原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自分が好む人との出会いこそが“ひきこもり”脱出の「鍵」かも?

2019年06月18日 | 人間関係
 と言ったところで“ひきこもり”の特徴とは“ひきこもって”いる事実にこそあり、人との出会いが極度に限定されている訳であり……

 ただ、“ひきこもり”の多くは自宅でネットに接しているとも見聞する。
 そうすると、とりあえずは“ネット”上で“自分が好む人”と出会える確率は少なくないとの“一抹の希望”を持てそうにも思うのだが。


 ここから一旦私見だが。

 “ネット”上の出会いも様々だが。  私のお勧めは、断然この「ブログ」だ。
 まかり間違っても心を病む人種が、不特定多数の見知らぬ相手から無責任反応が押し寄せるSNSにて人と出会うべきではない。

 12年の年月に渡り「ブログ」活動を継続している我が身だが、その年月を通して、様々な人々との出会いに恵まれて来ている実感が確かにあるのだ。
 実際にお会いしないにせよ(私の場合は我がブログファンと実際お会いした経験もあるが)、それぞれのお相手と“人となり”が伝わる関係を築けている自負がある。 ネット上の付き合いが12年に渡り続行している方々も少なからず存在する。 (有事の際に“この人”に泣きつけば必ずや助けてくれるだろう、と信じられるお相手も少なくない。 それは考えが甘いか!?!

 そのためには、ブログの“内容”の充実こそが肝心であろう。 誠意を持ってブログ記事を綴り公開すると、その記事のジャンルにかかわらず、必ずや読んで下さった方々より“プラスの反応”を頂ける感覚があるのだ。 
 私の場合「コメント欄」を閉鎖して後長年が経過している。 「いいね」反応に関しても、2,3年前にgooシステム変更処理上のトラブルにて、過去に2000本近いエッセイに多い時には1エッセイ30個程頂戴していた「いいね」が一瞬にしてすべて消え去るとの最悪経験により、その後「いいね」欄も閉鎖措置を採っている。
 それでも、ご訪問下さった方々のブログをこちらから訪問させていただく事等々により、頂いた反応の“価値”の程を実感させて頂け、“良き出会い”との(自己?)満足感に浸れることも日々数多い。


 本日何故、この手のエッセイを執筆せんと志したのかと言えば。

 現在“ひきこもり者”が関わる凶悪犯罪が次々と勃発している現実下に於いて、如何なる対応策を施せばよいのかと、私なりに頭を悩ませている故だ。

 この我が思いに関連した本エッセイ集バックナンバーが、昨日の“Popular Entries トップ10”にランクインしていた。
 以下に、そのエッセイ 2018.12.01公開の「人間不信に陥る前に、自分が好きな人とどんどん付き合おうよ!」の一部を再掲載させていただこう。

 この原左都子など、当「原左都子エッセイ集」」バックナンバーにて過去に取り上げたエッセイを振り返るだけでも…  我が人生に於いて、現実世界で2度も「お前が嫌いだ!」と直訴された経験があるよ。
 一度目は小学6年生の時。 クラスの男子から、「お前みたいにクラス内で反発ばかりしている奴は大嫌いだ!! お前のせいでクラスがまとまらない!」ナンタラカンタラと怒りをぶちまけられた経験がある。 敢えて反論はしなかったが今でも多少根に持っていて、アイツに今後会う機会があればこの件で「議論」を再燃したい!と虎視眈々と狙っている。 (その男子は警察官の息子でやたら正義感の強い奴だったなあ。 きっと真っ当な人間としてこの世で活躍している事だろう、とも想像するよ。)
 二度目は20代後半期の職業人時代、職場の同年代女子社員が“寿退社”でほとんどいなくなった後の話だ。 少数の“売れ残り”組女子社員の一人から、面と向かって「貴方が嫌いです。」と比較的冷静に告げられた。 (そうだったんだ。)程度の感覚で特段の不都合も無いどころか、その宣言のお陰でその女性と社内外で一切付き合う必要が無くなり、その後自分の仕事がし易くなった記憶がある。
 と言う訳で「嫌いだ」と直訴されたとて、私側は決してへこたれてなんかいないぞ! 
        (途中大幅略)
 私、原左都子から朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者である未だ20代かつバイト先との“狭い世間”の中で人間不信に陥ってしまった女性へ応援メッセージを贈ろう。
 私の場合、当然ながら、今回の回答者であられる姜尚中氏のごとく決して著明人ではない。 かと言って、我が20代は相談者が現在置かれている環境のごとくの小企業でのアルバイト身分でもなく、一応現在大企業に成長している職場の一部門にいて“職場長”の立場で20代後半期を過ごしている。
 その職場環境が大いに食い違う事を勘案しつつも…。
 たとえば、この相談女性は仕事がオフの日には如何に過ごしているのだろうか? この私など週休2日制や長期休暇を利用して、仕事外の活動にも専念したものだ。 その活動や旅先等に於いても “人との出会い” とは花咲くものでは無かろうか?
 私の場合は独身を30代後半まで貫いた立場だが。 いつ何時如何なる行動をしようとて、“(良き)人と出会いたい”なる願望が自分自身にある限り、素晴らしい出会いがあると信じて私はその行動を継続している。 
 自分にとって「良き人」とは、実際いつの時代も何処かに存在するものでは無かろうか? それを信じられる自己のポリシーこそが、「良き人」との出会いを叶えてくれている感覚が私にはあるのだが…
 ただ実際問題、現世は“ハラスメント概念”等々の歪んだ発展により、人と人との関係がギクシャクしている現状は私とて認識しているものの。
 そんな「良き人」(イコール“自分が好きな人”)と出会いたいなる夢を“プラス思想”の下持ち続けつつ生き続けられるならば、必ずやその「夢」は叶えられるものと私は信じ、日々実行している……
 要するに、自分の方から興味が無かったりましてや“嫌な奴”など軽視・無視して、“良き人(自分が好きな人)”を優先する生き方をすればどうか? とのアドバイスだ。
 何だか結果として、姜尚中氏のご解答内容と大差が無かったような気もする事実を、20代相談者女性にお詫び申し上げねばならないかもしれない……。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 最後に現実に話題を戻そう。

 ただ残念ながら、メディアにて“ひきこもり事件”に触れると。
 “ひきこもり”者ご本人の精神構造や心理状態が、社会や周囲に対する“うらみ・つらみ”や“絶望感”で充満してしまっている感を抱く。 既にそのマイナス感情に支配されるままにコントロール力を失い、ただただ呆然とした廃退感のみにとりつかれてしまっている様子であることに気付かされる。
 そんな精神状態の人達に向かって、「自分が好きな人と出会え!」と言ってみたところで、空虚感のみが漂ってしまうのだろうか…

 ニュース報道に接すると、“ひきこもり”さん達は自分の親が嫌いであるにもかかわらずその親の家に住んでいる場合も多そうだ。 経済的理由等もあるにせよ、これが私にとっては到底理解し難い。
 何故嫌いな人物がいる家になど、いつまでも住んでいるんだ!?  少なくとも、その嫌いな親からカネを分捕ってでも、外に自分の住居を見つけてそこで“ひきこもる”べきではなかろうか??(その行動力すら失っているって??)

 この原左都子も、生まれ持って根っからの“集団嫌い”“天邪鬼気質”であり、「右向け右」と命令されたら「左」を向きたい性分の人間だ。 (その気質と“ひきこもり”とはジャンルがまったく異なるとの指摘が専門家から届きそうだが… )

 それでも、こんな私でも本当に正直なところ、ブログを通じて自分が好む相手と交流することにより、どれ程心が癒され日々の生活を活性化させてもらっていることか。
 だからこそ、もし叶うならば“ひきこもり”の皆さんにも、ネット上でよいから“自分が好む人”を見つけ交流を持って欲しい思いを、今回伝えたかったのだが…

 それより優先するべきは。 
 上記記述通り、自分の方から興味が無かったり、ましてや“嫌な奴”など軽視・無視するに限る! 
 そして“良き人(自分が好む人)”を優先する生き方を実行する事こそが、我が生涯に於ける信条であることには間違いない!