イギリスの国民投票の結果は、残留がかろうじて上回るという予想が覆された。
その結果、日本でも為替と株価がショック反応を起こし、投資(普通預金より多少ましな運用を期待しているだけなのだが)に手を出している私も、 そのショックの直撃を受けた。
もととも島国で自立志向の強いブリテン島の人たちだから、大陸の意向に従うのをよしとしないのはわかる。
ただ、この現象はイギリス一国だけの問題ではなく、グローバリズムからナショナリズムへの方向転換がいよいよ世界の流れとなったことを示しているように見える
(スコットランドの態度はイングランドに対抗する、やはりナショナリズムの反映であり、グローバリズムではない)。
ナショナリズムというと(とりわけ日本では)”偏狭な”と形容され、グローバリズムこそ人類が達成すべき方向であるかのような”理想”とされてきた。
その前世紀から続いてきた潮流に、今回待ったがかけられた。
この新しい流れを支持する人たちはどのような人たちか。
ナショナリズムは保守派、グローバリズムはリベラル派という図式は過去のものである。
アメリカではトランプ氏とサンダース氏の支持者が階層的に共通しているように(いずれもクリントン氏の支持層とは別)、
イギリスでは離脱派は労働者階級が多いように、
今のナショナリズムは持てる保守層によるものではない。
グローバリズムは、結局は世界をまたにかける超大企業だけが儲かり、国内規模の中小業者とその労働者は中産階級から脱落を余儀なくされてきた。
この持てる者と持たない者との世界的分離(中産階級の没落)は、日本でも進行中なのはご存知の通り。
国家間の格差は縮まるが、人々の間の格差は拡がっていく。
これがグローバリズムの現実の結果というわけだ。
私自身、(若い時は左側であったものの)ナショナリズムに目覚めて久しい。
自分の存在基盤を自分自身で足下から固めることをまずは優先する。
これがナショナリズムだ。
グローバリズムの本音は(国ごとの関税を邪魔とする)経済第一主義であるが、ナショナリズムは固有の文化を大切にする。
おのれの存在基盤である価値(アイデンティティ)を大切にし、無理やり”一つ”になることよりも、互いの”違い”を認め尊重する。
隣近所と無理やり共同生活をするのではなく、互いに自分たちのライフスタイルを選択したい。
グローバリズムと僭称し、一つの価値観を他者たちに強制するファシズム(大東亜共栄圏、国際共産主義(インター)、イスラム国)は拒否したい。
人類はゆるく結びついていればいい。
ただし、ナショナリズムは経済的には保護主義と親和性が強いので、経済的に成功することは保証されていない。
経済的繁栄を多少犠牲にしてでも守りたいものがある、という訳であるが、
その態度に正直不安がない訳ではない。
そのジレンマがイギリスの拮抗する結果になったともいえる。