原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「父親の会」にもの申す!

2011年06月18日 | 教育・学校
 父の日を目前にして、世のお父様方に“苦言を呈そう”との趣旨の今回の記事である。


 おそらく全国の学校のPTAにおいて「父親の会」なる“分科会”組織が存在することを、子どもを持つご家庭ではご存知のことであろう。

 私がこの「父親の会」なる組織を知ったのは、我が子が小学校に入学して以降のことである。
 我が子が入学した小学校は公立だったのだが、PTAと銘打つ組織は元々なく「父母と先生の会」と称する学校と保護者の結びつきがより濃厚な会がその代替組織として君臨していた。 当初「父親の会」なる分科会は存在しなかったのだが、我が子が3年生になった時に父母会男性役員よりその設立が提案された。
 その設立趣旨書によれば、普段仕事に忙しい父親にも「父母と先生の会」への積極的な参加を呼びかけたい旨、そして、父親の専門性を学校教育に活かすべく父親対象に“人材バンク”を設立したい旨、等が挙げられていた。
 これを一見してその“前時代的男女差別思想”に怒り心頭の原左都子は、早速「意見書」提出という手段により提案者に噛み付く行動に出たものだ。

 今から9年前の2002年に提出した我が文責の「父親部会設立に関する質問及び意見書」と題する反論文書のコピーを保存してあったので、以下に要約して紹介することにしよう。
 今回「父親部会」を設立されたいとの件、まず疑問に思うのは現在存在する「父母と先生の会」は「母親部会」だったのだろうか? そう言えば、学校の草抜き、朝の登校安全見守り当番、放課後のパトロール当番等々にこの私も仕事(当時の原左都子は医学関係の仕事に従事していたのだが)で多忙な中時間を割いて参加したものである。 上記のごとく学校の僕(しもべ)として雑用に借り出されてやって来るのはそのほとんどが母親であり、確かに父親の姿を見ることは稀だった。 今まで母親に任せきりだったそのような学校の雑用に今後は父親にも参加を促すとの趣旨には大いに賛同するどころか、時既に遅しと言ったところであろう。 ただ今回あえて意見書を提出したのは、父親と母親を何故執拗に区別する必要があるのかという点において疑問を抱かざるを得ないからである。 父親は仕事に忙しいとおっしゃるが、今時仕事に忙しい母親も珍しくもないであろう。 何も「父親部会」など設立せずとて、普段の活動に父親を参加させるべく誘導すれば済む話ではなかろうか?
 人材バンク設立に関しては私も大いに賛同する。 ただこれに関しても、何故父親限定なのかが到底理解し難い。 社会では失業率が高まりワークシェアリングが叫ばれ、学校現場では新教育課程(当時の“ゆとり教育”のこと)が導入され週5日制となった今、学校の教員の力量が今まで以上に要求される時代である。 保護者と教員の接点が人材バンク設立により埋められるならば、それは妙案ということであろう。  ただ、これに関しても何故“父親限定”なのか? もっと視野を広げ生徒の保護者全体に対象を拡大した方が、より有能な人材が確保できるというものではないのか。

 上記のごとく9年前にしたためた我が意見書に対し、実は「父親部会」提案者のS氏と名乗る男性より素晴らしい回答書が届いたのである。
 このS氏はその年「父母と先生の会」の会長となられたのだが、その“素晴らしい”回答の一部を以下に紹介しよう。 
 現在の「父母と先生の会」の現実は原様がおっしゃる通りお母様への依存度が高く、その現状を打破したい思いで父親参加の形を作りたかったのが今回の提案の趣旨である。 過去の日本では父親は外で仕事、母親は家庭を守るという概念が生きていた。残念ながら現在でもまだそのような考え方をしている人を見かける。 しかし子育てとは両親の責任であり、2人で行うものであることを父親にも訴えたかった。 人材バンクの件も、当然ながら父母を分ける必要はまったくない。……
 (我が家はまもなくこの小学校を転校する事と相成ったため、残念ながらその後の父母会の活動の程は知らない私である…。)


 その後年月が経過し我が子が私立中高に進学して以降、毎年「父親の会」に関するお知らせが届くのである。
 これに関しても子どもが中学に入学した初年度に私は上記同様趣旨の反論意見を文書にて提出したのだが、学校からの反応は“なしのつぶて”である…
 う~~ん。 私立とは特色があるのが特徴だから、これ以上保護者の立場で食ってかかっても我が子の学校での立場を悪くするのみか??? との苦渋の選択を強いられている私の元に、今年もつい先だってまたもや発信者学校長名で「父親の会」開催のお知らせが届いたのである。
 これがどうしても原左都子にとっては我慢ならない!

 その中の一文を端折って、以下に紹介しよう。
 「例年のことですが、お母様とは別にお父様の立場からも学校教育や運営に関して忌憚のないご意見をいただきたく思います。これまで実施した「父親の会」に於きましてもお父様の立場から率直なお話を伺う事ができうれしく思っております。 尚、全体会終了後寛いだ場でお話を伺えるよう懇親会も予定しております。

 いや~~~、この期に及んでその私学の思いが分かる気もする原左都子だよ。
 結局、私立とは自分の学校が生き延びられるべく“縁故”を探し彷徨っているということじゃないのかな~。 そして、その“縁故”に関して母親では役に立たんから父親との会合を持とう、との学校の発想ではないのだろうか??

 特に私学の場合、学校のPTA活動と言ったって結局は目立ちたがり家の保護者や、親が学校に奉仕することで娘の大学推薦ゲット等にせめてもの望みを掛ける保護者(その大多数が“母親”という現実!)が役員になりたがるのは世の常であろう。
 そうした場合、学校側とすれば、そのような母親の働きはそれはそれで利用するとして、“父親”の名声こそが私学発展のために有効利用できるとの発想になるのかもしれない。

 ただどうなのだろう。
 今の時代、(大震災を語らずとて)日本の政治経済力が急激な勢いで低下してきている。
 確かにこの国には「父親力」を頼る時代があったことは事実であろうが、時代は大きく変遷し、就職難の今に至っては就職難にあえぐ父親が量産されている現実だ。
 
 我が子が通う私学は今尚そのバブル“父親力”を頼っている様子で、どうも父親の職業が世に名立たる職種(例えば医師、弁護士等々…)である場合その娘を厚遇している様子を薄々感じている。
 ただ今の時代、例えば医者とて弁護士とてその経営力や生き様如何では惨めに潰れ去る運命にあるというのがこの世の現実ではなかろうか?
 (こんな事を今さら学校に公言しようとは一切思っていないが)、我が娘の父親(要するに我が亭主)も物理学研究者として一応世界に名立たる研究論文を発表しているのだが、その事実を学校に伝えると娘に対する態度が豹変するのだろうかねえ~~??? 
 どういう訳か、この国は個人の実績よりもその「肩書」に頼りたい慣習が今尚抜け去らないようだ。

 そんなくだらない世間の名声にはまるで無頓着で「父親の会」なる組織にもさらさら興味がない半面、我が子の教育を私に全面的に頼ってくれている我が亭主に日々感謝という話で、今回の記事を締めくくって恐縮なのだが…。
 

 世の父親達よ、学校が主催する「父親の会」などと称する会合に出席して教員と酒を酌み交わすよりも、子どもを授かった以上は家庭の実情に応じて子どもの将来に実質的恩恵を伝達するべく頑張れよ!!
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実りの初夏 ?

2011年06月15日 | 雑記
 (この写真、薄暗い場所で撮影したため色調が悪いのですが、一体何だと思いますか?)


 その答えは「菌床しいたけ」である。

 実はこれ、先月末に娘と共に某大学の文化祭兼オープンキャンパスを訪れた折に「きのこ研究室」と称する学生グループが展開していた“まっしゅROOM”なる展示室で買い求めた菌床である。

 今時の世間の学祭における模擬店や訳の分からん素人パフォーマンス、そして“ミス美人コンテスト”等々、(まるでAKBなみの“体たらく”)自己満足企画が蔓延っている現状の大学文化祭の中において、このグループが展示室で展開する“きのこワールド”企画は原左都子から見るとその専門性も高くなかなかの充実ぶりだった。 食べられるきのこ、毒があって食べられないきのこ等々の数多いパネル写真展示があれば、自分たちで手作りした可愛いきのこのストラップを格安で販売していたりもした。 そろそろ“閉店”間際の時間帯に訪れた我々親子は最後の一つというきのこストラップを購入した。

 その“きのこワールド”極めつけは、この「菌床」であったのだ。
 「きのこ研究室」“マッシュROOM”展示の最終場面の菌床売り場には、輝かしく傘開いた「菌床しいたけ」が展示されていたのだ。 それに挽きつけられた私が、我が娘の存在など忘れ学生の店員氏を捕まえ尋ねて曰く「この菌床からこんなに立派なしいたけが家庭で育つのですか!!?」 (なんだか八百屋の店頭で値切るおばさんのごとくの勢いの私だったのだが… 
 と言うのも、そのサンプルを見ると直径10cm程に育った立派なしいたけが約30個程も菌床周囲に育っていたのだ。 その菌床の価格はたった300円! 通常巷の店でしいたけを買うと貧弱なしいたけが6個程度で200円程の価格であるのと比較して、これはお得!と咄嗟に判断した私は即刻購入する決断をした。
 学生氏よりの懇切丁寧な「菌床しいたけ」栽培方法を見聞し、説明書きまでもらってそそくさと帰宅した原左都子である。


 そして、早速「菌床しいたけ」家庭栽培に取り掛かることとなる。
 まずはバケツ一杯の水の中に菌床を沈めるのだが、菌床は軽量なためこれが浮いてきて沈めるのが困難である。2㎏ウーロン茶のペットボトルを上に置くとやっと沈んでくれた。 室内の陽が当たらず風通しのよい場所が生育環境とのことで、リビングのエレクトーンの薄暗い足元に設置することとした。(上記写真参照)  その後しばらくすると菌床から空気がポコポコと吐き出されるのだが、これがまるで“癒し系サウンド”のごとくでしばらく聞き惚れる私だった。
 翌日これを取り出し、同じ場所に設置して表面が乾燥しないよう霧吹きで水分を補いつつ数日が経過した。 その頃、学生氏の説明通りしいたけの小さい傘が菌床表面から出始めた時には我が家のメダカが誕生した時と同様に感激したものだ。
 その後底に多くのしいたけが傘を出し始めたため、上下を入れ替え10日程経過したのが上記の写真である。

 結局これ以上のしいたけは育成せず、私が買い求めた「菌床しいたけ」は17個のみが成長した結果と相成った。 大学で見た立派なサンプルとの格差を感じ多少残念ではあったものの、裏面が真っ白の綺麗なしいたけをその後一家で食したものである。


 ところで「菌床しいたけ」は現在巷で販売されているようだ。 以下にネット上で発見したその概要を引用して紹介することにしよう。

 キノコ類の人工栽培では、現在しいたけを除き原木を用いないいわゆる菌床栽培がほとんどを占める。 菌床栽培とは、しいたけの場合広葉樹のオガ屑(ノコ屑)と少量のフスマ、糖類など、栄養源を混合して固めたブロック状ないし円筒状の培地をいう。
 菌床しいたけの歴史は意外に古く昭和45年頃から試験されていたが、当時はまだ原木が比較的安価に入手できた時代であった。 その後、しいたけ農家の間で原木普及が進行しそれにつれて原木価格が年を追って上昇した。 品質面でも厚皮のものや形質の良くないものの自給が増えた。 最近では、原木の奥地化、伐り出し労働力の不足、運送事情の悪化という要因が加わり原木問題がしいたけ産業のネックとなっているのに加えて、原木栽培は高度化した技術社会、バイテク時代の農業にあって作業は決して楽でないことや、生産者の高齢化、後継者不足の進行と共に労働力の問題が大きな課題となっている。
 こうした背景の下に、昭和50年代の末頃から菌床しいたけの研究開発が種菌メーカーや食品企業、公立の試験会場などによってさかんに進められるようになった。
 菌床しいたけに関与する生産者の間では、原木問題に悩まなくてすむ、重労働が少ない、ある程度高年齢でも出来る、作業がきれい、後継者を育成しやすい、計画生産・計画出荷が出来る、回転が速い、収益面で期待できる、時代の流れである、などと評価する声が比較的強い。 国が最近、キノコ菌床を種苗法上の種菌として取り扱うことが適切であるとの判断を下した背景も加えて、菌床しいたけはハウス内での栽培が可能で、定量、低品質、低価格の販売が可能であるようだ。
 菌床しいたけはいわゆるしいたけ特有の香りが少ないことから、若い層や女性にも抵抗が少なく、洋食メニューにも合わせられる点でも評価が高い。


 等々の記述をネット上で発見したのだが、いやいや採れ立ての菌床しいたけはやはり美味だったものだ。 特有の香りもスーパーで購入したものよりも数段あったし、何よりもその新鮮な味わいは格別だった。

 巷では中国産の一見立派な輸入しいたけが格安で販売されているようだ。 その味と風味と添加物の程はともかく、もしもこの国の農家においてしいたけの原木が高価ゆえに容易に入手できない等々の事情があるのならば、今回私が訪れた大学の一グループが推奨するように「菌床しいたけ」を量産して採れ立てを国内で流通させることも我が国のしいたけ農家の未来に繋がるのではなかろうか?
 などと原左都子が無責任に思うほど、我が家で育ったしいたけは美味しかったよ!
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「AKB48」商法は悪質だ!

2011年06月13日 | 時事論評
 原左都子にとって、これ程興味が湧かないグループは今だかつていないと言い切れるのが「AKB48」である。

 いえいえ元々ジャンルを問わず音楽好きでミーハーを自覚する私の場合、たとえ歌謡曲とて好きな楽曲や歌手、グループは存在する。
 「AKB48」類似の女性グループ分野でその例を挙げると、かつてのピンクレディにははまった。(ミーちゃんと体型がほぼ同じという理由もあるのだけどね。) ピンクレディに関しては今でもほぼ全曲踊れてしまう私は、そのうちコンサートに行って客席で思い切り踊る夢を捨てていない程だ。
 それからモーニング娘がデビューしたのは我が娘が幼少の頃だったのだが、これも子どもと一緒に歌って踊ったりしたものだ。「恋愛レボリューション21」など、娘と共にフルバージョンを踊れる原左都子であるぞ!(えっ、そんなことでえばるなよって??)

 「AKB48」に関しては、NHK紅白歌合戦で2度程そのステージを見る機会があった。 なるほど、楽曲に関しては結構いけてる。 ところが、あくまでも原左都子の印象だが、歌は下手、踊りは手足をちょこまか動かしているのみで踊っているとは言えない。 そして一体どうやって選抜したのかは私の知ったことではないが、メンバーは普通の種々雑多な女の子達の“寄せ集め”でしかない。まあ、中には可愛い娘もいると言えばそうなのかもしれないが、決してこれ程までに売れる程の要素は何一つ見当たらない。

 NHKはどういう訳かこの「AKB48」を好んでいる(あるいは何らかの縁故で積極的に放送で取り上げている?)ようで、見ようと志さずとてNHKの番組で「AKB48」に出くわすことが何度かあった。
 その一つが昼間の番組「スタジオパークからこんにちは」だったのだが、おそらくトーク番組用に選抜されたメンバー3人が登場してトークを展開するのだが、さしてインパクトはなくごく普通の女の子達の会話レベルから何ら突出した魅力は見出せなかったものだ。 中には既に25歳になるという女性も出演していたのだが、その年齢でこんな事しててあなたの今後の人生大丈夫なの??との要らぬ老婆心さえ表出してしまう程、トーク内容が貧弱であった。
 また、既に放送が終了したNHK昼間の「ふるさと一番」との番組においても秋葉原を拠点とする「AKB48」が取り上げられ、その様子を垣間見た私である。 これに関しても「秋葉原ねえ… こんなマイナーイメージの場所で妙齢の娘達が安くこき使われている現状に同意してそれを応援している親もいるらしいが、まさに世は退廃的だよねえ…」等々虚しささえ伴う惨たらしい印象を受けただけの私である…。

 それにしても「AKB48」とのプロジェクト団体が、政治経済共に困難を極める我が国の混沌としたこの時代に存在し、その一員になりたくて秋葉原に集結した若者が日々歌や踊り、演技等々のパフォーマンスに下手なりにも汗を流す事が出来るならば、不登校、引きこもり等の社会問題を解決するという意味では、それも一つの社会貢献なのであろうか? などとこの番組を一見して他人事として捉えた私である。
 

 昨年、原左都子は初めて「AKB48の総選挙」なるものが存在することをパソコン上で知った。
 なんだ、これは??? と思っていたのも束の間、その結果が世に大々的に公開され知りもしないメンバーが1位を取ったと発表された。 当時は単にグループ内の人気投票を行ってその結果を発表した程度に受け止めていた。 それにしても48名のうち、40位の下位までその投票結果を発表することの是非については首を傾げてもいた。
 今年になってやっとその真相が分かった。 要するに、「AKB48」プロジェクト会社組織が自社のCD売り上げを伸ばすべく、CDに投票権を付けてそれをファンに購入してもらい投票させているというからくりなのだ。 この商法により昨年はCDがミリオンセラーを樹立してNHK紅白歌合戦に出場と相成ったようだ。 そして今年も6月9日の投票の直前には130万枚を越すミリオンセラーを記録しているとのことだ。


 「AKB48」のプロデューサーは、元放送作家の秋元康氏であられる。 この方はかつて「おにゃんこクラブ」と称する若き娘達グループを世に送り出したことを私は記憶しているが、あのグループも「AKB…」同様に歌も踊りも演技も下手くそな娘たちで構成されていたものである。 その後「おにゃんこ…」を卒業して自力で芸能界を這い上がっている女性が少数ながら存在することは、原左都子も肯定的に捉えてはいるのだが…。
 どうやら秋元氏は、芸能界において「業界の鮫」と称されているらしい。 その名が表現する通り、秋元氏とは海の中で敵を知らない鮫のごとく肉食性を表に出して今尚芸能界を渡っておられるのであろう。
 
 ただ、秋元氏が操る「AKB48」プロジェクトに於ける「総選挙」とはグループメンバーの年端もいかぬ少女達やそのファンの若者達にとっては、大人が想像する以上に壮絶な現実なのではなかろうか?  その一例を以下に紹介しよう。
 「え~本日、AKB48メンバー大島優子を殺害することをここに決意。時刻は9時過ぎです。血まみれにさせます。Mステ出演を自粛せよ! さもないと…」 “第3回AKB48総選挙”から一夜明けた6月10日にこのような衝撃的な書き込みが“2ちゃんねる”に於いて展開されたらしい。   
 これらの犯行予告は当然ながら犯罪行為として法的に処罰されるべきではあるものの、そんな未熟な若者の歪んだ心理を煽ってまでもCD売上実績を伸ばそうとの秋元氏の魂胆は、まさに悪質としか言いようがない。


 若者とは、今後の人生においてまだまだ再生可能な人種である。
 「AKB48」のメンバーの娘さん達も、今後自分なりの人生を主体的に歩んでいける可能性を秘めているのだ。 同じく芸人として何の専門力もなく単に可愛いだけが取り得だったAKBの先輩である「おにゃんこ…」の中にも、上記のごとく今尚芸能界でしぶとく生き延びている女性達が存在する。 AKBのメンバー達も「総選挙」なる過酷な試練に耐えた経験を活かし、主体性を持って人生を歩んで欲しいものである。

 それに引き換え、秋元さん。 あなたはその年齢にして一体何を目指したいのだろう?
 あなたが若い女の子が好きでいつも近くに侍らせたいその生理的欲求を理解申し上げるが、今後未来がある若き娘達を捕まえそれをとことん利用して世を渡っているあなたの姿は、端から見ると単に滑稽でしかないのだが…
 どうせあなたは「AKB」も「おにゃんこ」同様にそのうち捨て去るつもりだろうが、結局捨て去られるのはあなたの方だろうねえ~。
 その現実を少しは惨めと捉えられるプライドでも持ったらどうなの?? 
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3ヶ月で何かが復興したのか?

2011年06月11日 | 時事論評
 3月11日の東日本大震災の発生以来、本日(6月11日)で3か月の月日が経過した。 
 警察や自衛隊等の懸命の捜査にもかかわらず未だ8,000人を超える人々の行方が判明しておらず、遺体発見も身元確認も日に日に難しくなる現実だ。 
 未曾有の大震災は国や非被災地国民の「復興」の掛け声とは裏腹に、被災地そして被災された方々に終わり無き悲しみと傷跡を刻みつけたままである。

 
 少し古くなるが、5月28日の朝日新聞夕刊一面において、「赤プリ避難 心が重い」と題する記事を見つけた。
 取り崩しが予定されている“赤プリ”(旧 グランドプリンスホテル赤坂)が6月30日までの期限付きで避難所として大震災被災者にその部屋を提供していることに関しては、本エッセイ集のバックナンバーにおいても既述している。
 現在約800人の福島県等の被災者の方々がこの部屋で暮らしているとのことだが、福島原発が照らした大都会東京のネオンの夜景をホテルの部屋から見る度、悔しさが込み上げるという被災者の方の談話を目にして、東京に住む私は心より申し訳ない思いだ。 あるいは、ホテルから一歩外に出るとスーツ姿やヒールを履いて道を急ぐ人ばかりで、自分たちの居場所がどこにもない空虚感を感じホテルの部屋を出るのがおっくうとの家族もおられる。 まさにヒールを履いて急いでいるその一人はこの私である。 被災者の方々が置かれている現実を身をもって理解できず他人事と捉え、少しばかりの節電に協力して何かのお役に立てていると勘違いしている自分が実に恥ずかしい思いである。

 この記事に限らず、たまたま東京に来る用があった被災地の方々が目にする大都市の風景は、別世界であるようだ。
 そんな別世界に住み今まで通り不自由ない生活を営みつつ言葉だけ「復興」「復興」と騒いだところで、それは大震災の傷跡の重みを何も心得ず被災者の方々を傷つけるのみの浅はかな行為であろう。


 話が変わるが、本日1週間遅れで読んだ朝日新聞6月5日の「遅れた避難 なぜ」と題する記事は、被災地に住む人々が大震災発生以来“時が止まって”しまった事を印象付けられるインパクトがあった。
 被災者の方々にとって、震災を実体験として知らない“外部者”から「復興」を旗印に“前に進め!”と指揮されることが如何に過酷で惨い現実であるのかの一例として、上記記事を以下に要約して紹介することにしよう。

 大震災の津波で全児童の7割近い74人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の市立大川小学校に於いて、6月4日の夜、初めて保護者への説明会が行われた。 同校へ津波が押し寄せたのは地震発生の時刻である午後2時46分から約50分後だった。市によれば3時頃には大津波警報の発令を伝える防災無線が大川小学校でも流れていたが、市教委の説明によると校庭に津波が来る事を想定しておらず、教員達の間で避難場所について論議していたとのことだ。 そして、結局児童達の避難を開始したのは午後3時25分頃だったことが明らかにされた。 津波が同校に押し寄せたのが3時37分とのことで、少し高台にある堤防道路に避難しようとの学校の遅ればせながらの苦渋の判断は虚しくも避難途中の全校児童の7割もの命を失う結果となったようだ。

 この事例の場合、多くの教員も命を失っているとのことで真相究明が困難であるようだが、何故か学校長は生き延びていて現在犠牲児童達の家庭を回っているとの報道だ。 ところが、校長は花束を持って来てただ頭を下げるのみで何らの説明も謝罪もしないらしい…。 それに納得できない保護者達が、震災発生後3ヶ月が経過しようとしている今になってやっと学校で保護者会を開催するに至ったとのことである。
 加えてこの学校には裏山の斜面があり、そこに個人の判断で逃げた児童は助かったとのことでもある。(記事にはその裏山の写真もあるのだが、この写真を見ると学校の直ぐそばのこの裏山に避難させるという発想が何故教員達に浮かばなかったのかと無念に思えるのだ…)

 結局はこの事例に於いても自治体や学校の勝手な論理で今回の大震災は「想定外」、との結論が導かれてしまいそうなことにどうしても異議を唱えたい原左都子である。
 (しかも児童の7割を失った小学校が田舎に位置しているためか、自治体や学校の判断ミスにより我が子を死に至らされたにもかかわらず、保護者の中には“お世話になった先生を責める事はできない”などとの軟弱な意見も出されているらしいのが原左都子には到底納得できないし勘弁ならない。  戦時中でもあるまいし、今の時代において未来ある子どもの命を守るのは断固として親や大人の役割である。 余談になってしまったが、ここは地域の今後の将来に渡って保護者とは我が子の命だけはどうしても守るべく、今は大震災における学校や自治体の対応に大いなる落ち度があった事と闘い続けるべきだ!)
 今回の避難判断の遅れを“先生にお世話になったから”などとの感情論で風化させることなどあってはならない。 未来の児童達の命を守るために、津波被災者ではない私も含めた国民皆が原因究明、責任追及をなしていく事も「復興」への一つの道程ではなかろうか。

 福島第一原発事故においても、当初悠然と「想定外」の言葉が持ち出されていたものだ。 国のライフラインを担って君臨している大企業ですらこの言葉を持ち出すのだから、ましてや過疎地地方の小学校の最高責任者である校長が児童の7割を死なせたにもかかわらず、その説明も謝罪もないのが悲しいかなこの国の慣習というものであろうか…??


 大震災発生後、この国では何かが復興したのか??
 原左都子が掲げた今回のテーマの回答とは、「何一つ復興していない」というのが正解ではなかろうか?

 本エッセイ集の震災関連バックナンバーで幾度となく触れているように、「復興」とは上に立つものの自己満足であっては決してならない。 被災地域や被災者の皆さんが置かれている現実に心が及んでこそ「復興」の糸口が摑めるということではあるまいか。

 未曾有の大震災後わずか3か月しか経過しない間に国の経済力が大幅に低下した今、永田町は東北地方に発生した大震災など他人事のごとく政権争いにエネルギーを費やす展開と落ちぶれている…。 
 「菅政権は潰す!」「野党と大連立だ!」「私は政権を死守する」「いやいや、菅が辞任しないと連立はしないぞ!」等々……、国の要人どもは今尚茶番劇を続けている有様だ。
 その間に、福島第一原発では高放射能の2号機の扉を開放すると言う… 

 我が国に発生した未曾有の大震災の「復興」は、どう考慮しても程遠いものがある。
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厚労省は「学校健診」運営に柔軟な指導をするべき

2011年06月08日 | 教育・学校
 小中高校生の子供さんをお持ちのご家庭ではご存知のことであろうが、毎年新学期を向かえた春の時期に全校生徒対象に学校が全員強制で健康診断を実施する。

 大学や職場等の集団組織においても厚労省より同様に検診が義務付けられているが、こちらの方は検診後の個々人の病院受診に関して強制力がある訳ではなく、本人の意思判断に委ねられることになる。 
 これに対して小中高に於ける学校健診の特徴とは、異常結果が出た場合「病院受診勧告書」が当該生徒の保護者宛に手渡され、期限を設けて医師による受診結果を学校にフィードバックせねばならない義務が課せられる点にある。

 学校健診の内容とは、身長・体重等の身体計測、内科検診、尿検査、視力、聴力、歯科検診、そして学年を限定して胸部X線撮影や心電図と多岐に渡る。 それらの健診に於いて異常が出た場合、各々の分野から「受診勧告書」が家庭に届くこととなる。
 

 我が家ではこの「受診勧告書」を我が子が小学校入学以来「赤紙」と読んで、これが学校から舞い込んで来る事を毎年恐れていたのである。

 何故ならば本エッセイ集において小出しにしているが、我が子は生まれながらに若干の事情を抱えているためである。 誕生以来様々な身体異常が次々と表出する我が子を連れて、親の私は頻繁に病院通いを余儀なくされてきている。
 私は元医学関係者であるため、過去における病院受診により我が子の身体状況をある程度総合的かつ客観的に捉えた上で、子供の健康維持に日々努めてきている。 例えば、同時に複数の疾患の症状が見られる場合どちらを優先的に受診するべきかという判断を迫られるが、その判断力も発揮できていると自負している。 このような事を書くと、もしかしたら親の勝手な判断よりも病院医師等専門家の診断を即刻仰ぐべく受診することこそが子を持つ親の責任だとの反論があるかもしれない。

 ところが病院受診とは特に幼い子供には心身共に大いなる負担となることは間違いないのだ。
 病院受診とは、その病状によっては各種検査や投薬がついて回る事は皆さんもご存知であろう。 まだ発育途上の我が子の幼き体が検査目的とは言えどもX線に何度も晒されたり、投薬による副作用に耐えるのを横で見るのは親として忍びない。 もちろん子供が命がけの病状ならばその措置もやむを得ない話であろう。 だがそうでない場合もしも親自身に医学的知識が少しでもあるならば、子供の将来を考えそれらの危険を避けるべく親として冷静にその判断力を発揮するに越した事はないのではなかろうか?  加えて、受診の恐怖心による子供の後々の精神的トラウマにも配慮するべきと私は考えている。

 特に我が子が小学校低学年の頃は、自民党政権の下、学校健診と地元医師会との癒着が悠々と蔓延っていた時代背景だったかもしれない。 そのせいか、当時はこの「赤紙」が大量にばら撒かれていたようだ。
 我が子の場合、学校健診科目のすべてにおいて「赤紙」が届いたとも言える。 例えば、内科をはじめ、眼科、耳鼻科、歯科、……   毎年、毎年、嫌になるほど来るわ、来るわ…
 学校からこれが届くのが鬱陶しく、その事前対策として春休み中に前もって娘の主治医に受診しているにもかかわらず、やはり「赤紙」は届いたものだ。
 耳鼻科など“耳垢”が溜まっているとのことだった。 その“耳垢”を親である私も日々取るのだが素人には取り切れないとの学校からの説明で、医師が取らない事には本人が音声が聞き取れにくい故にどうしても病院受診せよとの勧告だった。 この「赤紙」は我が子小学校在学中6年間配られ続けたものだ。 
 歯科に関しては「赤紙」によると毎年虫歯の疑いがあるとの事だが、事前に歯科を受診して虫歯がないことが証明されているにもかかわらず「赤紙」が届いた故に致し方なくもう一度主治医を受診し直して、「治療の必要なし」との証明書を発行してもらったものだ。(昔はこの証明書の発行だけにも個人負担があったものだ。)

 現在は全国何処の自治体でも義務教育期間までの子供の医療費は無料となっているため、このような「赤紙」が届いても保護者の負担とは子供を病院に連れていく労力のみで済むのであろう。 
 ところが我が子が幼少及び小学生時代はそうではなかった。 (元医学関係者である原左都子としての)親の判断で自ら我が子を病院に連れて行く分には医療費高額負担も承知の上での行動である。 片や当時、学校と地域医師会との癒着が疑われる「赤紙」発行による“無駄”な病院受診費用負担には辟易とさせられたのが事実ということだ。
 現在は国や地方自治体の医療政策により現在中学生までの子供の医療費が無料になっている。 ただその現実とは、むしろ政府や自治体と医師会との間で更なる癒着が進んだ結果とも考察できそうだ。  子供の医療費が無料となれば、学校は厚労省の指示により今まで以上に「赤紙」を保護者宛に発行可能との論理なのか??? 


 我が子が私立中高入学以来、しばらく届かなかった「赤紙」が何故か娘高3になった今、大量に届いてしまった。 
 これに関しては、後に娘の学校の養護教諭より我が子に説明があったことは保護者として救われる思いである。 娘の話によると、養護教諭氏曰く「今回沢山の受診勧告書を発行しましたが、今までに家庭内で解決している疾患に対しては受診を強制するものではありません。今回初めて指摘された医療分野だけを受診して下さい。」 (やはり、私学は公立ほど医師会との癒着はないのかな~、と一応安心する私である。)

 早速親である原左都子が学校から発行された「赤紙」に基づき娘の主治医を受診したところ、結局は“学校がそう言うのだからやはり検査をしましょう”とのご意見である。 娘の検査はまだ続き、学校から発行された「赤紙」にいつ返答できるのかは見通しが立たない状況である。

 
 いえいえ、我が娘は大丈夫ですよ!
 学校健診という国家から指示された“お達し”により毎年「赤紙」が発行されようと、たとえそれで多少の異常を指摘されようと、原左都子は我が子の将来に繋がる“真の命”を守るべく日々論理科学的、客観的に思考行動してきているつもりである。
 一例として福島近辺の皆さんには誠に申し訳ない話だが、まさか我が子に福島原発事故以上の放射能を医療という人為的なX線検査により浴びさせることなど絶対に無きよう、我が身に替えても回避できる我がバックグラウンドがあると信じて、我が子幼き頃より共に生き延びているのだから。
                      
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