夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?、高齢者の私でも多々教示させられて・・。

2016-12-25 15:45:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 知らないと後悔する!
     親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか? 】 
と見出しを見たりした・・。

私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
お互いに体力は衰えて、心持ちは溌剌としているが、
いつの日にか介護にお世話になる、と漠然としながらも思ったりしている。

もとより日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳と公表され、
健康寿命は男性71歳、女性74歳と明記されたりしている。

そして男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、 男性71歳、女性74歳時点で、
半数がやむなく介護を必要とする状態になる可能性が高い、と私は学んだりしてきた。

こうした心情を秘めている私は、今回掲載されている記事を精読した。


この記事の原文は、東田勉さんが親を持つ子世代へ向けた『親の介護をする前に読む本』が上梓され、
編集部が紹介する記事で、【現代ビジネス 】に12月24日の配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・知らないと後悔する! 親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?
             

親の介護を終えた後、後悔に浸る子が多いという事実をご存じだろうか? 
看取った後になって、「私に十分な知識がなく、無知だったことが悔やまれます」と嘆いているのだ。

知識がなければ、もうけ主義の劣悪な介護事業者に出会ったとしても、それに対抗する術がない。
また、高齢者を食い物にする無慈悲な医療の罠にも落ちてしまう。

そんな折、高齢の親を持つ子世代へ向けた『親の介護をする前に読む本』が出版され、話題になっている。
本作の著者・東田勉氏が、「日本は世界一の長寿国であるのに、介護にまつわる落とし穴が多い」と警鐘を鳴らす。


☆なぜ、「介護の予習」をする人が少ないのか

「介護」と聞くと、誰もがいいイメージを持たないだろう。
できれば、することもされることもなく、人生を終えることができたらいいと思っている。
亡くなる直前まで、元気に活動する「ピンピンコロリ」を願う人は多い。

しかし、平均寿命は延びても、健康寿命(制限なく健康な日常生活を送ることができる期間)は、なかなか伸びてくれない。
両者の差は、女性で12.8年、男性で9.5年もあるのだ。

つまり、日本人は平均して、これだけの期間介護を受けることになる。

健康寿命は、女性74.21歳、男性71.19歳(2013年)だ。
あなたの両親は、この年齢を超えては、いないだろうか。

もし超えているとすれば、いつ要介護状態に陥ったとしても不思議ではない。
まだ介護の予習をしていないあなたは、介護の負け組になる可能性に直面している。

多くの人が介護のことを考えたがらないのは、
「いつか身に降りかかるにしても、イヤなことは考えたくないから、後回しにしよう」と思うからだ。
ところが介護は、始まってから、いきなり立ち向かえるほど、甘くはない。

準備の第一歩は、「その日がきたら、どうしたいか」を親から十分聞き出しておくことだ。
特に、「在宅か施設か」「延命を望むか、望まないか」の聞き取りは欠かせない。

しかしながら日本人は、親にも子にも「まだその時期ではない」
「元気なうちから、そんなことを聞くなんて失礼だ」
「縁起でもない」と、深刻な話題を避ける傾向がある。
             

☆介護はどのように始まるのか

多くの場合、介護は次の二つのどちらかで始まる。

一つ目のきっかけは、入院だ。
退院の時期を迎えても、在宅復帰できない場合、老健(介護老人保健施設)などでリハビリをして、心身の向上を図るが、
それでも元へ戻らないお年寄りは多い。
入院が「要介護状態の入り口」になるのだ。

二つ目のきっかけは、「在宅で自立できなくなったとき」だ。
ただし、これはなかなか発見されにくい。

よくあるのは、①加齢によって虚弱になり、食事、排泄、入浴が、自力でできなくなった場合と、
②認知症が進行していることに周囲が気づき、慌てて受診させた場合だ。

①と②が同時に起こったケースを見てみよう。

田舎に住む80代の両親が虚弱になってきたので、都会に住む娘夫婦は、
毎年のように帰省しては「そのうち引き取らないといけないね」と話しながらも、
同居のタイミングを計りかねていた。

何とか老親が暮らしていけたのは、田舎の人間関係が濃密で、親切な地域住民の手助けを得ていたからだった。

ところがある年の帰省で、娘は電気釜にびっしりとカビが生えているのを発見した。
浴室を調べると入浴の形跡はなく、家中のいたるところに、排泄を粗相した跡があった。

ご近所に尋ねたところ、家の中が荒れていることを恥じたのか、
老親は半年ほど、前から隣人たちの手助けを拒んでいるという。

危ういところで、都会の娘夫婦の家に引き取られた老夫婦は、「このまま死ぬのかと思っていた」と述懐した。
しかし、この話はハッピーエンドに終わったわけではない。
             

☆いちばん何に困るのか

福祉や介護の制度について、まったく知識がなかった娘夫婦は、
その後、老親を引き取ったことを後悔するようになる。

結果として、父親はうつ病を発症して亡くなり、母親は認知症が重くなって徘徊を始めた。
老親はわずかばかりの年金しかもらっていなかったので、娘夫婦が生活の面倒をみている。

「田舎で生活保護を受けさせて、施設入所させたほうがよかった」
というのが、現在の娘夫婦の思いだ。

「呼び寄せ介護」の典型的な失敗ケースである。

介護を始めるときに欠かせないのが、お金の知識だ。
多くの場合、親の介護は親の年金で賄うので、親に十分な年金や貯蓄があれば、問題は少ない。

「問題はない」と言い切れないのは、介護が始まると、予定外の出費が、かさんで、
多くの場合家計が、逼迫するからだ。

不足分を貯蓄で補填していくと、10年、20年と経つうちに、貯蓄も底をつく。
育児と違って、介護は何年かかるか、わからないのだ。
             

介護の入門書を書くときに困るのは、いきなりお金の話から入れないことだ。
そうしたくても、まず「在宅と施設の違い」「介護施設の種類」「介護保険制度」を理解してもらわないと、
いきなりお金の話をしても、さっぱりわからないだろう。

困ってしまうのは、前提となるこの三つの話が、サラッと済ませられるほど簡単ではないことだ。
介護保険制度一つをとっても、ゆうに一冊の本が書けるほど複雑極まりない。

介護が始まると、家族介護者はまず、介護保険制度の複雑さを知って気が挫けそうになる。
2000年度から始まった介護保険制度は、3年ごとの改正をくり返し、
現在5回目の改正介護保険が施行されているが、複雑化の一途を辿っているのだ。

そのため介護職と一般人との間に大きな知識格差が生まれ、
介護が始まってから出会う介護業界の人と、まともに対峙できない家族介護者が大半となった。

だからといって、プロは「介護がわかっている」
自分たちは「介護を知らない」と思ってはいけない。

プロは何千人の要介護老人を見てきたかもしれないが、目の前にいる「私の親」のことは知らない。
介護で必要なのは、個別性への対応なので、「この人には何が必要なのか」をいちばんわかっているのは家族なのだ。

介護を始める家族にとりあえず必要なのは、「この人を守る」という強い覚悟である。
             

☆介護と医療、どちらにもある落とし穴とは

介護保険は、「健康保険」「年金保険」「雇用保険」「労災保険」に次いで
スタートした5番目の公的保険だ。

これほど大きな制度をつくったにもかかわらず、国は自らの予算で、施設や事業所をつくらない。
既存や新規の施設や事業所を、介護保険用に「指定」して運用させている。

介護保険事業には、民間の営利企業が多数参入してきたが、
現在介護保険サービスを提供しているのは、いずれも指定された事業者だ。

ここが、北欧や西欧の福祉大国と日本が決定的に異なる点である。

彼の国では公的機関が介護を担い、介護職は公務員だ。
したがって、モラルハザードが起こりにくい。

日本の場合、違反が発覚すれば「指定取り消し」というペナルティを受けるが、悪質な事業者は後を絶たない。

利用者の要介護度が重いほど料金が高くなるので、お年寄りを寝たきりに追い込む事業者さえいる。
施設従事者による高齢者虐待の件数も、過去最多を記録した(2016年に発表された2014年度の数値)。
             

医療にもまた、落とし穴が多い。
特に目立つのは「認知症医療」と「終末期医療」だ。

認知症医療においては、1999年に初の抗認知症薬アリセプトが発売され、
2011年には、さらに3種類の抗認知症薬が追加承認されたことから、薬害が蔓延している。

抗認知症薬は興奮系の薬であるにもかかわらず、既定の用法用量が多すぎるため、
徘徊、暴力、不眠、昼夜逆転、妄想、幻覚、介護抵抗などの行動・心理症状が出るお年寄りが増えた。
それを抑え込むために、抗精神病薬が投与される。
一気に廃人へと進む悪いパターンだ。


☆終末期医療もまた、看過できない。

口から食べられなくなると、病院では胃瘻を勧めてくる。
家族が躊躇すると「では点滴だけで、看取りに入りますか」と二者択一を迫られるのだ。

「食事介助をしてほしい」という家族の望みは、「誤嚥性肺炎を起こすので危険」と拒絶される。

痰の吸引などの医療行為が必要なケースでは、食事介助をしてくれる特養(特別養護老人ホーム)があったとしても移れず、
お年寄りは行き場を失う。

このように、家族介護者が良質な介護と医療の現場を探すのは、きわめて難しい現状がある。
             

☆後悔しないために私たちができること

筆者は、長年介護ライターとして介護や医療の現場を取材してきた経験から、
どうすれば後悔のない介護と看取りができるかを考え続けてきた。

過去に取材して得た体験と、専門家から教わった知識を、
介護家族向けに凝縮したのが、このたび上梓した『親の介護をする前に読む本』だ。

本書は、介護のことを学ぼうとする人が、「最初に読むべき本」として企画された。
しかし、フェイスブックで拡散されつつある読後感によると、
「親の介護には、間に合わなかったが、自分が介護を受ける前に、読む本としてとても役立つ」
「利用者を劣悪な介護や医療から守るために、介護職こそ読むべき本だ」といった声が広まっている。

特に、「良心的な介護施設をみつける方法」「医師は教えてくれない認知症医療の真実」などの章は、
一般的な介護の入門書ではありえないほど、介護業界、医療業界の裏側をえぐっている。

これを知っているのと、知らないでいるのとでは、
介護から看取りに至る道筋をたどるにあたって、灯りを持つか、真っ暗な中を歩むかぐらいの違いが出てくる。

究極のところ、介護がうまくできるかどうかは、テクニックやスキル(個人の能力)の問題ではない。

気持ちに余裕があれば、誰でもある程度は、できるものだ。
逆に追いつめられると、相手の存在自体が、イヤになる。
介護を長続きさせるには、いかに介護をする人が、余裕を持てるかが、成功と失敗を分けるカギと言っても過言ではない。

そのために、家が汚くても、ニコニコできるならそれでいいし、たまには食事で手抜きをしてもいい。
それよりも介護者は、仕事や趣味を手放さず、
自分の時間も大切にして、とにかく余裕をつくることだ。

本書を手にすることは、介護者にとっていちばん大切な「余裕をつくる」手助けとなるに違いない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に、家内の父に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で、家内の母は独り住まいの生活をされて、早や13年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例となっていた。

こうした中、家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
                          
                                     
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
             

やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
           
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

このように家内は老々介護をしているが、お義母(かあ)さんは娘ふたりに介護されていいよなぁ、
と私は家内に言ったりしたことがあった。

しかしながら、家内も家内の妹も高齢者であるので、果たしていつまで・・と私は深く感じたりしている。
             

私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、やむなく介護施設に思っているが、
介護施設に入居して、平均5年ぐらいで、亡くなる方が多いと学んできた。

そして要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、やむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかり、入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、
裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

そして殆どの人は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても
永らえば、やがて貯金が底をつく、と学んだりしてきた。
             

我が家は無念ながら程ほどの貯金しかなく、高価な有料老人ホームには、とても・・と思ったりしている。
そして程ほどの介護施設に入ったとしても、永らえば、やがて貯金が底をつく、と思い憂いたりし、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

平素の私は、殆ど毎日のように独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

このように裕福でない私は、せめて健康寿命を少しでも長く願い、歩いたりしている・・。

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