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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

スマホばかり頼る人は、脳を使えていない理由を学び、恥ずかしながらスマホも使えない私でも、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-04-19 16:08:48 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの【東洋経済オンライン】を見ている中で、
『 スマホばかり頼る人が脳を使えていない理由  』と見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であり、
恥ずかしながらスマホと省略されているスマートフォンも使えない時代遅れであるが、
どういうことですか・・と思いながら好奇心に負けて、精読してしまった・・。

この記事は、「脳の学校」代表の
加藤 俊徳 ・医学博士の寄稿文であり、
【東洋経済オンライン】に4月17日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

       
 

《・・スマホのおかげで、日々の生活が格段に便利になった。
一方で、スマホが私たちの脳に与える好ましからざる影響も注目されつつある。


ケータイが出てくる前は、電話をかけるときも、相手の電話番号を憶えていたりしたが、
今は、自分で電話番号など記憶しなくなった。
脳の記憶をつかさどる部分を使わなくなったのだ。


スマホのアプリの乗換案内は便利だが、乗り換えの順番や路線図を頭の中で描いたり、
途中駅の風景を想像することがなくなった。

また、レストランへ行くとき、最初に行き方をスマホで、
チェックしてから行かないと、単純なことでも難しく感じてしまう、という経験はないだろうか?
これらの例はみな、脳を使わなくなってきたという具体例である。

       

■聴覚系部位は人間の脳の根幹

問題は、この中でも「聴覚系をつかさどる部位」を使わなくなり衰えていることだ。

脳というのは、聴覚系や視覚系、思考系といったように、部位によって働きが違う。
ところが、現代人のようにテレビやスマホばかり見て、脳の成長が視覚系に偏ってしまうと、
脳全体の成長バランスが悪くなって、日常生活の多くの場面に支障をきたしてしまう。


視覚が優位になった場合、どうしても聴覚がなおざりになってしまう。
聴覚系は、理解系や記憶系と密接な関係にある非常に重要な脳の部位。

聴覚系の働きが阻害されると、わたしたちは物事をきちんと理解し、記憶に基づいて行動できなくなる。

逆に、きちんと聞くことができるようになると、
脳の各部位が鍛えられ、それをきっかけにさまざまな脳の部位を偏りなく、広く使えるようになる。

だからこそ、聴覚系の脳部位をないがしろにしてはいけない。
その意味で、聴覚系こそ人間の脳の根幹をなすと言っても過言ではない。


拙著『脳を強化したければ、ラジオを聴きなさい』でも詳しく解説しているが、
現代人は耳で他人の生の言葉を聞く機会が激減し、どんどん「自閉化」している。

他者との交流時間が不足し、コミュニケーション能力が低下して
「自閉化=非社会化=共同体からの疎外」が進んでいる。


この原因の多くはテレビやパソコン、スマホを見てばかりで、視覚優位の生活環境になっていることだ。
その意味で、現代人は、映像・文字情報に頼りすぎており、
「聞くこと」よりも視覚に引っ張られる、「テレビ脳」、「スマホ脳」になっている。


その中でも最も危険なのが「スマホ脳」だ。
視覚系が優位になると、聴覚系の活動は半減する。

スマホはテレビ以上に、主体的に「見る」というよりも、
受動的に「見せられている」状況をつくりだす。

視覚系は、聴覚ほど脳の各部位をバランスよく活性化させることはできない。
これが、脳の理解系や思考系の活動をも著しく低下させる。

加えて、スマホは、外部記憶装置そのもので、人の海馬をやる気にさせない。
出番のない海馬は、記憶しようともしなくなる。

その結果、前後の記憶が飛びやすくなり、注意散漫や物忘れが頻発する。
スマホ脳で意識が飛びやすいことは、歩きスマホをしている人が
他人や物にぶつかりやすいことからも、容易に想像できる。

       


■聞く力が弱い人は問題も多い


あなたの周りには、こんな人はいないだろうか? 
これらはみな、聴覚系が劣っている、あるいは未発達な人たちである。

(1)人の話を聞かない

(2)怒りっぽい

(3)相手の気持ちを察することができない

自分だけ一方的にしゃべって、人の話を聞かない人。
聞く力は、右脳と左脳の両方にあるが、こういう人は、右脳の「聞く部位」が働いていないことが多い。

自分以外の音に、注意が向かない、こういう人は脳画像を見ると一目瞭然だ。

また、人が話をしているとき、話を聞かず、自分が次にしゃべることばかり考えている人も、
やはり聴覚系と直結している記憶系が劣っていることが多い。

怒りっぽい人。
こういう人は、家族や同僚に対して、つねにイライラを抱えている。
しかし、実は相手を理解する以前に、そもそも相手の話をちゃんと聞けていないケースが多いのだが、
本人はそれを自覚していない。

こういう人は、怒りの原因が自分の側にあることに気づかず、
どうにもならない感情を相手や物にぶつけてしまう。

スマホをいじっている人に声をかけると、イラッとした態度になってしまうのは、
聴覚系がかなり劣っているからだ。

       


オフィスの新人にありがちなのが、相手の気持ちが読めない人。
お客様から電話がかかってきても、相手が困っているのか、怒っているのか、
泣いているのか、声から判断・想像ができず、判断をあやまってしまう。

「耳で空気を読めない」のだ。
視覚系優先で生きてくると、こうなってしまうが、実はこういう若者は多い。

ただ、視覚系優位といっても、狭い画面を眼球を動かさず眺める習慣によって、
耳だけでなく、目でも空気が読めない人が急増している。


こんな聴覚系の問題を解決するのが「ラジオ」である。
人の言葉が一方的に流れてくるラジオは、「よく聞く」訓練にはもってこいで、
流しているだけで、聴覚系や理解系の部位が鍛えられる。

ラジオを聴く、という行為は、実はただ耳に音が入ってくるのではなく、
脳が音を選んで聞き続けている行為。
これは脳を強化するトレーニングそのものだ。


さらに、ラジオは声だけで、いろいろと想像する。
これも脳の各部位を刺激してくれる。

ラジオを聴きなれた人は、パーソナリティーのその日の声を聴き、
「あ、きょうは元気がないな」などと判断できる。
「耳で空気が読める」ほど、聴覚系が発達している証拠だ。

       


■「ラジオ脳」があなたを救う


ここで私はみなさんに「ラジオ脳」になることをおすすめする。
「ラジオ脳」とは、聴覚系の部位が高度に発達し、それにより、聴覚系の部位と関係の深い、
その他の7つの脳の部位(記憶系、思考系、視覚系、理解系、伝達系、感情系、運動系)の機能も同時に強化された脳のこと。

意識的にラジオを聴くことで、このラジオ脳を手に入れることができる。


また、私がおすすめしたいのが「ながらラジオ」。
「ながらラジオ」は、聴覚系の部位とその他の部位を同時に刺激し、鍛えることができる。

たとえば、料理や掃除などの家事をしながら、ラジオを聴いてみる。
この場合、ラジオの音声を耳の器官で感受して聴覚系を使い、
体を動かすことで運動系を同時に使っていることになる。


まさに、聴覚系と運動系の部位を同時に鍛えているわけだ。
あるいは、ラジオのスポーツ中継や、ドラマ、スタジオ外からの実況レポートなどを聴きながら、
その光景を想像してみてはどうだろうか?

この場合、聴覚系と視覚系の部位を同時に働かせていることになり、
これもまたふたつの部位を鍛えていることになる。


脳というのは非常に正直で、使えば使うほど、鍛えれば鍛えるほど、成長する。
だから、脳トレは何歳になっても、始めるのが遅すぎるということはない。

その脳トレの中心にくるのが「聞く力」、聴覚系の鍛錬。
それがラジオで簡単に、そして有効にできる。・・》

注)記事の原文、あえて改行を多くした。

       

私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに日常を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
 

私の午前中の殆どは、年金生活を始めた当初から、平素の買物ぐらいは担当をする、
と家内に宣言して、家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店に行ったりしている買物メール老ボーイとなっている。

或いは最寄駅まで15分前後を歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたり、
ときには本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。

やがて買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

このように私は午前中の大半は、小庭の手入れ、冠婚葬祭、懇親会、或いは家内と共に国内旅行、
そして家内が買物をする時は、ボディガード兼荷物持ちをする以外は、殆ど毎日している。
 

                                
      
やがて、午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や14年生となっている。

ここ数年、私はネット、スマホ、バソコンなどを一日の大半を使うと、
深く考える思考力の低下となり、やがて人の能力が劣化すると私は学んできた・・。
そして私は、これ以上に思考力の低下は困苦するので、バソコンに触れる時間を減少させてきた。

今回の記事を読み終わった後、《・・スマホばかり頼る人は、脳を使えていない・・》ことに、
スマホを使えない私でも、そうですよねぇ・・
と同意をしながら、微苦笑をしたりした。

コメント
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