今日はわが学部の卒論の〆日。
12月とはいささか早すぎると思うが(実際わが大学内でもここだけ)、意思決定に関与してない私にとってはいかんともしがたい。
かわいそうなのは学生たちだが、指導する教員も指導期間が短い分、負荷が高まる。
そもそも学生にとって、12000字を要する論文など、空前絶後の体験なので、要領がつかみにくいはず。
だから指導教員が構成から文章表現まで懇切丁寧に指導しないと、「論文」といえる体裁にならない(心理学の場合は、データの取り方から解析法の指導も含む)。
結局卒論は、学生にとっては4年間で一番真剣に取り組んだものとなる。
指導教員が、一字一句にまでケチをつけ、なかなかOKを出さないのも、学生を今までの自分の延長ではなく、新しいレベルに引き上げたいからだ。
つまり卒論を仕上げることで、一段ハイレベルになってほしいからだ。
仕事とは、命令された最低限の事をするのではなく、自分ができる最善を尽くすことであり、そうやって取り組んでこそ、自分自身をグレードアップできることを、体験してほしいからだ。
なので指導教員は、ただ教えるだけでなく、乗り越えるべき壁となり、試練を与えるストレッサーにもなる。
そして今日、学生たちは必死になって、私を乗り越えてくれた。
教師冥利に尽きる。 帰宅して、1人祝杯をあげた。