1年半前の厚生労働省元局長・村木厚子氏の大阪地検特捜部による逮捕劇は、特捜部検事の意図的FDデータ改ざんが表面化し、一転して村木氏が無罪を勝ち取る結末となった。
今回の村木氏無罪判決に絡む特捜部検事の証拠隠滅事件においては、被疑者を有罪に持ち込むためには、自分達がでっち上げたストーリーを正当化するべく証拠隠滅を図るためデータ改ざんまで行う特捜部捜査の異様なまでに歪んだ体質に、一般市民として改めて恐怖心を抱かされる思いである。
片や一旦検察側より“無実の罪”の自白を強要された被疑者とは、よほどの強い信念や頑強な意思がない限り、検察側がでっち上げたストーリー通り「有罪判決」が下されてしまうことについては、過去における少なからずの“冤罪事件”が物語っている通りなのであろう。
そのような理不尽な“無実の罪”を着せられてしまった被疑者である村木氏であるが、1年半の期間、よくぞ厳しい逆境の中で冷静沈着に自身の「無実」を見据えつつ思考、行動されたものである。 村木氏のその強い信念と意思にはこの私も感服の思いである。
ご自身の「無実」をご自身の力で勝ち取られた村木氏は、今まさに褒め称えられるべきであろう。
村木氏に関する裁判上の「無罪」決着に関しては、上記の通り原左都子もご本人を賞賛申し上げたい思いである。
ところで、その後の村木氏の国の役人としての扱いに関して、一国民として若干気になる点があるのだ。
村木氏の厚労省の元局長としての職務上の責任問題はどう決着したのであろうか? との部分において…
そう考えていたところ、折りしも朝日新聞に原左都子と同様の意見を発見した。
9月26日朝日新聞「声」欄より54歳男性による「村木さん、喜ぶだけでいいか」との投書の一部を要約して以下に紹介しよう。
村木さんが晴れて無罪となり、特捜部の批判と真相解明を求めているのは当然のことだ。 しかし、村木さんの無罪によって、郵便不正事件の方は単純な真相が見えてきた。すなわち、当時の担当係長が上司だった村木さんに相談も報告もせずに勝手に偽の証明書を発行したということである。 部下が自分に何の相談もなく罪を犯したということの道義的責任は感じて欲しい。そして、部下が安易に偽の証明書などの発行ができないような事務の見直しと風通しの良い職場作りをお願いしたい。
この朝日新聞の投書で思い出すのは、我が若かりし日の民間企業での“上司としての失態”である。
私は20歳前半に新卒入社した医学関係の民間企業(参考のため現在東証一部上場企業です。)に於いて、27歳の若さにして同期入社新卒社員の“出世頭”として係長に任命された。 一番多い時で十数名の部下を統括する上司の立場を任されていたのであるが、ある日予想だにしない事故が起きてしまった。
その事故は私がたまたま有給休暇を取っていた日に発生した。 部下の一人が回復不能な業務上のミスを犯してしまったのである。(再度参考であるが、医学分野の業務とは必ずや人命が係わるため、業務上のミスに関しては日頃厳格対応・措置を取っているのだが…)
あくる日出社した私は我が上司より「始末書」の提出を命じられた。 まだまだ人生経験が乏しく愚かだった私は、一瞬(何で私がいなかった時に部下が起こした事故に、私が「始末書」を書かされなきゃいけないの??)との納得できない感情を抱いたものだ。 そんな愚かな私に向かって上司は厳しく説諭してくれたのだ。 「係長不在時の業務管理体制マニュアルを綿密に作って部下一人ひとりに徹底しておくのも係長としての重要な業務範囲であるが故に、今回の事故はお前の責任だ!」 若気の至りの私には実に辛い一言であったものの、私は係長という責務を課せられたお陰で、人の上に立つ人間の責任の重大さや世の中のシステムの整合性というものが痛いほど理解できたものである。
(この上司は若気の至りの私を職業人として育て上げてくれた印象が今尚ある。 この民間企業での係長経験は、現在に至って尚私の人格形成の大いなる部分を占めていると表現しても過言ではない。)
さて皆さんもご存知の通り、村木厚子氏は無罪判決直後に国より休職処分が解かれ、既に前身分と同じ「局長」待遇で国家の官僚に復帰している。
ご本人曰く、「新しい分野の勉強に励みたい」とのことである。
今回の郵政不正事件において「無罪」を勝ち取った村木厚子氏の尋常ではない精神力とあくまでも「悪」に立ち向かった勇気を評価した場合、こういう人材こそが国政を補佐する官僚として活躍して欲しい思いもある。
ただし、それには条件があろう。
上記の朝日新聞「声」欄の投書に書かれている通り、村木氏には元職場の局長としての郵便不正問題の責任がまだ残っていると原左都子も捉えるのである。
もう既に元職場を離れてしまい、定年退職までさほどの年月の余裕もない村木氏が今後全うするべきことは、現職局長としての任務に加えて、「声」欄投書者が述べられている通り、部下が安易な偽の証明書の発行など出来なくすることの省庁内のシステム構築であり、風通しがよく国民にも開かれた官公庁の風土作りなのではなかろうか?
村木厚子氏には類稀な「無罪」判決死守の経験を活かされ、定年までの短期間を(国民の血税から報酬を得ていることを常に忘れず)国政の健全化のために全力補佐をしていただきたいものである。
今回の村木氏無罪判決に絡む特捜部検事の証拠隠滅事件においては、被疑者を有罪に持ち込むためには、自分達がでっち上げたストーリーを正当化するべく証拠隠滅を図るためデータ改ざんまで行う特捜部捜査の異様なまでに歪んだ体質に、一般市民として改めて恐怖心を抱かされる思いである。
片や一旦検察側より“無実の罪”の自白を強要された被疑者とは、よほどの強い信念や頑強な意思がない限り、検察側がでっち上げたストーリー通り「有罪判決」が下されてしまうことについては、過去における少なからずの“冤罪事件”が物語っている通りなのであろう。
そのような理不尽な“無実の罪”を着せられてしまった被疑者である村木氏であるが、1年半の期間、よくぞ厳しい逆境の中で冷静沈着に自身の「無実」を見据えつつ思考、行動されたものである。 村木氏のその強い信念と意思にはこの私も感服の思いである。
ご自身の「無実」をご自身の力で勝ち取られた村木氏は、今まさに褒め称えられるべきであろう。
村木氏に関する裁判上の「無罪」決着に関しては、上記の通り原左都子もご本人を賞賛申し上げたい思いである。
ところで、その後の村木氏の国の役人としての扱いに関して、一国民として若干気になる点があるのだ。
村木氏の厚労省の元局長としての職務上の責任問題はどう決着したのであろうか? との部分において…
そう考えていたところ、折りしも朝日新聞に原左都子と同様の意見を発見した。
9月26日朝日新聞「声」欄より54歳男性による「村木さん、喜ぶだけでいいか」との投書の一部を要約して以下に紹介しよう。
村木さんが晴れて無罪となり、特捜部の批判と真相解明を求めているのは当然のことだ。 しかし、村木さんの無罪によって、郵便不正事件の方は単純な真相が見えてきた。すなわち、当時の担当係長が上司だった村木さんに相談も報告もせずに勝手に偽の証明書を発行したということである。 部下が自分に何の相談もなく罪を犯したということの道義的責任は感じて欲しい。そして、部下が安易に偽の証明書などの発行ができないような事務の見直しと風通しの良い職場作りをお願いしたい。
この朝日新聞の投書で思い出すのは、我が若かりし日の民間企業での“上司としての失態”である。
私は20歳前半に新卒入社した医学関係の民間企業(参考のため現在東証一部上場企業です。)に於いて、27歳の若さにして同期入社新卒社員の“出世頭”として係長に任命された。 一番多い時で十数名の部下を統括する上司の立場を任されていたのであるが、ある日予想だにしない事故が起きてしまった。
その事故は私がたまたま有給休暇を取っていた日に発生した。 部下の一人が回復不能な業務上のミスを犯してしまったのである。(再度参考であるが、医学分野の業務とは必ずや人命が係わるため、業務上のミスに関しては日頃厳格対応・措置を取っているのだが…)
あくる日出社した私は我が上司より「始末書」の提出を命じられた。 まだまだ人生経験が乏しく愚かだった私は、一瞬(何で私がいなかった時に部下が起こした事故に、私が「始末書」を書かされなきゃいけないの??)との納得できない感情を抱いたものだ。 そんな愚かな私に向かって上司は厳しく説諭してくれたのだ。 「係長不在時の業務管理体制マニュアルを綿密に作って部下一人ひとりに徹底しておくのも係長としての重要な業務範囲であるが故に、今回の事故はお前の責任だ!」 若気の至りの私には実に辛い一言であったものの、私は係長という責務を課せられたお陰で、人の上に立つ人間の責任の重大さや世の中のシステムの整合性というものが痛いほど理解できたものである。
(この上司は若気の至りの私を職業人として育て上げてくれた印象が今尚ある。 この民間企業での係長経験は、現在に至って尚私の人格形成の大いなる部分を占めていると表現しても過言ではない。)
さて皆さんもご存知の通り、村木厚子氏は無罪判決直後に国より休職処分が解かれ、既に前身分と同じ「局長」待遇で国家の官僚に復帰している。
ご本人曰く、「新しい分野の勉強に励みたい」とのことである。
今回の郵政不正事件において「無罪」を勝ち取った村木厚子氏の尋常ではない精神力とあくまでも「悪」に立ち向かった勇気を評価した場合、こういう人材こそが国政を補佐する官僚として活躍して欲しい思いもある。
ただし、それには条件があろう。
上記の朝日新聞「声」欄の投書に書かれている通り、村木氏には元職場の局長としての郵便不正問題の責任がまだ残っていると原左都子も捉えるのである。
もう既に元職場を離れてしまい、定年退職までさほどの年月の余裕もない村木氏が今後全うするべきことは、現職局長としての任務に加えて、「声」欄投書者が述べられている通り、部下が安易な偽の証明書の発行など出来なくすることの省庁内のシステム構築であり、風通しがよく国民にも開かれた官公庁の風土作りなのではなかろうか?
村木厚子氏には類稀な「無罪」判決死守の経験を活かされ、定年までの短期間を(国民の血税から報酬を得ていることを常に忘れず)国政の健全化のために全力補佐をしていただきたいものである。