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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者夫婦が楽しく過ごす鍵は、自助、共助、公助と助け合う世界、私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2019-05-30 18:03:52 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 マネーの達人 】を見たりした中で、
『 「人生100年時代」を楽しく過ごす鍵は「定年夫婦」
          安心・安全に暮らせ、無駄な出費もなくなります。 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で築後40年が過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年となっている。


このような私であるが、どのようなことなのかしら・・思いながら、
記事を精読してしまった。

この記事は、社会保険労務士、ファイナンシャルプランナー(CFP認定者)などで
御活躍されているさんの寄稿文であり、
公式サイトの【 マネーの達人 】に2019年5月23日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「人生100年時代」を楽しく過ごす鍵は「定年夫婦」  安心・安全に暮らせ、無駄な出費もなくなります  

              

毎日が楽しく気ままにお金に悩むこともほとんどない生活。
こんな生活ができるなら、いつまでも続いてもらいたいものだと、
誰もが思うのではないでしょうか。

実は、完全リタイアした現在の定年後の生活というのは、このような状況に近いのではないかと思います。

☆定年後の生活とは

物心ついたときから日々の生活は、朝は6、7時頃に起き、夕方か夜まで働いたり勉強したり、
そして週単位では休んでもよい日が設けられるという生活パターンです。

週単位での休日は、休息やリフレッシュメントのためです。

平日は、一所懸命にはたらき勉学をする時間です。

このような日単位、週単位の生活パターンは、仕事をしなくなる前まで、約60年間前後にわたって続きます。


ところが、仕事をしない定年後になると、
この60年にわたって続いてきた生活パターンが突然、変化
します。 

具体的には、週5日間か週6日間の働く時間帯が空白になります。

働いたり勉強していた時間を自分の好きなように使えます。

時間を好きなようにして良いといわれるところに定年後は
「毎日が日曜日」というイメージに繋がるのかも知れませんが、休みの日とは働いたり勉強する休養です。

定年後は「毎日が日曜日」ではありません

つまり、仕事のない定年後とは、実は人生で経験のしたことのない日々を過ごします。

現役時代には限られた1日24時間のなか一心不乱に働いたり勉強していた生活から、
「時間を持てあまし」気味の生活に大転換します。

そして、この生活はお金の心配さえなければ、まさに地上天国のような生活ではないかと思えます。

この定年後の生活を主に支えているのが公的年金です。

もちろん、公的年金だけでは十分ではないので、
お金つまり金融資産を持つわけですが、やはり主役は公的年金です。

公的年金の代わりになるような金融資産や収入源があれば、
年齢に関係なく、いつでも完全リタイアできます。

              

☆長寿は祝うべきものだが

最近のデータによると、

95歳まで生きる可能性は、男性なら約10%、女性では25%、
つまり男性の10人にひとり、女性は4人にひとり

になります。

これは平均なので、たとえば平成29年数値で男性65歳の人の平均余命は
約20年で85歳まで生きると統計的になります。

そして、85歳の人の場合は、平均余命は6.26歳、平均で90歳超です。

65歳定年としても平均として25年以上の余命があります
男女ともに長寿なので、定年夫婦として過ごす時間が長くなると予想できます。

長寿は祝うべきものです。
しかし、お金、健康など本当に大丈夫かなと思ったりもします。


☆人生100年は「おひとりさま」では長過ぎて寂し過ぎる 

年をとって「おひとりさま」でいることを私は勧めていません。
40、50代はシングルであっても、人生の後半からは、配偶者・パートナーになることを勧めています。

高齢になると、配偶者・パートナーが必須だからです。
50代になるとパートナー、相棒という感じでしょうか。
子どもの心配もありません、パートナーとともに日々を楽しめば良いのです。

人生後半では、配偶者・パートナーが必要なことを理解させてくれる本があります。

蛭子能収さんの「ひとりぼっちを笑うな」という本です。
群れずにひとりであることは悪いことではないというスタンスの本ですが、
「本当の『孤独』を知った前妻の死」という節があります。

50歳過ぎまで孤独をとくに感じることがなかった著者が
51歳の妻に急逝されてしまい、子ども、友人、ペットや趣味などでは、
とても喪失感を埋めきれなかったと述べています。

そして、蛭子さんは再婚し、配偶者という存在の素晴らしさを教えてくれています。

「ひとりぼっち」には例外があり、それは配偶者であり、
決して「ひとりぼっち」ではありません

ただ、70代、80代で配偶者を失うと、以後はひとりぼっちになってしまいがちですが、
ひとりぼっちというのは、男性よりも女性の方が強いように思えます。

              

☆人生100年に「定年夫婦」が必須なわけ 

まずは確率論から考えてみましょう。
病気や失業など人生にとって厳しい危機に陥る確率が、5%あるとします。

これが夫婦2人の場合に、2人がともに厳しい危機に陥る確率は、0.25%になります。
これが3人(たとえば頼りのなる子供がいる場合ですが)では、限りなく0に近づきます。

パートナーでいることのメリットは、数多くあります。

気心が知れて共に暮らせるというのは、
安心であり安全にも繋がり、孤独による無駄な出費や行為がなくなります。

また、ひとりでいると知らず知らずのうちに「偏り」が生じてしまいます。
それをチェックしてくれるのが配偶者であり家族になります。

ひとりということは、自助と公助の世界ですが、
2人になると自助、共助、公助と助け合う世界が広がっていきます。・・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。                 

                

私はさんの寄稿文を読み終わった後、確かにそうですよねぇ・・と同意を重ね、
特に高齢者夫婦が楽しく過ごす鍵は、自助、共助、公助と助け合う世界、私は学びながら、
微笑みを重ねたりした。

私たち夫婦は、年金生活14年の昨年まで、お互いに幸運にも大病に遭遇せずに、 過ごしてきた・・。

しかしながら私は、今年の新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、 やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されて、
10数名の医療スタッフの中で、 私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、
そしてCTスキャンなどの精密検査、 或いはレントゲン終えたのは、1月4日の早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。
 
そして今回、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に関して自己節制の能力が欠けて、やめられず、
56年ばかり自身に甘えてきたが、 遅ればせながら禁煙を決意し、今日に至っている。
                         

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4
月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。 

                

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、今日に至っている。

この間、私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりしたことは事実であった。
この後の経過状況、 やがて回復状況も医師より順調と診断され、明日に退院予定となった。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。

              

このような体験をしてきた私たち夫婦としては、
今回の《・・高齢者夫婦・・自助、共助、公助と助け合う世界・・》に瞬時に、
そうですよねぇ・・私は実感させられ、やがて微笑みを重ねたりした。

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