今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大同窓会:Akikawa50

2015年10月18日 | メモリアル

我が母校にして今は亡き、全寮制の「都立秋川高等学校」は今年で創立50周年。
もちろん、それを祝う母校はもうこの世にない。

だが、ここでの3年間の青春の想いは幾歳たっても断ち切れるはずがなく、同窓生が集って、中野区のホールを借りて盛大な同窓会が挙行された。 
同輩での同期会はそれぞれ定期的に行なわれているが、1期生から最後の34期生までを集める同窓会はそう頻繁に開催できるものではない。
母校が物理的に存在しないわれわれにとって、まずそれをやる場所がない。 

このような困難を手弁当で乗り越え、この同窓会の開催を実現してくれた実行委員の方々にまずは感謝。

ホールに埋め尽くされた同窓は、各期に分れて座り、我等が8期生も数十人が集った。

オープニングは、我が母校の遺品を保管してくている、兄弟校とも言える都立五日市高校生による和太鼓部の演奏。
現役の高校生がさっそうと演奏する姿を見て、彼らが我が後輩であったならばどんなに頼もしい気持ちになれたことか。
いやその思いは、こうして他校の行事に参加してくれた彼らに向けよう。 

校歌(作曲諸井三郎)は、男子全寮制校としてはいささか上品に過ぎることもあり、残念ながら歌詞を見ないと歌えなくなっていた。

一方、旧制高校のバンカラ気風を受け継いだ寮歌(生徒による作詞作曲)は、忘れるわけがない。

この会場を埋め尽くし、記念のTシャツを着ている男たちと自分が同じ集団に属しているという感覚に身震いした。

会場が開いた後は、三々五々、先生を囲む。 
今となっては、先生との年齢差は同窓間の差に埋もれる程度。 
われわれの方の老け方が大きいせいで、見た目もたいした差がなくなっている。
都立高の先生は、数年すれば異動するので、生涯に幾校も経験するものだが、
卒業後、数十年たっても呼んでくれるのはわが校だけとも言われた。

>先生方は、この高校に真の教育の実現を目ざして、あるいはその課題に直面させられて、難しい年ごろの生徒と寝食をともにしてぶつかってくれた。
われわれは、それを肌身で感じた。
もしかしたら、先生に対してこれほど感謝している”生徒”たちがいる高校って他にないのでは…
書評記事『玉成寮のサムライたち』

この後は、各期ごとに同期会。
話は近況よりも、当時の話題となり、今になって初めて知る裏話も披露される。

一期後輩の九期生が数人われらの宴会場にやってきた。
一学年違うだけなので、先生や部活のメンバーの話も共有できて楽しい。
今の年齢からすれば一歳の差などなきに等しいが、高校時代の一期下は永遠の”弟”だ。 

私は、本来的に過去に生きることをよしとしない生き方をしてきた。
それが必要以上に対人関係の”絆”を弱くしている。
そのような私にとっても、高校だけは特別な過去なのだ。