夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由、高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2019-05-13 17:21:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりして、
『 ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由 』
と題された見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら一昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

そして時代遅れの私は、相変わらず固定電話を利用し、
せめてインターネットに関して、 固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

そして私は、こうした中でブログの投稿文を重ねて、早や15年生となっている。

              
 
ブログを始めた14年半前の頃は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、 ブログに加入しょうと決意した。              

結果としては、 パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

                                                                                   

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

或いは年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを 心の発露の表現手段として、
ブログの投稿文を綴ったりしている。 

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

そして恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、 ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。        

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、
真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、
最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったりして、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは15年生となっている。                  

               

このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くの御方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、
少しは身なりを整えるのと同様に、 私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。 

しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、
家内より多くの御方に恥ずかしくないように、 叱咤されながら、程ほどの高価な衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。

そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが、圧倒的に多い・・。  
             
                                               
               

コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、 私は本心を発露して綴り、
相手の御方の返信の内容、或いは行間にも本心が見え隠れし、 微笑んだり、苦笑したりする時もある。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。

或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、 私は思いかけずに喜んだり、
私の投稿文をこのように解釈されたのかしら、と微苦笑したりして、 返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で、望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない5名の御方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。

そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と御教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々御教示を受けている。

こうした中で、ときには感きわまって、私はコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。

              

しかしながら私の投稿文に於いても、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきたので、
今回の《・・ネットに愚痴や悪口を書くと・・ダークサイドに堕ちる理由・・》知的好奇心に負けて、
記事を読んでしまった・・。

この記事は、コラムニストの石原壮一郎さんの寄稿文であり、
公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に2019年5月15日に配信され、
無断ながら記事の殆どを転載させて頂く。

《・・ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由

21世紀を生きる私たちは、長い人類の歴史のなかで、
ダントツに大量の愚痴や悪口に囲まれて生きています。

それは言うまでもなく、ネットやSNSがが発達したから。
誰もが意見を表明できるようになった利点も、たしかにあるでしょう。

しかし、そんなものは軽く吹き飛んでしまう悪影響が、
私たちの心や人生を徐々に蝕んでいます。

               

もちろん、そういうものがなかった昭和までの時代も、人は愚痴や悪口に精を出していました。
しかし、聞かせる相手は、周囲の家族や知人や同僚であり、
そんなことばっかり言っていると嫌な顔をされたり鼻つまみ者になったりするので、
ある程度は自制心が働いたものです。

しかし、ネットの発達は、そんなタガを外してしまいました。

たとえばSNSに、実名で愚痴や悪口を書き込むのは、
どこかの駅前でメガホンを持って、大勢に向かって悪態をついているのと
似たり寄ったりの行為です。

しかし、本人にそういう意識はありません。
ネットやSNSに愚痴や悪口を書き込むと、どんどんダークサイドに堕ちてしまいます。

理由は、次の5つ。

その1 「四六時中、愚痴や悪口のネタを探し続けてしまう」

その2 「不都合なことに向き合わないので、何も解決しない」

その3 「目先の反応が嬉しくて、際限なく先鋭化していく」

その4 「自分を『悲劇の主人公』に仕立てるのが上手になる」

その5 「知らないうちに『困った人』のレッテルを貼られる」


この段階で「なるほど」と納得した人は、最初からその手のことは、書き込まないでしょう。

「そんなことあるか!」と反射的にいきり立っている人は、たぶんもはや手遅れ。
「えっ、どうして?」と思った今なら、まだ間に合う方のために、少し説明させてください。

              

●その1 「四六時中、愚痴や悪口のネタを探し続けてしまう」

愚痴や悪口は、すぐにネタが見つかります。
反応もそれなりにいいでしょう。

周囲は無責任に慰めたり同意したりするので、「自分は正しい」と思い込むことも容易です。
そんな快感に溺れて、何度もその快感を味わいたくて、
朝から晩まで「なにか愚痴や悪口のネタはないか」と探し続けてしまう体質に・・・。

他人や物事のいいところではなく、とにかくあらを探す癖もつきそうです。
そういう毎日は、はたして楽しいでしょうか。


●その2 「不都合なことに向き合わないので、何も解決しない」

愚痴や悪口は、吐いた瞬間はスッキリすることができます。
しかし、根本的に何かが解決したわけではありません。

強引に自分を正当化した分、解決から遠ざかっていると言えます。
SNSで見かける同僚や上司や配偶者に対する文句は、
大半が「こんなところに書いてないで、本人に言えよ」と思えるものばかり。

「言えないから書いているんだ」と反論されそうですけど、
言う以外でも、何か打てる手を考えたほうが有意義です。


●その3 「目先の反応が嬉しくて、際限なく先鋭化していく」

とくにSNSに顕著ですが、自分の目に入る世界は、自分と似た考えの人ばかりになりがちです。
客観的には「おいおい、本気かよ」と言われそうな意見でも、
「そのとおり」、「さすが」と言われがち。

人は弱くて愚かな存在です。
「いいこと言ってるオレ(ワタシ)」というセルフイメージを肥大させるのに、
それほど時間はかかりません。

愚痴や悪口だけでなく、政治や社会に対する批判も、同じ落とし穴があると言えるでしょう。


●その4 「自分を『悲劇の主人公』に仕立てるのが上手になる」

人生は、ままならないことの連続です。
今という時代も、自分の環境や性格も、周囲の人間関係も、気に入らないことは山ほどあるでしょう。

愚痴や悪口に精を出せば、自分を「悲劇の主人公」に仕立て上げることは簡単にできます。
おとなしく従順に生きろという意味ではありません。
批判精神を持って、時に戦うのは当たり前の話。

しかし、ネットに愚痴や悪口を書き込んでいるのは、
単なるヒマつぶしで戦いでも何でもありません。


●その5 「知らないうちに『困った人』のレッテルを貼られる」

これは、実名が原則のFacebookで起きがち。
書き込んだ愚痴や悪口に「いいね!」を押してくれたり、
やさしいコメントをくれたりしている人も、
じつは心の中では「うわ、困ったヤツだな」、「面倒臭そうだから、ちょっと距離を置こう」と思っています。

いわんや黙って読んでいる人たちをや知らぬは本人ばかりなり。

面と向かって「ああいうこと、書かないほうがいいよ」
と言ってくれる親切で勇敢な人は、まずいません。

              

うっかりダークサイドに堕ちないように、くれぐれもお気を付けください。
そして、こうやってダークサイドに堕ちている人の悪口を書いている私も、
間違いなくダークサイドの住人です。

どうぞ遠慮なく「大きなお世話だ!」、「お前には言われたくない!」
といった罵倒の言葉を投げつけてください。

そんな光景を見た方が、ひとりでも
「ああ、醜い。あっちにはいかないようにしよう」
と思ってくださったら、私としては本望です。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                 

                

私は記事を読み終わった後、微苦笑を重ねたりした。

過ぎし2005年(平成17年)の当時に、 あるブログに準じた簡易サイトに加入していた時、
コメント欄に書き込みをして頂いた方があった。

《 タイトルは、《あいうえお》
  内容は、ゲボリッチ       ゲボリッチャン
  発信人は、f4rr   発信時間は、20.39 》 と綴られて、
ご丁寧に8回連続されていた。

この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。

私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、
たとえ大学、大学院などを卒業されても、 心の貧しい人と思っている。


或いは私の投稿文について、確か10年前の頃だったと思われるが、
文節が良くない、文法を無視している・・などと執拗に幾度かコメントされたことがあった。

私はつたないながら独創的な文体を目指(めざ)して、今でも悪戦苦闘する時もあるが、
高等学校の国語の文法の先生のようなことをコメントするなよ、と私は無視したりした。

そして7年前に於いて、同一のお方からコメントを頂いたが、
私を精神XX病・・と書かれた上、ご丁寧にもある大学病院の10ぐらいの科を記載されていた。
そして私は、これには困ったなぁ、と苦笑しながら、コメントを削除した。

そして今年でも、私は若い一部の御方の『スマホ依存』を憂い、投稿した後、
貴様みたいなスマホより価値がない下等生物が余計なことするな。
貴様の自己満に巻き込まれた方はいい迷惑だ。

このようなコメントを頂き、私は苦笑したりした。

              

このようにコメントの内容により、ネットの世界は、リアルの世界と違い、
なんでもありの不思議な世界であり、 受けた御方は険悪と感じたり、
或いは多忙の中コメントの返信もままならず、 やむなくコメントの閉鎖されている御方もいる。 

☆コメント欄☆
家内の入院に伴い、私は何かと多忙となり、当分の間は
閉鎖させて頂く。


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