私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
日頃の私は、 いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受しながら、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない上、
何よりも自身が自覚できない言動をする認知症は、私は何よりも恐れたりしている。
こうした深情を秘めている私は、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】に於いて、
【 認知症の予防には10~15才の記憶を意識的に思い出すと良い 】と題された見出しを見た。
どういうことですか、と私は真摯に思いながら、記事を精読してしまった。
やがて、この記事の原文は『女性セブン』の2018年4月12日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2018年4月3日に配信されていた。
もとより認知症は、男性と女性の壁を超越する難題であり、私なりに多々教示され、
多くの御方と共有致したく、無断ながら転載させて頂く。
《・・認知症の予防には、10~15才の記憶を意識的に思い出すと良い
つい数分前のことを覚えていられず、同じ話を何度も繰り返す認知症の女性が、
昔の話はイキイキと表現力豊かに話す──。
つまり、すべての記憶が一気になくなるわけではないのだ。
昔の記憶をよみがえらせ、本人がその思い出を話すことで
認知症の症状や介護の予防・改善を図るという心療回想法が、
介護施設や訪問介護などでも、大きな成果を上げているという。
日本回想療法学会会長の小林幹児さんに聞いた。
「多くの人が認知症を恐れるのは、記憶がなくなること自体より、
記憶が消えることで食事、排泄、衛生維持などの日常生活動作(ADL)に支障が出て、
重い要介護状態になることではないでしょうか。
心療回想法は、この日常生活動作(ADL)にかかわる記憶が消えないように守るための療法です」と言う小林さん。
独自の研究で、日常生活動作(ADL)にかかわる記憶は、概ね10~15才の頃の記憶に深くかかわり、
この頃の記憶が明瞭であると、日常生活動作も維持される傾向にあることを検証した。
心療回想法が行われている介護施設や訪問介護の現場では、
暴力などの認知症の周辺症状が穏やかになったり、要介護度が軽くなったりする人が多く見られるという。
「10~15才の出来事に焦点を当てて思い出し、心療回想士などの聞き手に話しますが、
高齢者にとっては60~70年以上も前のこと。
なかなか思い出せないこともありますが、当時の社会の出来事を話したり、写真を見たりしながら、
丁寧に個人的な出来事をたどると、小さなきっかけから、せきを切ったように思い出すことも多いのです」
そして重要なのは、ここからだ。
単に思い出すだけではなく、聞いている人に伝わるように高齢者自身が
自分の言葉で思い出を語ることで、大脳が活性化されるという。
「記憶は、脳の中に映し出される映像のような形で、思い出されます。
その映像を、他者に説明するわけですが、
高齢でうまく言葉にできない、言葉が出てこないという人もいます。
そこで心療回想士は、思い出について事細かに質問し、言葉を補って助けます。
ここで注意すべきは、思い出のストーリーを追ったり理由を聞いたり、話の矛盾をついたりしないこと。
何があったかではなく、思い出したその場面に、注目するのです。
たとえば公園で遊ぶ場面を思い出したら、
どんな遊具で、どんなふうに遊んで、友達とはどんな話をしてどんな気持ちだった?などと聞く。
5W(いつ、誰が、どこで、何を、なぜ)ではなく、
1H(どのように)が重要で『1H話法』とも呼ばれます」
☆思い出す喜び、話す喜び 同窓会の快感が脳に効く
“昔を思い出して、人に話す”。
簡単なことのようで、忙しない日々に追われて、親の昔話をじっくり聞く機会はなかなかない。
それが脳を活性化するとは・・・。
「まず思い出すという行為が、大いに脳の刺激になります。
あれは何だっけ・・と、頭の中を必死で思い出そうとし、
探り当てたときの快感と興奮は、経験があると思います。
これは、たとえば落語やお笑いなど、外からの刺激を受けて笑った快感とは違う、
自分の中から、こみ上げる能動的な喜びで、より脳を活性化します。
また人に話すという行為は、頭に浮かんだ思い出の映像を、
より伝わる言語を選んで、文章にして話すという、実に知的で複雑な作業。
脳は酸素をしっかり使って、フル稼働します。
そして自分が語った思い出が、聞き手に伝わって共有できた喜びも、脳にはよい刺激に。
ちょうど同窓会で、忘れていた懐かしい思い出を語り合い、
“そうそう! そんなことあったな~”という、あふれ出るような喜びと同じなのです」
ちなみに同じ話すのでも、ネガティブな気持ちに任せて“嫌だ”“つらい”などと
抽象的で感情的な言葉を発するだけの愚痴では、脳は活性化しないという。
思い出す喜び、一生懸命伝える、喜びを共有できる快感が大切なのだ。
ところでなぜ10~15才の記憶が大切なのだろう。
「10~15才は、食事、排泄、衛生維持などの日常生活動作が身について
完全に自分のものになる年齢。
この頃は、快感や喜びを司り意欲や動機づけに関連するホルモン、ドーパミンが分泌されやすい時期でもあります。
無条件に楽しく、喜びも大きく感じられます。
この時期の記憶が残っていると、高齢で認知症があっても、比較的ADL(日常生活動作)が保たれやすい。
そして自分が何者かという認識が失われないので、機能が落ちても、不安感が少ないのです。
そのため10~15才の記憶を意識的に思い出し、守ることが認知症や介護予防の改善につながります」
☆子世代が親の昔話を聞いてあげるのが理想的
子世代にとっては、自分が生まれてからの親しか知らない。
何もかも知っているようでいて、親が子供だったことを想像したことさえない人も多いかもしれない。
「自分の個人的な出来事を思い出して話すには、聞き手は家族、特に実子が理想です。
療法でやるように、思い出を引き出そうなどと、技にこだわる必要はありません。
親との共通の思い出として、自分の子供時代の思い出を語り合って、
“お父さん、お母さんの子供時代はどうだったの?”と、
要はおしゃべりを楽しめばよいのです。
特に高齢男性は、長年仕事の世界で生きてきて、
自分の子供の頃のことを人に話す機会も、人から聞かれる機会もほとんどなかったはず。
それだけに心療回想法を行う現場で、
彼らが思い出をよみがえらせた時の喜びようは、女性以上です。
ぜひゆっくり昔話を聞いてあげてみてください」・・》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私は記事を読み終わった直後は、10~15歳の当時を思い馳せて、独り苦笑したりした。
私は小学5年の頃まで、劣等感と卑屈にさいなまれ、いじけた可愛げのない屈折した児であった。
兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、
通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。
この当時の私は、クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けられていた。
何かと平素は無口の癖に、ときたま怒り出し、周囲の多くの同級生が困惑し、
伊豆七島のひとつの大島は、幾10数年ごとに爆発する活火山の由来だった。
やがて小学6年生の頃になると、突然に人前でおしゃべりをすることが大好きと変貌して、
見知らぬ小父さん、小母さん対しても、私の方から話すようになり、
母、兄妹、そして父の妹でこの当時未婚だった叔母も驚いていた・・。
これ以来、私はお調子者のひとりとなって、学生時代、社会人のサラリーマンの中、
ときにはトンボのように自由にふるまったり、おだてられると高揚しながら奮闘したりしてきた。
このように私は、小学生、中学生の時代は劣等生であり、できれば消しゴムで消したいが、
こればかりはなぁ・・と苦笑したりし、あまり思いだしたくないのが本音である。
或いは私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であり、
《・・子が親の10~15歳の当時を聞く・・》ことも、叶わないので、困ったなぁ・・と微苦笑したりした。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりして、記憶のかたみとしている。
このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした日常生活をしているので、認知症になるのは勘弁して欲しい、と念願しながら、
歩く時もあり、認知症の予防のひとつかしら、と微笑んだりする時もある。