今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

私が参院選候補者だった頃

2016年06月25日 | 時事

今回の参院選は投票日だけでなく、7月になってしばらくは住民票のある東京に帰れない。
そこで不在者投票をすべく、候補者と政党の情報をネットで探っているうち、かつて自分が参院選の候補者だったことを思い出した。

私が名古屋にある今の大学の職につく少し前の頃、自分がアルバイトをしていた学習塾の経営者が、実は政治団体を率いる身でもあり、そこが参院選(比例区)に打って出ることとになり、なぜか私も候補者名簿に名を連ねることとなったのだ。

その団体は「道州制推進会議」という名であり、まぁ地方自治は県単位より道州制にした方がいいという考えには賛同できたので、名を貸す事にためらいはなかった。

当時の私は定職がなく、ここのバイトの他には大学と企業2社の非常勤を掛け持ちしていた身でおとなしくしていたのだが、
当然、社会人なら毎朝目を通す新聞には候補者一覧が載っており、目ざとい人はどこにでもいて、大学にも会社にも候補者であることが知られるハメとなった。

ただ比例代表の名簿の一人にすぎないので、選挙区候補のように、自ら選挙カーに乗って街頭演説をこなすようなことはせず、もちろん仕事先では政治活動はしなかった(一回だけ、非常勤先の大学の事務室で職員に質問攻めにされて、政見を開陳したことがあった)。
つまり、選挙期間中の私は日常生活のままで、こんな消極的な候補者でいいんだろうか、という思いもあったが、本部からの指示は別段なかった(私自身はこの選挙で一銭も使っていない)。

そうはいっても宝くじを買った時と同様、”獲らぬタヌキ”を思い描いてしまうもので、国会議事堂の赤じゅうたんを自分が踏みしめる姿を想像したこともあった。

実際には、参院選は(今でも)「諸派」と一括される訳の判らぬ泡沫政党が林立し、衆院で議席を持っている政党以外は、議席を取ることはほとんどない。

わが「道州制推進会議」も全国で6千票ほどしか得られず、あえなく全滅。
これが候補者たちの個人的なツテの限界だった。
そんな中、私が週一で顔を出している会社の同僚も一票投じてくれていた。
投票の理由は「まぁ、知り合いに国会議員がいてもいいんじゃないかと思って」とのこと。

かような結果は予想されたが、ひとつ悔しかったのは、同じ”諸派”の「スポーツ平和党」が議席を確保したこと。
やはりアントニオ猪木の人気にはかなわない。
何しろ選挙期間中、繁華街にくり出していた党首の猪木に握手を求めて集まった群衆の中に、私もまじっていたくらいだから。