今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

母が脳梗塞に

2016年02月28日 | 身内

東京の実家での朝、部屋のドアを強くたたく音で目が覚めた。
何事かと思って飛び起き、ドアを開けると、そこには外出着をまとった母が立っていた。
「脳梗塞になったので、今から病院に行く」という。

母は携帯を持って、医療機関と話を続ける。
歩いて行ける近くの病院が脳梗塞の救急外来は受付ていないので、他の医療機関を当たっている最中だった。
私も急いで外出着に着替えて、母の通話を一緒に聞いた。

なんでも母は昨晩から右腕が重く感じ、動作の失敗などあり、
また缶ビールを半分ほど飲んだのだが、いつもと違って酔ったような感じが抜けず、
そして、夜中、トイレに行く時、右足がうまく動かず家具にぶつかったという。

さらに、電話で指示されたことを右手で筆記しようとしたら、思い通りに書けなくなっていた。
電話の向こうでは看護師が母の状態を確認するために、両腕を前に伸ばしたまま10秒静止できるかなど指示をする。
私が声を出して数えている間、両腕・両足ともに前に出して静止はできた。

自ら電話をかけ、指示を仰ぎ、外出の準備までしているのだから、頭脳は明晰で、運動能力もさほど損害がない。
でもテレビでさんざん観た脳梗塞の兆候に自分がぴったり当てはまっているというのだ。
脳梗塞になりながら、自分が脳梗塞だと判断し、あちこち医療機関に電話をかけ、外出する用意をし、私を起こし、私にあれこれ指示をする。
わが母ながら感心した。
もし自分が脳梗塞になったらここまで落ち着いてできるだろうか…。

やがて救急車が来て、母は自分の足で乗り込んだ。
搬送先は、幸い近くの日本医大。
脳血管障害の拠点病院だという
母の付き添いで救急車に乗って日医大に行くのはこれで2度目。
前回は鼻血が止まらなかっただけなので(一応”手術”をした)、今回はもちろんそれより深刻。

救急車内のベッドがそのままストレッチャーとなって、ICUに運ばれる。
応急検査の間、私はICUの椅子で待つ。
医師が来て、いろいろな承諾書への署名と、できたばかりの母の頭部MRI画像を見せる。
左脳の中央部の深い所にある小さな白い円が梗塞の跡だという。
病名は「ラクナ梗塞」
直径が15mm以下の梗塞の名だという。
小さくても俗名は「脳卒中」。

脳梗塞は進行する場合が2割あるという。
つまりまだ軽い症状だからといって安心はできない。
逆に言えば8割は進行しない。
母の友人も私の同僚も脳梗塞をやったが、その後は後遺症もなく普通に生活している。

ただ悔しいのは、あれほど健康に気を使ってきたのになぜ…という点。
降圧剤と血液をさらさらにする薬も常用していた。 
今回の血液検査で血糖値も問題ない。
生活習慣に思い当たるふしがないので、
医師に「きっかけといえるものがあるでしょうか」と尋ねたら、

医師が言うには、一番の要因は”年齢”だという。
確かに86歳は高齢に属し、わが親族では最長老だ。
母の母(私の祖母)は今の母より20歳若くして脳卒中で斃れた。
努力があったからこそ、この程度で済んだといえるかもしれない。
でも、日本女性の平均寿命だ。
まだまだいける。いってほしい。


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