オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

もう一度、悲しみのキャンディーズ

2011年04月25日 23時17分28秒 | ポップス、歌謡曲
ニュースでスーちゃんの葬儀を見ました。
生前、3月29日にスーちゃんが病床で録音した肉声のメッセージを聞いて、胸がしめつけられる思いになりました。スーちゃんは、この時、自分自身、死と直面して、すでに覚悟をしていたのかと思うと本当に辛い。キャンディーズで活躍していた頃、まさか、このような時が来るとは思いもよらなかった。

メッセージは次の通り。

こんにちは、田中好子です。
きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私のつとめと思っています。

今日お集まりいただいたみなさまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。
特に蘭さん、美樹さんありがとう。2人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。
もっともっと女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでもみなさまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、妹・夏目雅子のように、支えて下さった皆様に、社会に、少しでも恩返しできるように復活したいと思っています。
かずさんよろしくね。その日までさようなら。




ミキちゃんの弔辞

弔辞 スーさん。なんでそんなに早く逝っちゃたの。おばあさんになるまで恒例の集合写真をたくさん撮りたかったのに。今度から蘭さんと(水谷)豊さんと3人だけで、スーさんがいないなんて寂しいよ。

数年前スーさんからがんと聞かされた時は本当にショックでした。

でも信頼できるお医者様がついているから大丈夫といって、そのことを前向きに受け止めていて、私たちをいっとき安心させてくれましたね。その後も、会う度に変わらぬ笑顔で、いつも決まって深夜遅くまでお菓子を食べ、お茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。心から楽しかった。
3人プラス豊さんとのあの場あの時をずっと忘れないよ。

家族やまわりの人には、心配をかけたくないとの思いで、病気のことを隠して必死に走り続けた3年間、本当によく頑張りましたね。スーさんの事だからすごく辛い時にも、優しい心配りでまわりの人たちを和やかにさせ、その場の雰囲気をぱーっと明るく変えたのではないかと想像できます。
最後まで頑張り通したスーさん。亡くなる当日も、本当によく頑張ってくれましたね。ありがとう。

私も蘭さんももう間に合わないかと思ったけれど、3人が揃ってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることは不可能な親族も、みんなが勢揃いし、スーさんを取り囲んでお話したりかわるがわる声をかけたり、手をさすったりしました。

その柔らかい手の感触を今でも思い出します。スーさんは一足先に天国へ逝ってしまうけど、天国はそれはそれは素晴らしいところらしいですね。


スーさんどうですか。おばあちゃんとおじいちゃん、カズちゃんやおかあさん、(夏目)雅子さんにもあえましたか。神様はこの世のお役目を果たした人をそちらに呼ぶようです。スーさんはもうお許しが出たのですね。
これは神様からのプレゼントだってこと。新たな命をいただいて、そちらで幸せに暮らしてください。

どうやら私たちは、神様からお許しがまだ出ないので、スーさん分まで明るく前向きに、一生懸命、誠実に、1日1日を生きます。
わたしたちもいずれそちらにいきますので、それまで待っていてね。
また3人で歌いましょう。本当にキャンディーズは楽しかった。
本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。
私たちは永遠にキャンディーズだからね。
おそろいのモノも大切にするよ。ありがとうスーさん。愛してるよ。




ランちゃんの弔辞

弔辞 スーさん、あなたが旅経つ時、1人で寂しくないように、ミキさんと一緒にあなたの名前を何度も呼びました。わたしたちの声はちゃんと届いていましたか。時間が経つほどに、大切な人を失った悲しみと寂しさがこみ上げてきて、今わたしたちはとても困惑しています。

お互いにまだ幼い中学生だった頃に出会い、キャンディーズを通して、喜びも悲しみも共に分かち合い、素晴らしい青春時代を過ごすことができました。スーさんはいつも春のように優しい微笑みでわたしたちを包み、和ませてくれましたね。
その後の女優としての活躍は言うまでもなく、良い仕事をたくさんして多くの人たちに感動を与えてくれました。体のこと打ち明けられたときはなぜスーさんがと、悔しい気持ちでいっぱいでした。

本当はつらいはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」って言って明るく楽しい時間を過ごし、反対にわたしたちのほうが励まされていたような気がします。3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつのまに強く頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かせられた。お見舞いに行ったときも、体調がおもわしくないにもかかわらず、私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない本当にかわいいスーさんでしたね。愛情いっぱいのご主人、一雄さんやスーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そしていつもそばに寄り添っていたマネジャーの気持ちを思うととても胸が傷みます。

わたしたちはみんな大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。
それを支えになんとか頑張って生きていかなければと自分に言い聞かせています。
どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。
ただ、もう一度だけでいいから3人で会いたかったです。約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。
だから今はまださよならは言わずにいきますね。
いつか会える時までもう少しだけ待っててね。
これからは今までの心配や不安から解き放たれて、
どうかゆっくり休んでほしいと思います。
ミキさんと私にとっていつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。
ありがとうスーさん。ずっとずっと愛しています。 




改めてスーちゃんのご冥福をお祈りします。 合掌






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