スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

横浜検疫所

2010-10-24 | 横浜


金沢区にある「横浜検疫所 輸入食品・検疫検査センター」の
施設が、23日(土)に一般公開されていたので見学に行きました。

     
入口には、スピロヘータの螺旋細胞構造をイメージした
モニュメントに野口英世博士の胸像レリーフ。




横浜検疫所は、以下の業務を3本柱としています。
・検疫法に基く検疫・衛生
       ・食品衛生法に基く輸入食品等の監視・指導
   ・感染症法に基く動物の輸入届出審査

‘猫’などは、普段あまり関心を持って生活していませんが
国際間の人や物の移動の活発化とスピード化に伴って
海外への渡航者や来航者は増加の一途を辿っており、
そうした人々を介して侵入する感染症を水際で防止したり、
輸入物品・動物などの安全性を検査したり・・と、あらためて
考えると、私たちの日常と密接に関わっている所ですよね。 


まず、スライドを使って検査センターの業務の概要のレクチャーを
受けたあと、順路に従って施設を見学していきます。


コーヒー豆のサンプリングを体験したり、さまざまな検査機器が
整然と並ぶ検査室を見学して顕微鏡を覗いてみたり、
随所に職員の方がいて幼稚な質問にも対応してくださり
通路にもいろいろなパネルで易しく説明されていて、
化学にヨワい‘猫’も、結構楽しい時間を過ごせました。






横浜検疫所の歴史は古く、1879(明治12)年に現・横須賀市長浦に
神奈川地方検疫局の「長浦消毒所」が設置されたことに始まり、
日清戦争で横須賀軍港が拡張されたのに伴い、1895(明治28)年
現在地に移転し、「長濱検疫所」と呼称されました。

1899(明治32)年6月から5ヶ月間、海港検疫医官補として23歳の
野口英世氏が勤務し、横浜港に入港しようとしていた「亜米利加丸」の
中国人船員からペスト菌を検出。世界へ躍進する足がかりとなりました。

1923(大正12)年の関東大震災で施設は倒壊しましたが、
翌年には殆ど全てを原型とほぼ同じように復旧させました。

その後、時代の変遷と共に幾度となく所管が変わりましたが
1947(昭和22)年 厚生省付属機関「横浜検疫所」となり
今日に至っています。




敷地の奥まった所にある別棟の
「検疫資料館」


この建物は震災後に復旧した1号停留棟で、当時 船内で
発病したり感染の疑いのある人を留め置く施設でした。
現在は、資料館となっています。


入口を入ると



広い廊下を挟んで、両側に大小の部屋が並んでいます。



こちらは、談話室のようなパブリックスペースでしょうか。



この部屋の額は、後藤新平氏の書だそうです。



廊下の左側に並ぶ部屋には、明治12年当時から使われてきた
さまざまな検査・消毒器材や生活用品などが展示されていました。

顕微鏡の数々








消毒器材と防護服



開所当時の器材から、コンピュータ自動制御の最新検査装置まで
たくさんのものを見学して回り、内容はよく分からないまでも
こうして私達の安全・安心のために、努力してくださる人達が
大勢いらっしゃることを再認識した、得難い一日でした。

検疫所の皆さん、これからもがんばってくださいね!!

    

コメント    この記事についてブログを書く
« 旧東海道・戸塚宿② | トップ | 長浜野口記念公園 »

コメントを投稿

横浜」カテゴリの最新記事