今回のエッセイは、前回2019.06.04公開「人は何故“ひきこもる”のか」の続編の形となる。
まずは、元農林水産省事務次官容疑者による長男殺害事件の続報を、ネット情報より引用しよう。
元農林水産事務次官容疑者(76)が長男を殺害したとされる事件で、容疑者が事件6日前に長男から激しい暴行を受けたと供述していることが捜査関係者への取材で判明した。 長男は実家に戻った直後で、警視庁練馬署は経緯を慎重に調べている。
捜査関係者によると、長男(44)は都内の別の場所に住んでいたが、5月25日に本人から「帰りたい」と電話があり、その日のうちに実家に戻って両親と同居を始めた。 だが、翌26日には「俺の人生は何なんだ」と叫びながら熊沢容疑者に対し激しい暴力をふるったと、容疑者は説明しているという。 容疑者は「長男は仕事もなく、部屋にこもることが多かった。妻も暴力を受けていた」と供述。 長男は1階和室に布団を敷いてゲームで遊ぶ一方、両親に対して暴力や暴言を繰り返していたという。
捜査関係者によると、長男の暴力は都内の私立中学に通っていたころ始まったという。 最初は母親が、続いて容疑者も暴力を受けるようになった。 長男は中高一貫の私立校を卒業後、私立大に入学したが中退して専門学校に通った。その後に別の私立大、さらに大学院にも通い、就職した時期もあった。
事件は1日午後3時半ごろ、熊沢容疑者が110番して発覚。 この数時間前、小学校の運動会の音に腹を立てた長男と口論になったという。 容疑者は川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ「長男も人に危害を加えるかもしれないと不安に思った」という趣旨の供述をしている。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
私事及び私見に入ろう。
ネット情報によれば、どうやら殺害された長男氏は、既に中学生頃より学校にていじめを受ける等々の問題を抱えていたようだ。 その後も引き続き諸問題が解決しないままに現在に至ってしまった様子だ。
にもかかわらず44歳にて殺害されるまで、一度足りとて家族が適所に相談を持ちかけたらしき様子が見当たらない。
ただ、その家族の思いが少し分かる気もする。
我が家の娘も多少の不具合を持って生まれたが故に、特に娘幼少時代には親子共々多難な日々を経験してきている。
そんな我が家でも、娘小2の秋にて一切合切の公的(私的)機関への相談は終了し、その後は“サリバン(私の事だが)指導”のみに絞り込んで娘の成長を見守って来ている。
その決断を下したのには、様々な理由がある。
一番大きな理由は娘本人の成長度合いが素晴らしく、今後は相談機関に依存せずしてサリバン指導一本でやって行ける! との確固たる自信が私に芽生えた故だ。
マイナス面での理由もあった。
以下にその事例を綴った本エッセイ集2009..03.29付バックナンバー「存在自体が迷惑??」の一部を以下に要約して紹介しよう。
事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育においてのみではない。 子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々だ。 一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと、元より諦め半分である。 これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は保護者にとって耐え難いものがある。
今回の記事においては、その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の発言内容を取り上げてみよう。
前回の記事において既述した通り、我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。
だが残念なことに、生まれ持っての“事情”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。 その辺の事情を、親としてはあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。 ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を見ようともしない。
そしてその担当者は持論を述べ始めた。
「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。 この子は十分に普通学級でやっていけます。」
(親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。 だた、それを思うと無念さが募るだけだ。 現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)
そして、担当者はこう続ける。
「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。 障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。 そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。 障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。 PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるため、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。 幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。 家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。
そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。 それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。 めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。 だからそこ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。
(以下略すが、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
このバックナンバー事例は極端とも言えるが、そうでなくとも、何と言うのか、被相談者と相談者間に“上下関係”を感じさせられるような場面を私も経験している。
こんな場で我が(医学・教育)バックグラウンドを執拗に表に出すことは、専門家が一番嫌うであろう事を承知している故に、自ずと相談者である私が控えめな態度にならざるを得ない場面も多発する。 その事態イコール、私側からの発言が抑制され、正確な相談が不能な感覚を抱くことも多かった。
そんなこんなで娘小2の秋に一切の相談活動を終了したのだが、これが我が母娘の場合、その後大きく功を奏する結果となったと自負している!
元農水次官による長男殺害事件に話題を戻すと。
当該家庭が、何故適当な公的(私的)相談所に長男の問題行動に関する相談を持ちかけなかったのかに関しては、計り知れない。
一つ考えられるのは、国家事務次官としてのプライドがあったのではなかろうか?
あるいは、相談したところで解決策が得られない事を頭脳明晰な父親が予測した可能性もある。(誤解を恐れず言うならば、私が娘の相談を終焉した理由の中にもそれがあったのも事実だ。 相談員の資質が低く、こちらが発言を選択せねばならない状況が幾多あったことか…。)
実際問題、同様の子供が抱える問題を相談したにもかかわらず、結果としては何らの支援も得られず最悪の事態に至っている事例は悲しかな社会に数多い。
そして、元農水次官が実行した「自力救済措置」。
この長男は、生前「真っ先に愚母を殺す!」と宣言していたとの情報もある。 母・息子関係が劣悪だった事実を物語る発言だ。
長男が中学生の頃いじめに遭っている時に誰かが親身に向き合えたならば、こんな残虐な結末とはならなかったのか??
その人物として思い浮かぶのはやはり母親だが…
下手な発言は控えるべきだが、実際問題、一番身近に子供を救える人物とは母親でしかない。 何をさておいても御母上が長男を守るべく行動に出ていれば、これ程長男の心が崩壊する事も無かったのか、と思ったりもする…。
とにもかくにもこの事件、一家3人がずっと地獄を彷徨っていた光景が我が目に浮かんでしまう…。
まずは、元農林水産省事務次官容疑者による長男殺害事件の続報を、ネット情報より引用しよう。
元農林水産事務次官容疑者(76)が長男を殺害したとされる事件で、容疑者が事件6日前に長男から激しい暴行を受けたと供述していることが捜査関係者への取材で判明した。 長男は実家に戻った直後で、警視庁練馬署は経緯を慎重に調べている。
捜査関係者によると、長男(44)は都内の別の場所に住んでいたが、5月25日に本人から「帰りたい」と電話があり、その日のうちに実家に戻って両親と同居を始めた。 だが、翌26日には「俺の人生は何なんだ」と叫びながら熊沢容疑者に対し激しい暴力をふるったと、容疑者は説明しているという。 容疑者は「長男は仕事もなく、部屋にこもることが多かった。妻も暴力を受けていた」と供述。 長男は1階和室に布団を敷いてゲームで遊ぶ一方、両親に対して暴力や暴言を繰り返していたという。
捜査関係者によると、長男の暴力は都内の私立中学に通っていたころ始まったという。 最初は母親が、続いて容疑者も暴力を受けるようになった。 長男は中高一貫の私立校を卒業後、私立大に入学したが中退して専門学校に通った。その後に別の私立大、さらに大学院にも通い、就職した時期もあった。
事件は1日午後3時半ごろ、熊沢容疑者が110番して発覚。 この数時間前、小学校の運動会の音に腹を立てた長男と口論になったという。 容疑者は川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れ「長男も人に危害を加えるかもしれないと不安に思った」という趣旨の供述をしている。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
私事及び私見に入ろう。
ネット情報によれば、どうやら殺害された長男氏は、既に中学生頃より学校にていじめを受ける等々の問題を抱えていたようだ。 その後も引き続き諸問題が解決しないままに現在に至ってしまった様子だ。
にもかかわらず44歳にて殺害されるまで、一度足りとて家族が適所に相談を持ちかけたらしき様子が見当たらない。
ただ、その家族の思いが少し分かる気もする。
我が家の娘も多少の不具合を持って生まれたが故に、特に娘幼少時代には親子共々多難な日々を経験してきている。
そんな我が家でも、娘小2の秋にて一切合切の公的(私的)機関への相談は終了し、その後は“サリバン(私の事だが)指導”のみに絞り込んで娘の成長を見守って来ている。
その決断を下したのには、様々な理由がある。
一番大きな理由は娘本人の成長度合いが素晴らしく、今後は相談機関に依存せずしてサリバン指導一本でやって行ける! との確固たる自信が私に芽生えた故だ。
マイナス面での理由もあった。
以下にその事例を綴った本エッセイ集2009..03.29付バックナンバー「存在自体が迷惑??」の一部を以下に要約して紹介しよう。
事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育においてのみではない。 子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々だ。 一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと、元より諦め半分である。 これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は保護者にとって耐え難いものがある。
今回の記事においては、その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の発言内容を取り上げてみよう。
前回の記事において既述した通り、我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。
だが残念なことに、生まれ持っての“事情”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。 その辺の事情を、親としてはあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。 ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を見ようともしない。
そしてその担当者は持論を述べ始めた。
「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。 この子は十分に普通学級でやっていけます。」
(親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。 だた、それを思うと無念さが募るだけだ。 現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)
そして、担当者はこう続ける。
「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。 障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。 そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。 障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。 PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるため、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。 幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。 家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。
そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。 それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。 めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。 だからそこ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。
(以下略すが、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用したもの。)
このバックナンバー事例は極端とも言えるが、そうでなくとも、何と言うのか、被相談者と相談者間に“上下関係”を感じさせられるような場面を私も経験している。
こんな場で我が(医学・教育)バックグラウンドを執拗に表に出すことは、専門家が一番嫌うであろう事を承知している故に、自ずと相談者である私が控えめな態度にならざるを得ない場面も多発する。 その事態イコール、私側からの発言が抑制され、正確な相談が不能な感覚を抱くことも多かった。
そんなこんなで娘小2の秋に一切の相談活動を終了したのだが、これが我が母娘の場合、その後大きく功を奏する結果となったと自負している!
元農水次官による長男殺害事件に話題を戻すと。
当該家庭が、何故適当な公的(私的)相談所に長男の問題行動に関する相談を持ちかけなかったのかに関しては、計り知れない。
一つ考えられるのは、国家事務次官としてのプライドがあったのではなかろうか?
あるいは、相談したところで解決策が得られない事を頭脳明晰な父親が予測した可能性もある。(誤解を恐れず言うならば、私が娘の相談を終焉した理由の中にもそれがあったのも事実だ。 相談員の資質が低く、こちらが発言を選択せねばならない状況が幾多あったことか…。)
実際問題、同様の子供が抱える問題を相談したにもかかわらず、結果としては何らの支援も得られず最悪の事態に至っている事例は悲しかな社会に数多い。
そして、元農水次官が実行した「自力救済措置」。
この長男は、生前「真っ先に愚母を殺す!」と宣言していたとの情報もある。 母・息子関係が劣悪だった事実を物語る発言だ。
長男が中学生の頃いじめに遭っている時に誰かが親身に向き合えたならば、こんな残虐な結末とはならなかったのか??
その人物として思い浮かぶのはやはり母親だが…
下手な発言は控えるべきだが、実際問題、一番身近に子供を救える人物とは母親でしかない。 何をさておいても御母上が長男を守るべく行動に出ていれば、これ程長男の心が崩壊する事も無かったのか、と思ったりもする…。
とにもかくにもこの事件、一家3人がずっと地獄を彷徨っていた光景が我が目に浮かんでしまう…。