スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

新宿・太宗寺の切支丹燈籠

2016-09-21 | 東京・川崎



以前、「月桂寺の切支丹燈籠」をご紹介したことがありました。
同じ新宿区内の別のお寺にもあるというウワサを聞いたので、
今回は そのお寺をめざして




それは 「新宿御苑」のすぐ近くにありました。
「霞関山 本覚院 太宗寺」
 
浄土宗
  本尊: 阿弥陀如来
    創立:1668(寛文8)年
開基: 僧 太宗
寺伝によれば、1596(慶長元)年頃 太宗という僧が開いた「太宗庵」が前身で
1628(寛永6)年に 安房国勝山藩主 内藤正勝の葬儀を行ったのを契機に、
正勝の長男 重頼が寺地を寄進し「太宗寺」となり、内藤氏が信州高遠に
移封の後も内藤家の菩提寺となっていました。( 以上 Wikipediaより )


門を入ると、すぐ右側に
「銅造地蔵菩薩坐像」

江戸六地蔵
第3番目の御像
1712(正徳2)年 造立 像高 267㎝
本体には、嘗ては鍍金が施されていたといいます。
夏目漱石が幼時に悪戯で御像に上ったと 著書にあるとか。
都指定有形文化財


まずは、お目当ての燈籠を見に行きましょう☆
正面奥の建物の 前栽の中に
「切支丹燈籠」
        
説明板によると;
1952(昭和27)年 当寺内の内藤家墓所から出土した織部型石燈籠の竿部分(脚部)。
(上部の笠・火袋部分は復元したもの) 
石質は白御影石で、江戸中期の製作とされています。 区登録有形文化財

「月桂寺」の燈籠から想像していたのと違って、新しいものかと思うような
石の色の白さ、形状と彫りの明確さが 正直ちょっと意外な気がしました。



ほかにも、
このお寺には 歴史的な見るべきものがいろいろあるのです☆

「内藤家墓所」

江戸時代信州高遠藩主 内藤家累代の墓所です。
       中央は 5代正勝の墓(寛永6年 造立) 区指定史跡
 右側は 13代頼直の墓(明治時代 〃)
  左側は 内藤家累代の墓(明治時代 〃)
1628(寛永6)年 正勝が葬られ、6代重頼が寺地を寄進し、
1714(正徳4)年 7代清枚(きよかず)以降 歴代の墓所として当主や
家族が葬られました。1952(昭和27)年に都の区画整理事業に伴い、
57基あった墓塔を現存の3基にまとめ 現在地に改葬されました。



閻魔堂

毎年7月15・16日に御開扉されますが、それ以外も正面扉に
あるボタンを押すと、1分間 堂内が明るくなり拝観できます。

「閻魔像」                  「奪衣婆像」
        
(いずれも説明板の画像)
閻魔像は 木造彩色で総高 550cm。都内最大の閻魔像です。
1814(文化11)年に安置されたとされ、製作もその頃と推定されていますが
数度の火災により 製作当初の部分は頭部のみ。体部は昭和8年に復元。
江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」と庶民の信仰を集めています。

奪衣婆(だつえば)像も 木造彩色で総高 240cm。1870(明治3)年製作。
右手に亡者から剥ぎ取った衣を握り、その重さで罪の軽重を測るとか。
内藤新宿の妓楼の商売神として「しょうづか(葬頭河)のばあさん」と
呼ばれて信仰されていたそうです。 いずれも 区指定有形民俗文化財

格子扉越しに明るくなった堂内を覗くと、正面に赤い衣の閻魔像が鎮座し
左側に奪衣婆像が見えました。 奪衣婆は閻魔大王より小さい像ですが、
その顔はモノ凄く不気味で 閻魔大王より層倍の大迫力~~
悪童連の躾には 怖さできっと効果絶大、
間違いなし!
興味おありの方は、ご開扉の折に ぜひその目で御覧あれ。
‘猫’は、絶対ヤダ!



不動堂

頭に三日月を戴く不動像と、新宿山の手七福神の布袋像が祀られています。
堂内は暗く、2体の御像とも黒っぽいお姿としか見えませんでしたが、
不動像の頭部あたりに、小さくキラリと白く光るモノが見えました。

「三日月不動尊像」

(説明板の画像)
「弦月の遍く照らし大空を翔る飛禽の類に至るまで済度せむ」との誓願により
頭部に銀製の三日月を戴くため、通称「三日月不動」と呼ばれる不動尊立像。
像上の天窓から、三日月に光が当たるようになっているのだそうです。
区指定有形文化財

寺伝によると、この像を高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中
休息に立ち寄った当寺の境内で 像が盤石の如く動かなくなったため、
お堂を建立し安置したと伝えられます。きっと此処がお気に召したのね☆



「塩かけ地蔵」
        
願い事をして塩を頂いて帰り、願いが叶うと お礼に倍量の塩をかけるそう。
1952(昭和27)年に 内藤家墓所から発見されたお地蔵さまだということです。


歴史的なものから民間信仰に関わるものまで揃った ミニ博物館のようなお寺でした。



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