夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「端午の節句」は一体どんな日?、恥ずかしながら高齢者の私は、こっそりと学び、多々教示されて・・・。

2019-05-05 14:35:50 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【AERA dot.】を見ている中、
『 なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか
     「端午の節句」は一体どんな日? 』 と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
齢ばかり重ねた私は、恥ずかしながら何かと無知なことが多く、 「端午の節句」のことも明晰に応(こた)えられず、
こっそりと学ぼうと思い、記事を精読してしまった・・。

 この記事は、室橋裕和さんの寄稿文であり、
ネットの【AERA dot.】に2019年5月5日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・ なぜ5月5日に菖蒲湯に入るのか 「端午の節句」は一体どんな日?  



 鯉のぼり(写真:Gettyimeges)

 

5月5日は、端午の節句、子どもの日。
わが子の、とくに男の子の成長を祈ってお祝いをする日として親しまれている。


そもそも「節句」とは、なんなのだろうか。


はじまりは、飛鳥時代にさかのぼるともいわれている。
四季折々の季節の区切りや節目に、宮中ではイベントが行われていた。

天皇が貴族たちを集めて宴を張ったのである。
これを節句と呼んだのだ。
かつては、天皇から「供」される宴であることから「節供」ともいったらしい。


1月7日が、新年を祝う人日の節句、3月3日は、農作業のはじまりに合わせた上巳の節句、
7月7日の七夕の節句は、お盆を前にして先祖の服を織り、
収穫の季節を迎える9月9日の重陽の節句では、菊を愛でる。

節句とは、日本人の生活と風習のサイクルに合わせた、まさに節目の日なのだ。

                

そして5月5日、端午の節句の頃は、そろそろ暑くなり、湿気も出てくる時期。

近づいてくるのは、衛生状態の悪くなる梅雨だ。
だからこそ、古代の日本人は、清潔を保とうとしたのだという。
山で薬草を採って、煎じて飲んだり、薬用酒をつくったりもした。
その一環として、菖蒲を利用したのだ 。


日本各地に広く分布する多年生植物である菖蒲には、薬効があることを、
古くから人々は知っていた。

だから菖蒲酒を飲んだり、茎や葉を枕に詰めて眠ったり、風呂に入れて浸かったりした。
独特の高い香気は、魔よけの効果もあるとされ、玄関口に飾る習慣もあったそうだ。

菖蒲には、災いを祓う力がある、と考えられてきたのだ。
だから端午の節句はいつしか、菖蒲の節句と呼ばれるようにもなっていく。


室町時代以降、武士が力を持つ時代になると、
なにごとにも勇ましさを求め、ゲンを担ぐ世になる。

菖蒲は「尚武」という言葉の音と同じだからと、その意味まで重ねられたという。
菖蒲の節句は「武芸に励み、精進する日」とされたのだ。

そして「勝負」にもかけられ、競争ごとや争いに勝つことを願うようにもなったという。

となれば当然、武士たちが思いを預けたのは、自らの男児だ。
息子が尚武し、勝負に勝つように、尚武の節句に祈る。

そのために武家は、鎧兜を飾って、この日を祝したのだ。
その後、男児を象った五月人形も好まれるようになっていった。

そして息子の立身出世のためにと、鯉のぼりを立てるようになる。
これは中国の故事が由来といわれている。

黄河の上流にある、竜門という険しい滝を、鯉がさかのぼって見事に泳ぎあがる。
滝を登りきった鯉は、その勢いのまま天に昇り、龍となった・・。
5世紀の歴史書『後漢書』の一節、「登竜門伝説」だ。

これに想を得て、鯉は男子栄達の象徴と武士たちは考え、こぞって鯉のぼりを飾った。
端午の節句はこうして、男の子の節句ともなっていったというわけだ。


節句の習慣は、宮中や武家だけで行われていたが、
江戸時代に入って大衆文化が花開くと、一気に庶民たちも真似るようになる。
菖蒲湯がはやり、鯉のぼりや五月人形も少しずつ普及する。


そして柏餅が大人気となった。
ブナ化の樹木である柏は、ほかの木と同じように紅葉するのだが、
このときに枯れた葉は、落ちることなく冬を越す。

そして新しい芽が吹いてから、役目を終えたように古い葉が舞い散っていく。
こんな性質から柏は「跡継ぎが生まれ育つことを見守ることができる」縁起のいい樹であり、
その葉でくるんだ餅は、子孫繁栄のシンボルとして好まれた。

現代の「子どもの日」のさまざまな風習は、こうして成立していったのだ。

               

ちなみに「端午」とは、5月最初の午(うま)の日のこと。
十二支のひとつ「午」がはじめにめぐってくる日を指していた。
それが「午」を音読みすると「五」に通じるということで、5月5日が端午の節句だと定着していったのだ。


いまも銭湯ではこの日、菖蒲湯が人気だ。
スーパーマーケットなどでも、風呂用の菖蒲を売る。
香りの強い湯に浸かると、疲労回復や腰痛、神経痛、血行促進などの効能があるそうだ。


5月5日、超大型連休も終盤。
遊び疲れた人も仕事だった人も、菖蒲湯でリラックスして初夏を迎えてみてはどうだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                 

記事を読み終わった後、多々教示されたりした。

昨日、いつものように平素の買物をスーパーでした後、
商店街の老舗で柏餅(かしわもち)を見かけたので、 何かと単細胞の私は、
家内のおみやげねぇ、と思いながら、 つぶあん、こしあん、みそあんをそれぞれ二つばかり買い求めたりした。

やがて帰宅後、まばゆい陽射しを受けながら、5月中旬のような陽気に恵まれ、
小公園を歩いたりした。

そして数多い樹木は、若葉は光帯びて、世の中は大型連休に相応しい天気だ、と微笑(ほほ)えんだりした。
こうした中、近くの住宅街を歩いていた時、
この中のひとつの御宅の二階のベランタ沿いに、 鯉幟(こいのぼ)りが掲げられていた。

この住宅街は、私が高校2年の1961年(昭和36年)の頃に、
大きな団地が出来て、その周辺に分譲地となった地帯であり、早くも60年近くになっている。

ここ20年近くは『おふたりさま』の高齢者の夫妻が住まわれたり、
或いはお子様の家族に引き継がれて住まわれたり、
或いは2所帯住宅で1階は親、2階はお子様の家族が住まわれて、親子孫の三世代が同居されている家もある。

こうした家並みが並ぶ中を私は歩いていたのであり、 たまたまこの中の家の御方が、
お孫さんの為に、鯉幟りが掲げられているのかしら、と私は人生の微笑を頂いたりした・・。

私の住む周辺は、家並みが密集しているので、 旧家でない限り、
とても鯉幟(こいのぼ)りを悠然と泳がせるスペースがなく、 ここ数10年は観かけることが少なく、
たまたま鯉幟りを偶然に観て、思わず足を止め、
小振りな3つばかりの鯉が微風を受けて泳いでいたのを長らく見つめたりした・・。

この後、幼稚園の近くの歩道を歩いていた時、
悠然と空に泳いでいる鯉幟(こいのぼ)りを見かけて、 私は微笑みながら、眺めたりした・・。

           

やがて帰路に向う途中、人影もないので、かぼそい声でひとつの歌を唄ったりした。

♪甍(いらか)の波と雲の波、  重なる波の中空(なかぞら)を、  ・・・
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

私は遠い昔の幼年期に祖父、父を健在の頃、
農家の宅地の外れに鯉幟(こいのぼ)りを高く掲げられ、
あの当時はどの家も男の子のために鯉幟りをこの時節に掲げられていた・・。

このようなことを思い重ねて、過ぎ去った時の流れを思い馳せたりした。

♪橘(たちばな)かおる朝風に、  高く泳ぐや、鯉のぼり。   ・・・ 
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】

そして齢ばかり重ねた私は、愛惜感を秘めながら自宅に向かった。

               

今回、「端午の節句」に関して私は多々教示されたが、
何かと物忘れが多くなった私は、やはり来年の「端午の節句」の今頃は、
由来などは忘れてしまうと思われるが、柏餅を食べたりし、青空の中で鯉のぼりが悠然と泳ぐ情景を観られたら、
幸いだよなぁ・・と微笑んだりした。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする