私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。
家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。
そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸12年が過ぎ、早や13年目を迎えている。
今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される予定となっている。
世の中では、官公庁は今年は12月29日より1月3日まで、年末年始休暇と知り、
民間会社の大半は、官公庁に準拠して年末年始休暇かしら、
と私は民間の中小業に勤めていた体験を思い馳せて、微笑んだりした・・。
我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。
そして家内は、高齢者の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か5年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。
しかしながら一昨年の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。
やがて新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。
こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
このようなことをする準備として、家内は一週間前から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。
我が家は年末になると、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。
或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、駅前に買物に幾たびか同行するのが、
毎年の習(なわ)しとなっている。
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。
やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。
ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。
そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。
結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。
家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や86歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。
こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。
こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているような状態となった。
私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。
ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑したりしている。
昨日の28日、家内の母は家内の妹に引率されながら、定例の病院でリハビリ、そして我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に予定通りに到着した。
やがて夕食の家内たちはビールを呑み、私はウィスキーを濃い水割りとして、
御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、二時間ばかり談笑を重ねたりした。
そして私は母と娘で話すこともあると思い、9時過ぎに寝室に行き、
布団にもぐり本を読んだりして、まもなく寝付き、今朝の29日は4時に目覚め、
早寝早起き元気な児かょ、と思いながら起床した。
このような状態が、家内の母が帰宅する前夜まで毎年続いてきたので、
平素の我が家ペースとは大幅に違うよなぁ、と微苦笑したりした・・。
こうした中で、大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をしたりしてきた。
しかし殆どは、酒宴の真似事と同じだ、と私は微笑んだりしている。
私は結婚する前は、私の生家は大晦日の夜は『年越し蕎麦』の習わしであったが、
家内の実家が『お年取り』をされていたので、私たちが新婚の頃、家内の実家に招待されて、
数多くの料理を食べながら、お酒を呑み、談笑を重ねたり習慣に、私は最初の頃に驚いたりした。
やがて我が家でも、大晦日の夜は『お年取り』をして、早や30数年が過ぎている。
私たちの28日から新年の2日までの酒宴の真似事は、
家内の母は86歳、私は72歳、そして家内は67歳となった今、
それぞれ高齢者の身であるが、この一年のその人なりのささやかな出来事を話したりする。
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
家内の母はこうした体験談を微苦笑しながら、改めて私たち夫婦に語ったりすると、
泉のように話題が尽(つ)きないことも多い。
しかしながら家内の母は、我が家に滞在中は、昼下がりに3時間ぐらい昼寝をしているので、
毎夜の酒宴の真似事の時は、元気溌剌で応答し、私たち夫婦は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしている・・。
このように我が家は、今年も年末年始は齢を重ねても、酒宴の真似事が続き、老ボーイの私は微苦笑している。
そして何よりもお互いにボケずに、こうして談笑ができれば、ささやかながら倖(しあ)せだねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私の父は私が小学2年生の時に病死され、母は私が54歳の時に病死され、
無念ながら天上人となった。
家内の父は私が定年退職した2004年(平成16年)の秋の直前に病死し、
家内の母は我が家より遠方で、一軒屋に独り住まいとなった。
そして私は定年後に多々の理由で年金生活を始めてまもない時、
私たち夫婦は家内の母に、せめて年末年始の期間は、我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から丸12年が過ぎ、早や13年目を迎えている。
今年も家内の母には、28日の夕方に来宅して貰い、私たち夫婦と3人で年末を過ごし、
新年を迎え、3日の午前中に帰宅される予定となっている。
世の中では、官公庁は今年は12月29日より1月3日まで、年末年始休暇と知り、
民間会社の大半は、官公庁に準拠して年末年始休暇かしら、
と私は民間の中小業に勤めていた体験を思い馳せて、微笑んだりした・・。
我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵(こたつ)で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。
そして家内は、高齢者の母を案じて、布団はマットレスを敷いた上に、敷布団を2枚敷たりしてきたが、
確か5年前から膝(ひざ)を悪化してきたので、ベットの代わりに敷布団を8枚ぐらい敷き、
この間にホームセンターで買い求めた堅牢な戸板を入れて安定させて、休んで頂ただいてきた。
しかしながら一昨年の12月下旬、家内は二階に干した敷布団を一階に降ろす時、
階段を踏み外して一階までの17段を転落し、私たち夫婦はお互いに動顛した苦い体験もあり、
再発防止、そして体力の疲労も配慮し、簡易ベットにしょう、と私たちは話し合ったりしてきた。
やがて新聞の折込チラシに、我が家では初めて知る『ニトリ』で、廉(やす)いベットが掲載され、
少し大きめのベットを買い求めたりしてきた。
こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。
このようなことをする準備として、家内は一週間前から室内の掃除をしたり、
やがて奥の6畳の和室、居間の炬燵など孤軍奮闘され、ノロマの私は補助役程度であった。
我が家は年末になると、家内は簡素であるが御節(おせち)料理の真似事をするので、
家内の要請のひと声に基づき、買物メール老ボーイの私は、
駅前のスーパー、専門店に出陣回数が多くなっている。
或いは家内のボディガード兼お供、そして荷物持ちで、駅前に買物に幾たびか同行するのが、
毎年の習(なわ)しとなっている。
私の母が亡くなる1998年(平成10年)の新春の前の年までは、
家内は黒豆、栗などの素材を吟味して買い求めて、
そして御節(おせち)の品々を3日ぐらいで仕上げたりしていた。
やがて独り住まいの私の母用に、我が家用、家内が世間並みに御節(おせち)料理を三段重として、
それぞれ三段のお重を20年間ばかり料理してきたが、
お互いに齢を重ねてきたので、御節(おせち)料理は簡略となっている。
ここ10数年は駅前、最寄りのスーパーで五店ぐらい廻り、
伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻、酢蛸(スダコ)などの単品を買い求めたり、
やつがしら、里芋、くわい、蓮(ハス)、ごぼうなどの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。
そしてここ10年、通信販売の盛況の中、我が家も遅ればせながら5年前からは、
製造元の現地などの販売所に連絡して、ホタテ、数の子などを購入したりしている。
結果として、我が家の食卓は、御節(おせち)料理の単品を中心に、各自が好みの品を食べたり、
朝食は元旦の朝から定例のお雑煮となっている。
家内の母は、私より14歳ばかり齢上で、今や86歳の身となっているが、
80歳を過ぎた頃から、膝(ひざ)が悪化して、杖(つえ)を突く身となった。
こうした事情から、家内の母が炬燵(こたつ)に入いる時、膝(ひざ)に負担がないように、
私たち夫婦は椅子を探し、そして料理を食べやすいように炬燵(こたつ)のテーブルの上に、
簡易な食卓テーブルを買い求めたりしてきた。
こうした家内の母が椅子に座り、簡易な食卓テーブルで料理を食べたりすると、
私たち夫婦は炬燵(こたつ)に入ると、家内の母に対して見上げるようになり、
家内の母からすれば、私たち夫婦を見下ろすような状態となり、従者を従えているような状態となった。
私は当初、家内の母のこうした状態に、畏(おそ)れ多くも昭和天皇の皇后陛下様のように、
思い重ねて微苦笑したりした。
ここ数年の私は、畳とか座布団に座ることに、膝(ひざ)に負担を感じることとなり、
こうした時は炬燵(こたつ)に入らず、私たち夫婦が食事などを頂いている居間の食卓テーブルにある椅子に座り、
炬燵(こたつ)に入っている家内と家内の母に向かって、明るく大きな声で談笑したりしている。
昨日の28日、家内の母は家内の妹に引率されながら、定例の病院でリハビリ、そして我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に予定通りに到着した。
やがて夕食の家内たちはビールを呑み、私はウィスキーを濃い水割りとして、
御節(おせち)料理の単品の数々を頂いたりし、二時間ばかり談笑を重ねたりした。
そして私は母と娘で話すこともあると思い、9時過ぎに寝室に行き、
布団にもぐり本を読んだりして、まもなく寝付き、今朝の29日は4時に目覚め、
早寝早起き元気な児かょ、と思いながら起床した。
このような状態が、家内の母が帰宅する前夜まで毎年続いてきたので、
平素の我が家ペースとは大幅に違うよなぁ、と微苦笑したりした・・。
こうした中で、大晦日(おおみそか)の夜に年を取ることを祝って行う儀式の『お年取り』をしたりしてきた。
しかし殆どは、酒宴の真似事と同じだ、と私は微笑んだりしている。
私は結婚する前は、私の生家は大晦日の夜は『年越し蕎麦』の習わしであったが、
家内の実家が『お年取り』をされていたので、私たちが新婚の頃、家内の実家に招待されて、
数多くの料理を食べながら、お酒を呑み、談笑を重ねたり習慣に、私は最初の頃に驚いたりした。
やがて我が家でも、大晦日の夜は『お年取り』をして、早や30数年が過ぎている。
私たちの28日から新年の2日までの酒宴の真似事は、
家内の母は86歳、私は72歳、そして家内は67歳となった今、
それぞれ高齢者の身であるが、この一年のその人なりのささやかな出来事を話したりする。
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
家内の母はこうした体験談を微苦笑しながら、改めて私たち夫婦に語ったりすると、
泉のように話題が尽(つ)きないことも多い。
しかしながら家内の母は、我が家に滞在中は、昼下がりに3時間ぐらい昼寝をしているので、
毎夜の酒宴の真似事の時は、元気溌剌で応答し、私たち夫婦は戸惑いながら微苦笑を重ねたりしている・・。
このように我が家は、今年も年末年始は齢を重ねても、酒宴の真似事が続き、老ボーイの私は微苦笑している。
そして何よりもお互いにボケずに、こうして談笑ができれば、ささやかながら倖(しあ)せだねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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