原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

50歳で子どもを産むということ

2010年09月18日 | 時事論評
 不妊症関連の記事をこの「原左都子エッセイ集」において過去に何度か取り上げてきているが、既述の通り、不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、元々私は基本的には肯定的に捉えていない立場である。

 
 自民党の衆院議員である野田聖子氏が、他人の卵子で体外受精し現在妊娠中とのことである。 順調にいけば50歳にしての出産と相成る訳だ。

 皆さんも既にご存知の通り、野田氏は40代に入った頃より不妊治療に励んでいたことを自著本で自ら暴露している。 それによると、同僚である国会議員と事実婚した後8度の体外受精により妊娠したものの流産し、06年に結婚生活を解消している。
 その後パートナーを変えた後も、幾度にも及ぶ体外受精の経験にもかかわらず妊娠には至らない様子である。
 そして07年に再び著書を出版し、「私の卵子に問題があって子どもが出来ないのであれば、パートナーのDNAをつなぐというために(他者から)卵子の提供を受けることだって今は可能です。どんな可能性も今は消したくないと思っています」と綴っているらしい…
 しかも今回、他者の卵子の提供により体外受精で妊娠したことを国会議員の立場で以下のごとく公開しているのだ。 「『超』も『超』の高齢出産となります。この『おばさん妊婦』を、出産まで温かく見守っていただければ幸いです。何があっても『それでも私は産みたい』のです」…… 

 う~~ん、   子どもを設けることなど至って私的な事象であると捉えている原左都子にとっては、国民の税金等による歳費特権を収入源としている国会議員の立場の野田氏のこの発言は如何なものかと、首をかしげてしまうばかりである。
 それ以前の問題として、「あなたは現役の国会議員であるはずなのに10年前から子どもを産むことで頭が一杯のようだけど、それで国会議員としての使命が果せてるの?? 議員を辞めて子ども作りに励むならば、一国民の私としても“勝手にすれば”で済むのだけれど…」と言いたくもなるでしょ、皆さん??

 「週刊新潮」の男性編集長は今回の野田氏の体外受精による妊娠を受けた論評として、以下のような記述をしているそうだ。
 「ひとりの国会議員の高齢出産というニュースではなく、法整備が遅れている体外受精や卵子提供、代理母出産の問題に(今回の野田氏の勇断は)一石を投じるものだと思う」  …… ???

 野田氏の“超高齢妊娠”を受けて、マスメディアでは様々な超高齢出産の現状が報道されているようである。  その一例を挙げると、海外における59歳での自然分娩!  あるいは60歳を過ぎてからの体外受精妊娠後の分娩による出産、……  日本において法制化されていない現状をすり抜け、海外で体外受精に至る“資産力のある”超高齢日本人女性が少なからず存在する模様である。


 私論に入ろう。

 原左都子自身も高齢出産にして一児を授かっているが、私が子どもを産んだ頃と比較して現在は壮絶とも言えるほどの勢いで出産の高齢化に拍車がかかっている現状である。
 
 バックナンバーで幾度も公開しているが、私の場合はそもそも何がなんでも子どもを設けたいという意思は皆無だった。 にもかかわらず高齢にして自然に授かった我が子の出産後“お抱え家庭教師”として育児に全精力を傾けつつ、今となっては理想的に育ってくれている娘と共に歩む現在の生活を心より幸せに思う私である。 それでも今尚子どもは一人で十分であるという率直な思いも、既にこのブログで公開済みである。


 さてここで、国会議員である野田聖子氏を筆頭として、日本の“リッチ族”が海外で他人の卵子を提供してもらってまでも体外受精して産もうとしている「子ども達の未来」に思いを馳せることにしよう。

 「高齢出産」ならぬ「“超高齢出産”」で生を受ける子ども達…
 おそらく野田議員をはじめ、(膨大な費用がかかる)体外受精児とはそもそも“リッチ層”の家庭に生まれてくるであろうため、(大変、大変失礼な言及ながら…)万が一、可愛い我が子が何らかの不具合を持って産まれてきたとしてもそれを受け入れる経済力は家庭内におありなのであろう。
 それを覚悟の上でも欲しかった我が子であるならば、産んだ親として心より愛情を注ぎ責任をもって末永く子と共に歩んで欲しいものである。産みたいという今の“執念”を、産んだ後の育児にこそ発揮することを“超高齢出産”を志す親に期待したい思いである。
 高齢女性が体外受精をしてまでも授かりたく欲する生命に対して、私が何故にこのような失礼かつマイナーな記述をあえてするのかと言うと、特に“『超』高齢出産”とは最近生じた事象であるためである。 未だ超高齢出産により成人に至った子ども達の実例がない(少なくとも私は見聞したことがない)というのが、正直言って“末恐ろしくも”医学的背景の現実なのではなかろうか?? 


 話を冒頭に戻して、現職国会議員の野田聖子氏の場合、50歳にして晴れて待望の赤ちゃん誕生後も、ご自身が子育てをせずとていくらでもベビーシッターも養育係も雇える財力がおありなのであろう。
 ただ、子どもが育つには母親の存在は不可欠である。
 世襲国会議員であられる野田氏が、如何なる理由で長年子どもを産む事にこだわっておられるのかに関しては庶民の私の知るところではない。 それでも野田氏に是非共お願いしたいのは、他人からの卵子提供で産んだあなたのDNAを一切受け継いでいない子どもに対し、産んだ以上はあなた自らが母たる責任を一生貫いて愛情を持って育てて欲しいということだ! (あなたは今現在の恋愛相手男性のDNAを後世に残したいと思っているらしいが、事実婚を繰り返すあなたのお相手の男性がそれをどの程度の重さで捉えているのだろうかねえ??

 権力や金力がある一女性が何としてでも子どもを産みたいという“身勝手”な希望や意思よりも、生まれてくる子供の将来に渡る「人権」の方がはるかに尊いのは自明の理であるぞ!!
                  
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“おひとりさま”の理想的住まいとは?

2010年09月16日 | その他オピニオン
 片田舎で一人暮らしの80歳に程近い我が母が、今回家屋の大規模な修繕をするのだと言う。
 高齢にして買い物や病院通い等日常の所用を自らのマニュアル車の運転でこなし、携帯でメールも出来る母が言うには、「まだしばらくはこの家で一人で生きていけそうだから、この際思い切って家の修繕をしておこうと思う。これが最後の修繕になるとは思うがね…」

 私が応えて曰く、「それは元気な証拠でいい考えだと思うよ。ただ、元クレージーキャッツの谷啓氏も自宅の階段で転び顔面をぶちつけ78歳にして脳挫傷で亡くなったとのことだし、家の修繕が終わった後もくれぐれも階段で転ばないように気をつけてね。」


 折りしも朝日新聞9月10日朝刊のリレーオピニオン欄に、東京大学大学院教授の上野千鶴子氏による「シングル女性こそ(マンション)購入を」との記事があった。
 この記事の中で上野氏が上記の記載と似た趣旨の記述をされている。 64歳のシングルであられる上野氏は現在3階建ての一戸建て住居にお住まいのようだが、「メンテナンスは面倒臭いし、階段はつらいし……」云々とのことで、この記事においてシングル高齢者女性にマンション住まいを勧めておられる。

 この記事を読んだ原左都子にとって別の視点で興味深かったのは、長い期間独身を貫いた私と、若い頃より学者として名を売られ今尚独身を貫いておられる上野氏が、初めてマンションを購入した年齢が一致することである。 上野氏の場合は、「大学に職を得て定期収入が得られるようになった」ため30歳を過ぎた頃にマンションを購入されたとのことである。 片や原左都子の場合は、30歳にして定職を捨て再び学問を志すにあたり、月々の家賃出費負担を軽減したいがためにそれまでに貯えた金融資産を投じてマンションを購入したとの違いはあるものの…。

 しかも尚興味深いのが、上野氏はその後何度も住まいである物件を買い替えておられる点だ。 これに関しても原左都子と大いに共通項がある。 その後晩婚に至った私は、30歳独身時に購入し単独でローン全額を完済した上記マンションを今尚所有する一方、夫婦共有名義で3度に渡るマンション物件買替えを経験している。

 
 上野氏はこの記事において、シングル高齢者に対し一戸建て住まいよりもマンションの利便性を強調しておられる。 それは上野氏ご自身が現在お住まいの3階建て住居に上記のごとくの不便さを感じておられるからである。
 ウン十年前に上京以降マンション住まいを志向しつつ今に至るまでそれを貫いている私であるが、何故にそうであるかと言うと、第一マンションの方が一戸建て住居よりも購入価格においてリーズナブルであるためだ。 そして上野氏も書かれているごとくメンテナンスが容易である魅力も捨て難い。 日々の清掃やゴミ処理、物件点検管理等の面倒臭い作業は管理費を支払っておけば管理会社がすべて代行してくれる。 物件の修繕積立金の月々の負担は大きいが、住人はその積立金額の整合性を管理組合を通して目を光らせていさえすれば、これまた管理会社が大規模修繕とて定期的に計画実行してくれる。
 これは確かに、高齢者ならずとも若い世代の住民にとってもありがたいものである。


 今回の朝日新聞記事で上野氏が対象としているシングル女性の年齢とはどの辺りなのだろうか?
 それが多少分かりにくいため、ここで原左都子なりに年齢を区切ってマンション購入を考察してみることにしよう。

 まずは私も上野氏もマンションを初めて購入した30代の若き世代であるが、現在におけるこの世代のリッチ層女性は既にマンション購入を大いに実行していることであろう。 上野氏曰く、「昔と違って今はマンションを買う女性が増えている。その理由の一つは経済力のある女性が増えたこと。次に、人生を“結婚までの待機の時間”と捉える女性が減り、買ったら周りが“結婚しない人”と思い込んで声をかけてくれなくなるジンクスもなくなった…」
 おそらく既に、上野氏より多少若年層である私が30歳の頃には、「マンションを購入したから結婚の意思がない女性だ」などと考えて敬遠する男性は皆無だったような…  むしろ女性側の私の方が、私所有のマンションにまんまと転がり込むこと目当てに結婚を申し込もうとする男性など門前払いだったものだ。

 上野氏も記述されているが、職業を持たず経済力のない女性が(遺産でも転がり込んで全額を現金で購入できる以外に)、ローンを組んでマンションを購入することは不可能に近いであろう。それは年齢を重ねる程に切実となることも予想される。
 結局今の時代、定職を持たない女性はその年代にかかわらず例え一戸建てに比して安価なマンションであろうと、その購入は不可能ということなのではなかろうか。

 上野氏が提唱される「シングル女性こそマンション購入を」の実態を考察した場合、それを実現できるのは職に恵まれている若き世代か、あるいは上野氏のごとく熟年にして尚著名人等として活躍され将来の収入が保障さている方々か、はたまた遺産相続等でまとまった財産を受け継いだ層に限られるのではあるまいか。


 それにしても確かに上野氏がおっしゃる通り、マンションとは日頃の維持管理も大規模メンテナンスもすべて月々の管理費や積立金により賄われるが故に、暮らし易いことを実感である。(しかも都会では、あえて必要もない下手な近所付き合いの煩わしさも皆無だしね~) 
 きっとこの原左都子も老いて“おひとりさま”となって以降も、一生マンション暮らしを続けることだろう。
       
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「ゲゲゲの女房」が高視聴率を続ける訳

2010年09月14日 | その他オピニオン
 ここ数年のNHK朝の連続テレビ小説としては珍しくも高視聴率を維持し続けているのが、残すところ2週間で放送が終了する「ゲゲゲの女房」である。


 放送終盤を迎えている近頃では、既に成功を収め熟年期に達している漫画家水木しげる氏の活躍から焦点をずらし、親の老いと死や子どもの親離れを取り上げる等、周囲の人物を中心とした物語展開に移行して今までの迫力を欠いてしまっているのが、私個人的には惜しい気がする。

 このドラマは何と言っても極貧にあえぎつつも成功を勝ち取る過程の、漫画家夫婦の地味でかつ壮絶な日常生活がリアルに描かれていたところが最大の魅力だったのではないかと私は捉えている。


 ここでドラマ終盤にして現在展開しているストーリーを“ちょっこし”だけ紹介しよう。
 売れっ子漫画家水木しげるの娘であるが故に級友にからかわれたり利用されたりすることに小学生時代から心を痛め“学校嫌い”だった主人公の長女藍子が、学校が嫌いだから故に教員を目指す!との設定は、原左都子個人的には大変興味深い。 なぜならばこの私も生粋の“学校嫌い”であるから故に、教員時代は生徒である子ども達の目線で共感でき充実していたと実感しているからだ。
 (話が飛ぶが、どこかの愛子ちゃんも、身分や立場をわきまえない周囲からの馬鹿げた“税金泥棒”云々のバッシングにめげないで力強く自らの生きる道を全うして欲しい思いである。 国民の象徴の家系に生まれざるを得なかった愛子ちゃんが小学校でのいじめや社会からの誹謗中傷にあえぎ報道陣の前で表情を曇らせる姿が、我が娘の小さい頃に瓜二つの思いがある原左都子はいつも愛子ちゃんとお母様の味方だよ。)
           

 大河ドラマと並んでNHKの看板ドラマであるにもかかわらず、ここのところ視聴率低迷を彷徨っていた“朝ドラ”が、今回の「ゲゲゲ…」で吹き返した現象に関するメディア上の論評を幾つか見聞した。

 その一つは、このドラマの物語が今の我が国の国民同様に“貧困”にあえいでいる姿を描いているからだという論評である。
 これにはまったく同感である。 そして上記の通りその“貧困”の描き方が至ってリアルだったことが視聴率を押し上げたものと推測する。 今までのドラマの手法によると、ヒロイン(ヒーロー)に貧困期はあるものの、いつの間にか大した努力もないままに突然“成功”を勝ち取っていたりするのだ。 観ている側とすればあれは嘘臭く、演出者の薄っぺらな感性に興醒めするばかりである。  要するに「ゲゲゲ…」の場合、“貧困”を通り一遍ではなく“丹念”に描いたところが国民の共感を呼んだということではなかろうか。

 一番多い論評が、水木しげる氏を演じた俳優 向井理氏 の存在感であるようだ。
 確かに、向井理氏の容姿は“朝ドラ”ファンである熟年女性?を引きつける一種コケティッシュな魅力を持っていることに私も同意する。 ところが原左都子が多少懸念するのは、この人気のフィーバーふりは、何だか“熟年女性の韓流男優への一過性の感染症”と同様であるに過ぎないのではないだろうかという点である。
 向井氏が自らの学位論文(?)で高い評価を受けた過去の“自伝”を私は承知しているが故に、氏が学問研究を極めるよりも、持ち前の容姿を利用して簡単に成功を勝ち取れる俳優稼業の道に“逃げた”との思いが否めないでいる原左都子なのだ。 私も過去において学者を目指した端くれだからこその考察なのだが……
 生涯研究者として生き抜くより、一時役者としてフィーバーする方が簡単に世に名を売れるし、とりあえず金儲けできそうだものねえ~。 だたその後の人生の安泰という意味で未だ28歳の貴方の今回の選択はどうなのだろうね、向井さん?? そういう意味で意地悪くも貴方の今後の役者としての生命力に興味がある私でもあるよ。

 それから、今回の「ゲゲゲ…」は朝ドラ何十年かの歴史上初めて「専業主婦」を取り上げたことが視聴者の共感を呼んだのだ、という論評も目にした。
 これに関して、私は疑問符を投げかけざるを得ない。
 確かに私が記憶している“朝ドラ”は、今までずっと何らかの職業に就くべく努力する若い女性像を描いたものだった。 ところが上記のごとくその描き方や演出が手薄であるせいか、何処の女性も成功を勝ち取った割には軽薄短小な存在でしかなく視聴者に訴える力があったとは言い難い。 (その中で私の記憶では、2、3年前に双子姉妹マナカナのカナ氏が演じた“芸者雪花”の濃厚さは強い印象があった。)
 今回の「ゲゲゲ…」における主人公であるゲゲゲの女房を演じている松下奈緒氏の存在は貴重であろう。 専業主婦という目立たない存在である役柄を、ご自身なりに解釈、消化されて最初から最後までつつましやかに律儀に演じ抜いているのだ。 女優松下氏がドラマを通して一貫して売れっ子漫画家の“しがない専業主婦”に徹底した一歩引いた演技力こそが、今回の高視聴率の賜物であると私は実感しているのだ。
 松下氏は女優でありピアニストであり、身長174cmの長身を活かしたモデルであり、そして司会者としても卒なく活躍している才女であられるようだ。 元々多才である松下氏がこのドラマの主役に起用され、与えられた役柄を冷静に解釈して控え目に演じ切ったからこそ成し得た高視聴率ではなかったのだろうかと、私は結論付けるのである。

 
 最後に話が変わるが、今私がパソコンに向かう後ろでNHKテレビが民主党党首選の結果を伝えている。 よもや、政治と金問題を背負っている灰色小沢氏が首相になることのみはないと信じていた私は一応安堵しているのだが…

 それにしても先々お寒い政界の様子と比して、NHKの“朝ドラ”の久々のクリーンヒット!を一応評価しよう。   (やっぱり、主役である女優の真の能力で今後共勝負するべきだよ、NHKは。)
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ついにペイオフが発動された!

2010年09月11日 | 時事論評
 「ペイオフって、ほんとに発動されるものだったの!?!」  と、一瞬狼狽した原左都子である。

 昨日(9月10日)日本振興銀行が金融庁に経営破綻を申し出て、これを受けて破綻処理手続きに入った金融庁が、初めてペイオフを発動したとのニュースを見聞した直後に抱いた私の感想である。


 (以下の記述は、朝日新聞9月10日夕刊記事を大いに参照させていただくことをあらかじめ断っておく。)

 皆様も既にご存知ではあろうが、念のためにここで「ペイオフ」について簡単に説明しておこう。
 ペイオフとは、銀行が破綻した時、預金者一人につき預金の元本1,000万円とその利息分までを保護する制度である。 利息が付かない当座預金等の資金決済用の預金は全額保護される。 1971年に導入された制度であるが95年に適用が凍結され、05年に全面解禁されたが、現在まで一度も適用が発動されていなかった。
 預金保険機構が複数の口座を持つ人の預金合計がいくらになるかを割り出す「名寄せ」を進め、保護対象の預金額を確定した上で、元本1,000万円とその利息分の払い戻しを求める手続きに応じることになる。


 昨日の日本振興銀行の経営破綻に伴うペイオフ対象者は、全体の3%にあたる約3500人とのことである。 (ここでいきなり私論であるが、被害者が少人数で済んだことに安堵する一方、資金運営に関して安全策を最優先する原左都子として信じ難いのは、その他97%の預金者とは預金総額が1,000万円にも満たない“端金”をこのような至って“特殊”な金融機関に委ねていたということなのだろうか?? もちろんペイオフが発動されても他銀行を含めた1,000万円以下の少額預金者は保護される故に、救われるのではあるのだが…)


 今回の経営破綻で金融庁がペイオフ初発動に踏み切った背景には、上記の通り日本振興銀行の“特殊性”という事情があるようだ。
 この銀行は2004年に開業したとのことだが、当時旧政権であった自民党元総理小泉氏と竹中氏による金融改革の担い手として注目されていたらしい。 にもかかわらず開業後わずか6年間にして事業が苦戦を強いられ、経営陣による金融庁の検査妨害事件等を経て自力再建の道が絶たれてしまったとのことである。
 この銀行にはそもそも高めの金利で運用する定期預金しかなく、インターネットを通じて申し込むことを基本としていたそうである。公共料金の支払い等の決済機能も有していなかったらしい。 そのため破綻の影響が他金融機関へ波及することもない“特殊性”故に公的資金を注入して金融機関を救済する必要性がなかったとの理由で、今回金融庁がペイオフ発動に踏み切った訳である。 


 要するに、ペイオフが発動されて当然とも言える今回の銀行経営破綻という事態ではあるのだが…。

 それにしても、このようにわずか6年後に経営破綻する運命にある“特殊”な銀行の開業に期待したらしい、6年前に日本を我こそはと牛耳っていた元政権の小泉氏や竹中氏等当時国政を操っていたトップ閣僚の、先を見据えない金融センスの馬鹿さ加減に愕然とさせられる。
 しかもその後国政を引き継いだ自民党政権は、この銀行を如何に捉えていたのだろうか?
 そしてそして、昨年政権交代した民主党は世界的経済危機にあえぎつつ、この“特殊”な銀行の指導をどれ程出来得ていたのであろうか?

 挙句の果てには“ペイオフ初発動”。 金融庁のその選択肢はとりあえず正解であると原左都子は位置付けることにしてはみるものの…

 金融機関の経営破綻により、一般市民がなけなしの金を委ねた金融機関に、国の政策の誤りや金融機関の経営手腕の無さ故に経営破綻されたのでは市民はたまったものではない。
 それでも預金を委ねた金融機関に“公共性”があるのならば預金者は救われるという、ペイオフにおける“一種の関門の設定”は預金者としてはありがたくある。 ただ、これが“公的資金投入”によりなされる現状に不公平感が否めない思いでもある。


 冒頭で、私は今回のペイオフ発動に一瞬狼狽したと記述した。
 それも正直な思いだ。 もしもペイオフが今後現実社会で発動され続けるとしたならば、元々なけなしの資金を投資目的で運用しようなどとの発想がさらさらない私は、1,000万円を超過する現金は“タンス預金”に回すのが一番の安全策かと本気で考えてしまうのだ。(なぜならば特殊な日本振興銀行に限らず、この国の金融機関全般が破綻要因を大いに内在していると考察するからである。)

 私自身はそう目論みつつも、一方で特殊性のない一般銀行にはペイオフが今尚発動されず“公的資金”によって預金者が保護されている今現在の金融システムには、経済力と共に預貯金力が多様である全国民の整合性を考慮した場合、その不公平感故に納得がいかない思いの原左都子でもある。    
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ソウル旅行記 -北朝鮮問題・徴兵制問題編-

2010年09月07日 | 旅行・グルメ
 (写真は、仁川『インチョン』国際空港へ向かう高速道路から撮影した北朝鮮との国境付近。 写真中央遠方に見える山脈の向こうが北朝鮮。 撮影場所から車で1時間もあれば行ける距離だそうだ。 ちなみに北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件は、写真の西側の黄海で起きたとのことである。)


 今回のソウルツアーガイドであるキム氏の一番のお勧めオプショナルツアーは「板門店観光」とのことだった。

 板門店と言えば、韓国と北朝鮮の軍事境界線上にある停戦条約が締結された村である。 この地で朝鮮戦争の停戦条約に調印されたのは1953年の事であるが、北朝鮮と国連軍との間における「停戦」状態は今現在も続行していることについては皆さんご承知の通りだ。 すなわち北朝鮮と国連軍(及び韓国)との戦争は今尚終戦を迎えていない現状なのである。
 板門店はドイツのベルリンの壁と並んで世界の“冷戦の象徴”とされてきているが、ベルリンの壁の崩壊と共に世界のほとんどの国や地域で冷戦が終結した今日尚、この地は「板門店」という“冷戦の最前線”を抱えるという厳しい現実にあるのだ。

 この「板門店オプショナルツアー」に参加するには、種々の条件がある。 日本人の場合は比較的参加し易いのではあるが、それでも服装制限を満たさなければならない。例えば、短パン、ミニスカート、Tシャツは禁止。パスポートは必ず携帯。12歳未満はお断り、等々…。 しかも服装に“USA”や星条旗の絵柄があるものは厳禁だそうで、それを着用していた場合、販売店で洋服を買って着替えてからでないと板門店地域入所は許されないとのことである。
 後半の“米国がらみ”の規制に関しては話が分かり易いが、前半部分の服装制限の理由が多少理解しにくい。(北のあの独裁指導者様など、女性が身体を露にするのを好んでいらっしゃって、わざわざ「よろこび組」なるものを結成させ身近に侍らせているのではなかったのか??

 ここではガイドのキム氏の説明談を引用しよう。 この「板門店ツアー」には韓国側のみならず北朝鮮側からも参加者が結構多いそうである。 その北からの参加者が(塀越しに??)南側から訪れている観光客の姿恰好を写真撮影するそうだ。 短パン、ミニスカ、サンダル、あるいはファッションでわざと穴をあけたジーンズ等々、布地や素材が少ない衣装を「南が“貧しい”故にあのようなみすぼらしい恰好しか出来ないのだ」云々の解釈で、北のマスメディアがこぞって北の全国民に吹聴するから故とのことである。


 韓国における上記の北朝鮮問題に平行して存在するのが「徴兵制」問題である。

 既述の通り現在の韓国は“停戦状態”である。 言い換えると韓国は今尚“戦争中”なのだ。
 そこで韓国軍は今後尚国防力を維持し続ける必要性に迫られている。 国防力維持のための国家財政を最小限に留める最高の政策が「徴兵制」であるのだ。
 韓国軍は徴兵制と志願兵制を併用する国であるが、徴兵に応じることは若い韓国男性の義務とされている。 韓国の徴兵制は19歳から29歳までの全国民男性を対象として2年間の徴兵期間を課すらしい。それに当たっては18歳の男子への徴兵検査により徴兵されるか否かが判定されるとのことである。 そして、判定最下位級の身体異常者のみ徴兵を完全免除されるとの情報である。 あるいは五輪メダリストやサッカーワールドカップでベスト16に入った選手、はたまた学業が特に優秀な人材も徴兵を免除されるらしいが、有名人であるのみの理由では免除対象にはならないとのことである。
 
 ここで今回ガイドのキム氏より伺った興味深い話を紹介しよう。
 今、韓国で大ブレイクしている人気絶頂歌手のMCモン氏が、この徴兵逃れのためにあえて前歯を意図的に抜いて身体不具者になりすましたそうである。 これが“兵役忌避疑惑”に問われモン氏は韓国警察に取調べを受ける身となり、ファンを中心に韓国では大騒動となっている事態だそうだ。
 何とも悲しい話であり、徴兵制のない国に安穏と“平和ボケ”気味に生きている私は胸が痛む思いである。

 ガイドのキム氏は中1の息子さんともう一人の子どもさんをもつ勤労母であられるのだが、キム氏の思いが私の心にさらに響く。
 「私の夫は徴兵経験者であり韓国男児は徴兵制をもって“男”になれると強調するが、これから徴兵させねばならない息子を持つ母の私としては、韓国の徴兵制には断じて反対だ。ソウルの街で徴兵として奉公している若き男子を目にしては心が痛む。この現状だけは息子を持つ母としてどうしても廃止せねばならない思いである。」

 さらに、ガイドのキム氏のウィットに富んだ話が続く。
 「韓国政府がどうしても徴兵制度を続行したいのならば、対象年齢を変更するべきだ。 未来ある若き世代に徴兵制を強いるのではなく、現役を退いた65歳以上の男性にターゲットを当てるといい。その世代はおそらく働きが悪いから、徴兵期間を7、8年と長く設定することでお役目を果せるかもしれない。  日本の主婦の皆さん、退職後の亭主に家でゴロゴロされること程、鬱陶しいことはないですよね!」
 キム氏のおっしゃる通りであり、これは妙案であろう!! (いや~~、経済発展とはいずこの国にも一般家庭の奥方に“退職後の亭主という大いなるお荷物”を課すことを実感させられる思いである!)

 韓国政府は本気で現役引退後の男性活性化の意味で徴兵制を利用してもいいのではないかと、キム氏に賛同する原左都子であるぞ。


 今回の原左都子のソウル旅行記を締めくくる意味で、最後に朝日新聞9月2日朝刊オピニオンページの記事より多摩大学教授であられるキムミドク氏の論評を以下に紹介しよう。
 韓国が走り続けるのは北朝鮮との緊張関係にあるのに加えて、ロシア、中国、日本に囲まれ、米国ともうまくやりながら国を維持せねばならない難しさ、危機感があるからだ。 さらには植民地支配や朝鮮戦争後の貧困時代へのコンプレックスに対する反動もある。 とはいえ、経済的に成熟した日本が50歳代とすれば韓国はまだ30歳代の青年である。韓国の発展は今後当分続くとみてよいであろう。


 今尚戦争の再開を想定しつつ歴史的混乱ゆえの緊張感にも耐え、過去に虐げられた歴史のコンプレックスにもめげず大いなる経済発展を成し遂げ、さらなる成長を志す日本から一番近い韓国という隣国に、今回旅立てたことを心よりうれしく思う原左都子である。 
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