原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

いっそ今から学歴をゲットすれば?

2011年06月30日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」に於いて、久しぶりに朝日新聞“悩みのるつぼ”から題材を得て今回の記事を綴る事にしよう。

 6月25日の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、40代女性による「周囲が私の学歴を気にしてます」だった。
 原左都子がこの相談を読んだ直後の感想及び結論とは、(学歴を気にしているのは周囲の人々ではなく、あなた本人だよ。 40過ぎて尚自分の学歴がそれ程気になるのなら、いっそ今からあなたのお好みの学歴をゲットしても全然遅くないよ。)である。

 それはともかく、相談内容を要約して以下に紹介しよう。
 40代の女性だが、約20年前に高校を卒業し銀行に就職して10年以上窓口で働いた。 ある時知り合いから紹介された大学助教授の男性に「お付き合いをして欲しい」と言われ何回か食事をしたが、相手と学歴の話になり私が高卒だと知るとその後音信不通になった。 その後も銀行の同僚から高卒なのによくうちの銀行に就職できたわねと言われ、劣等感を持ち人間不信になった。 悔しかったので英語を勉強して海外の大学に留学し卒業した。 帰国後は派遣会社に登録し通訳として働いている。 派遣先の一部上場企業で社員の女性に昼食に誘われるが、必ず私の学歴を含む経歴に探りを入れるので嫌でたまらない。 その結果他人と話すのも嫌になった。 せっかく頑張って留学して劣等感を克服したつもりなのに、これから一生いじいじと人を避けて働くのかと思うとうんざりだ。 どうしたらこの劣等感から解放されるのか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談より要約引用)


 原左都子の結論は既に上記に述べているが、引き続き相談内容を詳細に分析していくことにしよう。

 相談内容を読んだ範囲内で分析するに、確かにご本人がおっしゃる通りこの相談女性は大いなる“劣等感”を抱えているようだ。 それは“劣等感”と表現するよりもはや“被害妄想”の域に到達しているとも捉えられる。

 まずは相談の冒頭に、「大学助教授」の男性から“お付き合いをして欲しい”なるオファーがあり何回か食事をしたとの文面がある。 相談女性としては自分が高卒だから相手から音信不通になったとのことなのだが、これに関しては今回の回答者であられる経済学者の金子勝氏も「音信不通になった理由を相手に確かめたのですか? それはあなたの思い込みではないですか?」との回答をしておられる。 原左都子もまったく同感である。
 それよりも何よりも、この相談において相談女性こそが相手男性の肩書にこだわっているらしき点がまずは気にかかる。  「大学助教授」ねえ~。 私自身の過去の職業・学業環境としてその手の肩書を持つ人種は周辺に少なからず存在したが、自分が付き合う相手を判断する場合肩書などあくまでも付随事項のはずだよ。 要するにこの女性こそが、相手男性の人物像に優先して学歴や肩書を第一義としている様子がこの文言から見て取れてしまうのだ。

 そしてもっと気になるのは、相談女性の海外留学の実態、及びこの女性の通訳能力に関してである。
 海外留学と一言で言っても様々な形態がある。 もしもこの女性が海外の大学に正規入学して専門の学問に励み卒業しているならば、今になってこのような相談をする必要もなかったのではあるまいか?
 この原左都子とて、今から40年近く前にわずか1ヶ月足らずであるが米国州立大学へ“エクステンション留学”した経験がある。 英語の道で就業を志した訳ではない私にとってはそんな些細な事を履歴書に記載しようとも思っていないし、単なる若き日の一つの思い出の位置付けでしかない。  相談女性の“留学歴”も要するにこの程度の短期英会話習得目的ではなかったのか? そうだとすれば、それは到底留学などとは言えないよ。
 大変失礼ではあるが、加えて相談女性の通訳力の程が職場で疑問視されているのではなかろうか?、との懸念すら抱いてしまう私である。 派遣先で正社員女性から昼食時に経歴を尋ねられるのは、最悪の場合、派遣社員としての相談女性の働きが芳しくないのを正社員の立場で何気なく監視した発言であるのかもしれないのだ。  その実態に関してはこの相談内容からは不明であるが、もしもこの女性が派遣社員としてバリバリの通訳力を発揮しているならば、個人情報保護法が施行した現状において、一部上場企業内で、たかが一派遣社員の過去の経歴に正社員の立場から探りを入れるようなことはあり得ない話である。 
 
 さらに、この相談女性はせっかく高卒で就職をゲットし10年以上も成し遂げてきた銀行窓口業務を何故に放棄してしまったのか。
 これに関しても同僚から“高卒なのに”と言われ劣等感を持ったから辞めたということのようだが真実はどうなのだろう??  そこを頑張り抜いて、銀行員正社員としての道を歩み抜くとの人生の選択肢もあっただろうに…


 いやいや、30歳にして医学関係の仕事を一旦休止し再び学業の道に邁進する等の紆余曲折した人生を歩んでいる原左都子とて、この相談者の気持ちが分からなくはない。
 ただ私の場合その行動のエネルギー源が“劣等感”にあった訳ではないという点において、相談女性とは大いに異なるのだ。
 
 それに加え、せっかく今まで積み上げたキャリアを一旦休止して新たな分野の学問領域に入ろうとする場合、その選択肢の矛先こそが重要であろう。
 その選択肢を海外留学に求めたとの相談女性であるが、結果としてその留学経験が自らの劣等感の払拭には繋がらなかった様子である。 これは実に辛い。 そのまま留学先の国で生き延びる程の英語力を成就できたならばよかったのに、何故かこの就職難の日本に帰国して派遣社員の身分でその能力を現在疑われるレベルの方向転換は、実にまずかった…。


 それでは最後に、この相談女性は今後如何なる行動を取ればよいのであろうかについて原左都子なりに考察してみることにしよう。

 どうやらこの相談女性は、独身であられると推測する。
 40歳を過ぎて尚“学歴”や“肩書”に翻弄されていると察するこの女性の結婚は、この後も困難を極めることであろう。

 この相談女性の劣等感の場合、“学歴”こそがその根源であると私は分析するため、その克服を目的として今後重点目標を掲げてはどうであろうか? そうしないと、どうもこの女性は一生に渡って歪んだ劣等感を引きずり続け、つまらない人生を送りそうである。
 そのためには中途半端に海外になど行っても無駄だよ。 その手の輩はこの国にごまんと存在する。

 そうではなく、今後日本で生きていこうとするのなら日本の大学に再入学してみてはどうなのか?  ただしこれにも条件がある。 少子化が進んだ今の日本の大学事情とは、巷の大学では社会人入試制度(2部に多い)が乱立し、ほぼ無試験状態で誰でもいいから社会人を入学させてその学費収入に頼っている現状だ。 そんな大学にまかり間違っても“劣等感”払拭目的の社会人が迷い込んではならない。
 必ずや入試に関して高いハードルを越えねばならない大学を目指して地道に受験勉強に励み、その合格を自力でゲットし、そして入学後は4年間に渡り自らが選択した専門分野の学問を立派に成し遂げられたならば、この相談女性の“劣等感”はその時点でやっと払拭できるのではないかと私は思うのだ。
 人間とは自らが地道に努力を重ね実力を身に付けてこそ自信に満ち溢れることができる事に身をもって気付けば、その時初めて“学歴”や“肩書”が付随的なものと真に理解できるであろう。

 ただし今の時代その努力が就業に繋がらない事も視野に入れておく必要があるし、その後の人生こそが長いことに思いを馳せるべきなのは、私が言うまでもないよ。
                      
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