一昨日(6月18日)の土曜日、我が家の集合住宅目の前の道路で交通事故が発生した。
実は一昨日の本エッセイ集においてその速報を綴ろうとしたのだが、負傷者の方に対する自粛の観点から速報は取り止めることとした私である。
事故発生から2日が経過した今尚、道路には警察による実況見分のために引かれたチョークの後が生々しく残っているのが痛々しい…。
今回の「原左都子エッセイ」において、その事故の詳細を紹介することにしよう。
一昨日、NHKの連続テレビ小説「おひさま」の昼の再放送を見始めた12時47分頃のことである。
外から “ドーーーン!!” との大音量が我が家の室内に響き渡ったのだ!
咄嗟にこれは尋常ではない何事かが外で発生したと悟った私である。 何かが爆発したか、あるいは車が家屋の塀にでもぶつかったのかと思い、音の発生源の方向のベランダに出た。
その光景を一見して 唖然! とした私である。
小学生位の年齢の少女が道端に倒れ身動きしていない。 傍らに少女が乗っていたと思しき自転車が投げ出されている。 そして、片側一車線の道路の真ん中にタクシーが斜めに停車しドアが開け放され、運転手が外に出て携帯電話で何処かに連絡を取っている。
通行人か近所の住人らしき人達が既に数人集まって来ていて、それぞれが携帯電話でおそらく救急車の手配や警察への連絡をしている様子だ。 どうやら、倒れている少女に同行していた女の子がいたようだ。 その子が近所に住んでいるのか、すぐに家族と思われる大人を引き連れて来た。 その女の子の母親と思しき女性が倒れている少女の家族に連絡を取っているらしき音声も聞こえてくるのだが、不在のようだ。
テレビを付けっ放しで「おひさま」を見るのも忘れた私は、とにかく倒れた女の子の無事を祈るべくその様子をベランダから見守っていた。 “早く救急車が到着しないものか!!”とイラつきつつ、女の子の様子をハラハラと観察していた。
10分程時間が経過した頃、女の子が動き始めた。(生きてる!よかった! ただもしも頭や内臓を打っている場合、動かない方がいい。)と私が思った矢先、どんどん増える通行人の野次馬の中から「動かないでじっとしていて!」の叫び声が聞こえた事に安堵する私である。 そして泣き始める少女。その頭を「大丈夫よ、大丈夫よ」と言いつつ優しく撫でてやる友人と思しき女の子の母親。 ただ、相変わらず倒れた女の子の家族とは連絡が取れないようだ。 そして相変わらず救急車も来る気配がない。
15分位経過した頃だろうか、ようやく救急車のサイレンが遠方から聞こえ始めた。 救急車とはそれを待つ身にとってはこれ程までに到着が遅い事を実感である。 そのサイレンが聞こえ始めた頃、やわら少女が体を起こし始めたのだ。「無理して起きない方がいい!」との周囲の説得にもかかわらず、少女は大泣きしつつ「病院には行きたくない!怖いよーー!」と叫び始めたのだ。
この声を聞いた私は、おそらく脳や内臓への打撃は最小限であろうと安堵する反面、事故による体への衝撃の後遺症が後々出る恐れもある事を懸念し、とにもかくにも病院へ運ぶ事を急いで欲しいものである。
結局救急車が発車するまで倒れた少女の家族は現地に来る事はなく、事故に際して同行していた友人の女の子(多少の負傷をしていたのかもしれない)も乗せて、救急車は発車した。
その後、警察による実況見分が始まる。
私は今回の事故に関しては“音”のみ認識しているだけでその発生状況を把握していないため、それを把握したい思いで救急車発車以降もその様子をベランダから見守っていた。
どうやら、少女達の自転車が我が家の集合住宅の脇道から一旦停止せず事故が発生した道路に飛び出したようだ。 そこを直進してきたタクシーがその少女達の自転車を避け切れなかったというのが今回の事故の全貌であろう。
ところが、その警察による実況見分中にも脇道から飛び出してきた2台の自転車母子が存在した。 それを警察官が説諭して曰く、「広い道路に出る時には自転車は一旦停止して下さい!」 その説諭に納得がいかない風の母親が警察官に食ってかかっている様子だ。「こちらが一旦停止しなきゃいけないのですか?!!」
確かに我が家の周辺の道路は「一旦停止線」が引かれていない程、普段は交通量の少ない道である。 ただ道路交通法上は狭い道から広い道に出る方が一旦停止する義務があると私は心得て、それを日々子どもにも実践させているのだが…
そこで再び警察官が説諭して曰く「先程この場で交通事故が発生して、貴方の娘さんと同じ位の年齢の女の子が救急車で運ばれました。云々…」
それを聞いて仰天する母親曰く、「えっ!、ここで交通事故があったのですか!? それはどんな子ですか?」 どういう訳かやわら携帯電話を取り出して実況見分中の道路上で通話を始める母親…。 その子どもに対して再び「この道に出る時には必ず一旦停止しようね」と説諭するのが精一杯の警察官…。
(一体どうなってるの、この国の道路交通法に関する国民への教育は??)
今回私が自宅前で経験した上記の交通事故のその後の成り行きは心得ていない。
翌日新聞の地方欄で確認したところこの事故に関する掲載が一切ないことから推測するに、おそらく事故にあった少女の命には別状なく済んだようで一安心の私である。
都会に於ける自転車の横行振りには、普段より閉口している原左都子でもある。
子どもを自転車に乗せる場合その教育は親が成すのが当然であるにもかかわらず、その親自体が道路交通法をわきまえていない現実を見せ付けられる日常だ。
都会の道路事情とは厳しいものがある。 歩道がある道はまだしも救われるのだが、その歩道とて人一人歩く幅がやっと確保されているのが都会の道路の実情なのだ。 その歩道を我が物顔に「そこどけ!」とばかりチャリチャリ鳴らしながら自転車に高スピードで横を通り過ぎられては、日々心臓が止まる思いである。
今回の事故のような事例の場合、一つの解決策として道路に「一旦停止線」を引くのが手っ取り早いのかもしれない。 狭い道から広い道に出る場合、自転車とて必ず一旦停止する義務があるということを国民皆に知らしめる手段としてこれは効果があるのではないかと考察する。
そして親がそれを子どもに教育不能と成り下がったこの国においては、学校こそがそれを本気で教育してはどうなのか。
それしきの事は多大な予算を計上せずして今すぐ実行可能なのではあるまいか?
小さい子どもの交通事故とは、全面的に保護者及び大人の責任であろう。
我が国において国や自治体が親世代の真の教育を怠ってきているが故に、親が我が子に対して命にかかわる交通安全とて教育できていない現状を、今回の事故で垣間見せられた思いの原左都子である。
実は一昨日の本エッセイ集においてその速報を綴ろうとしたのだが、負傷者の方に対する自粛の観点から速報は取り止めることとした私である。
事故発生から2日が経過した今尚、道路には警察による実況見分のために引かれたチョークの後が生々しく残っているのが痛々しい…。
今回の「原左都子エッセイ」において、その事故の詳細を紹介することにしよう。
一昨日、NHKの連続テレビ小説「おひさま」の昼の再放送を見始めた12時47分頃のことである。
外から “ドーーーン!!” との大音量が我が家の室内に響き渡ったのだ!
咄嗟にこれは尋常ではない何事かが外で発生したと悟った私である。 何かが爆発したか、あるいは車が家屋の塀にでもぶつかったのかと思い、音の発生源の方向のベランダに出た。
その光景を一見して 唖然! とした私である。
小学生位の年齢の少女が道端に倒れ身動きしていない。 傍らに少女が乗っていたと思しき自転車が投げ出されている。 そして、片側一車線の道路の真ん中にタクシーが斜めに停車しドアが開け放され、運転手が外に出て携帯電話で何処かに連絡を取っている。
通行人か近所の住人らしき人達が既に数人集まって来ていて、それぞれが携帯電話でおそらく救急車の手配や警察への連絡をしている様子だ。 どうやら、倒れている少女に同行していた女の子がいたようだ。 その子が近所に住んでいるのか、すぐに家族と思われる大人を引き連れて来た。 その女の子の母親と思しき女性が倒れている少女の家族に連絡を取っているらしき音声も聞こえてくるのだが、不在のようだ。
テレビを付けっ放しで「おひさま」を見るのも忘れた私は、とにかく倒れた女の子の無事を祈るべくその様子をベランダから見守っていた。 “早く救急車が到着しないものか!!”とイラつきつつ、女の子の様子をハラハラと観察していた。
10分程時間が経過した頃、女の子が動き始めた。(生きてる!よかった! ただもしも頭や内臓を打っている場合、動かない方がいい。)と私が思った矢先、どんどん増える通行人の野次馬の中から「動かないでじっとしていて!」の叫び声が聞こえた事に安堵する私である。 そして泣き始める少女。その頭を「大丈夫よ、大丈夫よ」と言いつつ優しく撫でてやる友人と思しき女の子の母親。 ただ、相変わらず倒れた女の子の家族とは連絡が取れないようだ。 そして相変わらず救急車も来る気配がない。
15分位経過した頃だろうか、ようやく救急車のサイレンが遠方から聞こえ始めた。 救急車とはそれを待つ身にとってはこれ程までに到着が遅い事を実感である。 そのサイレンが聞こえ始めた頃、やわら少女が体を起こし始めたのだ。「無理して起きない方がいい!」との周囲の説得にもかかわらず、少女は大泣きしつつ「病院には行きたくない!怖いよーー!」と叫び始めたのだ。
この声を聞いた私は、おそらく脳や内臓への打撃は最小限であろうと安堵する反面、事故による体への衝撃の後遺症が後々出る恐れもある事を懸念し、とにもかくにも病院へ運ぶ事を急いで欲しいものである。
結局救急車が発車するまで倒れた少女の家族は現地に来る事はなく、事故に際して同行していた友人の女の子(多少の負傷をしていたのかもしれない)も乗せて、救急車は発車した。
その後、警察による実況見分が始まる。
私は今回の事故に関しては“音”のみ認識しているだけでその発生状況を把握していないため、それを把握したい思いで救急車発車以降もその様子をベランダから見守っていた。
どうやら、少女達の自転車が我が家の集合住宅の脇道から一旦停止せず事故が発生した道路に飛び出したようだ。 そこを直進してきたタクシーがその少女達の自転車を避け切れなかったというのが今回の事故の全貌であろう。
ところが、その警察による実況見分中にも脇道から飛び出してきた2台の自転車母子が存在した。 それを警察官が説諭して曰く、「広い道路に出る時には自転車は一旦停止して下さい!」 その説諭に納得がいかない風の母親が警察官に食ってかかっている様子だ。「こちらが一旦停止しなきゃいけないのですか?!!」
確かに我が家の周辺の道路は「一旦停止線」が引かれていない程、普段は交通量の少ない道である。 ただ道路交通法上は狭い道から広い道に出る方が一旦停止する義務があると私は心得て、それを日々子どもにも実践させているのだが…
そこで再び警察官が説諭して曰く「先程この場で交通事故が発生して、貴方の娘さんと同じ位の年齢の女の子が救急車で運ばれました。云々…」
それを聞いて仰天する母親曰く、「えっ!、ここで交通事故があったのですか!? それはどんな子ですか?」 どういう訳かやわら携帯電話を取り出して実況見分中の道路上で通話を始める母親…。 その子どもに対して再び「この道に出る時には必ず一旦停止しようね」と説諭するのが精一杯の警察官…。
(一体どうなってるの、この国の道路交通法に関する国民への教育は??)
今回私が自宅前で経験した上記の交通事故のその後の成り行きは心得ていない。
翌日新聞の地方欄で確認したところこの事故に関する掲載が一切ないことから推測するに、おそらく事故にあった少女の命には別状なく済んだようで一安心の私である。
都会に於ける自転車の横行振りには、普段より閉口している原左都子でもある。
子どもを自転車に乗せる場合その教育は親が成すのが当然であるにもかかわらず、その親自体が道路交通法をわきまえていない現実を見せ付けられる日常だ。
都会の道路事情とは厳しいものがある。 歩道がある道はまだしも救われるのだが、その歩道とて人一人歩く幅がやっと確保されているのが都会の道路の実情なのだ。 その歩道を我が物顔に「そこどけ!」とばかりチャリチャリ鳴らしながら自転車に高スピードで横を通り過ぎられては、日々心臓が止まる思いである。
今回の事故のような事例の場合、一つの解決策として道路に「一旦停止線」を引くのが手っ取り早いのかもしれない。 狭い道から広い道に出る場合、自転車とて必ず一旦停止する義務があるということを国民皆に知らしめる手段としてこれは効果があるのではないかと考察する。
そして親がそれを子どもに教育不能と成り下がったこの国においては、学校こそがそれを本気で教育してはどうなのか。
それしきの事は多大な予算を計上せずして今すぐ実行可能なのではあるまいか?
小さい子どもの交通事故とは、全面的に保護者及び大人の責任であろう。
我が国において国や自治体が親世代の真の教育を怠ってきているが故に、親が我が子に対して命にかかわる交通安全とて教育できていない現状を、今回の事故で垣間見せられた思いの原左都子である。