梅雨の合間の晴天となった土曜、気分転換に都内を歩いてみたい。
候補に挙がったのは品川区の西大井界隈。
なんでかというと、毎度新幹線で名古屋に向う時、品川を過ぎた新幹線が住宅地を見下ろしながらややスピードを上げていくと、突然、右側の線路脇にこじんまりした森が現れる。
住宅密集地の中の森なので、何かと思うと、伊藤博文公の墓所だとわかる。
もちろん初代総理大臣で昔の千円札のあの人。
私も彼と同じ長州・萩の血を引くものの、旧幕臣の子孫としては関心の対象ではないが、住宅地内の森に心惹かれる。
新幹線の車窓は、次に、高台に建つ立派な寺院を映す。
名刹の風格があるので、こちらも気になる。
これは養玉院という寺で、大きな五智如来像が並んでいるという。
そう、毎度新幹線の車窓から見るこれらが、西大井にあるのだ。
近くに「西大井」という横須賀線だけの駅があり、品川で乗り換え、1つ目で降りる。
西大井は、私が名古屋に職を得る30年以上前、ここの駅前のメイプルセンターという所で、カルチャースクールの講師をしていた。
なので、それ以来の下車。
まずは現地で、昼食を摂りたい。
線路脇にこじんまりした中華料理の店があった。
店頭のメニューを見ると、五目焼そばが680円とあったので、入る。
私は、中華では五目焼そばと決めている。
満足して会計をすると、720円だという。
これって外税?。
実際、東京駅から南(〜神奈川)は税抜き価格を店頭表示しているので注意しないと。
さて線路沿いに、住宅地を歩いて、隣が公園の伊藤博文の墓所に着く。
木々が生い茂る広い敷地は居宅の跡らしい。
残念ながら墓所は閉鎖中(11月の文化財週間のみ開くらしい)。
ハルピンで暗殺されたこともあり、いろいろ恨みを買っているだろうし。
敷地内を覗くと、鳥居があって、神道式の墓所になっている。
次の養玉院を目指して、線路沿いの道を歩く。
一帯は静かな住宅地だが、新幹線の高架とその下を通る横須賀線の線路脇なので、10分おきくらいに、新幹線の高周波の風切り音と、横須賀線の線路の継ぎ目を鳴らす音が清寂を破る。
両方の線路脇だと、落ち着かなそう。
本日の第一目標である養玉院如来寺(天台宗)は、門は閉まっているが、脇道から境内に入れる。
新幹線から見たように、寺域は広く、高台に建っている。
一番奥の江戸建築の大きな如来堂には、脇から身をかがめて入る。
中に入ると、高さ3mほどの五智如来(薬師、宝生、大日、阿弥陀、釈迦)が横一列に並んでいる。
堂内はうす暗いが、如来像には照明が当てられ、金色(コンジキ)に輝いている。
都内の寺ではなかなかお目にかかれない壮観。
ただ惜しむらくは、造りがやや素人ぽい。
手前には、興福寺の天燈鬼(国宝)を彷彿させる像が燈明をささえている(写真)。
如来堂内はたっぷり堪能したが、他のお堂は閉まっている。
奥の墓地の入り口に江戸時代の石仏があり、童子・童女という碑銘から幼い男の子・女の子の墓だとわかる。
昔も変らぬ親心に心打たれる。
さて、ここから線路から遠のき、荏原台地の端を上ったり降りたりして、西大井の鎮守、蛇窪神社に達する。
この地に白蛇が棲んでいて、蛇窪が地名となっていた。
そこに弁天を祀ったのが今の神社の前身らしい。
弁天は、日本の神ではなく、インドの女神・サラスバティで、本来の所属は仏教の天部(守護神)だ。
それが仏教から独立して、神社側になり、蛇身の宇賀神と融合して水神の役を担っている。
神仏習合のままであればまったく問題ないが、いつのまにかここは皇祖を祀る天祖神社になってしまった。
それでも地元の崇敬を集めているようで、参拝者が堪えない。
あいにく、弁天・白蛇神が祀られている池は今年度いっぱいの工事中で入れなかった。
私は、寺社のご朱印にはまったく関心ないが、お姿や神像には目がない。
ここには、ご神体の蛇の像があったので(1500円)迷わず購入。
ここから近い駅は都営浅草線の中延。
都内に残る数少ない庶民の商店街の1つ戸越銀座は1駅先だが、名所ではないので、次の機会にする。