原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「女」であることの意味合い

2009年10月24日 | 自己実現
 「女を捨てたくない」という“低俗な”言葉をよく耳にする。

 この種の言葉を発する女性に限って、コラーゲンやヒアルロン酸入りの化粧品を買い漁ったり、シェイプ下着でブヨブヨの贅肉を締め付けて苦しい思いをしたり、はたまた、ベリーダンスなどに精を出して三段腹を振り回していることであろう。

 こういう言葉を発する女性達にとっての「女」の意味合いとは如何なるものなのか、この種の言葉を好まない私がそれに直面する機会が訪れた。

 本日(10月24日)付朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、その名の通り「女を捨てたくないんです」である。 早速50代主婦によるその相談を、以下に要約して紹介しよう。
 還暦前の女性であるが、異性から若く見られたい、10歳くらいは若々しくいたいと思うが、顔や首のしわの隠し様がない。テレビ通販で目を引いたアンチエイジング化粧品を買い求め顔のマッサージに励んだり、粘着テープをほうに張ってたるみを持ち上げようとしているがダメ。リフトアップ整形も考えているが、いまひとつの勇気と多額の費用がない。プチ整形も慎重派の私には怖い。「その年でまだ男性を意識しているの?」と友人たちは言いそうだが、女を捨てたくない。女にとって美は永遠の課題。私は切羽詰まっている。的確な肌対策、若返り法があれば教えて欲しい。


 さっそく私論に入ろう。

 この相談女性にとっての「女を捨てないこと」とはどうやら、“異性に若く見られること”であり、“男を意識すること”であるようだ。
  う~~~ん。 

 相談内容を読むと、この女性は家族のいる主婦であるようだ。 ということは、「女」を全面的に売りにするべく職業に就いているという訳でもなさそうだ。 不倫願望が強いのか、それとも不特定多数の男にチヤホヤされることを好んでいるのか?? その辺の心理的背景は不明である。

 還暦前の年齢ということは私より少し人生の先輩に当たるのだが、何と申しましょうか、“暇過ぎる”日常を送られているのか、何か他の事に関心が向かないのか、一体今まで何を考えて生きておられるのか、失礼ながら、相談内容が低俗過ぎて私の心にまで隙間風が吹いてしまいそうである。

 この女性にとっての「女」であることの証明とは、「男」の存在が鍵であるようだ。
 もしもこの女性が今現在不倫したい男がいる等の差し迫った具体的事情を抱えているのならば、まだしもこの相談の存在意義もあろう。 あるいは、友人グループの中に若々しく見えるライバル女性がいて男性にモテているのがしゃくに障るため、自分がマドンナの地位を奪いたいと狙っている等の場合にも、この相談は意味を持とう。 そうではなく、漠然と「男」を意識するという発想がどうも私には理解し難いし、ましてや、新聞の相談コーナーに投稿する程に“切羽詰っている”心理状態とは一体どうしたことなのか。

 しかもこの相談女性は、還暦近くまでの長い人生を歩んできて尚、「女」であることを“外見的要素のみ”で判断しようとしているところが、これまた不可解である。
 
 確かに、人間外見は大事だ。それは私も否定はしない。
 この私とて、長年毎日かかさず体重測定をして体型を維持し続け、フィットネスクラブに通って筋トレもし、家中に鏡を置きめぐらして暇さえあれば自分の姿形の点検をしている。 外出する時にはたかが近所のスーパーへ買い物に行くのにも、顔を塗りたくってお化粧をし、ファッションをバッチリ決めないことには家を一歩も出ない徹底した“外見こだわり派”である。
 そうとは言えども、それは決して漠然たる概念としての「男」のためではない。 不特定多数の男を普段から意識して、男から若く見られたいという発想でそのような行動を取っている訳ではないと、私の場合は断言できる。

 それではなぜ私が自身の外見にこだわるのか。 それはいわば“自己満足”の世界なのである。 すなわち私が自分の外見にこだわるのは、このブログで我がオピニオンを綴るのと同レベルの、一つの個人的“趣味”としての範疇なのである。 故に、それはこの相談女性のごとく“「女」であろうとして切羽詰まって”いるのとは事情がまったく異なるのだ。


 確かにこの相談女性が言う通り、“女にとって美は永遠の課題”であるのかもしれない。
 だが、「男」をはじめ他者の目や評価を気にし過ぎるがあまり、還暦近くして尚自分をがんじがらめの独りよがりの“美の世界”に追い込むのではなく、遅まきながらも今後豊かな人生を育む事により、(自分なりの)“美しさ”を自分が楽しめるような発想の転換が出来得るならば、この相談主婦もこれ程までもの“歪んだ美”への悲壮感から解放され得るのではなかろうか。 あくまで自然体で自分らしい「美しさ」を身に付けられたならば、その結果とは後からついてくるものであろう。
 そういう境地に入れるならば、この女性の顔や首の皺も少なくなり、「女」であり「人間」であることの真の輝きを取り戻せるのかもしれない。
      
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