「原左都子エッセイ集」4年程前のバックナンバーに 「孤独を貫いても守りたい事がある。」 と題するエッセイを公開している。
どこのどなたがお読み下さったのか承知していないのだが、当該バックナンバーがここ2,3日我がエッセイ集の “Populer Entries トップ10”内にランクインしている。
この類の題名エッセイを綴った記憶はあれども、一体如何なる内容だったのか自分でも思い出せないため、筆者である私自身が今一度何度か読み返してみた。
4年程前と言えば、ちょうど我が娘が大学公募制推薦合格をゲットした時期だ。
娘幼少の頃より娘のサリバン先生を一身に担当して来た母親の私としては、18年来に渡るその激務から一旦解放され、子育て段階の“大きな一山を超えた”との安堵的心境だったのだろう。
今想像するに、娘と共に二人三脚で歩んで来たサリバン指導の歴史に一段落ついた私の脳裏に、本来の自分を取り戻せる感覚が一瞬過ったのではないかと想像する。
ここで、2011.11.28 公開の「孤独を貫いても守りたい事がある。」と題する我がエッセイの一部を、今一度以下に要約して紹介させていただこう。
私自身は 「孤独」 という言葉とはさほど縁の無い人生を送っているのかもしれない。 長い独身一人暮らし時代を歩んで来た私だが、何分その頃は超多忙な日々を送っていたため「孤独」と向き合う時間すら取れなかった故であろう。 それでもそんな私なりに、これぞ「孤独」と表現するべきか? との心理状態に苛まれた経験はある。
独身時代に年に一度程郷里に帰省していた私だが、おそらく30歳を迎えようとしていた頃のある時、郷里から大都会の我が一人住まいの住居地に戻る航空機の中で“孤独感”らしきものに苛まれたのだ。 田舎で数日間のんびり過ごした事が、我が心理状態を一時かき乱したものと分析する。
当時さしあたって結婚願望がなかった私は、このまま大都会の喧騒の中で今後も一人身で生きていかねばならない現実だった。 周辺には近しい恋人や複数の友人や職場の同僚等々、日常的にかかわる相手がいるにはいたのだが、日々流れ行く浮世の中で人間関係とははかなく移り変わるのがこの世の常という事も承知していた。 いつか私の周辺に、私と係わりを持つ人間が一人としていなくなる日が訪れても何ら不思議ではない。 その時、私はその孤独に耐えられるのだろうか???
郷里よりの飛行機の中で突然襲われたこの “来たるべく孤独想定恐怖感” は、私にとっては結構切実だったものだ。
ところが当時はやはりまだまだ若気の至りだった事に救われた。 帰省した翌日から、またもや我が身には多忙な日々が押し寄せてくる。 “孤独想定恐怖感”など何処かに吹っ飛んでしまったようで、その後の我が心理状態の記憶はない。 (中略)
そんな私も自分が好まない集団会合に出席すると、その場で孤独感に苛まれる事を幾度も経験している。 おそらく、そもそも集団を好む人種とは元々個々人が築き上げる深い人間関係における心の営みなど二の次なのであろう。 傍観者としてのメンバーを集め、自己存在をアピールしたいのみではないのかと私は結論付けている。 それ故に、原左都子にとっては“集団”とは「孤独感」が苛まれる虚しい場でしかないのだ。 結局私が集団嫌いである根本原理とは、対等であるべき人間が多く集まった場で、周囲に配慮するでもなく自己アピールだけをしたい人物の背後で、鬱陶しい思いばかりが募ってしまい何の収穫もない故である。
「孤独」がテーマだったのに、話が“集団嫌い”の原左都子の持論に偏向してしまい恐縮だが…。
まだまだ今後の人生が末永く続く私であるが、表題に記した通り私には 「孤独を貫いても守りたい事がある。」 ことは確かな事実だ。
とにかく安易に他者には迎合したくない私である。 今後年齢を重ねるにつれ、私のような“強情張り”の人間はこの世に生き辛いであろうことも想像がついている。
“孤高”とまで言える境地には決して到達しないであろうが、今のところはとりあえず自分自身の信念を貫きながら一種の 「孤独」 を肯定しつつ、我が人生を歩み続けたいと欲している。
(以上、「原左都子エッセイ集」より要約引用。)
ここで話題を変えよう。
朝日新聞2015.11.28 別刷“悩みのるつぼ”は、43歳女性による 「女ひとり生きるには何が必要か?」だった。
以下に、相談内容を要約して紹介しよう。
43歳独身女性だが、一度たりとて恋人がいた事が無い。 その状態が当たり前になり、特に寂しくもなく、楽しんで生きている。 そんな私にも悩みはある。 この分だと、この先もずっと女ひとりで生きてゆかなくてはならないのに、さらに、いろいろな問題が重なってくる。 母は既に亡くなっているが、父の介護問題が出てくるであろう。 それを抱えつつ、女がひとりで暮らしていくために絶対必要なもの、大切なものとは何なのだろう。 今の年齢から将来のために備えた方がいいものは何かあるか?
上記、43歳女性の相談に対して、社会学者の上野千鶴子氏が的確な回答をしておられる。 その内容に関しては新聞紙上でお読み下さるとよいであろう。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
申し訳ないが、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者であられる43歳女性の相談内容を読んだ私の感想とは、「あまりにも寂しい…」 そうとしか表現しようがない…
まず、相談女性が何故に今までの人生に於いて一人として「恋人」がいなかったのかに関してだが…。
それを何らかの理由(例えば同性愛嗜好等)で女性が主体的に貫いておられたならば、私としては何らの指摘が出来る訳もないのだが…
次なる、「親の介護」に関して。 これぞ、ご本人自らが現在の実生活の中で日々“幸せ感”や“達成感”を紡げてこそ、自分にとってはどうしても“二の次”とならざるを得ない親の介護にも心豊かにかかわって行けるというものだ。
相談女性については申し訳ないが、私としては上記両者共に不安感を抱かざるを得ないのだ…。
当該女性が43歳にして自分の将来を主体的に見つめ直せる能力を内在していて、かつ自己再生可能な人物ならばよいのだが… 相談内容から想像するに、それら能力に欠けているのではないかと多少心配する。 特に女ひとり身で生きて行くために必要なものや大切なものなど、自ら主体的に見出すべきだろう。
そういう私は昨日娘の大学へ出向き、「卒業論文発表会」を傍聴してきた。
発表に関しては、娘が現在までに育成して(サリバンが育成させて)来た能力にしてまずまずの内容だった。 これで娘も来年3月には大学を無事に卒業出来よう。
血縁関係にある親子と言えども、能力開花には個性も格差もあるのが現実だろう。 娘は娘なりの最大限の努力を4年間成し遂げられた姿を垣間見せてもらえただけでも、十二分の親孝行だ。
この先まだまだ我がサリバン力を持続するつもりであるが、少しだけ自分自身の未来に向かって再び「孤独感」を味わえる日も近いのかと、薄々期待したりもするのだ…
P.S.
今週半ばまで旅に出ます。 その間「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご訪問頂けましたなら嬉しく存じます。
どこのどなたがお読み下さったのか承知していないのだが、当該バックナンバーがここ2,3日我がエッセイ集の “Populer Entries トップ10”内にランクインしている。
この類の題名エッセイを綴った記憶はあれども、一体如何なる内容だったのか自分でも思い出せないため、筆者である私自身が今一度何度か読み返してみた。
4年程前と言えば、ちょうど我が娘が大学公募制推薦合格をゲットした時期だ。
娘幼少の頃より娘のサリバン先生を一身に担当して来た母親の私としては、18年来に渡るその激務から一旦解放され、子育て段階の“大きな一山を超えた”との安堵的心境だったのだろう。
今想像するに、娘と共に二人三脚で歩んで来たサリバン指導の歴史に一段落ついた私の脳裏に、本来の自分を取り戻せる感覚が一瞬過ったのではないかと想像する。
ここで、2011.11.28 公開の「孤独を貫いても守りたい事がある。」と題する我がエッセイの一部を、今一度以下に要約して紹介させていただこう。
私自身は 「孤独」 という言葉とはさほど縁の無い人生を送っているのかもしれない。 長い独身一人暮らし時代を歩んで来た私だが、何分その頃は超多忙な日々を送っていたため「孤独」と向き合う時間すら取れなかった故であろう。 それでもそんな私なりに、これぞ「孤独」と表現するべきか? との心理状態に苛まれた経験はある。
独身時代に年に一度程郷里に帰省していた私だが、おそらく30歳を迎えようとしていた頃のある時、郷里から大都会の我が一人住まいの住居地に戻る航空機の中で“孤独感”らしきものに苛まれたのだ。 田舎で数日間のんびり過ごした事が、我が心理状態を一時かき乱したものと分析する。
当時さしあたって結婚願望がなかった私は、このまま大都会の喧騒の中で今後も一人身で生きていかねばならない現実だった。 周辺には近しい恋人や複数の友人や職場の同僚等々、日常的にかかわる相手がいるにはいたのだが、日々流れ行く浮世の中で人間関係とははかなく移り変わるのがこの世の常という事も承知していた。 いつか私の周辺に、私と係わりを持つ人間が一人としていなくなる日が訪れても何ら不思議ではない。 その時、私はその孤独に耐えられるのだろうか???
郷里よりの飛行機の中で突然襲われたこの “来たるべく孤独想定恐怖感” は、私にとっては結構切実だったものだ。
ところが当時はやはりまだまだ若気の至りだった事に救われた。 帰省した翌日から、またもや我が身には多忙な日々が押し寄せてくる。 “孤独想定恐怖感”など何処かに吹っ飛んでしまったようで、その後の我が心理状態の記憶はない。 (中略)
そんな私も自分が好まない集団会合に出席すると、その場で孤独感に苛まれる事を幾度も経験している。 おそらく、そもそも集団を好む人種とは元々個々人が築き上げる深い人間関係における心の営みなど二の次なのであろう。 傍観者としてのメンバーを集め、自己存在をアピールしたいのみではないのかと私は結論付けている。 それ故に、原左都子にとっては“集団”とは「孤独感」が苛まれる虚しい場でしかないのだ。 結局私が集団嫌いである根本原理とは、対等であるべき人間が多く集まった場で、周囲に配慮するでもなく自己アピールだけをしたい人物の背後で、鬱陶しい思いばかりが募ってしまい何の収穫もない故である。
「孤独」がテーマだったのに、話が“集団嫌い”の原左都子の持論に偏向してしまい恐縮だが…。
まだまだ今後の人生が末永く続く私であるが、表題に記した通り私には 「孤独を貫いても守りたい事がある。」 ことは確かな事実だ。
とにかく安易に他者には迎合したくない私である。 今後年齢を重ねるにつれ、私のような“強情張り”の人間はこの世に生き辛いであろうことも想像がついている。
“孤高”とまで言える境地には決して到達しないであろうが、今のところはとりあえず自分自身の信念を貫きながら一種の 「孤独」 を肯定しつつ、我が人生を歩み続けたいと欲している。
(以上、「原左都子エッセイ集」より要約引用。)
ここで話題を変えよう。
朝日新聞2015.11.28 別刷“悩みのるつぼ”は、43歳女性による 「女ひとり生きるには何が必要か?」だった。
以下に、相談内容を要約して紹介しよう。
43歳独身女性だが、一度たりとて恋人がいた事が無い。 その状態が当たり前になり、特に寂しくもなく、楽しんで生きている。 そんな私にも悩みはある。 この分だと、この先もずっと女ひとりで生きてゆかなくてはならないのに、さらに、いろいろな問題が重なってくる。 母は既に亡くなっているが、父の介護問題が出てくるであろう。 それを抱えつつ、女がひとりで暮らしていくために絶対必要なもの、大切なものとは何なのだろう。 今の年齢から将来のために備えた方がいいものは何かあるか?
上記、43歳女性の相談に対して、社会学者の上野千鶴子氏が的確な回答をしておられる。 その内容に関しては新聞紙上でお読み下さるとよいであろう。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
申し訳ないが、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者であられる43歳女性の相談内容を読んだ私の感想とは、「あまりにも寂しい…」 そうとしか表現しようがない…
まず、相談女性が何故に今までの人生に於いて一人として「恋人」がいなかったのかに関してだが…。
それを何らかの理由(例えば同性愛嗜好等)で女性が主体的に貫いておられたならば、私としては何らの指摘が出来る訳もないのだが…
次なる、「親の介護」に関して。 これぞ、ご本人自らが現在の実生活の中で日々“幸せ感”や“達成感”を紡げてこそ、自分にとってはどうしても“二の次”とならざるを得ない親の介護にも心豊かにかかわって行けるというものだ。
相談女性については申し訳ないが、私としては上記両者共に不安感を抱かざるを得ないのだ…。
当該女性が43歳にして自分の将来を主体的に見つめ直せる能力を内在していて、かつ自己再生可能な人物ならばよいのだが… 相談内容から想像するに、それら能力に欠けているのではないかと多少心配する。 特に女ひとり身で生きて行くために必要なものや大切なものなど、自ら主体的に見出すべきだろう。
そういう私は昨日娘の大学へ出向き、「卒業論文発表会」を傍聴してきた。
発表に関しては、娘が現在までに育成して(サリバンが育成させて)来た能力にしてまずまずの内容だった。 これで娘も来年3月には大学を無事に卒業出来よう。
血縁関係にある親子と言えども、能力開花には個性も格差もあるのが現実だろう。 娘は娘なりの最大限の努力を4年間成し遂げられた姿を垣間見せてもらえただけでも、十二分の親孝行だ。
この先まだまだ我がサリバン力を持続するつもりであるが、少しだけ自分自身の未来に向かって再び「孤独感」を味わえる日も近いのかと、薄々期待したりもするのだ…
P.S.
今週半ばまで旅に出ます。 その間「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご訪問頂けましたなら嬉しく存じます。