夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

僧侶の高齢化に伴い、多事多難なことが発生している実態、私は学び動顛させられて・・。

2018-04-20 17:01:24 | ささやかな古稀からの思い

先ほど、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】を見たりしている中、
【 僧侶の高齢化が問題に 戒名忘れ・担架運ばれ・故人の不倫暴露 】と見出しを見て、
どのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年4月27日号
に掲載された記事のひとつであり、
関連の【NEWS ポストセブン 】に2018年4月19日に配信されていた。

私は読みながら、不謹慎ながら微苦笑したり、微笑んだりしてしまい、やがて真摯な事情を学び、
多々教示させられた。

こうしたことは社会の難題であり、多くの御方と共有致したく、あえて無断ながら転載させて頂く。

       

《・・僧侶の高齢化が問題に 戒名忘れ・担架運ばれ・故人の不倫暴露

母の葬儀に現われた80代の住職の様子がどうもおかしい。

時に数十秒にわたる長い沈黙が続く。
うっかりや滑舌の問題でなく、どうやら思い出せないところがあるらしく、
挙げ句の果てには、読経を飛ばしているようだ。

疑念が確信に変わったのは、法話の段になって亡くなった母の戒名を間違えた瞬間だった──。

       

住職の高齢化が大きな問題となっている。
日本最大の寺院数を誇る曹洞宗が2015年に行なった「曹洞宗 宗勢総合調査」によれば、
60歳以上の住職は全体の53%を占め、10年前から9%アップ。
男性住職を見ると、70歳以上はいまや約25%を占めている。

冒頭のエピソードは今年1月、清水忠夫さん(62・仮名)が
86歳で亡くなった母の葬儀で、喪主を務めた際の出来事だ。

「読経途中には、舟を漕いでいるようにも見えました。
祖父の代からお世話になっていた住職で、しっかりした方だったのにお年でしょうか・・・
まさか肝心の戒名まで間違えられるなんて、母もかわいそうで」(清水さん)

同じような事例が近年、各地で急増しているという。

仏教界に詳しいジャーナリストで、現職の浄土宗僧侶でもある鵜飼秀徳氏が話す。
「仏教界ほど高齢化が進んでいる業界は、あまり見当りません。
80代や90代でも、葬儀や法要に出ている住職は珍しくない。
そのため頭や体の衰えに伴うトラブルが増え、問題となっています」

足腰の衰えから、斎場に入る途中で、転倒した70代の住職のケースでは、
「起き上がれなくなって、担架が運び込まれる事態になり、
遺族がほったらかしにされた」(都内の寺院関係者)という。

高齢住職がリタイアしないのは、“住職には定年がない”ことが大きい。
檀家も経験が長く、位が高い僧侶をありがたがるため、
住職が引き際のタイミングを逃しやすい面もあるという。

       

◆法話で愛人の存在を暴露

トラブルの中には、“ハプニング”と片付けられないケースも。

故人と生前から親交の深かった78歳の住職が、法話中に「愛人」の話を始めたというのだ。


「“愛人がいた”といったレベルではなく、
馴れ初めから逢い引きの際の決め事など、生々しい内容を話し続けるのです。

喪主の奥さんは、卒倒寸前。
参列者もざわつき、気まずい空気が斎場を覆いました」(中部地方の葬儀会社関係者)

法話を終えると、遺族が住職を問い詰めたが、ニコニコして悪びれた様子は微塵もない。
怪訝に思い、付き添いの者に質すと、“住職は軽度の認知症で・・・”と困り顔で話したという。

大阪市にある西山浄土宗・泰聖寺住職の純空壮宏氏が語る。
「認知症の住職が、葬儀や月命日のお参りなどを忘れたという話をよく聞きます。
高齢の住職がお墓への納骨日を忘れたケースもあります。

当日、遺族がお寺に着いても、住職は出掛けてしまっていて連絡がつかない。
遠方に住む遺族は、出直すわけにもいかず、仕方なく墓地の管理人がお経のCDを流したそうです」

トラブルが絶えない背景には、「後継者不在」も影を落としている。
代わりがいないため、檀家はハラハラしつつも、高齢住職に任せるしかないというわけだ。

       

『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』などの著書があるファイナンシャルプランナーの勝桂子氏が話す。
「住職の半数以上は、平均年収が300万円以下で、専業で成り立っているのは4割程度。
檀家は減る一方なので、後継者を無理に探さないなど世代交代できないお寺も多い。
後継者や副住職もいない、“ひとり住職”のお寺が増えている」

自分が現役引退すれば、廃寺となりかねないため、体が動く限りは頑張る道を選択するが、
葬儀や法事を頼んだ遺族にとっては、“トラウマ”になることもある。・・》

注)記事の原文、あえて改行を多くした。
       

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
分家のような形で、実家の近くに住んでいる。

しかしながら実家のお墓の近くに墓地を買い求めるに、
たまたま私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りとなる。

いつの日にか、私たち夫婦が亡くなった後、長兄の子供である甥っ子ふたりに何かと面倒をかける、
と思いながら、長らく躊躇(ためら)ってきた・・。
           
やがて
私たち夫婦は、お墓は樹木葬と決め、
いずれも永代使用権、永代供養料、永代管理料などを一括納入すれば、
片割れの残された方が、体力の衰えた身であっても、お墓参りが出来る、と思ったりしている。

       

そして葬儀に関しては、私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、
和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、とここ15年ぐらい言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。
こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や13年半が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうしたことで、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、
これらを省略しても差し支えないと思ったりする時もある。

こうした私の思いは、葬儀、墓地にも寺院には、わずかに影響すると思われるが、
今回の記事を読み、寺院が衰退していく事情を真摯に学んだが、
私の諸事情もあり、勘弁して欲しい、というのが本音となっている。

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2 コメント

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Unknown (tarou)
2018-04-21 07:37:41
拡大すると読めない部分がでます
よろしくお願いします。
テンプレートを改定しましたので、よろしく・・。 (夢逢人)
2018-04-21 21:09:56
tarouさま。

初めまして・・。

>拡大すると読めない部分がでます
>よろしくお願いします。

つたない私の投稿文をお読み下さり、感謝する次第です。
早速、テンプレートを改定しましたので、お読み下れば、感謝致します。

今後ともよろしくお願い致します。

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