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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

青空を眺めたりすると、洗濯が出来るよなぁ・・、高齢者の男性の私は、心の中で呟(つぶや)き・・。

2019-05-16 16:28:13 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や15年生になっている。


こうした中で、ときおり家内が我が家より遠方に独り住まいの家内の母に介護で行く時は、
私は『おひとりさま』になるが、15年近く体験してきている。


こうした時の朝、目覚めた後は、やがて台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』、『燃えないゴミ』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりしている。


しかしながら、
家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
こうした中、キャベツ、ニンジンの千切りぐらいはしているが、 煮たり、焼いたりする料理ができない私は、
スーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、 食べているのが実態となっている。

洗濯に関しては、洗濯から乾燥できるまでの洗濯機に頼り、
せめて下着、タオル、パジャマぐらいはしょう、と当初は私は思ったした・・。

しかしながら家内より、着替えはたくさんあるでしょう、私が帰ってからします、
と強い口調で私は言われてしまい、助かるよぅ・・と私は即答したりしてしまった・・。

このような洗濯機の機能も知らずに、今日まで至っている軟弱な私となっている。

掃除に関しては、多少の埃(ほこり)がたまっても・・とグウダラな心情で、
二日に一回・・電気掃除機を曳くか、或いはコードレスの掃除機で、掃除したくらいである。

このように私は家事に関しても、落第生であるが、何とか『おひとりさま』の生活を戸惑いながらも、
過ごしてきた・・。

            

そして今年の3月になると、家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある臓器の膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した後、
私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
私たち夫婦は専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

やがて家内は2泊3日で検査入院して、 精密な状況を把握した後、
4月12日より少なくとも数週間、病院で手術、その後の経過状況、 やがて回復状況を想定して、
入院生活を過ごしている。

そして家内は結婚以来、初めての入院生活となり、私たち夫婦として病状の緊迫感もあるが、
表面上は、3食昼寝付きょ、と家内は私に対して、微苦笑しながら言ったりしてきた。

この入院するまでの期間、家内なりに身辺整理をしたり、
こうした中で、和服の大半は家内の妹の家族に贈呈する為、運送業者で送付したりしてきた。

そして私が家事全般として、料理以外に出来ていない事は、洗濯であり、
入院する一週間前に、私は家内の指導の下で、特訓を受けたりした。

            

そして『洗い』、『すすぎ』、『脱水』、『乾燥』の基本順序を認識した上で、
これまでは『乾燥』の過程で、布ほこりでネット詰まり、停止警報が鳴った後、ときおり家内と選手交代で、
布ほこりを取り除いた後、再稼働させたぐらいであった。

こうした中、恥ずかしながら洗剤と柔軟剤の投入場所を、初めて知ったりした。

ここ5日、青空を眺めたりすると、洗濯が出来るよなぁ・・、私は心の中で呟(つぶや)く時もあるが、
私が家内の入院している病院先であったり、或いは平素の買物先のスーパーに行く途中であったりし、
独り微苦笑したりしてきた。

やむなく朝食前に洗濯を終わられるか、或いは家内の入院している病院より帰宅後、
洗濯していることが殆どとなっている。

そして私は、青空の中、陽射しを受けている我が家の洗濯干し場で、
洗い終わった私のパジャマ、下着、タオルなど干す作業をするのが、理想であるが、
本日外出前に実行できて、幸せを感じ深めたりした。 

☆コメント欄☆
家内の入院に伴い、私は何かと多忙となり、当分の間は閉鎖させて頂く。

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定年直後に免許返納、生涯で1400万円節約できる、免許を自主返納した私は、微苦笑して・・。

2019-05-15 18:50:51 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中、
『 定年直後に免許返納、生涯で1400万円節約できる計算に 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。


そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、 定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、我が家の周辺の住宅街は、どの御宅にも自家用車があるが、
私は無念ながら、自動車の運転を断念したひとりで、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。

               

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は定年退職後は、年金生活を始めた当初、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して、若さの勢いで日本の各地を走行してきたが、
この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、この機会に自動車を購入して、
私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と私は夢想したりした・・。

しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
一年後の自動車の運転免許証の更新時に免許証を破棄して、自動車の運転を断念したりした。

このような体験をした私は、《・・定年直後に免許返納・・生涯で1400万円節約できる・・》と読み、
本当かしら、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、『週刊ポスト』の2019年4月12日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に2019年4月8日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・定年直後に免許返納、生涯で1400万円節約できる計算に

               

定年後の生活を“引き算”の発想で、豊かにする方法がある。
それが「攻めの解約術」である。

運転免許も、定年後の有力な“リストラ候補”だ。
警察庁の統計によると、2017年の運転年の運転免許の自主返納件数は
約42万件だった。

過去5年の累計は約170万件に達する。
高齢ドライバーによる事故が社会問題化し、自主返納は大きな潮流となりつつある。

60~70代代前半のドライバーなら、
そこまで運転技術は衰えていないという自負がある人もいるだろう。

しかし、とりわけ公共交通の充実した都市部なら、
免許(車)を手放す金銭的メリットは明らかだ。

ファイナンシャルプランナーの森田悦子氏が指摘する。
「私の試算では、排気量1500ccクラスの車を手放した場合、
年間50万円ほどの費用負担から解放されることになります」

森田氏の試算では、駐車場が月2万円で年間24万円、
ガソリン代が月8000円で年間9万6000円、
それに自動車税や任意保険、車検費用などを積み上げると、年間約50万円になるのである。

「仮に60歳の定年後の20年間、車に乗るか乗らないかの違いで考えてみましょう。
毎年かかる経費に加えて、20年間ずっと同じ車に乗り続けることは考えにくいので、
新車代金200万円のコンパクトカーを10年で買い換えるとする。

そうなると車を手放す選択によって、
20年間で1400万円もの支出をカットできることになるのです」(同前)

免許の自主返納により、数年ごとの免許更新にかかる費用や手間を省くこともできる。
その上、返納後に受け取れる「運転経歴証明書」を利用すれば、
バスやタクシーの利用割引のほか、様々な特典が受けられる(自治体によって異なる)。

たとえば東京都では、大手百貨店、スーパーなどの自宅への配送無料サービスが受けられる。
買い物した品を持ち帰るのに、車でなければ不便と思いがちだが、
その不安を解消できる可能性もあるのだ。

               

免許返納をしないまでも、マイカーの代替手段として「カーシェア」も普及してきた。
システムはレンタカーと同様だが、短時間の利用を想定しているため、より安価で使用できる。
月6回、1回4時間ほど利用してもかかる費用は月に約2万円。

単純計算で年間24万円、マイカーがないぶん電車やバスを使うことが出てきたとしても、
年間30万円ほどで済ませられるはずだ。
自家用車を持つことによる年間50万円の負担とは大きな差が出る。

「車は所有せずに必要な時だけ使う、という考え方にスイッチするだけでも、
大きく出費を削減できます。

現役世代と違い、定年後は平日に出かけることができるので、
休日は枠が埋まりがちなカーシェアを利用しやすいというメリットもあります」(森田氏)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。                 

                

記事を読み終わった後、私は微苦笑を重ねたりした。

私は年金生活を始めて早や15年目の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に、ささやかに住んでいる。 
 
こうした中で、私は買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。
そして駅までの15分前後の道のりも、利便性の良い路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、
年平均として、3万円前後となっている。

こうしたことをご近所に住む知人のひとりに言ったりしていると、
この御方は、相変わらず少なくとも月に一度ぐらいドライブしているが、費用としては程々に要しますょ、
と私は教えられきた。

今回の記事に於いて、排気量1500ccクラスの車を手放した場合、 年間50万円ほどの費用負担、
と知り、私は微苦笑したりした。

              

しかしながら、駅前で知人とか友人と時折お逢いした時、
しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、 明るい日中だとコーヒーを飲んだり、
夕暮れすぎの場合はビール、水割りのウィスキーを呑みながら、 談笑をしたりしている。

こうした時、免許を自主返納し自動車を保有しないことを幸いに、
ビール、或いは水割りのウィスキーを、もう一杯ねぇ・・と交遊が深められるが、
結果として支払いが多くなる。

或いは家内と国内旅行で、旅先で酒造所、或いは食事処で、
美味しそうな日本酒、ワインを見たりすると、免許を自主返納した私は、
一杯呑んでみよう・・と結果として、確かな美酒と感じたら、お替りをし軽く酔いながら、
支払いが多くなったりしてきた。

このように定年後の人生でも、たとえ自動車を所有することは、人それぞれ思いがあるので、
単純に節約できる課題は割り切れず、十人十色の世界でもある、と微苦笑したりした。

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家内の入院に伴い、私は何かと多忙となり、当分の間は
閉鎖させて頂く。 

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ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2019-05-13 17:21:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりして、
『 ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由 』
と題された見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

そして時代遅れの私は、相変わらず固定電話を利用し、
せめてインターネットに関して、 固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は、こうした中でブログの投稿文を重ねて、早や15年生となっている。

              
 
ブログを始めた14年半前の頃は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、 ブログに加入しょうと決意した。              

結果としては、 パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

                                                                                   

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを 心の発露の表現手段として、
ブログの投稿文を綴ったりしている。 

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、 ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。        

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、
真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったりして、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは15年生となっている。                  

               

このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、
少しは身なりを整えるのと同様に、 私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。 

しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、
家内より多くの御方に恥ずかしくないように、 叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。

そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。  
             
                                               
               

コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、 私は本心を発露して綴り、
相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、 微笑んだり、苦笑したりする時もある。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。

或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、 私は思いかけずに喜んだり、
私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、 返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。

そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。

こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。

              

しかしながら私の投稿文に於いても、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきたので、
今回の《・・ネットに愚痴や悪口を書くと・・ダークサイドに堕ちる理由・・》知的好奇心に負けて、
記事を読んでしまった・・。

この記事は、コラムニストの石原壮一郎さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に2019年5月15日に配信され、
無断ながら記事の殆どを転載させて頂く。

《・・ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由

21世紀を生きる私たちは、長い人類の歴史のなかで、
ダントツに大量の愚痴や悪口に囲まれて生きています。

それは言うまでもなく、ネットやSNSがが発達したから。
誰もが意見を表明できるようになった利点も、たしかにあるでしょう。

しかし、そんなものは軽く吹き飛んでしまう悪影響が、
私たちの心や人生を徐々に蝕んでいます。

               

もちろん、そういうものがなかった昭和までの時代も、人は愚痴や悪口に精を出していました。
しかし、聞かせる相手は、周囲の家族や知人や同僚であり、
そんなことばっかり言っていると嫌な顔をされたり鼻つまみ者になったりするので、
ある程度は自制心が働いたものです。

しかし、ネットの発達は、そんなタガを外してしまいました。

たとえばSNSに、実名で愚痴や悪口を書き込むのは、
どこかの駅前でメガホンを持って、大勢に向かって悪態をついているのと
似たり寄ったりの行為です。

しかし、本人にそういう意識はありません。
ネットやSNSに愚痴や悪口を書き込むと、どんどんダークサイドに堕ちてしまいます。

理由は、次の5つ。

その1 「四六時中、愚痴や悪口のネタを探し続けてしまう」

その2 「不都合なことに向き合わないので、何も解決しない」

その3 「目先の反応が嬉しくて、際限なく先鋭化していく」

その4 「自分を『悲劇の主人公』に仕立てるのが上手になる」

その5 「知らないうちに『困った人』のレッテルを貼られる」


この段階で「なるほど」と納得した人は、最初からその手のことは、書き込まないでしょう。

「そんなことあるか!」と反射的にいきり立っている人は、たぶんもはや手遅れ。
「えっ、どうして?」と思った今なら、まだ間に合う方のために、少し説明させてください。

              

●その1 「四六時中、愚痴や悪口のネタを探し続けてしまう」

愚痴や悪口は、すぐにネタが見つかります。
反応もそれなりにいいでしょう。

周囲は無責任に慰めたり同意したりするので、「自分は正しい」と思い込むことも容易です。
そんな快感に溺れて、何度もその快感を味わいたくて、
朝から晩まで「なにか愚痴や悪口のネタはないか」と探し続けてしまう体質に・・・。

他人や物事のいいところではなく、とにかくあらを探す癖もつきそうです。
そういう毎日は、はたして楽しいでしょうか。


●その2 「不都合なことに向き合わないので、何も解決しない」

愚痴や悪口は、吐いた瞬間はスッキリすることができます。
しかし、根本的に何かが解決したわけではありません。

強引に自分を正当化した分、解決から遠ざかっていると言えます。
SNSで見かける同僚や上司や配偶者に対する文句は、
大半が「こんなところに書いてないで、本人に言えよ」と思えるものばかり。

「言えないから書いているんだ」と反論されそうですけど、
言う以外でも、何か打てる手を考えたほうが有意義です。


●その3 「目先の反応が嬉しくて、際限なく先鋭化していく」

とくにSNSに顕著ですが、自分の目に入る世界は、自分と似た考えの人ばかりになりがちです。
客観的には「おいおい、本気かよ」と言われそうな意見でも、
「そのとおり」、「さすが」と言われがち。

人は弱くて愚かな存在です。
「いいこと言ってるオレ(ワタシ)」というセルフイメージを肥大させるのに、
それほど時間はかかりません。

愚痴や悪口だけでなく、政治や社会に対する批判も、同じ落とし穴があると言えるでしょう。


●その4 「自分を『悲劇の主人公』に仕立てるのが上手になる」

人生は、ままならないことの連続です。
今という時代も、自分の環境や性格も、周囲の人間関係も、気に入らないことは山ほどあるでしょう。

愚痴や悪口に精を出せば、自分を「悲劇の主人公」に仕立て上げることは簡単にできます。
おとなしく従順に生きろという意味ではありません。
批判精神を持って、時に戦うのは当たり前の話。

しかし、ネットに愚痴や悪口を書き込んでいるのは、
単なるヒマつぶしで戦いでも何でもありません。


●その5 「知らないうちに『困った人』のレッテルを貼られる」

これは、実名が原則のFacebookで起きがち。
書き込んだ愚痴や悪口に「いいね!」を押してくれたり、
やさしいコメントをくれたりしている人も、
じつは心の中では「うわ、困ったヤツだな」、「面倒臭そうだから、ちょっと距離を置こう」と思っています。

いわんや黙って読んでいる人たちをや知らぬは本人ばかりなり。

面と向かって「ああいうこと、書かないほうがいいよ」
と言ってくれる親切で勇敢な人は、まずいません。

              

うっかりダークサイドに堕ちないように、くれぐれもお気を付けください。
そして、こうやってダークサイドに堕ちている人の悪口を書いている私も、
間違いなくダークサイドの住人です。

どうぞ遠慮なく「大きなお世話だ!」、「お前には言われたくない!」
といった罵倒の言葉を投げつけてください。

そんな光景を見た方が、ひとりでも
「ああ、醜い。あっちにはいかないようにしよう」
と思ってくださったら、私としては本望です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                 

                

私は記事を読み終わった後、微苦笑を重ねたりした。

過ぎし2005年(平成17年)の当時に、 あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、
コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。

《 タイトルは、《あいうえお》
  内容は、ゲボリッチ       ゲボリッチャン
  発信人は、f4rr   発信時間は、20.39 》 と綴られて、
ご丁寧に8回連続されていた。

この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。

私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、
たとえ大学、大学院などを卒業されても、 心の貧しい人と思っている。


或いは私の投稿文について、確か10年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視している・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。

私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘する時もあるが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。

そして7年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。

そして今年でも、私は若い一部の御方の『スマホ依存』を憂い、投稿した後、
貴様みたいなスマホより価値がない下等生物が余計なことするな。
貴様の自己満に巻き込まれた方はいい迷惑だ。

このようなコメントを頂き、私は苦笑したりした。

              

このようにコメントの内容により、ネットの世界は、リアルの世界と違い、
なんでもありの不思議な世界であり、 受けた御方は険悪と感じたり、
或いは多忙の中コメントの返信もままならず、 やむなくコメントの閉鎖されている御方もいる。 

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突然に今年、私は入院体験を2回ばかり、そして家内は初めて入院となり、何かと私は戸惑いながら・・。

2019-05-12 17:36:12 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、 我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、
ささやかに過ごしている。

こうした中、昨年までは私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せずに、 過ごしてきた・・。

しかしながら私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、 やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されて、
10数名の医療スタッフの中で、 私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、
そしてCTスキャンなどの精密検査、 或いはレントゲン終えたのは、1月4日の早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

 今回、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に関して自己節制の能力が欠けて、やめられず、
56年ばかり自身に甘えてきたが、 遅ればせながら禁煙を決意した。

              
            

そして3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4
月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

過ぎし3年半前、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、
手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、
メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。

この清く正しく美しくになった両眼は、3月の初めの頃に、突然に左眼だけが
視力が激変し、
私は困苦しながら、最寄り駅近くにある眼科専門医院に通ったりしてきた。

この眼科専門医院は、私は3年半前に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、
顔なじみとなり、
男の癖におしゃべりな私は、少し遠慮しながらも談笑したりしている。


このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『西葛西』にある井上眼科専門病院を紹介されて、
入院しながら手術を受けて、ただいま回復に向かっている・・。

              

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、
家内が体調を崩して内科を検診した後、まもなく胃の後ろ側にある
長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した時、
やがて
検査入院して、 精密な状況を把握して、対処することになった。

何かしら膵臓(すいぞう)の働きとしては、
食べ物の中のタンパク質を溶かす「膵液」という消化液を作って、膵管から十二指腸に出す「外分泌機能」と、
血糖や消化液の量を調節するホルモン(インスリン、グルカゴン、ガストリンなど)を作って 血液に出す「内分泌機能」がある、
と学んだりしてきた。

こうした中で、膵臓にできる腫瘍としては、 一般的に「膵がん」と呼ばれる悪性の腫瘍や、
その他にも色々な種類の腫瘍がありますが、 腫瘍の種類、状態や進行度などによって治療の方法が変わる、
と教えられてきた。

このようなことを私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
私たち夫婦は専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院したりした。

この間、私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりした。

やがて本日より、少なくとも数週間、病院で手術、その後の経過状況、
やがて回復状況を想定して、入院生活を過ごすこととなった・・。

こうした心情は家内の思いを配慮すれば、これまでの14年半の多くの投稿文の中で、
最も明記しずらかった・・。

              

こうした中、たまたま公式サイトの【 介護ポストセブン 】を見ている中で、
『 八千草薫さん「90歳目前のがん手術」“する”“しない”の境界線 』
と題された見出しを見たりした。

そして私は、家内の病状のことがあり、真摯に精読したりした。

こり記事の原文は、『女性セブン』の2019年2月28日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 介護ポストセブン 】に2019年2月15日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・八千草薫さん「90歳目前のがん手術」“する”“しない”の境界線

(略)2月9日、八千草薫(88歳)さんが所属事務所の公式サイトで、
肝臓がんの闘病中であることを公表した。

治療に専念するため、出演予定だったドラマ『やすらぎの刻(とき)~道』(テレビ朝日系)と
ドラマ『執事 西園寺の名推理2』(テレビ東京系)を降板する。(略)


☆昨年1月に膵臓(すいぞう)の摘出手術、3月には仕事復帰

八千草さんは、2017年末に毎年受けている人間ドックで、膵臓(すいぞう)がんが見つかり、
昨年1月に膵臓を摘出する手術を受けた。

90歳を前にして行った大手術について、
医療ガバナンス研究所所長で医師の上昌広さんが解説する。

「膵臓がんは、自覚症状がほとんどなく、見つかった時は、手遅れというケースも多い。
合併症が極めて多く、数パーセントが手術で亡くなるともいわれますが、
手術をしないと余命1~2年という可能性もある重篤な病気です。
八千草さんは高齢ですが、本人が完治を望んだので手術に踏み切ったのでしょう」

手術後は2か月療養し、昨年3月からドラマの撮影で仕事に復帰した。(略)

              

☆手術「する」、「しない」は、年齢よりその人個人の身体的若さによる


高齢化が進む現在、シニアとがんは、密接な関係にある。
なかでも問題は、がんがわかった時に手術を「する」のか、「しない」のかという判断だ。

「一般的には、高齢になるとともにリスクを恐れて、がんの手術を避けるようになり、
80歳を超えると多くの人が手術をしません。

80代後半で手術に踏み切った八千草さんは、よほど体力があったのだと思います」(上さん)

一方、高齢になると、がんの進行は、遅くなるといわれている。
手術せずに「天寿を全うする」という人も少なくない。
ただし現在は、昔に比べて、高齢者が手術を受けやすくなった。

医療経済ジャーナリストの室井一辰さんが指摘する。

「“手術に年齢の上限はない”が今の主流の考え方で、
年齢よりもその人個人が、身体的に若いかどうかが問われます。

また、ここ10年ほどで医療技術が大きく進歩して、高齢者でも手術を受けやすくなりました。
例えば『マルチスライスCT』を使えば、 一度にたくさんの写真を撮影できて、
患部を細かく診断できるようになりましたし、
腹部に小さな穴を開けて、カメラを挿入して手術する『腹腔鏡手術』が普及して、
患者の体に与える負担が少なくなりました」

そもそも手術が選択肢になること自体が、完治の可能性を示すと室井さんが続ける。

「確かに切らなくても、寿命に関係のないがんもありますが、がんはできるだけ切除すべきです。
医師が“外科手術をしますか”と提案するのは、
患者が手術に耐えうる体力を持ち、がんを切除できると判断したからです。

がんが全身に転移していれば、手術は困難ですが、
手術ができる時点で、“治せるがん”なのだと前向きにとらえるべきです」

              


☆手術のリスク「麻酔」「出血」と「入院」

一方で、手術をすることの危険性もある。
その最大のリスクは「死」だ。

秋津医院院長の秋津壽男医師が指摘する。
「高齢になるほど、体力は低下しており、手術中に血圧が変動して、
死を迎えるリスクはゼロではありません。
また、がん周辺の正常な細胞を切り取ることにより、体がダメージを受けることもあります」

室井さんが注目するリスクは「麻酔」と「出血」だ。
「一定時間、強制的に意識を飛ばして、呼吸機能を抑制する場合もある全身麻酔は、大きなリスク。
特に高齢者は体に負担がかかりやすく、脳に影響が及んで認知症リスクが増す恐れもあります。

また高齢者は血管も弱っているので、
最悪の場合は、手術中に大量出血で死にいたる可能性があります」


☆術後の「入院」もリスクになる。

「高齢者の場合、入院してベッドで過ごすと、想像以上に体力が落ちてしまいます。
入院生活で“楽”をしすぎて足腰が弱り、退院してもそのまま寝たきりになるケースがあります。

このため、高齢者が入院する場合は、筋力を維持することが大切。
最近は、手術後のリハビリに筋トレを取り入れることが大事だといわれます」(室井さん)

八千草も昨年1月の膵臓摘手術後は、人の手を借りなければ、歩けなくなっていたほどだったという。
もちろん手術である以上、医療ミスが起きる可能性もゼロではない。

               

☆大切なのは“絶対に治す”という「気力」

このように、高齢になるほど手術のメリットとデメリットの振れ幅が大きくなるが、
はたして何歳まで手術は可能なのか。

秋津さんは「あくまで体力が判断基準」と指摘する。
「寝たきりの70歳だったら手術はしませんが、山登りする90歳なら手術します。(略)
 
本人が手術を望んでも、“あなたの体力では、手術中に何が起こるかわかりません”
と医師が手術を断ることもあります」

高齢者の手術で、もう1つ大切なのは「気力」だ。
「本人に“絶対に病気を治す”という気力があれば、いくつになっても、がんに立ち向かえます。
八千草さんも“なんとしても舞台に復帰するんだ”という強い気持ちがあったので、
手術に踏み切ったのでしょう」(秋津さん)

上さんは、「高齢だからと手術を諦める必要はない」と指摘する。

「昔は年を取ると手術をしませんでしたが、
今は医療が進歩して、高齢でも手術が可能になりました。

ただし普段から体力がないと手術はできないので、
日常生活で運動や栄養に気を使い、できるだけ健康を維持しておくことがとても大切です」(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
       

                

たまたま八千草薫(88歳)さんの肝臓がんの闘病に伴い、高齢者が肝臓がん等に遭遇した時、
各専門家のアドバイスを私は読みながら、家内の深情を私が書きづらかったことを、
ほぼ明記されている、深く同意させられた・・。

このような我が家としては、突然に今年の本日まで、
私は入院体験を2回ばかり、そして家内は入院となり、 何かと私は戸惑いながら、
夫の責務として、或いは家事のこともあり、慌ただしくなっている・・。

尚、このような事態であり、コメント欄は当面は閉鎖させて頂く。

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認知症予防、脳トレで左右の脳をバランスよく覚醒、こっそりと高齢者の私は学び、やがて微苦笑をして・・。

2019-05-11 14:46:33 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読していた公式ネットの【 介護ポストセブン 】を久々(ひさびさ)に見たりした中で、
『 認知症予防にも! すぐできる「両脳覚醒」トレーニング 』
と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もある・・。

たとえば5歳年下の家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは、鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

私は9月下旬の誕生日を迎えると後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、 何とか健康寿命を保っている。

            
 
こうした深情を秘めた私は、こっそりと《・・認知症予防・・すぐできる「両脳覚醒」トレーニング・・》を
読んだりした・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2018年2月8日号に掲載された記事のひとつであり、
関連のネット【 介護ポストセブン 】に2019年5月11日に配信されていて、 無断であるが転載させて頂く。
              

《・・認知症予防にも! すぐできる「両脳覚醒」トレーニング


右手と左脳、左手と右脳がそれぞれ「繋がっている」、という話はよく聞く。
実際、約1万人以上の脳画像解析を行ってきた脳科学者で医師の加藤俊徳さんは、
脳と手には密接な関係があり、右利きの人は左脳を、左利きの人は右脳を多く使っている、と分析する。

左脳は、主に言語系の情報を、
右脳は、イメージなど非言語化された情報を処理している。

そのため「文章を読む」、「数式を解く」などの場合は、左脳が、
「絵画を鑑賞する」、「人の顔色をうかがう」などの場合は、右脳がよく働いている。

            

【右脳の特徴】
●映像理解が得意
●空気を読み、他者を理解できる
●コミュニケーション能力が高い
●優柔不断、流されやすい

右脳が活性化している人は、相手の表情から気持ちをくんだり、
その場の空気を読むのが、得意でコミュニケーション能力が高い。
他人を優先することが多いため、優柔不断で流されやすい一面も。


【左脳の特徴】
●言語理解が得意
●言葉を巧みに使える
●自己をよく理解している
●自己中心的

左脳が発達している人は、言語理解が得意なので、
言葉で物事を的確にとらえることができる。

その分、他人の考えよりも、自分の知識を優先し、自己中心的になりやすい傾向が。
周囲の空気を読むのが苦手な傾向も。

            

「日本人の多くは右利きで、左利きの人は約10%といわれています。
脳のMRI画像を見ると、9割以上の人が片方の脳ばかりが発達している“片脳覚醒”で、
右脳と左脳がともに成長している人は、ごくわずかです。

片脳覚醒の人は、普段から左右の手をバランスよく使えば、両脳が覚醒するでしょう。
両脳を使えば脳の稼働範囲が広がるので、新たなアイディアが閃いたり、
記憶容量が増えて認知症リスクが軽減できたり、生きる力も湧いてきますよ」(加藤さん・以下同)

脳は新しい刺激を好んで成長し、マンネリを嫌う。
普段、働いていない脳は劣化しやすく、悩みやコンプレックスを生み出す原因になることもある。

「特に脳は、手の刺激をダイレクトに受けやすいため、
右利きの人は左手を、左利きの人は右手を、意識して使うことで脳を刺激できるのです」

つまり、脳を覚醒させる方法で、てっとり早いのが手を動かすこと。
手の刺激は脳に伝わりやすいため、右利きの人は日常生活で左手を使うだけで、
普段使っていない右脳を刺激できるのだ。

そこで、簡単にできる右脳覚醒トレーニングを紹介しよう。

            

Lesson1:左手を積極的に動かして右脳を刺激

●左手で歯磨き
    毎日当たり前のように行っている歯磨き。
    歯ブラシを左手に持って歯を磨くと新鮮で、脳を活性化できる。
    口内の奥行き、歯の位置などを予想しながら左手を動かすので、同時に想像力も鍛えられる。

●鍵の開け閉めも左手で
    普段、鍵をかけたかどうか忘れてしまうのは、体に染みついた習慣化した行為だからこそ。
    それほど簡単な動作なのに、左手ではうまく行えず、その分集中力がアップする。
    記憶にも残りやすく、物忘れの改善にも効果的。

●左手でご飯を食べる
    左手に箸を持ち替えて食事に挑戦! 
    ただ予想以上に難しいので、まずはスプーンやフォークなど簡単に使えるものから始めてみてもOK。
    毎日少しずつ左手での箸遣いにも挑戦を。

●食器洗いも左手で
    スポンジを左手で持ち、お皿などを洗う。
    さらに、蛇口をひねる、洗ったお皿を拭くなど、
    いつも右手で行うことを、すべて左手に替えて行ってみるのもいい刺激に。

●左手で体を洗う
    右手を使わず、左手にボディー用スポンジなどを持ち、体を洗ってみよう。
    さらに、いつもと洗う順番を変えるとより複雑化され、脳が刺激される。

●左手で豆を移動
    茶碗に大豆などの豆を入れて箸でつまみ、30秒で何個動かせるかに挑戦。
    まずは右手で行い、次は左手で。
    集中力が必要なので精神が統一され、感情をコントロールするのにも最適。

●左手で絵を描く
     直線や渦巻きなど、シンプルなものを描いてみよう。
    慣れてきたら好きな絵を描いてみる。
    絵を描くこと自体、右脳を刺激するトレーニングになる。

●左手でボール投げ
    ボールを投げるなど、楽しい動きから始めてみると続けやすい。
    家族とキャッチボールをしてみたり、犬のボール投げ遊びを率先して引き受けたり、
    体を動かしながら脳を鍛えよう。

            


Lesson2:両手を使って右脳と左脳のバランスを整える

●両手でカーテンを開ける
   
 朝起きたら両手でカーテンを開けることを習慣に。
    “朝行う”と自分で決めて習慣化することで、「朝が来た」ことを脳が認知し、覚醒しやすい。

●ラジオ体操をする
   
 ラジオ体操は、両方の手を左右対称や交互に動かせる効果的な運動。
    慣れたら左右の順番をあえて逆にしたり、場所を変えて行ったりして、新たな刺激を加えよう。

●真上に思いきり伸びる
    頭の上で手を合わせ、体の中心に意識を集中し、思いっきり上に伸びる。
    左右の手を合わせるだけでも、左脳と右脳を繋ぐ“脳梁(のうりょう)”を刺激できる。

●両手窓拭き
   
 両手に雑巾を持ち、まずは利き手のマネをして同時に同じように窓を拭いてみる。
    慣れてきたら、右は縦に、左は横になど、左右別々の動きをして脳に刺激を与えよう。

●両手で草むしり 

    草を抜くという簡単な作業なので、左手も同時に行いやすい。
    農作業や園芸など土をいじる行為には、心を落ち着ける効果もある。

●右手で鉛筆、左手で消しゴム
   
 文字を書く時、両手を使ってみるのも、脳にはいい刺激に。
    まずは左手で文字を「消す」ことから。
    左手で「書く」のは難しいが、慣れれば書きやすくなるので継続してみよう。

●仏壇に手を合わせる
   
 両手を合わせると左右のバランスが体の中心に整う。
    仏壇や神棚に合掌することを一日の習慣に。
    体の前で拍手をしても同じ効果が。

 ●右腕と左腕を同時に逆方向に回す
   
 右腕は前に、左腕は後ろに、同時に回す。
    できたら、今度はそれぞれ逆方向に回して。
    左右の腕が別々の動きをする時に、左脳と右脳を繋ぐ“脳梁”が活発に働くため、両方の脳が刺激される。

             

Lesson3:体を動かして両脳のバランス力アップ

目をつぶって片足バランス
    脳の左右のバランスを整えている小脳に、あえて負荷をかけて刺激する運動。
    両手を広げて片足で立ち、目を閉じてそのまま10秒キープ。反対の足も同様に行って。

●ゆっくり自転車をこぐ
    普段、乗り慣れている自転車も、スピードを落とすだけでバランスが取りにくくなり、
    動きに集中するようになる。
    バランスを調整する動作が小脳を刺激する。

●左右の歯で噛む
    口も脳と繋がっている。
    食物を噛む時、片側で噛むくせのある人も多いが、
    左右の歯でバランスよく噛むよう、意識することが大切だ。

●誰かにマッサージや肩もみをしてあげる

    相手の表情を見て、体の硬さを感じながら行うマッサージは、非言語情報を処理する右脳を刺激。
    周囲の空気を読み、相手の気持ちを汲み取るトレーニングとしても◎。

●お経を唱える
    お経を唱える時、脳内では漢字を“画像”として右脳が捉えてから、左脳が言葉に変換している。
    右脳と左脳の交流が活発に行われるため右脳も刺激できる。
    お経以外にも文章を声に出して読んだり、漫画にも同様の効果がある。

           


Lesson4:よく観察することで右脳を強化!

●流行の人のモノマネをする
    演じる相手になりきって、せりふや表情、動作をマネすると、
    感情をつかさどる右脳が刺激される。
    感情を表現する力や、相手の気持ちを読み取る力も養われる。
    家族や友達など身近な人のモノマネでもOK!

●話す相手をよく見る
    周囲をしっかりと観察して分析し、そこから他人の感情を読み取る訓練をすると、
    右脳は鍛えられる。

    話す相手のファッションや持ち物、メイクなどをよく見て、いつもと違う点を見つけたり、
    好きな物は何かを考えてみるのも◎。
    普段から、今、その人がどんな状況にあって、何を感じているのか、観察する訓練を。

●ペットや植物を観察する
    言葉の話せない動物や植物をじっくり観察する。
    表情や動作、成長などから様子を汲み取ることで、想像して考える力が鍛えられる。

●大げさに感情表現をする
    右脳の発達が未熟だと相手の感情を充分に読み取ることができない。
    普段から自分の気持ちも感情豊かに表現してみよう。

●好きな映画のシーンを繰り返し見る
    自分の好きな映画のシーンを繰り返し見ることで、
    観察力が上がり、人の感情の機微がわかるように。
    慣れてきたら頭の中で再現して、好きなシーンを増やしてみて。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            

今回、 脳科学者で医師の加藤俊徳さんより、多々教示されたりした・・。
しかしながら、どれひとつとっても、何かと不器用な私は、簡単にできませんよう・・
と心の中で呟(つぶ)やいたりした。

やむなく私は、自身として出来そうなことを始めたりしている。

たとえは《・・植物を観察する ・・》、《・・話す相手をよく見る・・》、
《・・目をつぶって片足バランス ・・》、《・・真上に思いきり伸びる・・》・・
このようなことを始めたりしている。

いずれにしても私に取っては、《・・左手でご飯を食べる・・》、
《・・右腕と左腕を同時に逆方向に回す・・》・・・、
難題だなぁ、と微苦笑をしたりしている。

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タバコを吸わない人の肺がん急増、豆腐と納豆で予防、今年タバコを禁煙した私でも、動揺しながら学び・・。

2019-05-10 14:56:01 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【  FNN.jpプライムオンライン  】を見たりした中、
『 タバコを吸わない人の肺がん急増!!
          実は、豆腐と納豆で予防できます 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
昨年までは、幸運にも大病に遭遇せずに、年金生活を14年間を過ごしてきた・・。

しかし自己節制の能力の欠けた私は、恥ずかしながらタバコを止められず、
愛煙者のひとりとなってきた。

こうした中、私は新年そうそう、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やがて救急車に搬送されて、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日の入院した。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と今回の担当医師より告げられたりした。

そして今回の担当医師より、
『私は数年前までは・・タバコの愛煙者でしたが・・XXさんも、この機会に禁煙しませんか?』
と私は勧められたりした。

この時の私は、瞬時に人生気合一番と思いながら、
『先生に見習って・・タバコを止めます・・』
と応(こた)えたりした。

結果的には、救急車に運ばれる4時間前、
1月3日の夕食後に、いつものように室内禁煙をしている私は、
玄関の軒下でタバコを一本喫って以来、禁煙となり、今日に至っている。

               

このようにだらしがない私でも、今年の誕生日を迎えると後期高齢者の入門の75歳となり、
出来うれば80歳の誕生日を健康寿命で迎えたく、
今回の《・・タバコを吸わない人の肺がん急増!!・・豆腐と納豆で予防・・》って、
どのようなことですか、と動揺しながら、こっそりと記事を読んだりした。

この記事は、かなまち慈優クリニック 院長の高山 哲朗・ 医学博士の寄稿文であり、
【  FNN.jpプライムオンライン  】に2019年5月9日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・タバコを吸わない人の肺がん急増!!  実は、豆腐と納豆で予防できます 


肺がんは、がんの死亡原因の中で、男性で第1位、女性でも第2位で、
年間で7万4000人以上が亡くなっています(2017年)。
早期発見できたのは、何よりのことだと思います。


今でも多くの方が、肺がんの原因といえば、
タバコ(喫煙)を第一にあげるのではないでしょうか。

ところが最近は、タバコを喫わないのに、肺がんになるケースが増えていて、
何と肺がん全体の50%に達しているんです!

男性の肺がんの40%、女性においては、実に70%にまで及んでいて、
「どうして私が肺がんに!」と驚く方が少なくありません。


実は、肺がんには、喫煙の影響が非常に大きいタイプ(扁平上皮がんなど)と、
影響はあるものの、それほど大きくないタイプ(肺腺がんなど)とがあるのです。


タバコの値上げや喫煙場所の限定など、タバコに関する規制が厳しくなったこともあり、
喫煙者の人口は、徐々に減少。

その結果、「扁平上皮がん」の罹患率は、下降傾向に転じています。

一方で、肺腺がんは増加しているのです。
               

☆肺の奥にあるため、早期発見が困難!

さらに、肺腺がんは、早期発見が難しいというやっかいながんです。
肺の中では、細い気管支が木の枝のように広がっていて、
その末端の肺胞という部分で、二酸化炭素と酸素の入れ替えが、おこなわれます。


肺腺がんは、その肺胞のある末端部付近にできるのです。
肺の奥深くにできるため、咳や痰などの初期症状が出にくく、早期発見も難しいのです。

見つかった時には、かなり進行している、ということも少なくありません。
脳や骨に転移し、頭痛や腰痛、背中痛などが、ひどくなって、
ようやく検査を受け、発見されるケースさえあります。


☆肺腺がんの原因とは?!

タバコの影響が少ない肺腺がんですが、では原因は何なんでしょうか?
近年のさまざまな調査研究から、
「エストロゲンの過剰分泌」と「汚染大気」の2つが原因として有力視されています。


「エストロゲン」は女性ホルモンの1つです。
初潮が早く、閉経が遅い、月経期間の長い女性ほど、過剰分泌のリスクが高まります。
しかも、喫煙しない女性の方が、エストロゲンの影響が大きいことも指摘されています。

               

☆意外で手軽な予防法!

早期発見が難しい肺腺がん。
何か予防法は、あるんでしょうか?

エストロゲンが肺腺がんに影響を与えることから、
化学構造が似ている「イソフラボン」の働きが注目されています。


イソフラボンは、大豆食品に多く含まれる、植物性ホルモンの1種です。

普通は、エストロゲンに「似ている」イソフラボンを摂取すれば、
体内でエストロゲンに似た作用をするので、逆効果では・・・と思えますが、
不思議なことに、肺がんについては反対なのです。
しかも、その効果は男性にも大いにあるのです。


国立がん研究センター
の調査によれば、
イソフラボンを1日48mg摂取するグループは、9mgのグループと比較して、
はっきり予防効果がみられました。


罹患リスクが、非喫煙女性では約67%に、非喫煙男性では半分以下の約43%となったのです!
何と、男性のほうが予防効果が高いというデータが出ました。
もちろん、女性も発症リスクは減少しています。


ただし、喫煙者の場合には、イソフラボンを摂っても、効果はみられません。
ですから、予防のためには、まず禁煙すること。
そして、イソフラボンを一定以上、摂取することが大切です。


では、イソフラボンをどのくらい摂ればいいのでしょうか。
イソフラボン48mgとは、豆腐なら160g、1丁の半分弱。

納豆なら、1パック+3分の1ですから、1日に2パックで、十分おつりが来ます。
これなら無理なく続けられますね!

【図表】大豆に含まれる“ある成分”の肺ガン予防効果を見る…

食生活の中で、他の食品と共にバランスよく食べることをお勧めします。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。                  

                

記事を読み終わった後、私は溜息を重ねたりした。

私は年金生活を始めて早や15年目の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に、ささやかに住んでいる。

こうした中、過ぎし年の私は、大学一年生の時、ワンダーフォーゲル部に所属して、
夏の2週間の合宿の時、 中日(なかび)の休息日に、先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、
まもなく真似事をして以来、 タバコを愛煙してきた・・。

この後、タバコを56年以上及び日常の友としてきたが、
この間、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めたりした。

こうした中、私は午前中は我が家の買物専任者、この後は散策、
午後は我が家で本を読んだり、パソコンを相手に過ごしたりした・・。

こうした時、私は何かと煎茶が好きで、お寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗のふたつに煎茶を淹れて、
そして大きめのマグカップにインスタント・コーヒーを淹れて、灰皿もお盆にのせて、
居間にあるパソコンの横に置いたりした。

しかしながらタバコを喫うと、居間がタバコの匂いが感じられて、
家内と共通の居間で、家内が肺がんになってしまったら・・と危惧して、
これ以来、私は自主的に室内厳禁として、玄関の軒下とかベランダで喫ったりしてきた。

そして、今年の新年早々、突然にタバコにさよなら、と別れを告げて、禁煙をしたりしてきたが、
肺がんには大丈夫かしら、と危惧したりしている。

               

今回、肺がんの中には、《・・喫煙の影響が非常に大きいタイプ(扁平上皮がんなど)と、
影響はあるものの、それほど大きくないタイプ(肺腺がんなど)とがある・・・》
と初めて学んだりした。

そして《・・肺がんを予防するには・・豆腐と納豆・・》と学び、
私は朝食の時に納豆は1パック、ときおり豆腐を1丁を愛食しているので、
微笑んだりした。

そして今より少し多めに豆腐と納豆を愛食すれば、やがて肺がんには、
幸運にも縁がなく過ごせるかしら、と思いを深めたりした・・。
      

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老いて学ぶ晩学、賢人より私は学び、多々教示されながら、共感を深めて・・。

2019-05-09 15:53:56 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 プレジデントオンライン】を見たりした中、
『 老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
何かと無知なことが多い私は、年金生活の中で、多くの賢人より謙虚に学ぶ癖があり、
年金生活を15年近く過ごしたりしている。

今回の《・・老いて学ぶ晩学をバカにする人は・・大バカだ・・》と見出しに、
惹かれて私は記事を精読してしまった・・。

この記事は、フリーランス編集者/ライター の大塚 常好さんが、
お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古(とやま・しげひこ) さんに、インタビューされて、
纏(まと)められた記事であり、
【 プレジデントオンライン】2019年5月9日に配信され、
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ

             
 

 ■「人生100年」の生きがいは、自分で探すしかない

95歳、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが考える、
幸福を感じられる生活のコツとは何か。

 
「昔の人は60(歳)くらいで死んだけど、今は80になっても、90になっても死なない。
みな、どうしたら幸せを感じられるかよくわからない。

幸か不幸か、100歳くらいまで続くかもしれない人生の生きがいや、
楽しく前向きに生きるための哲学・思想は結局のところ、各自が見つけないといけない。

これは、政治家が教えてくれるわけでもないし、
老いてからの楽しい生き方をガイドしてくれる参考書代わりの書籍も
世の中には存在しない。

それぞれが手探りで、やっていくしか方法はありません。


そういうわけだから、何か面白いことないかな、と言っていても始まらない。
誰かから面白いことをもらおうという魂胆はよくない。

何歳になっても、とにかく自分の心が動いたもの、新しいものに挑戦してみる。
純な気持ち、初心でやってみる。

うまくできないかもしれない。
失敗するかもしれない。
でも、それでいいんです。
もがきながらも、先に進めば、精神的に充実し、人生に光が射してくることもある」

             

 

■「老いて学べば、即ち死して朽ちず」の精神
 
かつては晩学をバカにする風潮もあったが、それは間違いだと外山さんは言う。

 「江戸時代の儒学者・佐藤一斎が残した『老いて学べば、即ち死して朽ちず』
という言葉がありますが、まさにこれです。

いい年をして、新しいことを始めるなんて、と晩学を否定したら、
体は生きているのに、心と頭が、お休みになってしまう。

上達するかどうかは、別問題。
進取の精神を発揮して、新しいことを試みる。

気持ちの赴くまま何にでも手を出し、努力してみる。
そうした生き方が、老人の心意気なのです。

 
ただ、私の個人的な意見を言えば、
取り組むのは『世の中の人がやっている』ものはダメ。
人まねは面白くない。

以前、ひょんなことから、皇居の周囲を早朝にひとりで散歩していました。
無心で歩いていると自分の頭がキレイになっていくのがわかる。

嫌な感情が消えていき、いろんなアイデアが次々と湧き上がってくる。
30分も歩けば、新しい自分に生まれ変わった感覚でした。

当時はまだ、皇居の周囲を散歩する人は、あまりいなかったけれど、
ウオーキングが流行となって歩き始めた人々は
『長生きしたい、健康のため』と余計なことを考えて、仲間と集団で歩いている。

歩くことは、もっとクリエイティブなことだと私は思っています」

            

■仲間との会話の中に、刺激や新発見もある


「人と一緒にやるなら、自分の仕事とは異業種の人を集めて、
全部で4人くらいの仲間をつくり、定期的に話すといい。

同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。
異業種出身なら、会話の中に刺激や新しい発見もある。
そうした時間が、知的に老いるためには必要です。

 
定年が65歳とすれば、残りの人生は20~30年。
その時間を、孤独でつまらないものとするか、豊かなものとするか。
それは自分にかかっています」(略)・・》

 
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

            
               
今回、 賢人のお茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんより、多々教示されたりした・・。

特に《・・皇居の周囲を早朝にひとりで散歩していました。
無心で歩いていると自分の頭がキレイになっていくのがわかる。

嫌な感情が消えていき、いろんなアイデアが次々と湧き上がってくる。
30分も歩けば、新しい自分に生まれ変わった感覚でした。
・・歩くことは、もっとクリエイティブなことだと私は思っています」・・・》
こうしたことを読みながら、そうですよねぇ・・と共感を深めたりした・・。


私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や15年生になっている。

私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

            

そして私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
生家も近く、結婚前後の5年を除き、私としてこの地域に69年住んできた為か、
調布の里っ児、或いは原住民かしら、と思ったりすることもある。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
そして小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

或いは私が長らく通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、

何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
根がケチの為か路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりすることが多い。

私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物に関して、
自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

やがて私は我が家の買物の責務を終えて帰宅した後は、
やはり独りで自宅周辺の3キロ範囲を歩くことが多くなっている。

           

こうした中、
付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたりしている。

ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、
都立の神代植物園に遠征したりすると、中学時代の同級生に逢う時もある。

こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。
           

そして私は、亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
明るい日中だとコーヒーを飲んだり、 夕暮れすぎの場合はビール、水割りのウィスキーを呑みながら、
談笑をしたりしている。

           

或いは私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は社交辞令のお世辞を頂くこともある。

或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

ときには遊歩道、公園などを歩いたりしていると、見慣れた情景でも、
樹木、草花など、 初めて気づかされて、こんなに美麗な花だったの・・新たなめぐり逢いに感謝をしたりしている。

           

このように私は日々散策したりすると、
イギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何10キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をしているかしら、と微笑んだりする時もある。

私は無念ながらイギリスの湖水地方には訪れたことはないが、
確か20年前の頃、 NHKのBSに於いて、湖水地方について連続番組を視聴し、
少しだけ情景は学んだりした。

そして肝要のイギリスを代表するワーズワースには、
何かと海外文学に苦手な私は、 詩にも素養がなく、恥ずかしながら無知なひとりである。

たったひとつ記憶しているは、私が高校2年生の下校時、
映画館に立ち寄って観た作品からであった。

エリア・カザン監督の『草原の輝き』(1961年)で、
ナタリー・ウッドが扮する高校女学生が、 教室で詩を朗読するシーンであった。

草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘めたる 力を見出すべし

私はストリーに涙ぐみ、そしてこの詩には瞬時に魅せられ、そして二回目を見て、
字幕スーパーを薄暗い座席でノ-トに書き留めて、
詩を創られた御方が、ワーズワースと知り、私は17歳の時であった。 

私は後年になると、ワーズワースも波乱に満ちた人生航路を歩んだと学んだが、
もとより詩に託した才能で、後世にも多くの方に敬愛されている人である。

そして私は《・・ワーズワースは、生まれ育った地で、生涯にわたってこの地を散策し続けた・・》に、
つたない私でも、瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めたのであった・・。

                        

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に生を受けて、
やがて都心の高校に通学して、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、
通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、何よりも心身安らぎを得ている。             

そしてここ10数年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。

このような心情を秘めた私は、たとえ時代、住む国と地域、才能も天と地の差があるが、
ワーズワースさんのお気持ち・・少しは理解できますょ、と私は微苦笑を重ねたりしてきた。

そして私は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物園があり、
年金生活の中、幾たびも尋ねたりしてきた。

そしてここ10数年、都心に買物、懇親会、冠婚葬祭などで出れば、
人出の多さに疲れて、やがて我が家の最寄駅のひとつの小田急線の『成城学園前』駅に降り立つと、
何よりも心身の安らぎを得ている。

こうして私は年金生活を始めて、早や15年生になるが、
つたない定年退職時まで歩んだ私でも、人並みに程々の年金を頂き、
平日の閑静な時に自由に散策ができることに、改めて倖せを感じたりしている・・。

           

そして帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを 心の発露の表現手段として、
ブログの投稿文を綴ったりしている。               

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ブログランキング、高齢者の私は、「二頭追うものは一頭も得ず」に思いを重ねて、微苦笑して・・。

2019-05-08 11:18:32 | ささやかな古稀からの思い

私は過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、定年退職となり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。             

そして年金生活を始めてまもない時、偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
     
そしてブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、もとより編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

            
             
    
そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入し、
早や丸14年半が過ぎて、15年生を迎えている。

しかしながら、この後、2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入したりした。

そして、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸14年半が過ぎて、早や15年生に進級した。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                
                                                               
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
 
                          

こうした中で、投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。
或いは7年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。
         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

                          

私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
この間、私が加入している【gooブログ】のサイトは、
2008年(平成20年)の頃は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。

そして私のサイトは訪問者数は、長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中のたった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。

このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
      
こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの御方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。
 
                      
          
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入したりした。

その後、2010年(平成22年)の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。

私は2008年〈平成20年〉の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、ふたたび本加入させて頂いた。

そして『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
6年前の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行した。

やがて私は古希と称される70歳となり、これに連動してシニア日記系『70歳代』となった後、
何故かしら訪問数が半減し、70代はブログを投稿される方が少ないからかしら・・と微苦笑したりした。
  
                   

          
この後、昨年の3月上旬、私が加入している【gooブログ】に於いては、
《・・常時SSL化とは?
ウェブサイトにおいて全てのページをhttps化(暗号化)し、安全性を高めるセキュリティ手法です。
常時SSL化することによって、より安全にブログをご利用いただけるようになります。

実施前:http://blog.goo.ne.jp/

実施後:https://blog.goo.ne.jp/  に変更されます。

※常時SSL化対応前に投稿された記事やブログのURLは、自動的にhttpsへ変換されます。
お客様で設定変更をする必要はございません。・・》
        
このような告知がされたが、無念ながらブログの技量に乏しい私は、
どのようにしたらすべては理解できず、無力ながら対応させたが、
【gooブログ】から外部サービス連携として、『にほんブログ村』は対応できたが、
『人気ブログランキング』の対応が判らず、特にバナーの表示に戸惑ったした。

そして片方のブログのランキングを対応させたり、混迷した結果、
やむなく変形な状態で対応をしてきた。

このような恥ずかしい状態が、二週間ぐらい思惑しながら過ごしてきた・・。

そして私は『人気ブログランキング』に於いては、加入以来わずか3名だけコメントを交わしただけで、
殆ど大半は『にほんブログ村』で知りえた数多く御方であり、
今後はブログのランキングとしては、『人気ブログランキング』は取りやめて、
『にほんブログ村』だけにするのが、本筋と結論した。
 
             
 
やがて今年の4月の月末、『にほんブログ村』がメンテナンスで投稿文ができない時、
昔の恋人を思いだすように、一年前に加入していた『人気ブログランキング』を思いだして、
手持ちぶたさに再登録をしてしまった・・。

ここ一週間は、私はブログランキングとしては、結果的には、
『にほんブログ村』と『人気ブログランキング』の2本立てとなっている。

しかしながら本命の『にほんブログ村』のシニア日記系『70歳代』に加入しているランキングは下落し、
『人気ブログランキング』の『コラム』に所属している私は、加入している御方が少ない為か、数日過ぎると1位となり、
大いに戸惑ったりしている。

そして拙(つたな)い人生航路を歩んできた私でも、
「二頭追うものは一頭も得ず」の名言を思い浮かべて、微苦笑を重ねてしまった・・。

             
   
たかがブログのランキングされどランキングであり、ここ一週間戸惑いながら過ごしてきたが、
私のつたないブログを読んで下さる御方には、『にほんブログ村』の上で、めぐり逢えた御方が多く、
何かと私がブログが継続できた原動力もあり、偏(ひとえ)に感謝致します。

そして『人気ブログランキング』は、数日後に脱退し、『にほんブログ村』に一本化に致しますので、
今後ともよろしくお願い致します。

尚、本日の午後は病院に通院する為、今回の投稿文は平素より早めにしました。

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日本人の喫煙習慣と寿命 死亡率は2倍、命は10年短縮、愛煙家だった私は、微苦笑をして・・。

2019-05-07 16:12:12 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 ダイヤモンド・オンライン 】の『ライフ』欄を見ている中で、
『 日本人の喫煙習慣と寿命 死亡率は2倍、命は10年短縮 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に、ささやかに住んでいる。

こうした中、過ぎし年の私は、大学一年生の時、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の2週間の合宿の時、
中日(なかび)の休息日に、先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、
まもなく真似事をして以来、 タバコを愛煙してきた・・。

こうしてタバコを56年以上及び日常の友としてきたが、
今年の新年早々、突然にタバコにさよなら、と別れを告げて、禁煙をしたりしてきた。

               

このような心情のある私は、微苦笑しながら今回の記事を精読してしまった。

この記事は、医学ライターの井手ゆきえさんが、取材をされて纏められた記事であり、
【 ダイヤモンド・オンライン 】に2012年12月10日に配信され、
少し古い記事であるが、健康に関しては時空を超越するので、無断ながら後半を転載させて頂く。

《・・日本人の喫煙習慣と寿命 死亡率は2倍、命は10年短縮

(略) 過去にも厚生労働省の研究班で、喫煙と寿命の関係が調査されているが、
そこでの喫煙-非喫煙者間の平均寿命の差は、男性で3.5~5年程度だった。(略) 

この数年、日本人のタバコ離れは、急速に進み、全男性の喫煙率は35%を割り込んだ。

ただし、それを牽引しているのは、家計と健康を気にする高齢者。
30代男性では40.4%が、40代男性は39%が喫煙している
(2012年。日本専売公社・日本たばこ産業調べ)。

肺や食道など喫煙関連がんだけをみても、
喫煙開始年齢が早く、喫煙年数が長いほど発症リスクは上昇する。

45歳以降も喫煙を続けるなら、10年を失う自覚が必要なのだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                 

記事を読み終わった後、私は微苦笑をしたりした。                   

私は昨年までは、幸運にも大病に遭遇せずに、年金生活を14年間を過ごしてきた・・。

しかしながら私は、新年そうそう、心臓の悪化に伴い、
救急車に搬送されて、循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』に、
1月4日より8泊9日の入院した。

この間、『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、 そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、1月4日の早朝3時半過ぎであった・・。 

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と今回の担当医師より告げられたりした。

そして今回の担当医師より、
『私は数年前までは・・タバコの愛煙者でしたが・・XXさんも、この機会に禁煙しませんか?』
と私は勧められ、私は瞬時に人生気合一番と思いながら、
『タバコを止めます・・』と応(こた)えたりした。

結果的には、救急車に運ばれる4時間前、
1月3日の夕食後に、いつものように室内禁煙を厳禁をしている私は、
玄関の軒下でタバコを一本喫って以来、禁煙となり、今日に至っている。

               


しかしながら私は退院後、長年に及びタバコを喫いながら思案したり、或いは思考する悪い癖があり、
たとえブログの文章でも、文章が脳から舞い降りてこなく、困苦したりしてきた。

対策として、高校時代に愛食した幾つかの飴(あめ)、或いはガムを噛んだりしてきた。              
やがて通いなれている最寄の内科専門医院の医師より、血糖値が高すぎます、と警告を受けたりした。


そして朝の洗面した後、食後の時などのひととき、タバコが喫(す)えなくなり、
手持ちぶたさの間(ま)・・困ったなぁ・・と溜息をしたりして、
一か月過ぎて、何とかタバコを忘れてきた・・。

最近、コンビニの店頭のはずれにある喫煙コーナーにいる人を見かけると、
あんな時代も私にあったんだ・・と微苦笑したりしている。

そして今回、喫煙習慣は命は10年短縮、と学び、56年愛煙してきた私は、
こればかりは・・と微苦笑をしたりしている。

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平均寿命の延びは嬉しいが、健康寿命こそが何よりも大切、高齢者の私は思いを深めて・・。

2019-05-06 15:49:42 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL】を見たりした中、
『 令和で平均寿命は何歳に?
       平成では男女とも約5歳延びた 』と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、 
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ささやかに過ごしている。

そして私は9月下旬の誕生日を迎えると後期高齢者入門の75歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となる。


こうした中、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。

このような心情のある私は、今回の《・・令和の時代には・・平均寿命は何歳に?・・》に関して、
どのようになるんですか・・と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事は、【 日刊ゲンダイDIGITAL】に2019年5月6日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・令和で平均寿命は何歳に? 平成では男女とも約5歳延びた

             

昨年のデータによると、日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.26歳で、
過去最高を更新した。
平成の30年間で男女とも、約5歳ほど延びた計算だ。


「大きな理由として考えられるのは、医療体制の進歩でしょう。
がんの死亡率が下がり、心疾患や脳血管疾患のそれも改善した。

要するに、大病を患っても、助かる人が増えたということ。

この先ですか? それは何とも言えません。

過去30年で5歳延びたからといって、向こう30年であと5歳延びるとは限らない。
頭と筋力は、ある程度鍛えることができるけど、内臓はそうはいかない。
必ず老いますから」(医師でジャーナリストの富家孝氏)

 
今後、医学の進歩とともに、長寿化が進むのは間違いない。

46年後の2065年には平均寿命が、
男性84・95歳、女性91・35歳になるという。
まさに、“人生100年時代”が見えてくるのだ。

 
海外の長寿社会に関する研究では、
“2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳まで長生きする”という推計もある。

 
願望を含めて言うなら、がんの治療薬が完成し、保険適用になる可能性もゼロではあるまい。

 
何より、日本人の100歳人口は、
平成の30年間で3078人(元年)から6万9785人(30年)へと飛躍的に増えた。
長生きになった証しではないか。


「そうはいっても、90歳で現役バリバリで仕事をしている人がいますか?
実際には、病院にいる方も多い。

団塊世代が80代に突入し、健康に問題が生じれば、医療財政が持たないかもしれない。
私も同世代だから、そっちの方が心配。

平均寿命が延びることは、医療費増大という大問題を抱えることにつながる。
国はどう対処するのか見届けたいですね」(富家孝氏)

 
30年後、平均寿命で90歳を超えているのは、女たちだけか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
              

記事を読み終わった後、医師でジャーナリストの富家孝さんより、
一週間前の頃、学んできたことを思い重ねたりした・・。

《・・ 「平成の30年間で、平均寿命が5年以上伸びましたか。
でもね、だからといって喜んでいる場合じゃない。

長寿社会では、平均寿命より健康寿命がポイント。
介護や人の助けを借りずに、ひとりで健康な日常生活を送ることができる期間です。

いま、男性で72歳、女性は74歳くらいですが、こちらを伸ばす努力をした方が賢明です。
最近は寝る前の口腔ケアが誤嚥性肺炎の予防になるそうです。
いまできることを毎日積み重ねるべきだと思います」

健康寿命は2001年から公表が始まり、
2016年時点で、男性72.14歳、女性は74.79歳。
“元気でいられる期間”にしては、意外に短い。
やはり、大事なのはこっちか。・・》

            

ここ数年、私が意識的に深めていることは、日本は長寿国であり、介護などの必要がなく、
日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、
と改めて教示されて、動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

そして
一般的に筋力や体力(身体活動量)は20歳代がピークで、
30歳以降は10年で5~10%ずつ低下していく。

20歳代を基準として、体力が30%以下に落ちると、
自立した生活ができなくなり、要介護や寝たきり状態になる。
つまり、ここが「寝たきり危険(要介護)ライン」。

そして信州大学大学院特任教授の能勢博医師に寄れば
「日常的に運動をしている人としない人では、
この30%ラインを超える年齢に15~20年もの開きがある」と学んだりしてきた・・。

こうした中で、健康寿命を延ばす方法の一つであるウォーキングだが、
実際、歩くことと健康寿命の関係を示した研究結果が実証された、と読んだりしてきた。

            
          

私は2016年の10月頃、 ウォーキングに関する研究を進める青柳幸利さん(東京都健康長寿医療センター研究所)の論調で、
一日1万歩という指標は「逆に寿命を縮める危険性がある」、と学んだりしてきた。

そして、高齢者としては、1日の歩数の一つの目安を「8千歩」と設定し、推奨している。

「5千人を対象に15年間にわたって行った調査結果から明らかになりました。
意識的に時間を設けて歩くのも必要ですが、例えば家事や買い物などで歩いた分もカウントして構わない。
むしろ、一日の中で分散して歩くほうが健康には良いのです」(同)

“歩けば歩くほど良い”という思い込みについて、
「実は運動のしすぎは、健康効果がないどころか、免疫の低下につながることもあります。・・》

            
このようなことを学び、私は結果的には5000歩の日、10000歩の日・・ 8000歩の日・・
きまぐれで歩いているが、四季折々の情景に心によせて歩いたりしている。

いずれにしても高齢者の私としては、座っているばかりだと、
身体に悪く、 室内はこまめに歩き、外出先は心身溌溂と歩き、年金生活を過ごしている。

            

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。

このようなことが思い重ねて、今年の9月に誕生日を迎えると、
後期高齢者の入門が許される75歳となり、 やがて自助努力と幸運に守られながら、
80歳の誕生日を迎えられるかしら、と思い馳せ、微笑んだりした。

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「端午の節句」は一体どんな日?、恥ずかしながら高齢者の私は、こっそりと学び、多々教示されて・・・。

2019-05-05 14:35:50 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【AERA dot.】を見ている中、
『 なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか
     「端午の節句」は一体どんな日? 』 と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
齢ばかり重ねた私は、恥ずかしながら何かと無知なことが多く、 「端午の節句」のことも明晰に応(こた)えられず、
こっそりと学ぼうと思い、記事を精読してしまった・・。

 この記事は、室橋裕和さんの寄稿文であり、
ネットの【AERA dot.】に2019年5月5日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・ なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか 「端午の節句」は一体どんな日?  



 鯉のぼり(写真:Gettyimeges)

 

5月5日は、端午の節句、子どもの日。
わが子の、とくに男の子の成長を祈ってお祝いをする日として親しまれている。


そもそも「節句」とは、なんなのだろうか。


はじまりは、飛鳥時代にさかのぼるともいわれている。
四季折々の季節の区切りや節目に、宮中ではイベントが行われていた。

天皇が貴族たちを集めて宴を張ったのである。
これを節句と呼んだのだ。
かつては、天皇から「供」される宴であることから「節供」ともいったらしい。


1月7日が、新年を祝う人日の節句、3月3日は、農作業のはじまりに合わせた上巳の節句、
7月7日の七夕の節句は、お盆を前にして先祖の服を織り、
収穫の季節を迎える9月9日の重陽の節句では、菊を愛でる。

節句とは、日本人の生活と風習のサイクルに合わせた、まさに節目の日なのだ。

                

そして5月5日、端午の節句の頃は、そろそろ暑くなり、湿気も出てくる時期。

近づいてくるのは、衛生状態の悪くなる梅雨だ。
だからこそ、古代の日本人は、清潔を保とうとしたのだという。
山で薬草を採って、煎じて飲んだり、薬用酒をつくったりもした。
その一環として、菖蒲を利用したのだ 。


日本各地に広く分布する多年生植物である菖蒲には、薬効があることを、
古くから人々は知っていた。

だから菖蒲酒を飲んだり、茎や葉を枕に詰めて眠ったり、風呂に入れて浸かったりした。
独特の高い香気は、魔よけの効果もあるとされ、玄関口に飾る習慣もあったそうだ。

菖蒲には、災いを祓う力がある、と考えられてきたのだ。
だから端午の節句はいつしか、菖蒲の節句と呼ばれるようにもなっていく。


室町時代以降、武士が力を持つ時代になると、
なにごとにも勇ましさを求め、ゲンを担ぐ世になる。

菖蒲は「尚武」という言葉の音と同じだからと、その意味まで重ねられたという。
菖蒲の節句は「武芸に励み、精進する日」とされたのだ。

そして「勝負」にもかけられ、競争ごとや争いに勝つことを願うようにもなったという。

となれば当然、武士たちが思いを預けたのは、自らの男児だ。
息子が尚武し、勝負に勝つように、尚武の節句に祈る。

そのために武家は、鎧兜を飾って、この日を祝したのだ。
その後、男児を象った五月人形も好まれるようになっていった。

そして息子の立身出世のためにと、鯉のぼりを立てるようになる。
これは中国の故事が由来といわれている。

黄河の上流にある、竜門という険しい滝を、鯉がさかのぼって見事に泳ぎあがる。
滝を登りきった鯉は、その勢いのまま天に昇り、龍となった・・。
5世紀の歴史書『後漢書』の一節、「登竜門伝説」だ。

これに想を得て、鯉は男子栄達の象徴と武士たちは考え、こぞって鯉のぼりを飾った。
端午の節句はこうして、男の子の節句ともなっていったというわけだ。


節句の習慣は、宮中や武家だけで行われていたが、
江戸時代に入って大衆文化が花開くと、一気に庶民たちも真似るようになる。
菖蒲湯がはやり、鯉のぼりや五月人形も少しずつ普及する。


そして柏餅が大人気となった。
ブナ化の樹木である柏は、ほかの木と同じように紅葉するのだが、
このときに枯れた葉は、落ちることなく冬を越す。

そして新しい芽が吹いてから、役目を終えたように古い葉が舞い散っていく。
こんな性質から柏は「跡継ぎが生まれ育つことを見守ることができる」縁起のいい樹であり、
その葉でくるんだ餅は、子孫繁栄のシンボルとして好まれた。

現代の「子どもの日」のさまざまな風習は、こうして成立していったのだ。

               

ちなみに「端午」とは、5月最初の午(うま)の日のこと。
十二支のひとつ「午」がはじめにめぐってくる日を指していた。
それが「午」を音読みすると「五」に通じるということで、5月5日が端午の節句だと定着していったのだ。


いまも銭湯ではこの日、菖蒲湯が人気だ。
スーパーマーケットなどでも、風呂用の菖蒲を売る。
香りの強い湯に浸かると、疲労回復や腰痛、神経痛、血行促進などの効能があるそうだ。


5月5日、超大型連休も終盤。
遊び疲れた人も仕事だった人も、菖蒲湯でリラックスして初夏を迎えてみてはどうだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                 

記事を読み終わった後、多々教示されたりした。

昨日、いつものように平素の買物をスーパーでした後、
商店街の老舗で柏餅(かしわもち)を見かけたので、 何かと単細胞の私は、
家内のおみやげねぇ、と思いながら、 つぶあん、こしあん、みそあんをそれぞれ二つばかり買い求めたりした。

やがて帰宅後、まばゆい陽射しを受けながら、5月中旬のような陽気に恵まれ、
小公園を歩いたりした。

そして数多い樹木は、若葉は光帯びて、世の中は大型連休に相応しい天気だ、と微笑(ほほ)えんだりした。
こうした中、近くの住宅街を歩いていた時、
この中のひとつの御宅の二階のベランタ沿いに、 鯉幟(こいのぼ)りが掲げられていた。

この住宅街は、私が高校2年の1961年(昭和36年)の頃に、
大きな団地が出来て、その周辺に分譲地となった地帯であり、早くも60年近くになっている。

ここ20年近くは『おふたりさま』の高齢者の夫妻が住まわれたり、
或いはお子様の家族に引き継がれて住まわれたり、
或いは2所帯住宅で1階は親、2階はお子様の家族が住まわれて、親子孫の三世代が同居されている家もある。

こうした家並みが並ぶ中を私は歩いていたのであり、 たまたまこの中の家の御方が、
お孫さんの為に、鯉幟りが掲げられているのかしら、と私は人生の微笑を頂いたりした・・。

私の住む周辺は、家並みが密集しているので、 旧家でない限り、
とても鯉幟(こいのぼ)りを悠然と泳がせるスペースがなく、 ここ数10年は観かけることが少なく、
たまたま鯉幟りを偶然に観て、思わず足を止め、
小振りな3つばかりの鯉が微風を受けて泳いでいたのを長らく見つめたりした・・。

この後、幼稚園の近くの歩道を歩いていた時、
悠然と空に泳いでいる鯉幟(こいのぼ)りを見かけて、 私は微笑みながら、眺めたりした・・。

           

やがて帰路に向う途中、人影もないので、かぼそい声でひとつの歌を唄ったりした。

♪甍(いらか)の波と雲の波、  重なる波の中空(なかぞら)を、  ・・・
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

私は遠い昔の幼年期に祖父、父を健在の頃、
農家の宅地の外れに鯉幟(こいのぼ)りを高く掲げられ、
あの当時はどの家も男の子のために鯉幟りをこの時節に掲げられていた・・。

このようなことを思い重ねて、過ぎ去った時の流れを思い馳せたりした。

♪橘(たちばな)かおる朝風に、  高く泳ぐや、鯉のぼり。   ・・・ 
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

そして齢ばかり重ねた私は、愛惜感を秘めながら自宅に向かった。

               

今回、「端午の節句」に関して私は多々教示されたが、
何かと物忘れが多くなった私は、やはり来年の「端午の節句」の今頃は、
由来などは忘れてしまうと思われるが、柏餅を食べたりし、青空の中で鯉のぼりが悠然と泳ぐ情景を観られたら、
幸いだよなぁ・・と微笑んだりした。 

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上皇さまを「平成天皇」と呼ばない理由、恐れ多くも私は初めて学び、多々教示されて・・。

2019-05-04 12:34:17 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、私はネットでニュースを見ている中で、
『 上皇さまを「平成天皇」と呼ばない理由 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
昭和時代の皇太子ご夫妻、その後の平成時代の天皇陛下、皇后陛下さまの言動には、
新聞、雑誌、テレビなどのメディアより発信された記事を拝見しながら、限りなく敬愛を深めたりしてきた。

このような私は、今回の《・・上皇さまを「平成天皇」と呼ばない理由・・》を見て、
何かと無知なことが多い私は、どのようなことで・・と思いながら、
恐れ多くも高齢者の私は記事を精読してしまった・・。

この記事は、初めて知る公式サイトの【 BuzzFeed Japan】に2019年5月3日に配信され、
籏智広太さんが寄稿された記事で、無断ながら転載させて頂く。 

《・・上皇さまを「平成天皇」と呼ばない理由

平成が終わり、「令和」が始まった。

ところで、退位された上皇陛下を「平成天皇」とは、呼ばないことはご存知だろうか。
過去の天皇は、昭和天皇、大正天皇、明治天皇と呼んでいるのにーー。
いったい、なぜなのか。 




掲載されている時事通信の写真をお借り致しました。


答えは「○○天皇」という呼び方が、「諡」(おくりな=崩御後の追号)だからだ。


諡(おくりな)とは、「人の死後に、その徳をたたえて贈る称号」(広辞苑)。
つまり、崩御されるまでは、使うことができない呼び名なのだ。


「諡号」(しごう)とも呼ばれ、8世紀初めに中国から伝わった。
天皇や高官などに用いられ、かつては和風のものと漢風のものがあった(百科事典マイペディア)。


ただ、元号が諡(おくりな)にそのまま用いられるようになったのは、
「一世一元」とされた明治以降になってからだ。


今回は202年ぶりの生前退位が実施されたため、
上皇さまは「上皇陛下」や、お名前とともに「明仁(あきひと)上皇」などと呼ぶことがふさわしい。


また、同じ理由から、新しく即位された天皇陛下を「令和天皇」とは呼ばない。


「天皇陛下」という呼称以外には、
在位中の天皇を示す「今上(きんじょう)天皇」か、
お名前とともに「徳仁(なるひと)天皇」などと表記される。

                    
    
☆それぞれの呼び方は…?

なお、皇室典範では、天皇、皇后、太皇太后(先先代の天皇の皇后)及び皇太后(前天皇の皇后)の敬称は、
陛下と、それ以外の皇族の敬称は「殿下」と決められている。

また、上皇の敬称は「天皇の退位等に関する特例法」で「陛下」と定められたが、
多くのメディアは「上皇さま」との呼び方を用いている。


一方、天皇陛下の弟で、皇位継承順位が1位となった秋篠宮さまの「皇嗣(こうし)」も
敬称は「殿下」とされた。

ただ、メディアは「皇嗣(こうし)の秋篠宮さま」などという呼び方を用いている。


呼称は以下の通り。


<上皇=退位された上皇陛下>

上皇陛下、明仁上皇、明仁上皇陛下

<上皇后=美智子さま>

上皇后陛下、美智子上皇后、美智子上皇后陛下

<天皇=即位された天皇陛下>

天皇陛下、徳仁天皇、徳仁天皇陛下、今上天皇

<皇后=雅子さま>

皇后陛下、雅子皇后、雅子皇后陛下

<皇嗣=秋篠宮さま>

皇嗣殿下、秋篠宮皇嗣殿下・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                 

記事を読み終わった後、多々教示されたりした。

私が住んでいる近くに生家があり、私は1944年〈昭和19年〉の秋に
農家の三男坊として生を受けた。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて私が地元の小学校に入学したのは、1951年(昭和26年)の春であるが、
ある部屋には広い神棚があり、別の部屋の一角には仏壇が安置されて、
或いは別の部屋には、額に入れた昭和天皇を始めとするご皇族の大きな写真が掲げられていた。

このような中で、私は幼年期を過ごしたので、もとより昭和天皇陛下に対して、
自然と敬愛させられようになってきた。

やがて2008年夏に、本屋に立ち寄った時、竹田恒泰・著の『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)を見て、
表紙のすぐ裏に、・・現存する世界最古の国家、日本。 その歴史はすなわち天皇の歴史でもある。
本書では、神話の時代から平成の皇室まで脈々と受け継がれる壮大な流れを、 朝廷の立場から概観。・・》

このような解説を読み、著作者は明治天皇の玄孫の御方であり、
朝廷の立場から、日本史を教示を受けようとし、 まもなく購読したりした。

                

今回、202年ぶりの生前退位に伴い、「平成天皇」と呼ばなく、
多くのメディアに準拠して「上皇さま」。

そして新しく即位された天皇陛下を「令和天皇」とは呼ばなく、
在位中の天皇を示す「今上(きんじょう)天皇」、

天皇陛下の弟で、皇位継承順位が1位となった秋篠宮さまは、
多くのメディアに準拠して「皇嗣(こうし)の秋篠宮さま」。

このように私は敬愛しながら、今後は敬称しょうと、微笑んだりしている。

コメント (2)
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「年金格差」を世代別比較、団塊世代も逃げ切りに失敗、高齢者の私は学び、やがて苦笑を重ねて・・。

2019-05-03 15:56:58 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中、
『 団塊世代も逃げ切りに失敗 「年金格差」を世代別比較  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。


そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、 身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、
定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。

             


私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。

そして私の妹ふたりは、1947年(昭和22年)1月、1948年〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949年〈昭和24年〉12月の生まれであり、 何かと幼年期からの情況は、
理解しやすいひとりとなっている。

ここ10年、団塊世代は“勝ち逃げ”とか、
中には“日本社会の不良債権”と雑誌などで私は読んだりしたことがあり、
少し酷いじゃないの、と憂いたりしてきた・・。

こうした深情のある私は、《・・団塊世代も逃げ切りに失敗・・》やはり気になる内容であり、
記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』2018年5月25日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に5月17日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・団塊世代も逃げ切りに失敗 「年金格差」を世代別比較

             

世代別、年金受給額と払込保険料の差


1941年生まれの“焼け跡世代”の男性のケースでは、
保険料の払込総額2249万円に対し、88歳まで生存した場合の年金支給総額は約5170万円。
払込額と受給額の差額は2921万円になる。

一方、団塊世代の1947年生まれの男性のケースでは、
保険料払込総額約2844万円に対し、年金受給総額が約4799万円で、差額は約1955万円になる。

ともに戦後の貧困期から立ち上がり、懸命に働いて高度経済成長を支えた世代であるのに、
団塊世代は、焼け跡世代より595万円も多く保険料を納めたうえ、受け取る額は371万円も少ない。

わずか一世代違うだけで、団塊世代は「損」をするようになってしまったのだ。
手を変え品を変え、なんとかして理由をつけて、
団塊世代から支給を減らそうとする意思が伝わってくる。

政府は、“逃げ切り世代”の団塊世代の人口の多さを利用し、ターゲットにした。
年金において、団塊世代がいつの間にか「負け組」になってしまっていたのだ。

もちろん、表を見れば分かる通り、それより若い世代は、
さらに払込保険料と年金受給額の差額が少なくなっているのだが・・。》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               


過ぎし私が若き40代の時、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
国内旅行した時、何かのはずみで年金の話題となったことがあった。

この時の私は、お義父(とう)さん(1926年=昭和元年生まれ)たちの世代は、
私たちの世代が多いので、たくさんに神輿(みこし)をかつがれている世代で安楽しているが、
私たちが退職後に年金生活に入った時、神輿(みこし)をかついて下さる人が減少するので、
少し不安ですょ、とこのような意味合いの言葉を私は義父に言ったりした。

或いは厚生労働省の前身の厚生省だった時代に、
《余ったカネを積立金にして、リゾート開発などに注ぎ込み》 やがて破綻して、
国民の大切な年金資金を浪費させた厚生省の高官たちに、
民間会社に勤めていた私は、怒り心頭をし、非国民だ、と思いを深めたりしてきた。           

このことは、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が過ぎし年に65歳を迎えた時、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

               

こうしたことの主因は、高齢者は長寿化となり、年少者が激少し、超高齢化社会の時代を迎えているが、
こうした現状は30年前のベルリンの壁が崩壊し、世界の経済が自由主義経済に一色になる状況は、
誰しも予測できなかったであろう、と私は思ったりしている。           

私たちが過ごしてきた時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、
年収も毎年増え、 そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中でバブルが終息し、そしてベルリンの壁が破壊され、 やがてソ連が崩壊し、
世界の経済が自由主義経済に一色となった後、 世界の経済が自由主義経済となった上、
日本は失われた20年で、 主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、 見果てぬ夢となった。

そして殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か9年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
1997年〈平成9年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。         

こうしたことは私たちの息子、娘の世代から観れば、
お父さんは会社で一生懸命に奮戦し働き、マンションか一軒家を買い求めて、
お母さんは専業主婦で家庭を守る中で、子供ふたりは程ほどの自由な生活を満喫し、大学まで学び、
やがて子供は結婚して独立させてくれた典型的な中流社会は、大半は崩壊した・・。

こうした状況に、私は無力ながら憂い、ここ10数年のデフレの閉塞感ある実態より、
何とか経済復興をした上で、堅実な経済成長が望ましい、と念願してきた。

                                   

この上、高齢者の有権者層が急増している今日、 政治家の諸兄諸姉が高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
定年退職が出来た上、年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のままで放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、世代間の格差の羨望と嫉妬の末、
高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、 邪魔な存在と感じながら、
粗末にする風潮のなる世界が想像できる。
 
このような心情を重ねてきた私は、 私より上の世代、そして私たち世代、団塊世代、
そして働いて下さる50代から20代の人々、 それぞれ自分たちの世代だけが得をするようなことは、
この世にあってはならず、お互いに痛みを共有し、 明日に希望が持てる日本の再建の第一歩、
と私は微苦笑したりしている。

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記憶力アップ、 好きなことをやって脳活、高齢者の私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2019-05-02 12:09:54 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【日刊ゲンダイDIGITAL】を見ている中、
『 骨から出る物質で記憶力アップ 縄跳びには侮れない効果が 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながら私は、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、
と改めて気付き、 独り微苦笑する時もある・・。

たとえば5歳年下の家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは、鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。

かしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。
たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、 収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。
 
このような深いを秘めている私は、 《・・骨から出る物質で記憶力アップ ・》って、
どのようなことなの・・と思いながら、記事を精読してしまった・・。

この記事は、公式サイトの【日刊ゲンダイDIGITAL】に
2019年5月2日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。            

《・・骨から出る物質で記憶力アップ 縄跳びには侮れない効果が

          

脳の活性化と運動には、密接な関係がある。
有酸素運動のウオーキングやストレッチは効果の高い運動だ。

 
東京都健康長寿医療センターによれば、1週間に90分(1日あたり15分程度)歩く人は、
週に40分未満の人より認知機能が良いことが分かっている。

 
脳の働きに欠かせない血流に影響するからだという。


「軽い運動でも、海馬の新生細胞が増えますし、アルツハイマー病の予防効果もあります」
(本郷赤門前クリニック院長の吉田たかよし氏)

 
その中でも近年、注目されているのが骨運動だ。

 
2007年に、米コロンビア大学のジェラール・カーセンティ博士らの研究によって、
骨を作る骨芽細胞から分泌されるメッセージ物質のひとつ、
「オステオカルシン」が記憶力や認知機能に大きな役割を果たしていることが分かった。


「このオステオカルシンは、タンパク質で、骨に衝撃が加わると分泌されます。
これが記憶力アップにつながるのです。
骨に刺激を与えるには、走ったりすることもいいです」(吉田たかよし氏)

 
この「オステオカルシン」に関しては、2017年にNHKの「ガッテン!」でも特集。
その際、骨運動の例として、「かかと落とし」を取り上げていた。

 
かかと落としは、背筋を伸ばし、両足を肩幅に開いて、ふくらはぎの筋肉を意識しながら、
かかとを上げて、数秒静止。
両足のかかとを床に下ろす。

これで、〈骨に体重と動きによる加速度をかけた負荷を加え、体全体の骨に効率良く刺激を加える〉というもの。
ただし、目標は1日30回以上となかなかハードルは高い。

          

■3分程度でOK

 
もっと手軽な運動としておススメなのが、「縄跳び」だ。

 
前出の吉田氏のクリニックでは、脳科学と学習医学を活用して
受験生を合格させるためのトレーニングを行っている。
学生には勉強の合間に縄跳びをさせることで、記憶力のアップを図っているという。


「女性には2重跳び、男性には3重跳びを勧めています。
みんな『3分でヘトヘトになる』と言いますから、長く跳べない。
そのため時間的な負担にもなりません。

オステオカルシンの分泌には、年齢が関係ないので、中高年にも効果的。
ただ、2重跳びができれば、オステオカルシンがたくさん出るということではありません。
跳び方によって分泌量に差が出るわけではありません。
踏み出して、着地という運動に意味がありますので、出来る範囲でチャレンジしてください」

 
縄跳びなら、雨の日でも広い室内ならできるし、マンションの玄関先でもできる。
3~5分程度なら、ウオーキングよりも手軽な運動だ。 
  
          

長期記憶するためには、脳が感動を覚えることが重要だという。

「うれしい」、「悲しい」、「痛い」、「怖い」など感情が動くことで、
その感覚が記憶をつくるからだ。


「60代までは、記憶力は落ちないといわれていますから、中高年の方は興味がある分野に挑戦するのがいい。
たとえば、韓流ドラマを見るために、韓国語を覚えるのも効果的なのです。
歴史が好きな人は、教科書を買って読んだりするのがいいですね。
教材も、カラーでイラストもいっぱいある方がイメージが湧いて、創造力が働きます」(吉田たかよし氏)

 
感情が働けば、ドーパミンも分泌されて、集中力や記憶力アップにつながる。

好きなことをやって、脳活をしよう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした
           

私は記事を読み終わった後、多々教示されて、微笑んだりした・・。

たとえば《・・「かかと落とし」は、骨に体重と動きによる加速度をかけた負荷を加え、
体全体の骨に効率良く刺激を加える・・目標は1日30回以上
・・》
と学び、何かと根気に欠ける私は、微苦笑してしまった。
 
そして《・・「縄跳び」に関しては・・年齢が関係ないので、中高年にも効果的・・
踏み出して、着地という運動に意味があります・・》
と学び、不器用な私は、「縄跳び」も数回しか続かないので、駄目だねぇ、と苦笑したりした。

しかしながら、《・・中高年の方は興味がある分野に挑戦するのがいい。
歴史が好きな人は、教科書を買って読んだりするのがいいですね。
感情が働けば、ドーパミンも分泌されて、集中力や記憶力アップにつながる。
好きなことをやって、脳活をしよう。・・》

こうしたことに私は瞬時に好感して、微笑んだりした
・・。 のように真摯に学んだりした・・。
          

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
年金生活の2004年の秋の当初からでも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人などと明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、
見知らぬ男性、 女性グループの御方たちと、 話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりして過ごしている。

そして健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。

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「ゴールデンウィーク」、或いは「大型連休」、表示の差異に、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2019-05-01 15:44:04 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットでニュースを見ている中で、
『 NHKが「ゴールデンウィーク」という言葉を使わない理由 』
と題された見出しを見たりした。

私は都心の郊外に住む年金生活の74歳の身であるが、
この時節の祭日、休日が続く期間を「ゴールデンウィーク」、或いは「大型連休」と言ったりしてきたが、
今回の表題《・・NHKが「ゴールデンウィーク」という言葉を使わない理由・・》を学びたく、
記事を精読してしまった。

この記事の原文は、初めて知る公式サイトの【 ねとらぼ】に於いて、
2019年5月1日に配信され、無断であるが前半部を転載させて頂く。

《・・NHKが「ゴールデンウィーク」という言葉を使わない理由  

                

公共放送であるNHKは、「ゴールデンウィーク」(GW)という言葉を使わず、
大型連休」という言葉を使っています。
その理由を知っていますか?

そもそも、言葉としての「ゴールデンウィーク」を生み出したのは映画業界。
連休のため客入りが良い時期で、宣伝活動の一環として作られました。

そのため、放送法で「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」(広告放送の禁止)と定められているNHKは、
使用することができない・・という話を聞いたことがある人も多いでしょう。

 
しかし、「ゴールデンウィーク」は1950年代から一般的に使われており、
映画とは無関係な観光情報などで目にすることも珍しくありません。

ここまで定着しているのに、まだ「宣伝文句だから使用できない」というのは、
おかしな話だと思いませんか? 

NHKのWebサイトによると、この他にも理由があるそうです。


・ゴールデン“ウィーク”なのに、一週間以上連休が続く場合がある
・連休ムードに対して、不快感を抱く視聴者がいる(経済状況が悪いと、休めない人も多い)
・文字数が多く、表記の際に困る


いろいろな角度から説明されていますが、
要するに「とにかく“使いにくい表現”だから、使わない」というのが理由のようですね。

 ◆参考 ・「ゴールデンウイーク」「大型連休」どちらを使う?(NHK放送文化研究所)・・》

 注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                

記事を読み終わった後、私は苦笑してしまった・・。

過ぎし4月27日の朝、ぼんやりとテレビのニュースを視聴していたら、
本日より大型連休が始まりました・・今年は『平成』の時代から『令和』の時代に、
なりますので、今年に限り10連休となります、と報じられ、
サラリーマンを卒業して、年金生活の私でも微笑んだりした。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から、多々の理由により年金生活をし、
早や15年目となり、ともすれば曜日感覚が薄らいで、何かしら世情に疎(うと)くなっている。

そして大型連休は、私が現役サラリーマンの時代は、確かゴールデン・ウィークと称していたのに、
いつのまにか呼び名が変わってしまった、と微苦笑したりした。

私は確か20数年前に、ゴールデン・ウィークの由来については、
知識人の藤野邦夫(ふじの・のりお)さんが、 的確な解説を『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)で明示している。

《・・『ゴールデンウィーク』とは、日本でしか通用しない和製英語である。

1948年(昭和23年)に『祝日法』が公布され、4月29日から5月5日にかけて、
休日が飛び飛びであれ連続としたことから、この一週間に映画館の入場数が激増。

それに味をしめた映画関係者がPRに使用したことから、 一般にもゴールデンウィークという表現が定着した。》

このように私は学び、映画関係者、多分どこかの宣伝部のコピー・ライター専任と思われるが、
命名された名付け親の人は、天分のある人と仰ぎ見てしまう・・。

                

こうした私の根底の思いとして、働いて下さる御方たちは、多くの家庭の現在でも、
この連続休暇を楽しみに、 それ以前の日々の業務に励み、そして国民の多くが
甘受できる連続休暇であるからである。

このような思いのある私は、「ゴールデンウィーク」、或いは「大型連休」の表現は、
どちらでも良いのに・・と微苦笑したりしている。
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