夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「年金格差」を世代別比較、団塊世代も逃げ切りに失敗、高齢者の私は学び、やがて苦笑を重ねて・・。

2019-05-03 15:56:58 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【マネーポストWEB】を見ている中、
『 団塊世代も逃げ切りに失敗 「年金格差」を世代別比較  』
と題された見出しを見たりした。

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の74歳の身であるが、
民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。


そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、 身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、
定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。

             


私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。

そして私の妹ふたりは、1947年(昭和22年)1月、1948年〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949年〈昭和24年〉12月の生まれであり、 何かと幼年期からの情況は、
理解しやすいひとりとなっている。

ここ10年、団塊世代は“勝ち逃げ”とか、
中には“日本社会の不良債権”と雑誌などで私は読んだりしたことがあり、
少し酷いじゃないの、と憂いたりしてきた・・。

こうした深情のある私は、《・・団塊世代も逃げ切りに失敗・・》やはり気になる内容であり、
記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』2018年5月25日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【マネーポストWEB】に5月17日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・団塊世代も逃げ切りに失敗 「年金格差」を世代別比較

             

世代別、年金受給額と払込保険料の差


1941年生まれの“焼け跡世代”の男性のケースでは、
保険料の払込総額2249万円に対し、88歳まで生存した場合の年金支給総額は約5170万円。
払込額と受給額の差額は2921万円になる。

一方、団塊世代の1947年生まれの男性のケースでは、
保険料払込総額約2844万円に対し、年金受給総額が約4799万円で、差額は約1955万円になる。

ともに戦後の貧困期から立ち上がり、懸命に働いて高度経済成長を支えた世代であるのに、
団塊世代は、焼け跡世代より595万円も多く保険料を納めたうえ、受け取る額は371万円も少ない。

わずか一世代違うだけで、団塊世代は「損」をするようになってしまったのだ。
手を変え品を変え、なんとかして理由をつけて、
団塊世代から支給を減らそうとする意思が伝わってくる。

政府は、“逃げ切り世代”の団塊世代の人口の多さを利用し、ターゲットにした。
年金において、団塊世代がいつの間にか「負け組」になってしまっていたのだ。

もちろん、表を見れば分かる通り、それより若い世代は、
さらに払込保険料と年金受給額の差額が少なくなっているのだが・・。》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

               


過ぎし私が若き40代の時、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
国内旅行した時、何かのはずみで年金の話題となったことがあった。

この時の私は、お義父(とう)さん(1926年=昭和元年生まれ)たちの世代は、
私たちの世代が多いので、たくさんに神輿(みこし)をかつがれている世代で安楽しているが、
私たちが退職後に年金生活に入った時、神輿(みこし)をかついて下さる人が減少するので、
少し不安ですょ、とこのような意味合いの言葉を私は義父に言ったりした。

或いは厚生労働省の前身の厚生省だった時代に、
《余ったカネを積立金にして、リゾート開発などに注ぎ込み》 やがて破綻して、
国民の大切な年金資金を浪費させた厚生省の高官たちに、
民間会社に勤めていた私は、怒り心頭をし、非国民だ、と思いを深めたりしてきた。           

このことは、日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が過ぎし年に65歳を迎えた時、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

               

こうしたことの主因は、高齢者は長寿化となり、年少者が激少し、超高齢化社会の時代を迎えているが、
こうした現状は30年前のベルリンの壁が崩壊し、世界の経済が自由主義経済に一色になる状況は、
誰しも予測できなかったであろう、と私は思ったりしている。           

私たちが過ごしてきた時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、
年収も毎年増え、 そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。

こうした中でバブルが終息し、そしてベルリンの壁が破壊され、 やがてソ連が崩壊し、
世界の経済が自由主義経済に一色となった後、 世界の経済が自由主義経済となった上、
日本は失われた20年で、 主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、
かっての高度成長の総中流社会の再現は、 見果てぬ夢となった。

そして殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か9年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
1997年〈平成9年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。         

こうしたことは私たちの息子、娘の世代から観れば、
お父さんは会社で一生懸命に奮戦し働き、マンションか一軒家を買い求めて、
お母さんは専業主婦で家庭を守る中で、子供ふたりは程ほどの自由な生活を満喫し、大学まで学び、
やがて子供は結婚して独立させてくれた典型的な中流社会は、大半は崩壊した・・。

こうした状況に、私は無力ながら憂い、ここ10数年のデフレの閉塞感ある実態より、
何とか経済復興をした上で、堅実な経済成長が望ましい、と念願してきた。

                                   

この上、高齢者の有権者層が急増している今日、 政治家の諸兄諸姉が高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
定年退職が出来た上、年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のままで放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、世代間の格差の羨望と嫉妬の末、
高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、 邪魔な存在と感じながら、
粗末にする風潮のなる世界が想像できる。
 
このような心情を重ねてきた私は、 私より上の世代、そして私たち世代、団塊世代、
そして働いて下さる50代から20代の人々、 それぞれ自分たちの世代だけが得をするようなことは、
この世にあってはならず、お互いに痛みを共有し、 明日に希望が持てる日本の再建の第一歩、
と私は微苦笑したりしている。

コメント
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