博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大秦帝国之縦横』その8

2014年05月29日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国之縦横』第41~46話まで見ました。

太子蕩は結局魏国の姫と結婚することになりますが、その婚礼の場で恵文王が自分の婚礼の時に恵文后(魏紓)に刺殺されそうになったトラウマが復活…… 恵文王はますます心身を病んでいきます。で、その太子蕩はと言えば新婚初夜から元の恋人と密会したり、それを詰った新妻にDVを働いて実家に帰られたりしてしまい、父王から叱責される始末。

一方、息子羋琰の措置によって難を逃れた義渠王駭は、息子が秦にいると聞いて咸陽に潜入。居場所を突き止めて再会を果たします。羋琰は咸陽の居酒屋でボーイにされていたところを、その正体を知った公子壮(秦の王室の筆頭格関内侯の嫡子)を通じて、恵文后のもとに引き取られていたのでした。で、その情報を知った羋八子が義渠王駭・羋琰と密会しようとしたところ、恵文后派に与する公子壮に摘発されてしまい、恵文王以外の男性と密会しようとしたということで死罪の危機に…… 恵文王もなかなか気の休まる間がありません。

一旦死罪の決断をしたものの、後悔した恵文王は張儀の提案を容れて、結局息子の王子稷とともに羋八子を燕への人質として派遣することにします。で、捕らえた義渠王駭は思う所あって釈放、羋琰はそのまま恵文后に仕え続けることになります。

その燕では、元の太子平(すなわち姫狐の旦那様です)が斉から兵を借りて国を乗っ取った子之を打倒しようとしますが、返り討ちに遭ってあえなく戦死。『史記』の燕世家なんかではこの太子平が子之を倒して燕の昭王となったとされていますが、太子平が敗死して公子職が昭王となったという異説もあり、このドラマではそちらの方を採用しているようです。(実際に趙の人質となっている公子職も登場)

羋八子・王子稷は戦乱の燕国から逃亡して趙の軍隊によって保護されますが、今度は趙王から人質となるよう求められ、恵文王の内意によって二人を引き取りに来た張儀もやむを得ずそれを了承。

そして秦国では羋八子母子が燕での戦乱に巻き込まれたという誤報が舞い込み、ショックを受けた恵文王が心身を弱らせてそのまま病没。太子蕩が新王として即位しますが……

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