スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

浦賀船番所跡と為朝神社

2018-03-18 | 横須賀・三浦


通称「陸軍桟橋」

この桟橋は 昭和10年代に出来たもので、戦後 たくさんの
引揚者が 祖国への帰還の第一歩を踏み出した場所だそうです。
また、
江戸時代 この辺りは幕府の「船番所」が置かれていた場所だといいます。


説明板によると;
18世紀に入る頃から国内の生活物資の生産が拡大、流通が盛んとなり
その変化に対応するため、1720(享保5)年 江戸幕府は伊豆下田に
あった奉行所を浦賀に移転、人や物の出入りを厳しく監視しました。

翌年 ここ西浦賀に設置された「船番所」は 奉行所の出先機関として、
奉行所に委託された「三方問屋」と呼ばれる廻船問屋100余軒が 昼夜を
通して全ての船の「船改め(乗組員と積荷の検査)」を行っていました。
その勢力は江戸の経済を動かすほどで、港町浦賀の繁栄につながりました。







港を左に見て少し歩いて行くと、右手の民家の間に 石の鳥居が見えてきます。

「為朝神社」

祭神:鎮西八郎為朝
小じんまりした社殿が歴史を感じさせる 静かな佇まいです。
創建は 江戸文政期(1820年代)と言われ、地元漁民が海に漂う為朝公の木像を
拾い上げて地蔵堂に祀ったのが始まりで、航海と疱瘡除けの神さまだそうです。

     
                            源氏の家紋「笹竜胆」








     
「日露戦役紀念」「明治三十九年六月建之」と刻まれています。




毎年 西浦賀に伝わる民俗芸能「虎踊り」が奉納されています。

(説明板より)
幕府の奉行所が伊豆下田から移転してきた折に 伝えられたものといわれます。
近松門左衛門作『国姓爺合戦』の和藤内虎退治を題材に、親子の虎・和藤内・
唐子・太唐人などに扮して 地元の青年や少年少女達が演じるのだそうです。

残念ながら ‘猫’はまだ 見たことがありませんが、県重要無形民俗文化財に
指定されているそうで、機会があれば一度見てみてみたいものと思いました。




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