原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

受験における経済格差に打ち勝つには

2010年09月23日 | 教育・学校
 大学受験生を持つ我が家においてここのところ急増しているのが、大学受験塾や予備校からの“迷惑セールス電話”である。

 「原左都子エッセイ集」において公開済みであるが、我が子の志望進路は既に芸術分野に決定しており、その分野の実技力を磨くために高校入学時点より美大予備校に通わせている。
 一方、学科に関しては幼き頃より母である私が“お抱え家庭教師”として君臨していることが功を奏しているのか、我が子が高2となっている今尚比較的安定した学科力があり、特段受験塾にお世話にならずとて受験模試等でもある程度手応えのある成績を修めてくれている。

 そこで、度重なる“迷惑セールス電話”に対しては着信拒否対応で無視しているのだが、相も変わらず“訳のわからん”塾(予備校)名を名乗る組織からの迷惑電話は後をたたない。 これには新興の無名塾や予備校の乱立の程を目の当たりにさせられる思いである。(一体どんな受験指導をしているのやら…  乱立している塾や予備校に対して行政は適切な指導を施しているのか??  決して悪徳業者をのさばらせてはなるまいぞ!)


 学習習慣が確実に身についている娘が高校生になっている今となっては、本人の学習意欲を尊重し一歩退いた立場で見守っているのだが、時折、娘が単独で解けない課題がある時は今尚当てにされている私である。

 秋分の日の祝日である本日も、娘が久々に学校の英語の課題を持って私のところへやって来た。
 娘が高1位までは娘の課題をさほど苦労することなくこなせた私なのだが、大学受験まで後1年半を切っている娘の大学受験課題をいきなり突きつけられるのは、この私とて厳しいものがある。 

 本日娘が持ってきた英語課題は有名難関私立大学の過去問だったのだが、負けず嫌いの私としては何としても解いて娘に解説教授したい思いだ!
 つい先程までその課題と格闘した原左都子の感想としては、ひと昔前の大学入試問題と比較して英文自体の難易度が低下している印象を受けた。 我々が若かりし受験生時代に、森一郎著の「でる単」(読者の皆さん、憶えていらっしゃいますか??)を一冊丸ごと完全マスターしたごとくの苦労はせずとて、年老いた今の私でも辞書を引かずとも解読可能な程度の英文との印象なのである。 その一方で英文読解であるにもかかわらず読みこなしつつの思考力を要求する課題であり、なかなか良質な過去問なのではないかとも感じた。

 ついさっきまで上記のごとく娘の大学受験過去問に挑戦したばかりの熱と集中力が覚めやらず、今回の記事のテーマから話題がずれてしまい恐縮である。
 ただ我が家の場合は(学業が趣味とも言える??)母である私が娘の学習に付き合うことを今尚いとわないため、引き続き学科に関しては娘の大学受験までこの私が“お抱え家庭教師”として君臨し続けられそうなのである。


 我が子が小さい頃に、私が我が子の“お抱え家庭教師”を担当していることによる家計内の「経済効果」を自ら試算することもあった。
 例えば“お抱え家庭教師”を外部組織から週10時間雇った場合、(派遣されてくる家庭教師のレベルにもよろうが)月々の家計負担は10万円では済まないであろう。
 これを親自身がこなせるならば、家庭教師や塾への出費をその分軽減出来るとの解釈が可能なのである。


 朝日新聞9月14日の“声”欄に、「受験前にもうはじかれた気持ち」と題する44歳のパート主婦からの投書を発見した。 以下にその一部を要約して紹介しよう。
 長男と次男が来春、高校、中学受験予定である。 長男は学校の面談で“受験できる都立高校はない”と言われ、次男は発達障害児で小2で不登校になり学校に行ってもいじめや暴力に悩んだ。このままの気持ちで次男を長男と同じ中学に進ませる気持ちにはなれないが、2人の息子を進学塾に通わせる程の余裕はない。 長男に関しては私立高校に入れる余裕もない。 親の経済力の差に加え、我が家の子ども達のように学校になじめず勉強の機会に恵まれなかった子は、既に世の中からはじかれてしまったような気持ちになる。

 私論になるが、44歳パート主婦のお母様。 世の中から既にはじかれてしまった気持ちになるのはまだまだ早過ぎますよ!
 原左都子がこの投書を読んだ感想をここで述べさせていただくと、このお母様には“十分な文章力”と共に世にメッセージを発信していく能力が確かにあるのだ。 そのエネルギーを少しの期間、息子さん2人に捧げてはどうかとアドバイスしたくなる。
 今現在はパートをしていらっしゃるということは、ご主人が定職を持たれているのであろうか?  そうだとするとそのパートを受験までの後半年中断して、息子さん2人のためにご自身自らが“お抱え家庭教師”に励むというアイデアはいかがであろうか?  おそらくこの投書程の文章力と世間に訴えるエネルギーがあるお母様には、中高受験家庭教師程度の教育力は十分にあると私は見る。  しかも家庭教師の相手が可愛い我が息子達となれば、パートをするよりも断然気合が入るのではなかろうか?!! 


 この原左都子とて、今はもう古ぼけた頭脳で我が子の学科の“お抱え家庭教師”を大学受験まで全うできる自信などないのが実情である。 
 それでも我が子に「この課題を教えて~」な~んて頼られるだけで俄然ファイトが沸くのである!  
 私の“お抱え家庭教師”歴の長い我が家では、実はそんな単純な母である私のリアクションを今となっては冷静に観察している我が娘のようだ。 「負けず嫌いな母はこの課題をどうこなすのかな??」などと探りながら(?)、私の課題への取り組みを背後でこっそり観察している娘である。 そして私がウンウン唸りつつ課題を全うする姿を見て、「じゃあ、自分も頑張ろう!」と自らの精進力に繋げているようなのだ。

 この話は嘘偽りない事実である。 
 子どもとは幾つになっても「親の背中を見て育つ」ことを、長年“お抱え家庭教師”母として君臨している原左都子は日々実感である。

 経済力がない故に世からはじかれてしまうなどと他力本願な理由を言い訳にして子どもの教育をあきらめ放棄する前に、親自らが可愛い我が子のためにもう一肌脱いではいかがかと、是非共伝えたい思いだ。 
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