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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

俳優の伊東四朗さん、年齢を重ねるにつれて「やめたこと、始めたこと」、私は学び、魅せられ・・。

2019-05-28 17:15:03 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見ている中、
『 元気な有名人が65歳過ぎてやめたこと、始めたこと 』
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな生活を享受している。

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、 2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、この後もリストラ烈風が加速される中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社を余儀された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路であり、
私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、 結果としては定年後の長い人生は、
お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
               
やがて拙(つたな)い定年退職までの半生を過ごしてきた私でも、
年金生活は、 予期した以上に、苦より歓びの方が圧倒的に多く、安楽に過ごして早や15年目となっている・・。


こうした中で、私は御年配の御方の著作された本、或いは御近所の年配者、
そして親戚の叔父さん、叔母さんなどから、何かと今でも私は学ぶことが多い。

              

こうした習性のある私は、今回の見出し《・・元気な有名人が65歳過ぎてやめたこと、始めたこと・・》を読み、
各界でご活躍されている有名人のそれぞれの思いを少しでも学ぼうと思い、
こっそりと読んだ後、それぞれの人生観、平素の多彩な行動力など、
満天の星空を眺めるように、多々私なりに教示されたりした。                               

この記事の原文は、『週刊現代』の2019年5月11日・5月18日合併号に掲載された記事のひとつであり、
関連の公式サイトの【 現代ビジネス 】に5月28日に配信されていた。

今回、この中から最初に記載された俳優の伊東四朗さんに関して、
そして結びの文として、精神科医の保坂隆さんの発言を無断であるが転載させて頂く。

《・・元気な有名人が65歳過ぎてやめたこと、始めたこと

☆サプリはやめました

「あんたがたタフマン」
 栄養ドリンクのイメージキャラクターを務めてから早30年以上経つが、
その顔つきや体型は当時と変わらない。

話す言葉もしっかりしている。俳優の伊東四朗さん。

 
81歳になるいまも元気に第一線で活躍する伊東さんだが、
65、70と年齢を重ねるにつれて「やめたことがある」と語る。

 
「5~6年前までは、健康に気を使って、サプリメントを飲んでいました。
でも全部やめました。
飲まなくても特に体調に変化がなかったんです。

飲みきれなかったビンが、いまも自宅にたくさん残っています。
タフマン? タフマンはいまでも飲んでいますよ(笑)。

 
昔は明確に何歳まで生きてやろう、みたいな目標があったんですけど、
70歳過ぎたころから、そういうのはなくなりましたね。

 
ただ最近は、モンキー・パンチさん(享年81)や小池一夫さん(享年82)など、
私と同年代で先輩格の方たちが、相次いで鬼籍に入っている。
同じ表現者として、なんとかみんなの分も、頑張ろうという思いはありますね」

              


65歳といえば、再雇用も終わり、今後の人生をどう過ごすか、
大きな「分岐点」となる年齢である。
急に老け込む人もいれば、昔と変わらず若々しい人もいる。

 
65歳を超えても健康に長生きしている有名人は、どんなことをやめて、新たに何を始めたのだろうか。

 
冒頭の伊東四朗さんは、75歳のときに20年近く続けてきたテニスをやめた。

 
「テニスを始めたのは55歳のころ、女房に誘われてハマりました。
多いときは週3回、一日8時間くらいやる日もありました。

あまりに長いので、仲間から『いつまでやるんだ、バカヤロー』
なんて、はやし立てられたりしてね。

 
でもテニスは走ったり、止まったり、跳ねたり激しい運動でしょう。
だからもともと痛めていた左ひざが、悪くなってしまった。
それで女房とともに、やめることにしました。

 
代わりに始めたのが、ウォーキングです。
ほぼ毎日、近所の神社まで6kmを1時間ほどかけて歩く。

 
あとは両足それぞれに1.5kgの重りをつけて、家の周りを歩いたり、
腹筋や腕立てもしてるけど、無理をすると嫌になるので、気が向いたときだけ、やるようにしています」

              

☆未練を持つのをやめた

車の運転もやめた。2年前に79歳で、免許を返納し、現在はもっぱら電車移動だ。

「具体的になにかあったわけではありません。
ただ、75歳を超えたら免許更新のときに、高齢者講習やら認知機能検査やらあるでしょ。


日時がわかっているか確認するために、時計を持ってこないように言われたり、
動物の写真を見せられて、覚えているかどうか確認させられたり、面倒だし、
正直なところ『ちょっとこれはないだろう』と思ったんです。

それで警察に行って返納してきました。


いまでも運転は、できるとは思うんです。
でもやっぱり目も悪くなったし、耳も遠くなったので不安はある。


最近も87歳の方が事故を起こしていましたが、車を運転していたら、
なにかのはずみで、自分も加害者になるかもしれない。
免許を返してからは、そうした不安はなくなりましたね」

 
電車に乗るようになり、一日に歩く歩数も増えた。
さらに身体だけでなく、頭の体操として始めたのが、「円周率」の暗記だ。

伊東さんが続ける。

「新聞のコラムに『産医師異国に向こう・・・』と、
語呂合わせを使って、簡単に円周率を覚える方法があることを知ったんです。

 
そのことを加山雄三さん(82歳)に話したら、
彼も小さいころに同じ方法で、円周率を覚えていたらしくて『簡単にできるよ』と言われて。

それでやってみたら、ものの10分で30桁覚えられた。
最終的には1000桁まで、暗唱できるようになりましたよ。

 
覚え方のコツは、とにかく声に出すこと。
周りに変な目で見られながらも、ブツブツ言いながら覚える。
でも別に、覚えなきゃいけないとかいう気持ちはないんです。


仕事じゃないから、自分のペースで、やりたいときにだけやる。
そのおかげか、この年になってセリフの覚えがよくなった気がします」

(略)

              

『がんばらない老後のすすめ』などの著者で精神科医の保坂隆氏が語る。

「特に男性は、人付き合いを苦手としていますが、
医学的にも友人や家族とのつながりが多い人は、長生きすることがわかっています。

入院患者を調べたところ『面会者数が多い人ほど、早く病気が治っている』という面白い報告もあります。

 
もう一つ大切なのが『笑う』こと。
笑えばセロトニンが作られ免疫力をあげることは、医学的にも実証されています。
さらに怒りと関係するアドレナリンも減るので血圧も下がる。

笑うだけで薬もいらなくなり、まさに一石二鳥なわけです」


人生を楽しく生き切る。
元気に長生きしている有名人たちは、図らずもそれを実践していた。・・》

 
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

              

私は俳優の伊東四朗さんに関して、殆ど無知であり、
確か私が中学、高校時代の頃、テレビの番組で『てんぷくトリオ』の一員として御活躍されていた当時、
たまたま私は視聴していたりした。

この後、私が年金生活の中で、家内がテレビドラマを視聴していた時、
偶然に私も視聴して、演技力が優れた御方・・と思ったりした後、
あの『てんぷくトリオ』の一員の御方か、と驚いたりした。

今回、たまたま伊東四朗さんの《・・65歳過ぎてやめたこと、始めたこと・・》思いを読み、
この御方の人生航路を少し学び、魅せられることがあり、私なりに微笑んだりした。

そして私は、それぞれの御年配の御方が過ごされてきた人生航路から、発露される言葉、行動力・・・
圧倒的に魅せられて、今日に至っている。

コメント
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