今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

既視感と正しい想起との違い

2020年06月21日 | 心理学

昨日のブログ記事で、寺社ではお姿を買うと書いたら、
近所のお不動さんにお姿が売られていたが、まだ買ってないなぁと思い、
さっそくお姿のお札を求めにいった。

不動堂にお姿の見本があり、そこには庫裡の玄関でお求めくださいと書いてある。
庫裡にいくと、インターホンを押せと書いてある。
インターホンに手を伸ばしたその時、
このシーンに強い想起感(このシーン経験したという記憶感)が湧いてきた。

ただ、想起感だけだと、実は経験していない想起ミスである既視感(デジャブー)かもしれない。
私にとって既視感はめずらしくないので(夢の中でも経験する)、どちらなのか一瞬迷った。

たが、インターホンを押したあと、玄関に入って、出てきた婦人に用件を述べて、お姿を購入したというエピソード記憶がありありと蘇ってきた。
既視感でも、「このシーン前にもあった」という感覚は、事態の推移に並行して「そうそう、このシーンも確かにこうなった」という想起感が連続するが、これは現象学でいう「原印象」という持続的現在の印象で、まだ経験していないこの先の出来事(エピソード)を予測的(現象学でいう「予持」)に思い出すことはできない。
すなわち、既視感では「この先、こうなった」というエピソード記憶の予持想起ができない
これが既視感と過去経験の想起との決定的な違いだ。

ということで、これは既視感ではなく、お姿はすでに購入済みした経験があると思い直し、インターホンを押さずに、それを確認すべく帰宅した。
そして各地のお姿を入れてあるクリアファイルを開いたら、確かにこの寺のお姿があった。

ただ、既視感より前に、すでに購入していたことを忘れていたことの方が問題だ。
忘れるには理由がある。
お姿って、こうやってファイルに入れたら、それっきりで見ない。
だから、記憶に残らず、忘れてしまうのだ。
実際、幾度目か訪れた社寺で、ここのお姿買ったかどうか迷う時がしばしある。
かように人間の記憶って精度が悪い。
今回の場合、連想→忘却→既視感(のような想起感)→正しい想起、という記憶現象のオンパレード。

なので、パソコンで購入したお姿のリストを作成し、クラウドに保存した。
こうすれば、買う時にリストを開いてスマホで確認できる。
外部記憶装置に頼ろう。