不妊症関連の記事をこの「原左都子エッセイ集」において過去に何度か取り上げてきているが、既述の通り、不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、元々私は基本的には肯定的に捉えていない立場である。
自民党の衆院議員である野田聖子氏が、他人の卵子で体外受精し現在妊娠中とのことである。 順調にいけば50歳にしての出産と相成る訳だ。
皆さんも既にご存知の通り、野田氏は40代に入った頃より不妊治療に励んでいたことを自著本で自ら暴露している。 それによると、同僚である国会議員と事実婚した後8度の体外受精により妊娠したものの流産し、06年に結婚生活を解消している。
その後パートナーを変えた後も、幾度にも及ぶ体外受精の経験にもかかわらず妊娠には至らない様子である。
そして07年に再び著書を出版し、「私の卵子に問題があって子どもが出来ないのであれば、パートナーのDNAをつなぐというために(他者から)卵子の提供を受けることだって今は可能です。どんな可能性も今は消したくないと思っています」と綴っているらしい…
しかも今回、他者の卵子の提供により体外受精で妊娠したことを国会議員の立場で以下のごとく公開しているのだ。 「『超』も『超』の高齢出産となります。この『おばさん妊婦』を、出産まで温かく見守っていただければ幸いです。何があっても『それでも私は産みたい』のです」……
う~~ん、 子どもを設けることなど至って私的な事象であると捉えている原左都子にとっては、国民の税金等による歳費特権を収入源としている国会議員の立場の野田氏のこの発言は如何なものかと、首をかしげてしまうばかりである。
それ以前の問題として、「あなたは現役の国会議員であるはずなのに10年前から子どもを産むことで頭が一杯のようだけど、それで国会議員としての使命が果せてるの?? 議員を辞めて子ども作りに励むならば、一国民の私としても“勝手にすれば”で済むのだけれど…」と言いたくもなるでしょ、皆さん??
「週刊新潮」の男性編集長は今回の野田氏の体外受精による妊娠を受けた論評として、以下のような記述をしているそうだ。
「ひとりの国会議員の高齢出産というニュースではなく、法整備が遅れている体外受精や卵子提供、代理母出産の問題に(今回の野田氏の勇断は)一石を投じるものだと思う」 …… ???
野田氏の“超高齢妊娠”を受けて、マスメディアでは様々な超高齢出産の現状が報道されているようである。 その一例を挙げると、海外における59歳での自然分娩! あるいは60歳を過ぎてからの体外受精妊娠後の分娩による出産、…… 日本において法制化されていない現状をすり抜け、海外で体外受精に至る“資産力のある”超高齢日本人女性が少なからず存在する模様である。
私論に入ろう。
原左都子自身も高齢出産にして一児を授かっているが、私が子どもを産んだ頃と比較して現在は壮絶とも言えるほどの勢いで出産の高齢化に拍車がかかっている現状である。
バックナンバーで幾度も公開しているが、私の場合はそもそも何がなんでも子どもを設けたいという意思は皆無だった。 にもかかわらず高齢にして自然に授かった我が子の出産後“お抱え家庭教師”として育児に全精力を傾けつつ、今となっては理想的に育ってくれている娘と共に歩む現在の生活を心より幸せに思う私である。 それでも今尚子どもは一人で十分であるという率直な思いも、既にこのブログで公開済みである。
さてここで、国会議員である野田聖子氏を筆頭として、日本の“リッチ族”が海外で他人の卵子を提供してもらってまでも体外受精して産もうとしている「子ども達の未来」に思いを馳せることにしよう。
「高齢出産」ならぬ「“超高齢出産”」で生を受ける子ども達…
おそらく野田議員をはじめ、(膨大な費用がかかる)体外受精児とはそもそも“リッチ層”の家庭に生まれてくるであろうため、(大変、大変失礼な言及ながら…)万が一、可愛い我が子が何らかの不具合を持って産まれてきたとしてもそれを受け入れる経済力は家庭内におありなのであろう。
それを覚悟の上でも欲しかった我が子であるならば、産んだ親として心より愛情を注ぎ責任をもって末永く子と共に歩んで欲しいものである。産みたいという今の“執念”を、産んだ後の育児にこそ発揮することを“超高齢出産”を志す親に期待したい思いである。
高齢女性が体外受精をしてまでも授かりたく欲する生命に対して、私が何故にこのような失礼かつマイナーな記述をあえてするのかと言うと、特に“『超』高齢出産”とは最近生じた事象であるためである。 未だ超高齢出産により成人に至った子ども達の実例がない(少なくとも私は見聞したことがない)というのが、正直言って“末恐ろしくも”医学的背景の現実なのではなかろうか??
話を冒頭に戻して、現職国会議員の野田聖子氏の場合、50歳にして晴れて待望の赤ちゃん誕生後も、ご自身が子育てをせずとていくらでもベビーシッターも養育係も雇える財力がおありなのであろう。
ただ、子どもが育つには母親の存在は不可欠である。
世襲国会議員であられる野田氏が、如何なる理由で長年子どもを産む事にこだわっておられるのかに関しては庶民の私の知るところではない。 それでも野田氏に是非共お願いしたいのは、他人からの卵子提供で産んだあなたのDNAを一切受け継いでいない子どもに対し、産んだ以上はあなた自らが母たる責任を一生貫いて愛情を持って育てて欲しいということだ! (あなたは今現在の恋愛相手男性のDNAを後世に残したいと思っているらしいが、事実婚を繰り返すあなたのお相手の男性がそれをどの程度の重さで捉えているのだろうかねえ??)
権力や金力がある一女性が何としてでも子どもを産みたいという“身勝手”な希望や意思よりも、生まれてくる子供の将来に渡る「人権」の方がはるかに尊いのは自明の理であるぞ!!
自民党の衆院議員である野田聖子氏が、他人の卵子で体外受精し現在妊娠中とのことである。 順調にいけば50歳にしての出産と相成る訳だ。
皆さんも既にご存知の通り、野田氏は40代に入った頃より不妊治療に励んでいたことを自著本で自ら暴露している。 それによると、同僚である国会議員と事実婚した後8度の体外受精により妊娠したものの流産し、06年に結婚生活を解消している。
その後パートナーを変えた後も、幾度にも及ぶ体外受精の経験にもかかわらず妊娠には至らない様子である。
そして07年に再び著書を出版し、「私の卵子に問題があって子どもが出来ないのであれば、パートナーのDNAをつなぐというために(他者から)卵子の提供を受けることだって今は可能です。どんな可能性も今は消したくないと思っています」と綴っているらしい…
しかも今回、他者の卵子の提供により体外受精で妊娠したことを国会議員の立場で以下のごとく公開しているのだ。 「『超』も『超』の高齢出産となります。この『おばさん妊婦』を、出産まで温かく見守っていただければ幸いです。何があっても『それでも私は産みたい』のです」……
う~~ん、 子どもを設けることなど至って私的な事象であると捉えている原左都子にとっては、国民の税金等による歳費特権を収入源としている国会議員の立場の野田氏のこの発言は如何なものかと、首をかしげてしまうばかりである。
それ以前の問題として、「あなたは現役の国会議員であるはずなのに10年前から子どもを産むことで頭が一杯のようだけど、それで国会議員としての使命が果せてるの?? 議員を辞めて子ども作りに励むならば、一国民の私としても“勝手にすれば”で済むのだけれど…」と言いたくもなるでしょ、皆さん??
「週刊新潮」の男性編集長は今回の野田氏の体外受精による妊娠を受けた論評として、以下のような記述をしているそうだ。
「ひとりの国会議員の高齢出産というニュースではなく、法整備が遅れている体外受精や卵子提供、代理母出産の問題に(今回の野田氏の勇断は)一石を投じるものだと思う」 …… ???
野田氏の“超高齢妊娠”を受けて、マスメディアでは様々な超高齢出産の現状が報道されているようである。 その一例を挙げると、海外における59歳での自然分娩! あるいは60歳を過ぎてからの体外受精妊娠後の分娩による出産、…… 日本において法制化されていない現状をすり抜け、海外で体外受精に至る“資産力のある”超高齢日本人女性が少なからず存在する模様である。
私論に入ろう。
原左都子自身も高齢出産にして一児を授かっているが、私が子どもを産んだ頃と比較して現在は壮絶とも言えるほどの勢いで出産の高齢化に拍車がかかっている現状である。
バックナンバーで幾度も公開しているが、私の場合はそもそも何がなんでも子どもを設けたいという意思は皆無だった。 にもかかわらず高齢にして自然に授かった我が子の出産後“お抱え家庭教師”として育児に全精力を傾けつつ、今となっては理想的に育ってくれている娘と共に歩む現在の生活を心より幸せに思う私である。 それでも今尚子どもは一人で十分であるという率直な思いも、既にこのブログで公開済みである。
さてここで、国会議員である野田聖子氏を筆頭として、日本の“リッチ族”が海外で他人の卵子を提供してもらってまでも体外受精して産もうとしている「子ども達の未来」に思いを馳せることにしよう。
「高齢出産」ならぬ「“超高齢出産”」で生を受ける子ども達…
おそらく野田議員をはじめ、(膨大な費用がかかる)体外受精児とはそもそも“リッチ層”の家庭に生まれてくるであろうため、(大変、大変失礼な言及ながら…)万が一、可愛い我が子が何らかの不具合を持って産まれてきたとしてもそれを受け入れる経済力は家庭内におありなのであろう。
それを覚悟の上でも欲しかった我が子であるならば、産んだ親として心より愛情を注ぎ責任をもって末永く子と共に歩んで欲しいものである。産みたいという今の“執念”を、産んだ後の育児にこそ発揮することを“超高齢出産”を志す親に期待したい思いである。
高齢女性が体外受精をしてまでも授かりたく欲する生命に対して、私が何故にこのような失礼かつマイナーな記述をあえてするのかと言うと、特に“『超』高齢出産”とは最近生じた事象であるためである。 未だ超高齢出産により成人に至った子ども達の実例がない(少なくとも私は見聞したことがない)というのが、正直言って“末恐ろしくも”医学的背景の現実なのではなかろうか??
話を冒頭に戻して、現職国会議員の野田聖子氏の場合、50歳にして晴れて待望の赤ちゃん誕生後も、ご自身が子育てをせずとていくらでもベビーシッターも養育係も雇える財力がおありなのであろう。
ただ、子どもが育つには母親の存在は不可欠である。
世襲国会議員であられる野田氏が、如何なる理由で長年子どもを産む事にこだわっておられるのかに関しては庶民の私の知るところではない。 それでも野田氏に是非共お願いしたいのは、他人からの卵子提供で産んだあなたのDNAを一切受け継いでいない子どもに対し、産んだ以上はあなた自らが母たる責任を一生貫いて愛情を持って育てて欲しいということだ! (あなたは今現在の恋愛相手男性のDNAを後世に残したいと思っているらしいが、事実婚を繰り返すあなたのお相手の男性がそれをどの程度の重さで捉えているのだろうかねえ??)
権力や金力がある一女性が何としてでも子どもを産みたいという“身勝手”な希望や意思よりも、生まれてくる子供の将来に渡る「人権」の方がはるかに尊いのは自明の理であるぞ!!
自分で子供を持って思うのですが、親子は本当に似てる・・・、いい所も、悪い所も・・・!
これが、DNAをバトンする事なんだと感じますね!
自分の代で、絶やすことなく、次世代に渡せたのかなって思います。
ただ、環境を整える事、躾ける事、独立して生活できる様にする事、等々、親としての自分の役割はこれからも、まだまだ必要です。
子供は、自分のDNAを引き継いだ、無比の存在だと、感じる事が多くなりました。
話には聞いていたけれど、育児の壮絶さを実感としてまったく分かっていないところに突然赤ちゃんは容赦なくやってきて、日々私に母親であることを強要するのです。
しかも、私の娘は若干の事情を持って産まれてきました。高齢出産の帝王切開で自分の体を持ちあぐねる中、夜も寝られず心身共に朦朧としつつの赤ちゃん子育て期でした。
その後も見よう見真似で育ちにくい我が子を抱え日々そのケアに当たった私ですが、その頃の母としての“壮絶とも言える闘い”の成果か、今となっては順調な日々です。
もしも、私のDNAを受け継いでいない子を授かっていたとしたら、私は母としてその子に上記のごとく壮絶なまでの愛情を注げたのだろうか?と考えた場合、正直なところ答を出しにくいですね。
父親似で気質は私と大幅に違うけれど、今や私の行動パターンそっくりに振舞う娘を端で見ては、目を細めている母である私です。
世代間のDNAの引継ぎ…
ドカドンさん同様、私も親子の証、絆として重要なポイントなのではないかと感じます。
isseiさんがおっしゃる通り、この問題は個人の問題だからということで済まされないと私も思います。
どうしても子どもが欲しいという親側の一時的なエゴで他人の卵子や精子の提供を受けてまで行われる不妊治療の背景に、生まれてくる子どもの「人権」意識がどれだけあるのでしょう?
不妊治療における倫理論争は、必ずや生まれてくる子どもの立場に立って行われるべきです。
まったくisseiさんのおっしゃる通りで、そうでなくても無秩序で荒廃した世の中を、個人のエゴでこれ以上混乱、退廃させないで欲しい思いです。