鶴岡八幡宮の前を横切る「横大路」を東へ向かって進み、
「岐(わ)かれ道」を100mほど過ぎた所に、石碑があります。
「関取場址」
石碑の横に、市内の小学校の歴史委員による可愛い文字の説明書き。
それによると;
1548(天文17)年 北条氏康が荏柄天神社殿修復の為、此処に関所を設け
通行税を徴収した場所で、「関取場」と呼ばれました。天神社に現存する
掟書には「商人の麻・紙・布などの荷物は3文、馬で参拝する者には10文、
通行のみの僧侶・庶民・里民からは関銭を取らない」と記されているとか。
此処から「永(よう)福寺」への参詣道は「二階堂大路」と呼ばれました。
当時は、「大路」と呼ぶに相応しい広い道だったのでしょうね。
では、ここから「小路」歩きスタートです!
左にマンションを見ながら、小路へ入って行くと
やがて、右側には見上げんばかりに見事なサンゴジュの生垣
水分を多く含む常緑樹で、防火の役目も果たしているのでしょうね。
左手に鳥居を見ながら、荏柄天神の参道を突っ切ります。
(余談ですが・・天神社に寄り道して、先日撮り洩らした
「かっぱ筆塚」を撮ったので、UPしておきました)
生垣と竹林に包まれた、広いお屋敷が続いています。
「覚園寺川」沿いの道になりました。
四つ角を左へ行くと「鎌倉宮」、右へ行くと「杉本寺」へ。
四つ角の左側は、ウバメガシの生垣のお屋敷。
立派な屋敷林ですね~☆
この辺りは、大きくて閑静なお屋敷が並んでいます。
いろいろな垣根や塀をウォッチングしながら歩けて、楽しい道デス♪
御簾垣
ひときわ目を引く凝った竹垣!
板塀もバラエティに富み、それぞれ個性がありますね☆
道が山に突き当たった所に、長~い石段。
柵があって上っていくことはできませんが・・
そのすぐ近くに、石碑があります。
「護良親王陵」 「理智光寺址」碑
「理智光寺」は、願行上人が創建した真言宗のお寺でした。
建武中興の立役者 護良親王の陵墓を守ってきましたが
明治初年に廃寺となりました。
山沿いに左の方へ歩いて「理智光寺橋」を渡ると
「永(よう)福寺旧蹟」碑
「永福寺」は、源頼朝が奥州攻めの戦没者慰霊のため、1192(建久3)年に
平泉の大長寿院を模して建立したお寺で、二階大堂を中心として
阿弥陀堂や薬師堂が並ぶ荘厳華麗な大寺でした。 池に船を浮かべて
歌舞音曲の宴を催すなど、幕府の賓客をもてなす場でもあったようです。
「二階堂大路」の名は、永福寺の二階大堂がその由来とか。
鎌倉市は、1967(昭和42)年度から土地買収をおこない
今後は史跡公園とするべく整備を進めているとのことでした。
永福寺跡に沿って左へ行くと、紅葉の名所「獅子舞ヶ谷」、
真直ぐ行って「通玄橋」を渡ると、紅葉ヶ谷の「瑞泉寺」です。
瑞泉寺の梅はまだ咲いているかな?
久しぶりに、ちょっと行ってみることにしましょう!
(続)
‘猫’もちょっぴり心のゼイタク・・かな。
ほんとに鑑賞する方は楽しいだけですが、維持するのは大変でしょうね。
なんか、ほんとの贅沢?心意気?のような気もしますし、作る職人さんの気概も伝わってきます。