原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“ファーストレディ”の真価

2009年10月26日 | 時事論評
 新政権の総理大臣として就任以来、外遊を好み諸外国へあちこちと出かけている鳩山首相であるが、夫人とおててつないで飛行機のタラップを降りてくるあの影像を見て、皆さん、どのような印象をお持ちであろうか?

 私の正直な感想を述べさせていただくと、あの影像には“反吐が出そうな不快感”を抱かされるのだ。


 そもそも、何で総理大臣としての公務に家族を同伴するの? 如何なる一般職種とて、短期出張に奥さんをおててつないで連れて行く職業人は皆無であろうに…。

 しかも、あれが公然と「公費」でなされている現状だ。 あくまで私費で夫人を外遊に同行して、国民の目に触れる表舞台には一切出さないのならばまだしも許せるが、国民よりの血税等の貴重な国家財源を食い潰して総理大臣が「公私混同」の振る舞いをすることを国民が容認してよいものなのか。

 そもそもこの国の選挙制度においては、選挙に際して選挙民は候補者本人に投票しているのであり、その奥方はじめ家族も含めた共同体として政治にかかわるべく期待している訳では決してないことは明白である。 奥方が“内助の功”として陰で首相を支えるのは自由だが、表舞台に姿を見せてしゃしゃり出て欲しいとは、少なくとも私は微塵も希望していない。
 “新与党とて先進諸外国の慣例に従って首相夫人を外遊に同行しているだけの話だ”、という政府からの弁解も聞こえてきそうである。 これに関しては、国による文化や慣習の違いを優先してはいかがなものか、と言いたくもなる。 公的地位のある職業人が公私混同する文化など、現在に至って尚この日本にはないと私は心得ている。(繰り返すが、しかも「公費」で… ああ、嘆かわしい… )

 もっと言わせてもらえば、この鳩山夫人は自分が首相と“不倫婚”だと周囲に豪語しているらしいことを報道で見聞している。 “不倫婚”にしてのあの“おててつなぎ”影像は、どうも“いやらしさ”が前面に滲み出ているようで、想像力豊かな私に“反吐が出そうな不快感”を抱かせるのである。
 (鳩山総理も“夫婦で宇宙人”との愛称を付けてもらって人気取り目的ではしゃいでいる場合ではなく、節度を心得ない奥方の不適切発言を自重させるのが先決問題である。)


 そもそも、たまたま一国の総理になった男の奥さんであるだけの話だけなのに、何が“ファーストレディ”だよ、と言いたくもなる。
 もっとも、“ファーストレディ”という言葉の語源とは元々は「ある分野で指導的立場にある女性」の意味合いだったのだが、今となっては単に「大統領・首相夫人の称」の意で使用されているだけのレベルの話なのだが。

 この“ファーストレディ”に関しては、本ブログ「原左都子エッセイ集」の2年程前の時事論評カテゴリーバックナンバー記事「サルコジ仏大統領前夫人の離婚の理由」においても私論は叩いている。
 その我がブログ記事の中から“ファーストレディ”を叩いた部分を以下に改めて紹介しよう。
 主要国元首会談等の会合に必ず大統領(首相)夫人が同行している報道をマスメディアから見せられて、昔から私は大いに違和感を抱いていた。何で旦那の仕事に奥さんがのこのこついて行かなきゃいけないの? まあ、夫婦だからついて行ってもいいけれど、公の場にまでしゃしゃり出て記念写真までいっしょに入り、それが世界中に報道されるって、おかしな話でしょう? ファーストレディって言うけれど、着飾って、旦那の仕事に金魚のうんちみたいにつきまとって、あらかじめ仕立てられた慈善行為のパフォーマンスだけマスメディアの取材のためにする事のどこがファーストレディなんだか、私には理解しかねる。 だいたい、「夫人」という言葉も気に入らない。奥さん(この言葉も変な言葉だが)は夫の所有物なのかい?
 しかも、逆はあり得ないのだ。例えば、サッチャーさんの旦那が元首会談にのこのこついて来たのを私は見たことがない。アメリカ大統領選に出馬中のクリントンさん(女)は、クリントン元大統領にはいつも同行していたけれど、現在出馬中のクリントンさんに旦那がくっついている姿も見ない。男女平等意識の高い国々でさえこの有様なのはなぜであろうか。政界における単なる慣習なのであろうか。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2007年10月のバックナンバー記事より引用)


 鳩山夫人に関しては、やれ、そのファッションセンスがいいだの、ジーニスト大賞受賞だのと、現在ファッション界で持てはやされている報道を見聞する。

 これも自重するべきではないか、というのが私論である。
 よもや総理夫人のそのファッションまでもが国民の血税から出費されている訳ではなく、“セレブ首相夫人”の私費での趣味の範囲のマスメディア公開ではあろう。
 とは言えども今のこの不況下において、新与党からの“雀の涙”程の各種手当てを待ち望んでいる貧困にあえぐ国民の目前で、総理夫人が華やかなブランドファッションを披露するこのギャップ観を、新政権は如何に捉えているのであろうか?

 “ファーストレディ”などという言葉は上記の通り既に形骸化しているけれども、新政権の総理も「友愛」がどうたらこうたらの空虚で抽象的なテーマの所信表明を54分もの長時間、国民の前でうだうだと繰り広げている場合ではなく、我が身を振り返って“ファーストレディ”なる身内の真価でも問うてみてはいかがなものか? 
        
Comments (7)