夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『その年にならなければ、解らないょ・・』、ここ数年の私は、微苦笑しながら同意を深めて・・。

2018-08-10 14:41:42 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、
年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

               

やがて拙(つたな)い半生を過ごしてきた私でも、年金生活の60代の10年間は、
予期した以上に、苦より歓びの方が圧倒的に多く、安楽に過ごしてきた・・。

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                          
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。

               

この間、私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は年金生活を始め、やがて62歳の時、
現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。

       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                            
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするのが多くなり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の発言から学んできた。


私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇することなく、私は60代の年金生活10年間を卒業した。

                

過ぎし年の2014年(平成26年)の9月下旬、私は古希(こき)と称される満70歳を迎えることが出来た・・。

もとより古希は、還暦に続く長寿の祝いの70歳のことであり、
中国の盛唐時代に西暦700年代の詩人の敬愛している杜甫(とほ)が、
『曲江詩』の一節の中、人生は70古来稀(まれ)なり、から伝承されている。

しかしながら、この2014年(平成26年)の当時は、総務省の公表に寄れば、
日本の70歳以上の方は2383万人で、総人口の19%近くの長寿社会を迎えている今日、
古来稀(まれ)なり・・は死語だよねぇ、と私は微苦笑を重ねたりした。、

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そしてお互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりする時もある。

もとより日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしていた。

こうした中で、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、人生は気合だ、と時折つぶやきながら、年金生活を過ごしている。

或いは風邪気味の時は、病院などに行かず、市販の薬も敬遠して、
早めに布団にもぐり、本を読み、そして睡眠時間を多めにして、克服したりしてきた。

                              

しかしながら、70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、収容できずオバー・フローになり、
忘れてしまうことで、悩が適度な記憶量に調整を図っている、と無念ながら思ったりしている・・。

                             

過ぎし今年の寒い2月の時、和室の寝室で朝に布団から目覚め、
やがて起きだして、部屋の片隅に置いている靴下を履こうとする時、
身体か或いは骨が固くなった為か、苦難する時もあったりした。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、
無念ながら老化現象で齢なのかしら、と独り苦笑したりしてきた。

或いは知人宅で正座したり、あぐらを掻(か)いたりして、一時間ぐらい談笑した後、
すぐに立てなくなり、苦笑をしたりしてきた・・。

                              

何よりも恥ずかしいことは、オシッコが近くになったことである。

ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

そして目覚めた時、ぼんやりと今日は・・と予定事項を思い浮かべたりして、
15分ぐらい過ぎた時、オシッコだ、と感じて、布団から起きだすが多くなっている。
       
日中は、近くお寿司屋さんから頂いた大きな湯呑茶碗に冷茶を淹れて、
そして大きなコップにインスタント・コーヒーのアイスコーヒーを淹れて、愛飲している。

この熱い時節、水分不足で熱中症になったら大変だ、と思いながら、
こうした冷茶、アイスコーヒーを何杯も飲んだりしていると、
一時間半ごとにトイレに行き、オシッコをしたりしている。

私は年金生活を始めて当初から、平素の買物に関して、家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーか、ときには駅前のスーパー、専門店に行ったりしている買物メール老ボーイの身であるが、
70歳の頃からは、家を出る直前に、トイレに行き、オシッコをしたりしている。

そして買物の責務を終えた後は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩いたりしているが、
一時間半ぐらい歩く間、水分補給は十二分にしている為か、
小公園などのトイレに行き、オシッコをすることが多い。
             
こうした事態に私は戸惑って、苦笑したりしている。

                               

そして私は高齢者に入門した65歳の頃、
作家・渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんの随筆を読んでいる中で、
『その年にならなければ、解らないょ・・』、
このような意味合いの言葉を学んできたので、昨今の私は、
そうですよねぇ、と微苦笑しながら同意を深めたりしている。


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2 コメント

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初めまして。 (ペコちゃん。)
2018-08-13 04:19:26
おはようございます。

高齢者ではありませんが、お便りをさせていただきました。
ブログを持ち合わせておりませんので、失礼かもしれません。
毎日の暑さでは、お身体に答えられるでしょうが、どうかご家族さまと健康にお過ごしくださいますように。
いつか、立原正秋氏の事をお話でしたが、いい感性をお持ちだと思いました。好奇心も、知的な方向です。読書量が、伺えます。
ブログ更新を、がんばられてください。
こちらこそ、初めまして・・。 (夢逢人)
2018-08-13 08:51:59
ペコちゃん様。

初めまして・・。

>高齢者ではありませんが、お便りをさせていただきました。
>ブログを持ち合わせておりませんので、失礼かもしれません。

私にコメントを下さる御方の中には、ブログしていない御方が10数名いますので、
御遠慮なさらないで下さい。

>毎日の暑さでは、お身体に答えられるでしょうが、どうかご家族さまと健康にお過ごしくださいますように。

ありがとうございます。

>いつか、立原正秋氏の事をお話でしたが、いい感性をお持ちだと思いました。好奇心も、知的な方向です。読書量が、伺えます。

私は立原正秋さんに関しては、今でも心の片隅に深く残っているひとりの御方です。

私は東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)の頃,
大学を中退し、映画・文学青年の真似事を始めた・・。

そして翌年の夏、立原正秋・著の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、
深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした次第です。

この頃の私は、文学に関する月刊誌は、
純文学として、『新潮』、『群像』、『文学界』、
中間小説として、『小説新潮』、『オール読物』、『小説現代』を精読していた時代でした。

そして、欲しい小説の単行本があったならば、たとえ一食抜いても、買い求めていた時期でもありました。

私は作家・立原正秋さんに関しては、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた時期でした・・。

この当時の私は、アルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念し、
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりしていました。

しかし当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、
三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた時期でした。

そして結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗北宣言を心の中でして、やむなく安定したサラリーマンの身に転向した。

その後は35年ばかり音楽業界のある会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた次第です。


この間、昭和55年(1984年)の夏、立原正秋さんは無念ながら亡くなわれたが、
これ以降も追悼などで、立原正秋さんの綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋さんの友人、知人らに寄る氏に関する随筆が出版され、私は買い求めていました・・。

その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年(1980年)から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はありましたが、
心新たにの思いで購入した次第です。
そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読致しました。

私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、
明治以降の作家の中で、最も影響を受けたのが、立原正秋さんとなった次第です。

作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から30代の終わりの頃まで、多大に教示された御方でした。

>ブログ更新を、がんばられてください。

私はつたない投稿文をパソコンの故障、国内旅行をしていない限り、
ここ13年半、日々一通は投稿してきましたので、いきがいのひとつになっています(笑)

コメントありがとうございます。

熱い日々の時節、貴女様も程々に御身体をご自愛して下さい。


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