(冒頭写真は、今年のノーベル物理学賞受賞の真鍋叔郎氏。)
冒頭から、朝日新聞2021.10.09付夕刊記事「真鍋さん 言葉濁した日本への思い 学者から政治への助言 米の方がはるかに上 帰りたくない 調和の中で生きられないから」の一部を、以下に要約引用しよう。
真鍋さんは、1931年に愛媛県で生まれた。58年に東大大学院で博士号を取得後、米国に渡る。現在の海洋大気庁地理的流体動力研究所でキャリアを積み、68年にプリンストン大学で働き始めた。
ひっきりなしに電話の着信音が響く中、真鍋さんは30分間、質問によどみなく答えた。 だが「日本へのメッセージ」を問われると顔をしかめ、「あれですねえ、あのう、うーん。非常に難しい問題でね」と言葉を濁した。
「(専門家から)政治の対するアドバイスのシステムが、日本には難しい問題がいっぱいあると思う」
「米国の科学アカデミーは、日本よりはるかにいろんな意見が学者から上がっている。日本よりもそういう意味でもはるかにいい。 だからまあ、そういうところ、考える必要があるんじゃないですか」
昼になり、今度はプリンストン大学のホールで英語による会見が行われた。
日本で問題になっている“頭脳流出”問題に対して、「日本の研究は、好奇心に基づくものが以前よりもどんどん少なくなっていると思う」と語った。
「どうしたら日本の教育が良くなるかを教えて欲しいと、心から願っている。」そう言葉を続け、再び、米国では研究者と政策決定者が、日本よりもずっとうまく意思疎通していると強調した。
97年に真鍋さんは約40年ぶりに日本に戻り、科学技術庁地球温暖化予測研究領域長のポストに就いた経験がある。だが、2001年秋、気象変動予測のスパコン「地球趣味レータ」が稼働する前に辞任した。
会見では、国籍を米国に変えた理由も聞かれた。
「日本で人々は常に、お互いの心をわずらわせまいと気にかけています。 なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。 アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい」
「米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる」
「私は調和の中で生きることができません。それが日本に帰りたくない理由の一つなんです」
会場が笑いに包まれる。 真鍋さんは4秒間観客を見渡した。 笑わせようと冗談を交えたのか、あるいは本気で言ったのか。 表情からは、読み取れなかった。
(以上、朝日新聞夕刊記事より一部を要約引用したもの。)
私事及び私見に入ろう。
私もテレビにて、真鍋氏のノーベル物理学賞受賞会見を一度だけ見聞した。
私の視線では十分に明るくフレンドリーな方で、90歳とのご年齢の割には今尚頭脳がしっかり働いている人物との印象だった。(ノーベル賞受賞者を捕まえて、失礼な発言をお許し下さい。)
自らが望んで移住した米国にて、人間関係の軋轢が全くない環境下でさぞや解放された環境で研究を続行されたことであろう。
最後に、くだらない私事を述べさせていただくが。
この私にも、我が歩んだ人生に於いて一度だけ、米国へ渡り暮らすチャンスが舞い込んできた。
そのきっかけとは、私が独身終盤期の36歳時に米国へ行った際、米国在住IT技術者だった米国人男性と恋に落ち、その後お互いに日米を行き来してプロポーズを受けたことによるのだが。
もしもこの恋が成就していたならば、今頃私はサンフランシスコにて英語交じりの生活を営んでいたのだろうか??
ところが、人生とはそう上手くは転ばないもので。
ベトナム戦争時のドラッグ問題による睡眠障害、及び性的特殊嗜好を抱えていた米国人の彼との恋愛は、その後しばらくして終焉を迎えることと相成った…
もしご興味がおありでしたら、当該「原左都子エッセイ集」初期頃の“恋愛・男女関係”カテゴリーに於きまして。
「彼の名はジョニー」「ジョニーと別れた理由」の二部構成でその恋の顛末を語っておりますので、ご自身で探されてお読み下さって差し支えございません。
最後に、表題の一部を変更させていただきます。
「原左都子も “調和の中で生きてもつまらないと感じる” 人間かも」がより正確な表現かもしれません。