■「孤独な男」
想像する人。
ヴァイオリンの絵を見れば「ヴァイオリン」と出会い、
裸婦の絵を見れば「ヌード」と出会う。
コードネームってものは全部バンコレ視点での呼び名?
最初の街は絵画の中に描かれてたし、
絵葉書の塔は実際に存在したモデルの他に、
二番目のホテルの照明だったり、「アメリカ人」のオフィスにもありましたね。
映画の中で、どこまでが現実で、どこまでが想像の中なのか、
その辺が曖昧なんだけど、その曖昧さを気持ち良いと感じるか、
はたまた自分のように固まり構えて、猜疑的に観るのか。
この映画の評価はその辺を整理するかどうかで変わるハズ。
最初はトイレの中で日課の太極拳をこなすバンコレから始まり、
最後はトイレでジャージに着替え空港を後にするバンコレで終わるのですが、
もしかすると、バンコレはトイレから一歩も外に出てないかもね。
暗殺とか仕事とかも一切関係なしで、スペイン一人旅中の妄想なのかも…
■「ヌード」
思い返せば思い返すほど、他の仲間とは違う点が浮かび上がる。
キーとは言わんけど、無理矢理に解釈しようとするなら避けて通れない人物。
これは上の項で触れるべきかも知れないけど、
劇中でバンコレが禁じたのは拳銃・携帯電話・セックス。
自分自身にだけではなく、仲間にもそれを強要したのも意味ありげ。
拳銃を除いては一人じゃ意味の無いモノですよね。
拳銃も一人で使うってのはあまり考えづらいんだけど…
逆に一人でもエスプレッソを二つ注文する辺りに、
現実と想像の境目があるのかもしれない。
んで「ヌード」は最後で死んじゃうんだけど、
最初のホテルで別れた後に、何回か再登場を匂わせてますよね。
二番目のホテルでは道路を挟んだ向かいの部屋に。
「メキシコ人」と落ち合う場面ではコーヒーの中に一粒のダイヤ、
ドライバーと出会う直前にビニール雨合羽が。
残されてたメモが白紙だったことも含めて、
「ヌード」だけは現実側の人間だったんじゃないかなぁとも思うんだけど、
メモの文章には意味なんて無かったんやろなぁとも思うし、
メモを読むポイントって、最後のヌードが死んでるところ以外、
全部コーヒーと一緒でしたよね?
ぐぬぬ…
■会話の関連性
「人生には価値が無い」
「自分こそ偉大だと思う男を墓穴へ送れ」
「宇宙には端も中心も無い」
最初の空港はこんな感じだったな。
この三つの言葉は後で何回か出てきますよね。
「ヴァイオリン」は分子や楽器について軽く触れてたし、
「ヌード」はシューベルトに、「ブロンド」は映画、
「ギター」はボヘミアン、「メキシコ人」は鏡に反射する姿を語る。
アメリカ人は最後に「音楽」「映画」「科学」、
これらのコトを下らないと言い捨てる。
人生に価値を見出そうとしている。しかも金とか地位、名誉欲に。
んでバンコレは最初の空港で仲間に言われた通り、
「自分こそ偉大だと思う男を墓穴へ」入れるワケですが、
確かにここだけ見れば、「資本主義に対する批判云々」的なコトも考えられる。
ただ、語られる内容がお互い関連している、というよりも、
極端に会話の内容が寄ってるんですよね。
これだけ国籍も人種も違う人間が出てきてるというのに。
どれも仲間の主観・持論でしか無いし、一切言葉を発しないバンコレもそう。
会話をしているようで、実際は独白であると。
独白でも無いか。自問自答って表現が正解?それとも葛藤?
■自分なりに考えた末に
そもそもこのバンコレの旅自体が想像の中だってコトも有り得るワケで。
コードネームにしろ、コードネームを通してみた仲間のイメージも、
"わざわざ無人の荒地を選んで武装した私兵に護衛させたボス"なんてのも、
全部が全部ステレオタイプなイメージじゃないですか?
こんな事を書いてる自分自身、時間を持て余す内向的で消極的な人間ですから、
日々色々と下らんコトを考えて繋げていって、
それを映画にしてしまえばこんな感じになるのかなぁと思うんですよ。
だからこの映画がバンコレの想像だって考えると、納得できるんですね。
ほんとにね、人間時間と環境さえあれば、
下らない考えも腐るほど湧いてくるんですよ。芋蔓式に。
全部が全部バンコレの想像だとしたら、
移動の度に着替えてあの鞄には絶対収まらないであろうスーツも、
仕事の最中は睡眠を取ってる描写がないってコトも、
バンコレの表情の変化が殆ど無いってコトも。
全部こじ付けではあるけど、説明できる気もするんですね。
また今度、DVDで借りることが出来れば、
最初っからバンコレの一人旅or全部想像っていう目で見てみようかなぁと。
メガネのケツはもう一回見ておきたいしね。
あとこんだけグダグダ書いたんだけど、触れてなかったのが音楽。
日本のBorisってユニットがガンガン提供してましたね。
環境音楽をダーティーな音で変換したような彼らの音楽ですが、
繰り返し繰り返し同じシーンで使われてたのが印象的でしたね。
トレイラーで見て、映画館に入ったら流れてて、劇中で流れて。
飽きるほど聞いてるハズなんだけど、今は興味の方が勝るなぁ。
機会があれば聞いてみよう。
想像する人。
ヴァイオリンの絵を見れば「ヴァイオリン」と出会い、
裸婦の絵を見れば「ヌード」と出会う。
コードネームってものは全部バンコレ視点での呼び名?
最初の街は絵画の中に描かれてたし、
絵葉書の塔は実際に存在したモデルの他に、
二番目のホテルの照明だったり、「アメリカ人」のオフィスにもありましたね。
映画の中で、どこまでが現実で、どこまでが想像の中なのか、
その辺が曖昧なんだけど、その曖昧さを気持ち良いと感じるか、
はたまた自分のように固まり構えて、猜疑的に観るのか。
この映画の評価はその辺を整理するかどうかで変わるハズ。
最初はトイレの中で日課の太極拳をこなすバンコレから始まり、
最後はトイレでジャージに着替え空港を後にするバンコレで終わるのですが、
もしかすると、バンコレはトイレから一歩も外に出てないかもね。
暗殺とか仕事とかも一切関係なしで、スペイン一人旅中の妄想なのかも…
■「ヌード」
思い返せば思い返すほど、他の仲間とは違う点が浮かび上がる。
キーとは言わんけど、無理矢理に解釈しようとするなら避けて通れない人物。
これは上の項で触れるべきかも知れないけど、
劇中でバンコレが禁じたのは拳銃・携帯電話・セックス。
自分自身にだけではなく、仲間にもそれを強要したのも意味ありげ。
拳銃を除いては一人じゃ意味の無いモノですよね。
拳銃も一人で使うってのはあまり考えづらいんだけど…
逆に一人でもエスプレッソを二つ注文する辺りに、
現実と想像の境目があるのかもしれない。
んで「ヌード」は最後で死んじゃうんだけど、
最初のホテルで別れた後に、何回か再登場を匂わせてますよね。
二番目のホテルでは道路を挟んだ向かいの部屋に。
「メキシコ人」と落ち合う場面ではコーヒーの中に一粒のダイヤ、
ドライバーと出会う直前にビニール雨合羽が。
残されてたメモが白紙だったことも含めて、
「ヌード」だけは現実側の人間だったんじゃないかなぁとも思うんだけど、
メモの文章には意味なんて無かったんやろなぁとも思うし、
メモを読むポイントって、最後のヌードが死んでるところ以外、
全部コーヒーと一緒でしたよね?
ぐぬぬ…
■会話の関連性
「人生には価値が無い」
「自分こそ偉大だと思う男を墓穴へ送れ」
「宇宙には端も中心も無い」
最初の空港はこんな感じだったな。
この三つの言葉は後で何回か出てきますよね。
「ヴァイオリン」は分子や楽器について軽く触れてたし、
「ヌード」はシューベルトに、「ブロンド」は映画、
「ギター」はボヘミアン、「メキシコ人」は鏡に反射する姿を語る。
アメリカ人は最後に「音楽」「映画」「科学」、
これらのコトを下らないと言い捨てる。
人生に価値を見出そうとしている。しかも金とか地位、名誉欲に。
んでバンコレは最初の空港で仲間に言われた通り、
「自分こそ偉大だと思う男を墓穴へ」入れるワケですが、
確かにここだけ見れば、「資本主義に対する批判云々」的なコトも考えられる。
ただ、語られる内容がお互い関連している、というよりも、
極端に会話の内容が寄ってるんですよね。
これだけ国籍も人種も違う人間が出てきてるというのに。
どれも仲間の主観・持論でしか無いし、一切言葉を発しないバンコレもそう。
会話をしているようで、実際は独白であると。
独白でも無いか。自問自答って表現が正解?それとも葛藤?
■自分なりに考えた末に
そもそもこのバンコレの旅自体が想像の中だってコトも有り得るワケで。
コードネームにしろ、コードネームを通してみた仲間のイメージも、
"わざわざ無人の荒地を選んで武装した私兵に護衛させたボス"なんてのも、
全部が全部ステレオタイプなイメージじゃないですか?
こんな事を書いてる自分自身、時間を持て余す内向的で消極的な人間ですから、
日々色々と下らんコトを考えて繋げていって、
それを映画にしてしまえばこんな感じになるのかなぁと思うんですよ。
だからこの映画がバンコレの想像だって考えると、納得できるんですね。
ほんとにね、人間時間と環境さえあれば、
下らない考えも腐るほど湧いてくるんですよ。芋蔓式に。
全部が全部バンコレの想像だとしたら、
移動の度に着替えてあの鞄には絶対収まらないであろうスーツも、
仕事の最中は睡眠を取ってる描写がないってコトも、
バンコレの表情の変化が殆ど無いってコトも。
全部こじ付けではあるけど、説明できる気もするんですね。
また今度、DVDで借りることが出来れば、
最初っからバンコレの一人旅or全部想像っていう目で見てみようかなぁと。
メガネのケツはもう一回見ておきたいしね。
あとこんだけグダグダ書いたんだけど、触れてなかったのが音楽。
日本のBorisってユニットがガンガン提供してましたね。
環境音楽をダーティーな音で変換したような彼らの音楽ですが、
繰り返し繰り返し同じシーンで使われてたのが印象的でしたね。
トレイラーで見て、映画館に入ったら流れてて、劇中で流れて。
飽きるほど聞いてるハズなんだけど、今は興味の方が勝るなぁ。
機会があれば聞いてみよう。