私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や15年生になっている。
こうした中で、ときおり家内が我が家より遠方に独り住まいの家内の母に介護で行く時は、
私は『おひとりさま』になるが、15年近く体験してきている。
こうした時の朝、目覚めた後は、やがて台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』、『燃えないゴミ』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりしている。
しかしながら、家内が4泊以上になる時は、家内が準備してくれた料理は品切れとなり、
こうした中、キャベツ、ニンジンの千切りぐらいはしているが、 煮たり、焼いたりする料理ができない私は、
スーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて、 食べているのが実態となっている。
洗濯に関しては、洗濯から乾燥できるまでの洗濯機に頼り、
せめて下着、タオル、パジャマぐらいはしょう、と当初は私は思ったした・・。
しかしながら家内より、着替えはたくさんあるでしょう、私が帰ってからします、
と強い口調で私は言われてしまい、助かるよぅ・・と私は即答したりしてしまった・・。
このような洗濯機の機能も知らずに、今日まで至っている軟弱な私となっている。
掃除に関しては、多少の埃(ほこり)がたまっても・・とグウダラな心情で、
二日に一回・・電気掃除機を曳くか、或いはコードレスの掃除機で、掃除したくらいである。
このように私は家事に関しても、落第生であるが、何とか『おひとりさま』の生活を戸惑いながらも、
過ごしてきた・・。
そして今年の3月になると、家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある臓器の膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。
そして精密なCTスキャンを専門病院で検査した後、
私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
私たち夫婦は専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
やがて家内は2泊3日で検査入院して、 精密な状況を把握した後、
4月12日より少なくとも数週間、病院で手術、その後の経過状況、 やがて回復状況を想定して、
入院生活を過ごしている。
そして家内は結婚以来、初めての入院生活となり、私たち夫婦として病状の緊迫感もあるが、
表面上は、3食昼寝付きょ、と家内は私に対して、微苦笑しながら言ったりしてきた。
この入院するまでの期間、家内なりに身辺整理をしたり、
こうした中で、和服の大半は家内の妹の家族に贈呈する為、運送業者で送付したりしてきた。
そして私が家事全般として、料理以外に出来ていない事は、洗濯であり、
入院する一週間前に、私は家内の指導の下で、特訓を受けたりした。
そして『洗い』、『すすぎ』、『脱水』、『乾燥』の基本順序を認識した上で、
これまでは『乾燥』の過程で、布ほこりでネット詰まり、停止警報が鳴った後、ときおり家内と選手交代で、
布ほこりを取り除いた後、再稼働させたぐらいであった。
こうした中、恥ずかしながら洗剤と柔軟剤の投入場所を、初めて知ったりした。
ここ5日、青空を眺めたりすると、洗濯が出来るよなぁ・・、私は心の中で呟(つぶや)く時もあるが、
私が家内の入院している病院先であったり、或いは平素の買物先のスーパーに行く途中であったりし、
独り微苦笑したりしてきた。
やむなく朝食前に洗濯を終わられるか、或いは家内の入院している病院より帰宅後、
洗濯していることが殆どとなっている。
そして私は、青空の中、陽射しを受けている我が家の洗濯干し場で、
洗い終わった私のパジャマ、下着、タオルなど干す作業をするのが、理想であるが、
本日外出前に実行できて、幸せを感じ深めたりした。
☆コメント欄☆
家内の入院に伴い、私は何かと多忙となり、当分の間は閉鎖させて頂く。