今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

都知事選候補ってどうしていつも

2016年06月15日 | 時事

都知事選挙は、本来は政党色に染まらない候補者が理想だが、それを狙ってか却ってイロモノ候補者が満載で、実際の選択に困ることがしばしばだった。

その起源はといえば、当時支持絶大の美濃部知事に対抗するため、自民党が担ぎ出した参院選でこれまた人気抜群の石原慎太郎だった。

選挙権年齢に達していない当時の私でさえ、単なる人気投票に堕している都知事選挙に白けたものだった。

そしていつの間にやら、その石原慎太郎氏が都知事として盤石な権勢を振るい、その後継者とされた猪瀬氏が、金銭スキャンダルで辞任に追い込まれた結果、またもや人気投票の体をなし、現役政治家の強みで舛添氏が当選した。
実際私も彼に入れたが、彼を支持したわけではなく、意地でも棄権しないため、都政とは無縁そうなイロモノ候補者の中からの消去法の結果である(今でも他の候補に入れればよかったとは思っていない)。

私が住民票を東京都に置いたままにしている理由の1つが、愛知県知事や名古屋市長より東京都知事選挙に投票したいためである。
つまり、選挙として投票のしがいがあるから。

 ただ、人気投票なのだからとにかく有名人と出せばいいという政権党側候補と、都政とは無関係の国政レベルの争点しか話せない野党候補と、毎度出てくるわけのわからないイロモノ候補の中からの選択というのは、「究極の選択」そのものであり、誰が当選しても、最適とはいえない結果となる。

その中でも、かつて石原慎太郎氏が連続して秒速で当確できたのは、氏自身にもあれこれ問題はあったが、それ以上に東京都民を守るという明確なスタンスが多数の都民に信頼されていたからだ。

そういう政治家として頼りになる人物(必ずしも小市民的清廉潔白さは求めない)がいなくなった後は、レベルの低い人気投票に逆戻りしてしまうようで、都知事選挙そのものに魅力がなくなってしまう。
棄権することが最も無意味な行為なので、意地でも投票には行くが、 正直言ってつらい。