そんな状況がありながらも、高齢者の心の問題に寄り添おうとする著作は少ない。
大正5年生まれ、満100歳の著者による大ヒット中の本書は、貴重な1冊だ。

精神科医として、患者と半世紀にわたり向き合い続けた中で見つけ出した40個の「生きるヒント」を、
語りかけるような穏やかな文章でまとめている。

「自分より若い人の言葉よりも、年上の方の言葉のほうが、
素直に受け入れられるところがありますよね。

70代、80代になっても、やはり同じなんです。
年長者の言葉を求めている。
とはいえ、その条件に応えられる著者は、なかなかいません。

髙橋先生はちょうど、今のシニア層にとって親の世代にあたり、
実際に『亡くなった母から励まされているような気持ちになった』という反響も届きました。

内容もさることながら、高齢者に人生の先達として、言葉をかけられる著者である点も、
ヒットの要因として大きく感じています」(江川さん)

書名は河合隼雄さんの名著『こころの処方箋』を意識して決めたという。
同じくらい、長く愛される本に育っていきそうだ。

2016年9月発売。初版8千部。現在11冊16万部

 
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は都心の郊外の調布市の片隅で、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。

過ぎし2004年(平成16年)の秋、私は中小業の民間会社に35年近く奮闘して定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始め、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

こうした中で、私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

            

或いは私は何かと読書好きで、
単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
定年後からは特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

こうした中で、私は小学2年の時に父が病死された為か、
特に今は亡き阿川弘之さん、三浦朱門さんには、慈父のような感じながら、
人生のありかたを書物の上から、多々学んだりしてきた。

そして人生の師として、阿川弘之さん、三浦朱門さん、曽野綾子さんの著作された
数多くの本より学び、そうでしたか・・と幾たびに教示されている。
詳細は、私は幾たびも投稿文で記してきたので、今回は省略する。

            

そして私はブログに関しては、年金生活を始めてまもない時、ブログの世界を知ったりした。
私は自身の投稿文も大切であるが、数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

私は特に数多くの50代以上の数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い重ねながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、特に私はご年配の御方を意識して、読ませて頂いた。

過ぎし10年前の64歳の頃は、70代は未知の世界であり、不安を秘めながら、
遥かに見上げる御方の投稿文より、学びながら励ましを感じたり、ときには微笑みを頂いたり、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

            

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。 
         
                        
こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に琴線(きんせん)が静かに奏(かな)で始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

或いはそれぞれのお方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない10数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
          
   
そして現代の私は、私がブックマークに掲げた人を中核に、
毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学んだりしている・・。

            
           
このように私は、感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれの御方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
私にとっては心の宝物、と改めて感謝を重ねている。