原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「父親の会」にもの申す!

2011年06月18日 | 教育・学校
 父の日を目前にして、世のお父様方に“苦言を呈そう”との趣旨の今回の記事である。


 おそらく全国の学校のPTAにおいて「父親の会」なる“分科会”組織が存在することを、子どもを持つご家庭ではご存知のことであろう。

 私がこの「父親の会」なる組織を知ったのは、我が子が小学校に入学して以降のことである。
 我が子が入学した小学校は公立だったのだが、PTAと銘打つ組織は元々なく「父母と先生の会」と称する学校と保護者の結びつきがより濃厚な会がその代替組織として君臨していた。 当初「父親の会」なる分科会は存在しなかったのだが、我が子が3年生になった時に父母会男性役員よりその設立が提案された。
 その設立趣旨書によれば、普段仕事に忙しい父親にも「父母と先生の会」への積極的な参加を呼びかけたい旨、そして、父親の専門性を学校教育に活かすべく父親対象に“人材バンク”を設立したい旨、等が挙げられていた。
 これを一見してその“前時代的男女差別思想”に怒り心頭の原左都子は、早速「意見書」提出という手段により提案者に噛み付く行動に出たものだ。

 今から9年前の2002年に提出した我が文責の「父親部会設立に関する質問及び意見書」と題する反論文書のコピーを保存してあったので、以下に要約して紹介することにしよう。
 今回「父親部会」を設立されたいとの件、まず疑問に思うのは現在存在する「父母と先生の会」は「母親部会」だったのだろうか? そう言えば、学校の草抜き、朝の登校安全見守り当番、放課後のパトロール当番等々にこの私も仕事(当時の原左都子は医学関係の仕事に従事していたのだが)で多忙な中時間を割いて参加したものである。 上記のごとく学校の僕(しもべ)として雑用に借り出されてやって来るのはそのほとんどが母親であり、確かに父親の姿を見ることは稀だった。 今まで母親に任せきりだったそのような学校の雑用に今後は父親にも参加を促すとの趣旨には大いに賛同するどころか、時既に遅しと言ったところであろう。 ただ今回あえて意見書を提出したのは、父親と母親を何故執拗に区別する必要があるのかという点において疑問を抱かざるを得ないからである。 父親は仕事に忙しいとおっしゃるが、今時仕事に忙しい母親も珍しくもないであろう。 何も「父親部会」など設立せずとて、普段の活動に父親を参加させるべく誘導すれば済む話ではなかろうか?
 人材バンク設立に関しては私も大いに賛同する。 ただこれに関しても、何故父親限定なのかが到底理解し難い。 社会では失業率が高まりワークシェアリングが叫ばれ、学校現場では新教育課程(当時の“ゆとり教育”のこと)が導入され週5日制となった今、学校の教員の力量が今まで以上に要求される時代である。 保護者と教員の接点が人材バンク設立により埋められるならば、それは妙案ということであろう。  ただ、これに関しても何故“父親限定”なのか? もっと視野を広げ生徒の保護者全体に対象を拡大した方が、より有能な人材が確保できるというものではないのか。

 上記のごとく9年前にしたためた我が意見書に対し、実は「父親部会」提案者のS氏と名乗る男性より素晴らしい回答書が届いたのである。
 このS氏はその年「父母と先生の会」の会長となられたのだが、その“素晴らしい”回答の一部を以下に紹介しよう。 
 現在の「父母と先生の会」の現実は原様がおっしゃる通りお母様への依存度が高く、その現状を打破したい思いで父親参加の形を作りたかったのが今回の提案の趣旨である。 過去の日本では父親は外で仕事、母親は家庭を守るという概念が生きていた。残念ながら現在でもまだそのような考え方をしている人を見かける。 しかし子育てとは両親の責任であり、2人で行うものであることを父親にも訴えたかった。 人材バンクの件も、当然ながら父母を分ける必要はまったくない。……
 (我が家はまもなくこの小学校を転校する事と相成ったため、残念ながらその後の父母会の活動の程は知らない私である…。)


 その後年月が経過し我が子が私立中高に進学して以降、毎年「父親の会」に関するお知らせが届くのである。
 これに関しても子どもが中学に入学した初年度に私は上記同様趣旨の反論意見を文書にて提出したのだが、学校からの反応は“なしのつぶて”である…
 う~~ん。 私立とは特色があるのが特徴だから、これ以上保護者の立場で食ってかかっても我が子の学校での立場を悪くするのみか??? との苦渋の選択を強いられている私の元に、今年もつい先だってまたもや発信者学校長名で「父親の会」開催のお知らせが届いたのである。
 これがどうしても原左都子にとっては我慢ならない!

 その中の一文を端折って、以下に紹介しよう。
 「例年のことですが、お母様とは別にお父様の立場からも学校教育や運営に関して忌憚のないご意見をいただきたく思います。これまで実施した「父親の会」に於きましてもお父様の立場から率直なお話を伺う事ができうれしく思っております。 尚、全体会終了後寛いだ場でお話を伺えるよう懇親会も予定しております。

 いや~~~、この期に及んでその私学の思いが分かる気もする原左都子だよ。
 結局、私立とは自分の学校が生き延びられるべく“縁故”を探し彷徨っているということじゃないのかな~。 そして、その“縁故”に関して母親では役に立たんから父親との会合を持とう、との学校の発想ではないのだろうか??

 特に私学の場合、学校のPTA活動と言ったって結局は目立ちたがり家の保護者や、親が学校に奉仕することで娘の大学推薦ゲット等にせめてもの望みを掛ける保護者(その大多数が“母親”という現実!)が役員になりたがるのは世の常であろう。
 そうした場合、学校側とすれば、そのような母親の働きはそれはそれで利用するとして、“父親”の名声こそが私学発展のために有効利用できるとの発想になるのかもしれない。

 ただどうなのだろう。
 今の時代、(大震災を語らずとて)日本の政治経済力が急激な勢いで低下してきている。
 確かにこの国には「父親力」を頼る時代があったことは事実であろうが、時代は大きく変遷し、就職難の今に至っては就職難にあえぐ父親が量産されている現実だ。
 
 我が子が通う私学は今尚そのバブル“父親力”を頼っている様子で、どうも父親の職業が世に名立たる職種(例えば医師、弁護士等々…)である場合その娘を厚遇している様子を薄々感じている。
 ただ今の時代、例えば医者とて弁護士とてその経営力や生き様如何では惨めに潰れ去る運命にあるというのがこの世の現実ではなかろうか?
 (こんな事を今さら学校に公言しようとは一切思っていないが)、我が娘の父親(要するに我が亭主)も物理学研究者として一応世界に名立たる研究論文を発表しているのだが、その事実を学校に伝えると娘に対する態度が豹変するのだろうかねえ~~??? 
 どういう訳か、この国は個人の実績よりもその「肩書」に頼りたい慣習が今尚抜け去らないようだ。

 そんなくだらない世間の名声にはまるで無頓着で「父親の会」なる組織にもさらさら興味がない半面、我が子の教育を私に全面的に頼ってくれている我が亭主に日々感謝という話で、今回の記事を締めくくって恐縮なのだが…。
 

 世の父親達よ、学校が主催する「父親の会」などと称する会合に出席して教員と酒を酌み交わすよりも、子どもを授かった以上は家庭の実情に応じて子どもの将来に実質的恩恵を伝達するべく頑張れよ!!
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