先月11月末頃、義母が住む高齢者有料介護施設のケアマネジャー氏より我が家に電話が入った。
当該施設の場合、入居高齢者の介護は施設のケアマネジャー氏及びケアスタッフ等職員の皆さんが一任して担当下さっている。
日頃の介護実務に於いて別段問題がない場合は、入居者の身元引受人(保証人)はほとんど手を煩わされる事はない。 一方、入居者が一旦施設内(外)で何らかの問題を起こしたり保証人に相談するべき事項が発生した際には、担当ケアマネジャー氏よりその旨の連絡が保証人宛に来るシステムとなっている。
先月末の電話内容が、まさに義母に関して「憂慮するべき問題が発生した」との連絡だった。
ケアマネジャー氏よりの用件を要約するに、ここのところ義母の認知度が極端に低下した様子を露呈するがごとくの事件が複数発生しているため、一度保証人に伝えておきたいとの事だ。
(義母のプライバシー保護に配慮しつつ)以下にその内容の一部のみを紹介しよう。
義母の場合歩く速度は極端に遅いものの未だ一人歩行が可能なため、しばしば一人で施設近くの店舗に買い物に出かける様子だが、その店舗から施設へ連絡が入ったとの内容によれば…
義母のレジでの会計能力が低下して一人で財布から必要支払額が取り出せず、レジ担当者に財布を渡し取り出してもらう事が多い様子だ。
あるいは、レジ会計中に別の買い物を思い出しそそくさとその売り場に行ってしまい、レジ会計実行中である事実を忘れてしまう事態。
更には、一旦会計を済ませ店舗を去ったのに「買い忘れた品がある」と言いながら舞い戻って来て、先程購入したのと同じ商品を再び買おうとする。 これに気付いた店員氏が、ご親切にも「先ほども購入されましたよ」と言って下さるのも無視して、「これが欲しいんです!」と怒って再購入する始末の様子だ。
はたまた、(上記の義母が買い忘れた商品とは“ファンデーション”なのだが)それを幾日にも渡り何度も買いに来るらしいのだ。
それらの情報を店舗から得たケアマネジャー氏が、即刻義母の留守中に部屋へ入り義母が幾つも買い求めたらしき“ファンデーション”を義母が一体如何に使用(始末)しているかに関して、極秘で調査して下さったらしい。 その結果が一切不明(要するに幾つも購入したはずのファンデーションが一つもない)との事だ。
ケアマネジャー氏の電話連絡に大いに心当たりのある私は、こちらからの情報も伝えた。
(義母の家系は代々事業を執り行っていた資産家で、義母の代にも多額の自己資金を蓄積した人物である事は既に伝えているが)、その自己蓄積資金内で年老いた義母が散財する分には、保証人の立場としては好きにすればよいと考えている。 ファンデーションを幾つ購入しようが、義母が過去の現役時代に稼いだ金額に照らすと少額であろうから我々保証人は一切構わない。 ただ、ケア施設側の介護責任や秩序維持の観点からご迷惑をお掛けしている事は重々お察しする、との既に伝えた情報を繰り返した。
加えて、ちょうど12月初旬に義母を引き連れ、義母と嫁の私そして孫である娘の3人で旅行に出る予定がある事。 及びその旅行中に義母の行動観察を十分にして来た後に、施設のケアマネジャー氏との話し合いを持つべく私から申し出たとのいきさつだ。
そして、今週初めから当該義母を引き連れて介護旅行に出かけた私と娘だ。
まさに私の場合、介護分野に於いても過去の医学職業経験が活きるであろう事実は、義母の介護施設入居のずっと以前より考察していた。
それがその通りで義母の嫁である私は、例えば、過去に於いて(今は亡き)義父が自宅トイレ内で転んで胸を強打して痛がっている、と義母から電話にて聞いた暁には、「肋骨を骨折している危険性があるので直ぐに外科医受診するべきです!」と返答したものだ。 義母はすぐさまそれに応じて義父を外科医に連れて行き、実際肋骨2本骨折していた事が判明し、その後義父は適切な医療的措置が受けられたものだ。
悲しいことにその事実をすぐさま義母は忘れ去っていた。 今尚私に伝えるのは「あの時は、私だけが大変な思いをした」だ。 そりゃそうだろう、実際に一番大変なのは身近な介護者であるのは歴然だ…
義母が施設入居以前より、我が医学方面の実力をずっと発揮しているつもりなのだが、残念ながら義母としては息子である亭主の自慢はいつまでも繰り広げるものの、今となっては私の専門力などまったく認識していない様子である。
まあ、それでも「○子さんは学があるから、我が息子と吊り合って見合い結婚したのね」と言ってくれるだけでも許せる事としよう。
義母との介護旅行記を綴ろうとしていたのだが、“嫁”としての愚痴の展開になってしまっているようだ。
それでも義母を引き連れての介護旅行を実行した身として、私なりに考察可能な事象がある。
認知症と人が生まれ持ったDNA及び幼い時期からの生育環境は、切り離せないのではなかろうかとの我が私論だ。
例えは現在身近に観察可能な義母に関してだが、彼女の現在の“認知症行動”とはその生まれ持った性質や生育環境の延長線上にあるのかとも分析可能な事実である。
義母の買い物行動とは今に始まった事ではなかろう。 元々買い物好きな義母は、それこそ昔は名立たる百貨店やブランド店で好き放題買い物を楽しんだ事だろう。 その当時は、店員氏が彼女に付きまといその買い物を煽った事と想像する。
今現在に至って義母が置かれている認知症下で、もしかしたら当時の買い物風景が脳裏にカムバックしているのではあるまいか?
現在暮らしている高齢者施設より徒歩で通える小規模店舗でも、当時のごとく義母に付き添って買い物を煽ってくれる店員氏が存在すると信じ、悲しいことにそれを自己の妄想内で実行しているのかもしれないとも考察するのだ。
そんな義母にとっては嫁の立場の私など、いつまでも他人に過ぎない事だろう。
もしそうだとしても、当然ながら義母が現在置かれている介護施設内での被介護人としてのあるべき身分状況を、身元保証人から伝えねばならない。
それが今後如何程叶うのかが不透明である事は致し方無いとして、とにもかくにも今回の旅行により介護施設が我が家に訴えて来た迷惑と苦悩の事実にいたく同感すると共に、日頃のケアに改めて感謝また感謝の私である。
いやはや認知症高齢者を引き連れての旅行とは、過酷な重労働である事を身を持って実感だ。 四六時中一時とて目を離せず、介護人一人では実行不能な事を思い知らされた。 今回の旅行では、娘のフォローが大いに役立ったものだ。
こちらの頭がおかしくなりそうな程に精根尽き果てた状態での本エッセイ執筆だったため、方向性の定まらない内容となっている事をお詫びする。
当該施設の場合、入居高齢者の介護は施設のケアマネジャー氏及びケアスタッフ等職員の皆さんが一任して担当下さっている。
日頃の介護実務に於いて別段問題がない場合は、入居者の身元引受人(保証人)はほとんど手を煩わされる事はない。 一方、入居者が一旦施設内(外)で何らかの問題を起こしたり保証人に相談するべき事項が発生した際には、担当ケアマネジャー氏よりその旨の連絡が保証人宛に来るシステムとなっている。
先月末の電話内容が、まさに義母に関して「憂慮するべき問題が発生した」との連絡だった。
ケアマネジャー氏よりの用件を要約するに、ここのところ義母の認知度が極端に低下した様子を露呈するがごとくの事件が複数発生しているため、一度保証人に伝えておきたいとの事だ。
(義母のプライバシー保護に配慮しつつ)以下にその内容の一部のみを紹介しよう。
義母の場合歩く速度は極端に遅いものの未だ一人歩行が可能なため、しばしば一人で施設近くの店舗に買い物に出かける様子だが、その店舗から施設へ連絡が入ったとの内容によれば…
義母のレジでの会計能力が低下して一人で財布から必要支払額が取り出せず、レジ担当者に財布を渡し取り出してもらう事が多い様子だ。
あるいは、レジ会計中に別の買い物を思い出しそそくさとその売り場に行ってしまい、レジ会計実行中である事実を忘れてしまう事態。
更には、一旦会計を済ませ店舗を去ったのに「買い忘れた品がある」と言いながら舞い戻って来て、先程購入したのと同じ商品を再び買おうとする。 これに気付いた店員氏が、ご親切にも「先ほども購入されましたよ」と言って下さるのも無視して、「これが欲しいんです!」と怒って再購入する始末の様子だ。
はたまた、(上記の義母が買い忘れた商品とは“ファンデーション”なのだが)それを幾日にも渡り何度も買いに来るらしいのだ。
それらの情報を店舗から得たケアマネジャー氏が、即刻義母の留守中に部屋へ入り義母が幾つも買い求めたらしき“ファンデーション”を義母が一体如何に使用(始末)しているかに関して、極秘で調査して下さったらしい。 その結果が一切不明(要するに幾つも購入したはずのファンデーションが一つもない)との事だ。
ケアマネジャー氏の電話連絡に大いに心当たりのある私は、こちらからの情報も伝えた。
(義母の家系は代々事業を執り行っていた資産家で、義母の代にも多額の自己資金を蓄積した人物である事は既に伝えているが)、その自己蓄積資金内で年老いた義母が散財する分には、保証人の立場としては好きにすればよいと考えている。 ファンデーションを幾つ購入しようが、義母が過去の現役時代に稼いだ金額に照らすと少額であろうから我々保証人は一切構わない。 ただ、ケア施設側の介護責任や秩序維持の観点からご迷惑をお掛けしている事は重々お察しする、との既に伝えた情報を繰り返した。
加えて、ちょうど12月初旬に義母を引き連れ、義母と嫁の私そして孫である娘の3人で旅行に出る予定がある事。 及びその旅行中に義母の行動観察を十分にして来た後に、施設のケアマネジャー氏との話し合いを持つべく私から申し出たとのいきさつだ。
そして、今週初めから当該義母を引き連れて介護旅行に出かけた私と娘だ。
まさに私の場合、介護分野に於いても過去の医学職業経験が活きるであろう事実は、義母の介護施設入居のずっと以前より考察していた。
それがその通りで義母の嫁である私は、例えば、過去に於いて(今は亡き)義父が自宅トイレ内で転んで胸を強打して痛がっている、と義母から電話にて聞いた暁には、「肋骨を骨折している危険性があるので直ぐに外科医受診するべきです!」と返答したものだ。 義母はすぐさまそれに応じて義父を外科医に連れて行き、実際肋骨2本骨折していた事が判明し、その後義父は適切な医療的措置が受けられたものだ。
悲しいことにその事実をすぐさま義母は忘れ去っていた。 今尚私に伝えるのは「あの時は、私だけが大変な思いをした」だ。 そりゃそうだろう、実際に一番大変なのは身近な介護者であるのは歴然だ…
義母が施設入居以前より、我が医学方面の実力をずっと発揮しているつもりなのだが、残念ながら義母としては息子である亭主の自慢はいつまでも繰り広げるものの、今となっては私の専門力などまったく認識していない様子である。
まあ、それでも「○子さんは学があるから、我が息子と吊り合って見合い結婚したのね」と言ってくれるだけでも許せる事としよう。
義母との介護旅行記を綴ろうとしていたのだが、“嫁”としての愚痴の展開になってしまっているようだ。
それでも義母を引き連れての介護旅行を実行した身として、私なりに考察可能な事象がある。
認知症と人が生まれ持ったDNA及び幼い時期からの生育環境は、切り離せないのではなかろうかとの我が私論だ。
例えは現在身近に観察可能な義母に関してだが、彼女の現在の“認知症行動”とはその生まれ持った性質や生育環境の延長線上にあるのかとも分析可能な事実である。
義母の買い物行動とは今に始まった事ではなかろう。 元々買い物好きな義母は、それこそ昔は名立たる百貨店やブランド店で好き放題買い物を楽しんだ事だろう。 その当時は、店員氏が彼女に付きまといその買い物を煽った事と想像する。
今現在に至って義母が置かれている認知症下で、もしかしたら当時の買い物風景が脳裏にカムバックしているのではあるまいか?
現在暮らしている高齢者施設より徒歩で通える小規模店舗でも、当時のごとく義母に付き添って買い物を煽ってくれる店員氏が存在すると信じ、悲しいことにそれを自己の妄想内で実行しているのかもしれないとも考察するのだ。
そんな義母にとっては嫁の立場の私など、いつまでも他人に過ぎない事だろう。
もしそうだとしても、当然ながら義母が現在置かれている介護施設内での被介護人としてのあるべき身分状況を、身元保証人から伝えねばならない。
それが今後如何程叶うのかが不透明である事は致し方無いとして、とにもかくにも今回の旅行により介護施設が我が家に訴えて来た迷惑と苦悩の事実にいたく同感すると共に、日頃のケアに改めて感謝また感謝の私である。
いやはや認知症高齢者を引き連れての旅行とは、過酷な重労働である事を身を持って実感だ。 四六時中一時とて目を離せず、介護人一人では実行不能な事を思い知らされた。 今回の旅行では、娘のフォローが大いに役立ったものだ。
こちらの頭がおかしくなりそうな程に精根尽き果てた状態での本エッセイ執筆だったため、方向性の定まらない内容となっている事をお詫びする。