今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ゴジラ -1.0観てきた:ネタバレなし

2023年12月04日 | 作品・作家評

あえて平日の昼に、「ゴジラ -1.0」を観てきた。☞公式サイト

ゴジラが誕生して70周年にして30作目である(なお、本作はコロナ禍によって制作が中断され、そのコロナ禍が作品のテーマにも影響を与えたという)

映画館で映画を観るのは久しぶりで、もしかしたら2016年の「シン・ゴジラ」以来かも。
すなわち、敢えて映画館で観たい映画はゴジラとかに限定されている。

そもそも映画がメジャーな娯楽であった時代に小学生だったので、近所の映画館に子どもだけで観に行った世代で、
学生時代は名画座(過去の名作専門の映画館)に入り浸って、1日に映画館のハシゴをしたくらいだったのだが、
レンタルビデオ・DVDの普及と家のテレビの大画面化によって、映画は家でくつろいで(私は寝る前に)観るものになってしまった。

その鑑賞パターンに慣れると、日中に丸々2時間映画鑑賞だけにつぶすのはもったいない気がするし、
アカの他人たちと同席して観るのも色々気が引ける。

ということもあって、人が少なそうな平日の昼に、事前にネットで席を予約して鑑賞に臨んだ。

映画館だと、まずはポップコーンとドリンクを購入するのが定番だが(私も子供の時はそれが楽しみだった)、
この歳になるとトイレが近くなるのが嫌なので、飲食はしない(家だと飲食しながら観れる)。

そういうストイックな環境で観た「ゴジラ -1.0」。
前知識は0だったので、まずは時代設定に驚いた(タイトルのマイナス符号がそれを暗示)。
VFX(3DCG)の技術もすごく、身長が初期設定の50mながらゴジラの迫力も充分。

ゴジラ映画に欠かせない要素、すなわち火器にはびくともしない強靭さ、有楽町付近で平然と走行している鉄道車両を襲うこと、戦争や環境破壊などの人類の業と関連していること、単なる恐竜的な野獣ではなく(ハリウッド版ゴジラはこのレベル)、荒ぶる神としての神々しさがあること、そして何より伊福部昭のゴジラのテーマ曲が山場で流れること、これらが満たされていた。

さらにそれらを満たした上でのオリジナリティが重要で、ゴジラ単独の場合は、人間側がどのような手段でゴジラを退治するかが問われる。

私が小学生の時夢中になった「キングコング対ゴジラ」(3作目)以来、ゴジラ映画がこうやって作り続けられ、しかも下手にシリーズ化せずに(そうなるとどうしてもキングギドラやメカゴジラを出さざるをえなくなる)、1954年以来の”ゴジラ第1作”(ゴジラの原点)が再制作され続けられていることに、ゴジラ(映画)と共に生きてきた我が身にとって、限りない幸福感を感じた。
ゴジラと共に、これからも生きていけるんだと。
この幸福感こそ、私にとってのこの映画の感想である。
この幸福感を与えてくれた監督(山崎貴)・俳優(主演:神木隆之介)を含め、制作に携わったすべての人たちに感謝の意を表したい。