として、嫌な予感が脳裏に過る。
 もしかして、郷里の実母も既に認知症状が悪化しているのだろうか…  これは電話にて確認するしか方策がないであろう。 そして、私は実母に電話をかけ年賀状の枚数が足りていない実態を訴えた。
 
 それに対する実母よりの返答が“しどろもどろ”だった事が実の娘として悲しく辛い…

 結論から言うと、どうやら実母の 「確信犯」 の模様だ。
 私が以前より指導している“年賀状虚礼廃止せよ”の文言がずっと癪に障っている様子に加え、どうしても自分で年賀状を手書きする気力及び能力が当の昔に消え失せている風だ。  それでも、年頭に皆さんより頂く年賀状の“数の多さ”を周囲に誇りたく、私の年賀状作成に期待しているとの事であろう。
 ならば、その旨正直に訴えればよいものの、娘の私としては、どうも過疎地ド田舎に一人暮らす実母の認知力低下の実態のみが浮き彫りとなったと、余計な心配をさせられる思いだ。


 今回の事件、実母にしてみれば今現在の能力内で実娘に対して出来得る限りの“仕返し”だったのであろう。

 それにしても、たかだか年賀葉書10枚(わずか500数十円)を減らす事が、実娘に対する“仕返し”策略として通用すると魂胆した実母の老いぼれ度合いに、またもや心痛を患わされている私だ…

 40年近くも前に親元離れ上京して自立し、遠方に暮らしている実娘相手にせせこましい策略練っていないで、地元でパソコンの出来る彼氏でも作ってその人に年賀状作成してもらえばどうなのよ!?   
 それも能力のうちだよ!、と捨てゼリフひとつも吐きたくなるというものだ。

営利組織は商品・サービス価格設定根拠を消費者に明示せよ

2015年12月16日 | 時事論評
 私の住まいである集合住宅物件が現在第一回大規模修繕中である事は、バックナンバーにても公開している。
 その修繕工事に先立ち、我が家のバルコニーに個人的に設置しているタイルを除去する必要がある事を管理会社から聞き、その取扱いに関し“オプション(別料金)”にて除去及び再設置を実施する段取りと相成った。
 当該工事が完了した後に管理会社側が通達して来た「工事代金」が、予定額と食い違い安価となっている。
 それは喜ぶべきものの、私としては合点がいかない。 何故予定額より安価になったのかの説明責任が工事提供業者(長谷工だが)にはあるはずだ。 もしもその説明責任が果たせない場合、元より“どんぶり勘定”にての工事予定額を提示したものとの結論になろう。 大手企業にそんな事をさせてなるまい!との我が意気込みで、自宅まで集金に来た現場監督氏に質問をした。
 そうしたところ、現場監督氏より即時に明確な返答が来た。 「今回の工事に関しては下請け会社に依頼しましたが、元々予定していた時間より再設置作業が早く終了しました。 そのため低額となりました。」 私としては重々納得だ。 特に再設置作業は時間を要するであろうと考えていたところ、職人氏の素晴らしきプロ技により、予定より短時間で終了した事実を私も室内から見定めていた。


 話題を変えよう。

 先だって、義母の介護旅行に出かけた私だが、その際に購入するJR新幹線のチケット代金設定の多様性にも不信感を抱かされた。
 パソコンにてネット検索していると、ネットから購入すれば“格安”となるシステム(“駅ネット”とやら)を発見したのだ!  それはよしとして、そんな事は私にとっては単なる偶然に過ぎない話だ。
 しかも、それを利用可能な人物とは限定されるであろう事が歴然だ。 要するにパソコンを自由に操れるとの“少しばかりの乏しい能力”があれば、格安チケットを発券するとのシステムと考察出来よう。
 確かに、それを実行可能な顧客がそのルートでチケットを入手してくれたならば、駅員氏達の労力が多少は軽減する事だろう。
 ただこのシステムが社会的に容認されるのか否かに関して、私は大いなる疑義を抱いている。
 救うべく国民はむしろ“パソコン扱い”に手慣れていない弱者人民達ではなかろうか!?!


 冒頭に掲げたテーマに戻そう。

 本日(2015.12.16)のNHK昼のニュースによると、今まで不透明感が強かった携帯電話利用料金に関して、新たな料金体系を求める報告を総務省の有識者会議が取りまとめたとの事だ。
 以下に、その内容を要約して紹介しよう。
 上記有識者会議によれば、多額のキャッシュバックを行って新たに契約する利用者を優遇している今の販売方法を見直すことなどで、多くの利用者の通信料金の値下げにつながる新たな料金体系を求める報告をした。  この中では、大手通信各社に対して、通信の利用量が少ない人を対象に割安な料金プランを設けるよう求めている。 また他社からの乗り換えを促すため、スマートフォンの端末の価格を実質0円としたり、商品券などを提供して多い場合で十数万円に上るキャッシュバックを行ったりする、今の販売方法は著しく不公平だとして、多くの利用者の通信料金の値下げにつながるよう新たな料金体系を作ることを求めている。 さらに、割安な通信プランを提供するいわゆる「格安スマホ」の利用者を増やす対策や、中古のスマートフォンの市場拡大が必要だとすることなどが盛り込まれた。
 総務省はこの報告を受けて、電気通信事業法に基づくガイドラインを作る方針だ。

 自民党政権も何を今頃になって、庶民からの選挙票取り作戦に出たのか!、時既に遅しだよ…、  との感が否めない私であるが…。
 しかもスマホが主流化した現在に於いては、いわゆる旧式携帯電話使用者(原左都子もその一人だが)は“ゴミ扱い”されていると言って過言でない程に、携帯会社より虐待を受けている感が否めない。
 最近その“ゴミ扱い”に拍車がかかった印象がある。 どうやら今年1月頃よりEメール着信時の通信料金も徴収し始めた様子なのだ。 今までは発信時のみの通信料金徴収だったのに、何故か 1月から大幅にパケット料金が増大しているのだ。 私の場合、Eメールは発信よりも着信の方が格段に多い。(と言うのも、携帯の文字入力が未だ苦手で、発信のすべてをパソコンからのタッチタイピングで行っている実態故だ。)

 そんな“スマホ出遅れ”人種の一人である原左都子が、ほぼ6年前 2009.8.18 に綴ったバックナンバーエッセイ 「携帯の料金体系を明瞭化せよ!」の一部を以下に要約して紹介しよう。

 先だって、月々の携帯料金をより格安なプランに変更する目的で携帯電話を買い換えた私だが、この料金体系が“煙に巻かれる”ごとくに不明瞭だ。
 新しい契約内容に納得した上で契約変更に臨みたい私は、新契約プランの料金システムについて携帯ショップの係員の説明を耳の穴をかっぽじって聞き、重々質問もした上で契約変更に踏み切った。
 自宅に持ち帰った「登録内容確認書」の内容を再確認して契約約款の必要箇所も熟読し、さらにその後3度携帯ショップに足を運んで不明瞭な点を確認したのだが、今尚料金体系について“煙に巻かれている”感が否めずにいる。 (中略)
 日々脳が老化の一途を辿っている私ではあるが、今現在はまだ我が消費生活においてほとんど興味も実益も乏しい存在である携帯電話に関しても、ある程度の情報把握力は有している。
 携帯業者にお願いしたいのだが、携帯電話の本来の機能に立ち戻った場合、お年寄りをはじめとする社会的弱者こそがその恩恵に与って欲しいものである。 加えて未成年者等世間を未だ知りもしない若者が携帯を利用する事により被る被害に関しても少しは思いを馳せて、未成年者の健全な育成のために携帯使用制限に業者自ら乗り込んで欲しいものでもある。
 大企業たるもの、弱者を守るべく社会的責任も多少はあろうに、現在の携帯電話の契約における法的手続において、顧客が明らかに不利と解釈できるアンバランスさが否めない歪んだ契約を顧客に押し付けて平気な顔を貫いているとは一体どうしたことか??
 携帯会社とは今の時代膨大な営利を享受していることであろう。 が、「殿様商売」に安穏として企業倫理を置き去りにするのではなく、どうか初心に立ち戻って上記のような弱者保護の観点も忘れずに、携帯料金体系においても利用者誰もに平等で分かり易く、しかも家計の管理もし易いシステムの構築をお願いしたいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2009.8.18 バックナンバーより一部を引用。) 


 まさに営利法人団体とは、全国民に対して自社が提供している商品・サービス価格設定の根拠を明確に提示し続けるべきである。

 今時は消費者側が価格根拠を追及しない時代となった事実をよしとして、商品やサービスが“低価”であったならばそれで消費者が安易になびくものと信じる社会風潮なのだろうか??
 その消費者側の乏しい消費行動実態に決して甘んじる(あるいは“調子に乗る”)こと無く、経営者側には初心に戻って根拠ある商品・サービス価額設定をし、その価格根拠こそを消費者に明示して欲しいものだ。

“ブラック企業” は所詮崩壊する運命にあろう

2015年12月13日 | 時事論評
 私が義母の介護旅行に出かけている間の12月8日に、ワタミグループ居酒屋が2008年に起こした過労死事件の決着がようやくついたようだ。

 偶然だが、我が義母が現在入居している高齢者有料介護施設も実は元々ワタミグループ経営だった。 
 つい最近、損保ジャパングループがワタミより介護部門全般を経営買収する事となり、先だっての施設保証人懇親会にてその事実が発表されたばかりだ。
 我々保証人としては、これぞ吉報だ。 “ブラック企業”として悪名高いワタミが経営主であるより、大規模企業組織の損保ジャパンの傘下になった方が、今後の経営が格段に安定するに決まっている。

 ただ、ワタミの経営下にある高齢者施設運営の実態を既に3年間に渡り保証人の立場で観察してきた感想を述べるならば、こと「介護部門」に関しては“ブラック色”はなかったと判断する。 入居一時金や入居後の諸費用が高額であるのは何処の民間有料施設も同様で致し方ないとして、介護職員の質も高く、それに見合う介護実績を挙げていたと我が家は判断している。
 周囲の反応も同様の様子だ。  要するに今回の損保ジャパンへの経営売却劇は、ワタミグループが上記過労死事件を起こした事による“ブラック色”「風評」の影響を受け、経営トップである渡辺美樹氏が英断を下したものと察する。
 それにしても、当該高齢者施設に義母を入居させている身内の立場として、早期に介護部門を大手企業団体へ売却してくれた渡辺氏の判断に安堵している現在だ。


 早速、ネット情報より 「ワタミグループ過労自殺訴訟が和解 会社側が責任を認める」と題する報道の一部を以下に紹介しよう。
 
 ワタミグループの居酒屋「和民」で起きた過労自殺の遺族が、ワタミや創業者で当時代表取締役だった渡辺美樹参院議員(自民党)らを訴えていた訴訟が8日、東京地裁で和解した。 渡辺氏らは法的責任(安全配慮義務違反など)を認め謝罪し、1億3千万円超を連帯して支払う。 若者を酷使する「ブラック企業」批判にさらされたワタミの責任を問う裁判は、今の働く場が抱える問題を浮き彫りにした。
 過労自殺被害者である美菜さんは、2008年4月、ワタミ子会社のワタミフードサービスに入社し店に配属された。 同年6月に社宅近くで自殺。 月141時間の残業があったとして12年2月に労働災害に認定された。  遺族は、渡辺氏の経営理念が過酷な長時間労働を強いるワタミの体制をつくったとして、渡辺氏個人の責任を追及。 裁判で渡辺氏は「道義的責任はあるが、法的責任はない」と争う姿勢を示していた。 和解で渡辺氏は「自らの経営理念が過重労働を強いた」「最も重大な損害賠償責任がある」と認めた。
 ワタミ側は、労働時間を正確に記録することなどの過重労働対策にも同意。 これらの内容をワタミと渡辺氏のホームページに1年間掲載する。
 和解内容には、研修会への参加や課題リポート作成に必要だった時間を労働時間と認めて残業代を支払う、給与から天引きしていた書籍代や服代を返金する――などの内容も盛り込まれた。 美菜さんと同時期の新入社員にも、未払い残業代として1人につき2万4714円(08~12年度入社、約800人分)、天引き分として1人につき2万4675円(08~15年度入社、約1千人分)を支払う。
 遺族は、逸失利益などに過酷な労働を強いたことに対する約7千万円の「懲罰的慰謝料」を加えた約1億5300万円を求めていた。 遺族代理人の玉木一成弁護士は「広範な過重労働対策を認めさせた。判決を得る以上の成果があった」と述べた。
 (以上、ネット報道より一部を要約引用したもの。)


 原左都子エッセイ集  2013.8.3 バックナンバー 「やはり“ブラック色”が強い渡辺美樹氏創業のワタミ」 に於いて、当該事件に関する私論を述べている。 以下に要約引用させて頂こう。

 2013年7月21日に実施された参議院選挙に自民党より立候補し、“辛くも”当選を果した渡辺美樹氏は、言わずと知れた「外食チェーン ワタミ」の創業者である。  2011年の東京都知事選では都議会民主党の支援を受けたものの落選。 そして今回は自民党より出馬要請を受け、ワタミの役職をすべて退いての渡辺氏の参院選立候補だったらしい。
 それにしても、短期間で民主党から自民党へ鞍替え?? 企業創業者としての渡辺氏の手腕の程はともかく、政治家としての氏のポリシーの程が何とも理解し辛い…。
 さて、今回の参院選は想像を超える逆風だった。 それもそのはず、マスコミや一部の政党からワタミが「ブラック企業」批判の標的となった故だ。  5年前に一人のワタミ新入社員が労災により自殺したことは事実だ。  労災での過労自殺の原因とは、なぜ(そんな事で自殺する奴を)採用したのか、なぜ入社1ヶ月の研修中に適正、不適正を見極められなかったのか、なぜ寄り添えなかったのかであり、本当に命がけの反省をしている。    
 最後に「国会議員は365日24時間死ぬまで働かないといけないのか?」との朝日新聞の質問に渡辺美樹氏答えて曰く、「その通り、国民のために。」
 (以上、朝日新聞8月2日渡辺美樹氏インタビュー記事より一部を要約引用)
 私論を述べる前に、現在ネット上で非難囂囂(ごうごう)との部分を上記インタビュー記事内から紹介しよう。
 それは、ワタミ社員労災での過労自殺の原因を問われての渡辺氏の言及箇所である。 <なぜ(そんな事で自殺する奴を)採用したのか、なぜ入社1ヶ月の研修中に適正、不適正を見極められなかったのか。>
 この渡辺氏の言及が元社員に適性がなかったために自殺に追い込まれたとも読める内容だったことから、「命を軽く扱うな!」「苦しい言い訳がたくさん」との厳しい意見・反感がネット上で飛び交っているようだ。
 原左都子もネットの意見・反感にまったく同感である。
 加えて渡辺美樹氏とは参院議員と成り果てたこの期に及んで尚、ワタミ創業者・経営者としての独裁的体質から脱出し切れず、あくまでも自分こそが“創業者”との立場にすがり、この世を生き延びようとしている事を垣間見るような気もする。
 もしも渡辺氏がワタミを創業して一企業のトップとなった時点で、入社してくる社員の力を結集して真に強い企業を創設していこうと志したのならば、社員の労災自殺者など一人として出していないはずだ。 
 一下っ端社員の心情に一切向き合えていない創業者など、企業のトップであり得ない! 民間営利企業とは「ヒト」「モノ」「カネ」の総合力で成り立っている集合体である事を、渡辺氏はどれだけ認識出来ていたのであろうか?
 それよりも私にとって上記渡辺美樹氏の朝日新聞インタビュー言及内でもっと辛いのは、以下の箇所である。
 <ワタミ社内冊子に「365日24時間死ぬまで働け」と書いているのも事実だが、その前後を読んで欲しい。 仕事というのは時間とお金のやりとりをしちゃダメ。 仕事は生き様であり仕事を通して生きがいとか成長がある。だから365日24時間という気構えでやろうという事だ。 その時に大切なのは、みんなで助け合いながら一人ひとりの成長に寄り添っていこう、という話だ。>
 これ、明らかに労働基準法違反だよ。
 しかも渡辺氏の理論によると、「仕事とは時間とお金のやり取りをしちゃダメ」??
 う~~ん、確かにワタミなる企業は“飲食業”であるが故に、創業者がそう言ってそれになびく人種が社員になりたいとワタミに集結するのであろうか??   ところがこれが専門職となると事情が一変するのだ。 自分が提供する仕事能力とそれに対する報酬を計りにかけてこそ成り立つ経営者と労働者の契約締結なのである。 私に言わせてもらうと、その“天秤能力”無くして、イッパシの人間として経営者側と対等な立場で世を渡っていける訳がないのだ。
 <仕事は生き様であり仕事を通して生きがいとか成長がある> との渡辺氏の言及部分は私も理解可能として、その後の、<だからこそ365日24時間という気構えでやろう> との論理が、やはり原左都子には絶対的に理解不能だ。 馬鹿な事言ってくれるなよ。 人とは自分のプライベート時間を充実して紡げてこそ、仕事に我が命が吹き込めるというものだよ。
 加えて、<その時に大切なのは、みんなで助け合いながら一人ひとりの成長に寄り添っていく事>、との渡辺氏の“嘘臭い”言葉こそに、“一匹狼”タイプで生き抜いている原左都子は反吐が出そうな嫌悪感を抱かされ、何が何でも拒絶したい部分である。
 原左都子の私論としては、“経営者側等トップに立つ者こそが365日24時間働くべき”との渡辺氏のご持論には賛同する。 渡辺美樹氏ご本人が好きなだけ働けば良いだろう。
 (以上、長過ぎたことをお詫びするが、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
 
 ワタミ創業者の渡辺美樹さん、よくぞまあ今回の訴訟に於いて自身が創設者として君臨している企業の“ブラック色”、要するに「過失(or重過失?)責任」を認めてくれたものだ。
 我が国の新鋭企業(いやいや、東芝や旭化成等々の“巨大老舗企業”も含め)他にも数多くの“ブラック企業”が恥ずかしくも先進国(??)と銘打つこの国に存在する実態だ。

 とにかく法治国家である我が国に於いて事業を展開せんとするに際しては、ひとまず法制度に従おうではないか。 その前提として最低限それしきの学問をわきまえて後に創業して欲しいものだ。

 私事に入るが、生まれ持って“出来の悪い”我が娘なりにも来春には某民間企業に就職出来る段取りとなっている。
 私の目が届く範囲で確認・分析するに、おそらく娘の就職先は“ブラック企業”ではないと判断している。  ただ、もしも親の私の判断が誤っていたとして…。
 そこまで親の憶測・苦労を煽るのも、法制度や世の常識をわきまえず人の上に立つべく創業者かつ経営者である貴方達が羞恥心なく“ブラック企業”をこの世に展開してしまったのが元凶だ!
  
 “ブラック企業”ごときに、娘の命を奪われてなるものか!!

原左都子の認知症高齢者密着介護旅行記

2015年12月10日 | 時事論評
 先月11月末頃、義母が住む高齢者有料介護施設のケアマネジャー氏より我が家に電話が入った。

 当該施設の場合、入居高齢者の介護は施設のケアマネジャー氏及びケアスタッフ等職員の皆さんが一任して担当下さっている。
 日頃の介護実務に於いて別段問題がない場合は、入居者の身元引受人(保証人)はほとんど手を煩わされる事はない。  一方、入居者が一旦施設内(外)で何らかの問題を起こしたり保証人に相談するべき事項が発生した際には、担当ケアマネジャー氏よりその旨の連絡が保証人宛に来るシステムとなっている。

 先月末の電話内容が、まさに義母に関して「憂慮するべき問題が発生した」との連絡だった。
 ケアマネジャー氏よりの用件を要約するに、ここのところ義母の認知度が極端に低下した様子を露呈するがごとくの事件が複数発生しているため、一度保証人に伝えておきたいとの事だ。

 (義母のプライバシー保護に配慮しつつ)以下にその内容の一部のみを紹介しよう。

 義母の場合歩く速度は極端に遅いものの未だ一人歩行が可能なため、しばしば一人で施設近くの店舗に買い物に出かける様子だが、その店舗から施設へ連絡が入ったとの内容によれば…  
 義母のレジでの会計能力が低下して一人で財布から必要支払額が取り出せず、レジ担当者に財布を渡し取り出してもらう事が多い様子だ。 
 あるいは、レジ会計中に別の買い物を思い出しそそくさとその売り場に行ってしまい、レジ会計実行中である事実を忘れてしまう事態。 
 更には、一旦会計を済ませ店舗を去ったのに「買い忘れた品がある」と言いながら舞い戻って来て、先程購入したのと同じ商品を再び買おうとする。 これに気付いた店員氏が、ご親切にも「先ほども購入されましたよ」と言って下さるのも無視して、「これが欲しいんです!」と怒って再購入する始末の様子だ。
 はたまた、(上記の義母が買い忘れた商品とは“ファンデーション”なのだが)それを幾日にも渡り何度も買いに来るらしいのだ。
 それらの情報を店舗から得たケアマネジャー氏が、即刻義母の留守中に部屋へ入り義母が幾つも買い求めたらしき“ファンデーション”を義母が一体如何に使用(始末)しているかに関して、極秘で調査して下さったらしい。 その結果が一切不明(要するに幾つも購入したはずのファンデーションが一つもない)との事だ。

 ケアマネジャー氏の電話連絡に大いに心当たりのある私は、こちらからの情報も伝えた。
 (義母の家系は代々事業を執り行っていた資産家で、義母の代にも多額の自己資金を蓄積した人物である事は既に伝えているが)、その自己蓄積資金内で年老いた義母が散財する分には、保証人の立場としては好きにすればよいと考えている。 ファンデーションを幾つ購入しようが、義母が過去の現役時代に稼いだ金額に照らすと少額であろうから我々保証人は一切構わない。 ただ、ケア施設側の介護責任や秩序維持の観点からご迷惑をお掛けしている事は重々お察しする、との既に伝えた情報を繰り返した。
 加えて、ちょうど12月初旬に義母を引き連れ、義母と嫁の私そして孫である娘の3人で旅行に出る予定がある事。 及びその旅行中に義母の行動観察を十分にして来た後に、施設のケアマネジャー氏との話し合いを持つべく私から申し出たとのいきさつだ。


 そして、今週初めから当該義母を引き連れて介護旅行に出かけた私と娘だ。

 まさに私の場合、介護分野に於いても過去の医学職業経験が活きるであろう事実は、義母の介護施設入居のずっと以前より考察していた。
 それがその通りで義母の嫁である私は、例えば、過去に於いて(今は亡き)義父が自宅トイレ内で転んで胸を強打して痛がっている、と義母から電話にて聞いた暁には、「肋骨を骨折している危険性があるので直ぐに外科医受診するべきです!」と返答したものだ。 義母はすぐさまそれに応じて義父を外科医に連れて行き、実際肋骨2本骨折していた事が判明し、その後義父は適切な医療的措置が受けられたものだ。
 悲しいことにその事実をすぐさま義母は忘れ去っていた。 今尚私に伝えるのは「あの時は、私だけが大変な思いをした」だ。 そりゃそうだろう、実際に一番大変なのは身近な介護者であるのは歴然だ…

 義母が施設入居以前より、我が医学方面の実力をずっと発揮しているつもりなのだが、残念ながら義母としては息子である亭主の自慢はいつまでも繰り広げるものの、今となっては私の専門力などまったく認識していない様子である。
 まあ、それでも「○子さんは学があるから、我が息子と吊り合って見合い結婚したのね」と言ってくれるだけでも許せる事としよう。


 義母との介護旅行記を綴ろうとしていたのだが、“嫁”としての愚痴の展開になってしまっているようだ。
 それでも義母を引き連れての介護旅行を実行した身として、私なりに考察可能な事象がある。

 認知症と人が生まれ持ったDNA及び幼い時期からの生育環境は、切り離せないのではなかろうかとの我が私論だ。

 例えは現在身近に観察可能な義母に関してだが、彼女の現在の“認知症行動”とはその生まれ持った性質や生育環境の延長線上にあるのかとも分析可能な事実である。
 義母の買い物行動とは今に始まった事ではなかろう。 元々買い物好きな義母は、それこそ昔は名立たる百貨店やブランド店で好き放題買い物を楽しんだ事だろう。 その当時は、店員氏が彼女に付きまといその買い物を煽った事と想像する。
 今現在に至って義母が置かれている認知症下で、もしかしたら当時の買い物風景が脳裏にカムバックしているのではあるまいか?
 現在暮らしている高齢者施設より徒歩で通える小規模店舗でも、当時のごとく義母に付き添って買い物を煽ってくれる店員氏が存在すると信じ、悲しいことにそれを自己の妄想内で実行しているのかもしれないとも考察するのだ。

 そんな義母にとっては嫁の立場の私など、いつまでも他人に過ぎない事だろう。

 もしそうだとしても、当然ながら義母が現在置かれている介護施設内での被介護人としてのあるべき身分状況を、身元保証人から伝えねばならない。
 それが今後如何程叶うのかが不透明である事は致し方無いとして、とにもかくにも今回の旅行により介護施設が我が家に訴えて来た迷惑と苦悩の事実にいたく同感すると共に、日頃のケアに改めて感謝また感謝の私である。

 いやはや認知症高齢者を引き連れての旅行とは、過酷な重労働である事を身を持って実感だ。 四六時中一時とて目を離せず、介護人一人では実行不能な事を思い知らされた。 今回の旅行では、娘のフォローが大いに役立ったものだ。
 こちらの頭がおかしくなりそうな程に精根尽き果てた状態での本エッセイ執筆だったため、方向性の定まらない内容となっている事をお詫びする。