今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

iPadは革新的か

2010年01月29日 | 時事
アップルから 新製品iPadが発表された。
実物にはまだ触れていないが、
おそらくApple II,Macintosh,iPod,iPhoneに続く革新的な製品となるかも
(Lisa,Newtonなどの失敗作の歴史もあるが)。

もともとあの形態こそパソコンの進化型としてイメージされていたものだ。
Kindleみたいな単機能ではなく、パソコンそれ自体が本というメディアにもなるというのが、
メタ・メディアとしてのパソコンのあるべき姿だから。
つまり本当はiBookがiPadに進化すべきなのだ
だって、ネーミングからして”iBook”こそ”電子書籍”でしょ。
そもそも、ノーパソの台の面は本来は不要、入力自体が画像面でされるべき。
日本語入力ではqwertyも五十音順も親指シフトも、それから私が好きだったNECのM式も
ハードとしてのキーボードではなく、ソフト的に対応すればいい。

情報はそれを運ぶモノ(メディア)とは本来別物で、
その切り離しを実際に可能にしたのがデジタル技術なわけ
(それ以前は情報とメディアは同一視・混同されていた)。
だからパソコンは本来、あらゆるメディアになりうるメタ・メディアであるべき、
と言ったのは、1960年代に「パーソナル・コンピュータ」のコンセプトを作ったアラン・ケイ。

ケイのパソコン観は革新的すぎて、半世紀近く経た今でも実際の製品が追いついていない。
(一番のネックがユーザーインタフェースだった。
ただ表示画面の技術革新によってやっと追いつきつつある)。

ケイのパソコン観に感銘をうけてそれを実現しようとしたのが、
アップル社を作ったスティーブ・ジョブズ。
ジョブズが革新的でありうるのは、パソコンが進化すべき方向を知っているから。
(MacからiPoneにいたるユーザーインタフェースがその方向を示唆している)。

ちなみに、ケイもジョブズもM.マクルーハンのメディア論がベースとなっている。
そのメディア論は、人類の文明を今でいう認知心理学から説いている微細にして壮大な情報行動論である。

話をiPadに戻すと、
音楽が生楽器やCDから切り離されうるように、テキストも紙から分離されうる。
実際、私が得る毎日のテキスト情報は、
いまや明らかに紙よりパソコン画面からの方が多くなっている
(ニュースはネットで得ているので、新聞購読してない。読み終えた新聞紙は邪魔)。

紙媒体の”一覧性”は確かに利点だが、
人間が一度に”読む”ことのできる文字列の範囲は1行以下だから(”見る”範囲はもっとひろい)、
パソコン画面でも実は読むという情報処理行為としては狭くない。

パソコン画面の利点は、視覚による走査にたよらない検索機能。
複数の書類間を検索できるのは、すごい利点。
それを実感するにようになったのは、
富士通のScansnap(連射的スピードで書類をスキャンして自動的にPDFにするマシン)を買って、
書類をどんどんスキャンして、OCR変換を経由してPDFにしてから。

Scansnapに付属されるAdobe Acrobatの製品版は、
ボリュームやフォルダ単位でPDF書類の単語検索ができるのがすごい。
たぶん、これらによるテキストのデジタル化は文献研究に革新をもたらす。

もちろん、今後テキスト情報が最初からデジタルで流通すれば、
スキャンとOCRの過程は不要になる(OCRの精度に限界があるし)。
なにしろMacのSpotlightはボリューム(ディスク)単位であらゆる種類のファイルの単語検索できるから。