原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一般人になった眞子さんの心中にある、凄まじいまでの敵と味方の線引き

2021年10月28日 | 時事論評
 眞子さんが小室圭氏と結婚して一般人になられてから、早いもので既に2日が過ぎた。

 人の記憶が消え去るのは実に早いもので、今となっては国民の誰もが、眞子さんが小室氏と何処の高級マンションを一時の国内の住処としているかなど、どうでもよい課題となっていることであろう。


 それにしてもこの原左都子も、一昨日テレビ放映されたご両人の記者会見を見聞きして、驚き果てた一人である。

 いや、そんなもの(失礼な発言であったらお詫びするが)、一切見る気は無かった。
 たまたま昼寝から目覚めてスマホをつけたら、“これからご両人の記者会見が始まる”とのお知らせが出たため、テレビのスイッチを入れたまでのことだ。

 そうしたところ、特に眞子さんの口から次から次へと“誹謗中傷”の言葉が平然と出るではないか!!
 これ、結婚報告会見と言うよりも、“誹謗中傷をした周囲や国民に対しての恨みつらみ会見”だったと表現しても過言でなかろう。
 
 しかも眞子さんの会見内容がもっと凄まじかったのは、「誹謗中傷をした奴らは今後共自分達夫婦の敵であり、見守ってくれた人達のみが味方である」と断言した(と同然だった)ことだ。 今後もその“味方”の人達とのみ付き合っていきたい、と私の耳には届いた。
 いや、晴れて一般人になったのだから、誰と付き合おうがもちろん自由だ。 米国へ渡った後も、お二人の好きになされば済むことだろう。

 それにしても30歳を超えている新婚カップルの挨拶が、これ程までに攻撃的、かつ貧弱な内容だったことに、私はただただ驚かされた。

 ここで私事だが。
 この私も(お互いに40歳前後の晩婚だった)結婚式は親族版と友人知人版に分けて執り行い。
 友人知人版の結婚式会場にて新郎新婦の挨拶の場を設けさせていただき、マイクを握って会見をした。 その際には、口が裂けても“誰が味方で誰が敵だなどと発言する訳もなく、とにかく今後も末永くお力添えを、と頭を下げてお願いしたものだ。 
 
 眞子さんご夫婦の場合も、それで良かったのではないか? と人生の先輩としても指摘したいものだ。
 あの場で小室家の私事(不祥事)を持ち出し、誹謗中傷を受けたと全国版テレビ放映場面で大々的に公言してしまった二人の“幼さ”の程に、呆れ果てるばかりだった…
 やはり皇室暮らしの身とは、そんな世間的な常識が通用しない世界なのか?
あるいは一般人である小室氏が、眞子さんに適切な助言ができなかったものなのか??


 小室氏は結婚報告会見で、開口一番「私は眞子さんを愛しています。」と明瞭に言い切った。
 それはよしとして、“結婚”との共同生活に於ける“愛”の形とは如何なるものかを、少しは理解しての発言であればよいのだが…
 ご本人は父親を自殺で亡くされたり、その後の母親の再婚でのトラブル等々、未だ若いにもかかわらず、ご苦労を経験されてきた人物であることには間違いないだろう。
 そのような経験が活きた発言であるとは、私には到底考えられないのだが…。

 失礼な発言をするならば。

 たとえ米国へ2人で“逃げた”とて、結婚生活とはそれ程生易しいものではないのが何処の庶民家庭とて、現実だ。

 小室氏が宣言された、「私は眞子さんを愛しています。」

 その言葉を一生に渡り、眞子さんに発し続けてあげて欲しものだ…

 20代の若さで国際基督教大学内で眞子さんと偶然知り合ったことが、今回の成婚につながったと捉えてよいだろう。

 一般人同士の結婚に於いては、何らの不都合もなかったことと想像する。
 ところが相手が皇室の女性だった…
 この事実が、米国へ二人で渡った将来に於いても「幸せ」に繋がり得るのか…

 どう贔屓目にみても。

 このお二人が抱えている課題が、二人の力量を超越して大き過ぎるのではないだろうかと。

 原左都子は一庶民の立場にして、勝手にお二人の米国移住後まで慮らざるを得ない…