夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

昨年の沖縄本島の北谷(ちゃたん)滞在、遊学記 第5章 宿泊滞在した『ザ・ビーチタワー沖縄』の中で、私は・・。 

2018-04-11 17:26:38 | 旅のあれこれ

私たち夫婦は、今回の旅路は沖縄本島・北谷(ちゃたん)地域にある『ザ・ビーチタワー沖縄』に、
1月12日より20日まで宿泊滞在したが、この地域の一月の時節は、曇りが多く一時晴れ、ときおり小雨が多く、
私たちが滞在した9日間で、まばゆい陽射し、空は青空が拡がる景観は、ごくわずかで、
私たち夫婦は大いに戸惑ったりした。

こうした中、食事に関しては殆ど近くにある『アメリカンビレッジ』の食事処で、多彩な料理を頂いたりした。
そしてホテル館内では、朝食を二回ばかり賞味したりした。

そしてお風呂は、館内の指定された浴室が良く、殆ど私は愛用させて頂いた。
家内はホテルに隣接した『ちゅらーゆ』と称した大浴場、沖縄には稀な源泉かけ流しの露天風呂を日参し、
私も家内に勧められて、部屋から持参したビーチサンダルを履いて、ノコノコと二回ほど利用した。

クアハウス的であり、やはり源泉かけ流しの露天風呂は、心身共に解放感があり、享受した。

館内の売店は、私はビールを盛んに購入し、家内は沖縄特有のお菓子などを買い求めて、
私たちは部屋で頂いたりした。

朝のひととき、私はロビーの片隅で、地方紙を読んだりした・・。
             

たまたま1月21日の『琉球新報』に於いて、『沖縄への観光客 過去最高861万人 2016年』と見出しがあり、
私は沖縄が繁栄することは何よりと好感しながら、精読したりした・・。

《・・県が20日に発表した2016年の暦年(1~12月)入域観光客数は
前年比11・0%増(85万100人増)の861万3100人で、4年連続で過去最高を更新し、初めて800万人を突破した。
県が16年度(16年4月~17年3月)の目標とする観光客数840万人も大きく上回っており、年度目標の達成もほぼ確実な状況だ。

外国人客は38・7%の大幅増の208万2100人で、200万人の大台を超え、
県が21年度までの達成目標に据えていた年間200万人に早くも到達した。

増加の背景には国内外路線の拡充やクルーズ寄港回数の増加などがあり、全体を押し上げた。

外国人客の内訳をみると、台湾が27・9%増の60万7300人、中国本土が51・5%増の44万9200人、
韓国が44・8%増の43万1300人、香港が16・5%増の22万1千人などだった。

国内客は4・3%増の653万1千人。
内訳は東京方面が4・5%増の320万600人、関西方面が3・6%増の135万8千人、福岡方面が4・8%増の81万4400人、
名古屋が8・9%増の53万5100人、その他が0・4%増の62万2900人だった。・・》
             

こうした記事を読み終えた私は、館内、近くにある『アメリカンビレッジ』、公園、ビーチ、遊歩道など海外の観光客が多く見られ、
経済の繁栄こと沖縄は肝要だ、と微苦笑しながら好感したりした・・。

私は滞在中、持参した本を再読した。

福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(2014年、中公新書)、
改めて敗戦後の怜悧な国益に基づいた実態史を多々教示された。

そして大久保 潤、篠原 章・共著作の『沖縄の不都合な真実』(2015年、新潮新書)、
ロバート・D・エルドリッヂ著作の『オキナワ論』(2015年、新潮新書)、
沖縄の現実の難題を多々学び、これまでの沖縄に対する思考が、更に複眼化したりした。

或いはユージン・B・ストレッジ著作の『ペリリュー・沖縄戦記』(伊藤 真、曽田和子・訳、2008年、講談社学術文庫)、
映画などで表現しずらい戦場の余りにも過酷な実態を改めて震撼させられた。

こうした本を再読した後、近くにある総合スーパーのイオンの2階にある『未来屋書店』に於いて、
佐藤 優・著作の『佐藤優の沖縄評論』(2014年、光文社知恵の森文庫)を購読した。

いずれも室内のソファーに座ったり、或いはベットに横たわりながら読んだりした。

平素はパソコンを日々何かと友にしている私は、旅先は情報機器から一切断絶している身なので、
平素より読書時間が多いょねぇ、と独り微苦笑したりした。
             

こうした中、ときおり窓辺にあるベランダで、海上を眺めたりした・・。
  

  

私たちが滞在している中、快晴から程遠いが夕陽、日没した情景が、たった一度だけ観られた。
  

  

《つづく》

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昨年の沖縄本島の北谷(ちゃたん)滞在、遊学記 第4章 幾たびか路線バスで名所を訪ねれば・・。

2018-04-11 15:22:15 | 旅のあれこれ

私たち夫婦は、宿泊滞在している『ザ・ビーチタワー沖縄』の隣接した『アメリカンビレッジ』、
或いは白い砂浜が美しい安良波(アラハ)ビーチ、そして海外沿いの遊歩道を散策してきたが、
5日目の1月16日には、路線バスを活用して嘉手納飛行場が少し見られる道の駅『かでな』を訪ねることとした。

私は定年後に自動車免許証明書の更新を断念した身であり、もとよりレンタカーも乗れず、
旅先でもタクシー、観光バスは出来るだけ避けてきた。

そして遠方の場合は路線バスを利用してきた・・。

こうした中で、佐渡島、長崎、石垣島などで路線バスに乗車すれば、その地域にお住まいの会話、
ときには私は談笑したり、車窓から見える情景・・
その地域の住民の生活が少し界間視られることを私は幾たびか体験をしてきた。


そしてホテルから10分ぐらい歩いた『桑江』バス停から路線バスに乗り、
やがて『嘉手納』バス停で下車した後は、20分ばかり歩いて道の駅『かでな』に到着した。

まもなく4階の『展望場&スカイラウンジ』からは、広大なアメリカ基地の『嘉手納飛行場』が観えたりした。



翌日の17日には、リゾートホテルが点在する恩納村の万座毛(まんざもう)をめざして、
路線バスに乗車して、やがて『恩納村役場前』バス停で下車して、15分足らず歩くと、
東シナ海に面した海岸の絶壁に、象の鼻の形の岩が付いている景勝地の万座毛に到着した。
              

平日の11時少し前であったが、観光客が多く見られて、やはり人気ある景勝地である。
万座毛の由来は琉球王朝の尚敬王が、「一万人が座れる広い原っぱ」と評した、
と伝えられている。

やがて私は遥か彼方の東シナ海を眺めたりした。
              

まもなく私たち夫婦は帰路する為に歩き出すと、確か全日空が約40年前の頃、
沖縄本島の万座毛にリゾートホテルを開業されて、本島のリゾートホテルのさきがけとなった、
と私はおぼろげながら記憶している。
              

この後、私たちは『恩納村役場前』バス停をめざして歩いている時、
道端に健気(けなげ)に咲いている花に私は見惚れたりした。
              

翌日の18日には、旧コザ街(現在・沖縄市)を私たち夫婦は訪れた。
前夜、家内は観光パンフレットで、《・・沖縄文化とアメリカ文化がチャンプルー(混ぜこぜ)された異国情緒ただよう沖縄市・・》、
見て行って観たい、と私に言ったりした。

私は沖縄が日本に復帰する前、アメリカ施政権下の時、1970年(昭和45年)12月にコザ暴動が発生し、
アメリカ軍人、沖縄住人にとっても、お互いに暗い不幸な事件であることを、
当時25歳の私はニュースで学んだりしてきた。

こうした意味合いから、私はこうした古傷をもう一度剥がすような処には訪れたくない街であった。

しかしながら家内の要望を私は聞きいれて、18日ホテルから近く『美浜アメリカンビレッジ南口』バス停より
路線バスに乗車して、『コザ』をめざした。

緩い丘陵には住宅街にある道をバスは通り抜けて、まもなく『コザ』バス停で下車し、
街の中心街と判ったが、小雨が降りだして、やがて本降りとなった。

私たちは北に一キロぐらい、そして西に一キロぐらい彷徨(さまよ)うようにあてどもなく歩いたが、
私は纏(まとわ)りつかない思いとなり、家内にアメリカンビレッジに戻り昼食を・・と私は言ったりした。

やがてアメリカンビレッジに向かう路線バスに乗車している中、雨は止み、
雲間から陽射しが差し込み、やはり『コザ』は私にとっては苦手な街だったかしら、と私は微苦笑したりした。
             

19日、私の要望で那覇市の中心街から少し外れた県立・博物館に、家内を誘って訪れた。
滞在しているホテルの最寄『軍病院前』バス停から路線バスに乗り、
45分ぐらいで『県立博物館美術館』バス停で下車した。
             

私は恥ずかしながら美術に関しては、小学生の『図画』は通信簿『2』の劣等生であり、
素養も知識もなく、未だに苦手な分野である。

しかしながら歴史、文化だけは、長らく好奇心旺盛であるので、博物館だけ視察する思いで、訪れた。

そして視察する前、早目の昼食と思いながら、館内の食事処『茶花』に家内を誘った。
まもなく入って、私は壁面、テーブル、椅子に瞬時に魅了されて、私にとっては異例であるが、写真を撮らせて頂いた。
             

やがて博物館の展示には、沖縄の自然として沖縄の地勢が形成されるまで具体的に明示されていた。

歴史・文化分野は、先史時代の土器出現以前の後期旧石器時代、その後の土器出現後の貝塚時代(縄文時代 - 平安時代)、
やがて12世紀頃に本格的な農耕社会が成立し、島津氏の侵攻(1609年)までを「古琉球」時代が展示されていた。

こうした中で、中世のグスク時代、三山時代のそれぞれの興亡史、そして第一尚氏王統、第二尚氏王統など、
私は興味があふれて改めて学んだりした。

その後の王国の再建、近代、第二次世界大戦、敗戦後のアメリカの統治による琉球政府時代、
やがて日本に復帰、そして現代・・私は二十歳以来思い秘めてきたことが凝縮されて展示され、
改めて多々学んだりした・・。

そして重く心が疲れたので、屋外の展示場に私は出た。
             

こうした中、民家も見られた。
   

私は幾たびも沖縄本島、石垣島などで拝見してきたが、屋根を見て驚いた。
             

このようなことがあったの・・と遅ればせながら学んだりした。

この後、家内との待ち合わせ場所に向かう途中、教師3名に引率された小学6年生の男女50名に出会った。
そして私は足を止めて、学童の学習見学の一環と知った。

こうした沖縄の歴史、文化を学ぶことこそ、学童の自己形成には肝要だ、と私は強く願いながら、
この教師、そして学校の方針に私は賛意を重ねたりした。

今回、初めて県立博物館を訪れたが、多彩な展示に、私は知的好奇心の刺激が強く、
私を若替えさせられる何よりの心のビタミン剤と思ったりした・・。

《つづく》

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昨年の沖縄本島の北谷(ちゃたん)滞在、遊学記 第3章 ホテル周辺を散策すれば・・。

2018-04-11 07:19:19 | 旅のあれこれ

私たちが宿泊滞在している『ザ・ビーチタワー沖縄』の隣接した処に北谷公園があり、
海辺には全長600mの白い砂浜が美しい安良波(アラハ)ビーチ、そして夕陽が眺めるに最適なサンセットビーチがある。
   

   


そして海岸沿いには、北に向かって整備された遊歩道が長く続く・・。
   

   

やがて15分ぐらい遊歩道を歩くと、『うみんちゅワーク』と名付けられた海の駅があり、
館内には『海の部屋』、『海洋生物と植物食物のパネル展』が常設されていた。

そして『北谷うみんちゅ市場』として、魚屋と野菜屋が即売店として、新鮮な多彩な魚、野菜があり、
私たちは魚の刺身に瞬時に魅了されて、三種類ばかり買い求めて、帰館後にビールを飲みながら賞味したりした。

ひとつ残念だったことは、この地域の一月の時節は、曇りが多く一時晴れ、ときおり小雨が多く、
私たちが滞在した9日間で、まばゆい陽射し、空は青空が拡がる景観は、ごくわずかで、
私たち夫婦は大いに戸惑ったりした。

そして散策している中、多彩な花に魅了されて、見惚れたりして、歩き廻ったりした・・。
   

   

そして海上を眺めると、曇り空の中、淡き陽射しで天使の梯子(はしご)に似た情景に、
私は微苦笑しながら、長らく見惚れたりした・・。
             

《つづく》

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